永遠の青春の書

2012/04/30
 今年のとっぱじめの二年生の授業は『山月記』になった。なんど授業で取り上げても飽きがこない。とくに今年は、リセットできたあとだけに、また新鮮な気持ちで授業プランを考えた。
 『羅生門』『こころ』『舞姫』には、文学史的要素をのぞけば、それぞれなにか代わりがある気がする。しかし、この小説ぬきの教科書は考えられない。
 詩人になり損なって、虎になった男の話。原作にあたるもの(『人虎伝』だったか?)も読んだことがあるが、ただの怪奇譚にすぎなかった。それを中島敦は青春の書につくりあげた。
 47年前か48年前になるのか、教科書で読んだとき、なんだか怖かった。たぶん、自分の中にも「臆病な自尊心(プライドを傷つけられたくないという気持ち)」や「尊大な羞恥心(見下していた者に負けたら恥ずかしいという気持ち)」が疼いている気がしたのだろう。――「お前は人を見下すような男だったのか?」と言われそうだが、けっこう傲慢な人間だったのです。が、それ以上に、自分の感性(そんなことばを当時知っていたかどうかは怪しいが)しか頼れるものを知らなかった。それは今でも変わらない気がする。――が、それだけではない。そのような「性情」を超えた、獣とでも呼ぶしかないものが既に姿を現しはじめていた。
 若いころは何であんなに荒れ狂っていたのだろうと今は不思議に思う。――カミさま、忘れさせてくださってありがとう――きっと周りの人間にはずいぶん不快な思いをさせたはずだ。が、それを若さの属性としてかたづけてしまう気にはならない。たぶん、いまはそれを手なずけるのが少し上手になり、相手も手なずけられるのに慣れて、なんとなくお互いになあなあ状態が習慣化しているだけのような気がする。
 李徴的ななにか。多分いまの子どもたちにとっても「自分は自分にとっての狼」であることに変わりはないのではないか。
 今回の授業のポイントは、「最後に、袁サンが感じた、李徴の詩に不足している何か、とは何かを考えてみよう。もちろんその詩は書かれていない。ただ、即興の詩があるだけ。でも、考えるヒントはほかにもある気がする」
 ひと通り読み終わってから、最初の段落だけまとめた。李徴は「上級国家公務員」のエリートコースを捨ててまで詩人になろうとした。それだけ中国では詩人のステイタスが高かったことになる。官僚や政治家は一代限り。しかし、詩人は末代まで残る。
──李徴が書きたかった詩は、たとえばこんな詩だったんじゃないかな。
 授業前に復習した、柳宗元の『江雪』を、すでに頭に入っているかのようなふりをして板書する。
   千 山 鳥 飛 絶
   万 径 人 蹤 滅
   孤 舟 簑 笠 翁
   独 釣 寒 江 雪
 漢詩の復習。詩型、起承転結、対句。覚えていた生徒の表情が明るくなる。『江雪』の鳥の姿も人の足跡も見えない風景の確認。そして押韻。「絶滅雪」
──すべての形あるものが姿を消した、ただ雪だけの風景なんだな。その寒々とした川のなかに、たった一艘の小舟が浮かんでいて、その舟にはお爺さんがたった一人で乗って、雪のなかで釣りをしている。・・・この詩の中には「絶滅」以外に、あとひとつ隠しことばがあるね?
 作戦どおり、生徒の目が板書された漢詩に集中する。
──気づいたね。そうやね。
 押韻の印に○○○をつけたのと同様に、色を変えて、「孤独」に○○をつける。満足そうな表情の生徒が多いのを確かめる。教師の最上の充足感が味わえる瞬間。
──もちろん李徴は、中島敦が創作した人間だけど、きっと李徴はこんな詩が作りたかったんだ。柳宗元は奈良時代の終わりから平安時代初めにかけての人だ。つまり今から約1200年前の人ということになる。その柳宗元の詩に、1200年後の外国人の私が感動している。カッコイイなあと思う。李徴はそんな時代を超えた存在の詩人になりたかったんだ。
 生徒の顔が、なんだか柳宗元か李徴を見ているような表情になっている。(思いこみでも、勘違いでもなかとです。こっちのほうがビビッたぐらいじゃっど。)
――今年の『山月記』はうまく行く。
 最後のまとめは以下のようにもっていきたい。
 柳宗元の詩にあって、李徴の(即興の)詩にはないもの。
──『江雪』の詩で、読めない漢字があった? たぶん足跡を意味する「蹤」だけじゃなかったかな。たとえその字がよめなくても、なんとなく全体の意味はぼうっとではあっても分かったよね? 柳宗元の表現しようとした風景のイメージも浮かんできた、よね?・・・李徴の詩はどうだ?・・・なんか、どことなくとっつきにくくないか?難しさが先に立たないか?・・・ ほんとうに優れたもの、場所や時代を超えて人々に広まっていった超一流の作品には、それがどんなにレベルの高いものであっても、かならず「親しみやすさ」がある。「もう一度聞きたい」とか「読みたい」とか「見たい」と思う人たちが、いつの時代になっても現れる。そういう作品が「古典」として残っているわけだ。それは、詩だけでなく、絵でも、音楽でもそうだ。・・・格調高雅、意趣卓逸ではあっても、李徴の詩に欠けている何か微妙なものというのは、その「親しみやすさ」「なじみ易さ」「平易さ」つまり「大衆性」なんじゃないかな。一部の人にとっては「スゴイ」かもしれないけど、けっしてミリオンセラーにはなり得ない、そういうことのように思うけど、どうだ?
 『山月記』を書いたとき、中島敦は何歳だったのだろう? すでに彼はその晩年(自分が誰かを知った年齢)になっていたのではないか。そしてその後、もっとも親しみやすい『光と風と夢』が書かれた。短い一生だったけど、彼は見事に「自己劇化」を成し遂げているよう感じる。
 そうか、また、「も一度まとめて読み返したい」人を思い出してしまった。
別件
 ゴールデン・ウィークに入って、わが美浜台は賑やかに感じる。きっと、娘や息子が孫を見せに帰って来はじめたのだ。
 散歩のとき、おじいちゃんとバドミントンをしている女の子がいた。
──あ、可愛い! 噛みませんか?
 バドミントンはしばしお預けで、なでなでがはじまる。
──はい。じゃまた、おじいちゃんと散歩しなさい。バイバイ。
 立ち去りかけた後ろから、女の子の大きな声が聞こえた。
──ワタシ、犬がほしい!