確定申告同盟をつくろう

2012/05/04
 メーデーだったんだな。新しい学校の職員室の白板に集合場所と時間が書かれていたので気がついた。労働者になって久しいが、いまだに参加したことがない。民主党政権になったのだから、5月1日は祝日にすればいいのに。一日と三日が祝日なら、間の二日も休日になるはず。大型連休を拡大する法案に文句を言う人はそうはいまい。
 そういえば、徳田惑堂先生と(結果的に)最後に隣同士でお酒を飲んだとき、もう前後関係が分からなくなった先生が突然、「先生、教師は労働者ではありません!!」と目を剥いておっしゃた。これだけは不肖の後輩に言っておかねばならん、という風情だった。労働者扱いを受けたことが、公立を飛び出した(おかげで筑後タロイモは何とも幸運な出会いを経験した。)理由のひとつだったのかもしれない。
 昨日は飯塚で10台くらいの街宣車が連なっているのに出くわした。それぞれ別々の団体名が車に書かれている。わが故里は、右翼と共産党の両方が顔をきかせている珍しい町だ。「そうか、今日は憲法記念日か。」
 小沢某への無罪判決が出た。ホークスが負け続けていたこともあって、対馬イエネコは怒りまくっている。
−−裁判官の名前を覚えとかにゃ。今度の総選挙のとき×をつけてやる!!
−−あれは最高裁判所だけ。
−−なんねぇそれぇ。

 どだい起訴することに無理があった。共謀を裏付ける証拠は何もない。最初から正面突破は諦めて、カラメ手からの方法を考えるべきだった。極端な言い方をするならば、「共謀の事実はない」ということを被告側が証明しなければならない立場に追い込めるかどうかの勝負。そうでなければ最初からの負け戦にエネルギーを費やしただけ。「疲れた」という検察側弁護士のことばは、その通りに受け止めた。判決文は目一杯のものだったと思う。ただ、ここまで来たら、最高裁まで争ったらどげんですか?
 もと被告が五億円だかの金を、「コツコツ自分で貯めた」と発言したとき、税務署はなぜ査察に即刻はいらなかったのだろう。それが不思議でならない。その五億円分の所得税はまるっきり納められていなかったはずだ。つまり、あの発言で国税庁(局?)は完璧にコケにされているのに、そういう動きはまったくなかった。
 いや歳費の一部分をコツコツ貯蓄したんだ、というのなら、「じゃ通帳を提出しろ」。
 もう時効だろうというのなら、「その収入はすでに時効だということを証明できるものを出せ。」それでもガチャガチャ言うのなら、「まず、重加算税を含めて納入してから争え。」実際に、企業などには、虎よりも猛なる苛斂誅求をしている。その方法と論理を発揮すれば勝ち目はじゅうぶんにあった。税務署にとっては庶民から喜ばれるめったにないチャンスだったのに。
 時の与党へは手を出さないという、昔からの慣わしでもあるのかな。
 もし筑後タロイモが商店主で、税務署からつっこまれたら、「オレのような小者を叩いても、いくらも埃は出てこんぞ。まずあいつから税金をとりあげて、それから、ここに来い!」と言う。
 いや、麻生さんや野見山さんの地元では、そうやって追いかえされることが頻繁に起こって、「ほんに、やりにくかバイ。」とこぼしている署員がゴロゴロいるだろう。
──そげ、アタシんごたあ下っ端をいじめなすな。あんたの親分に直接言いなっせ。親分同士で話がついたら、アタシはもう何も言いまっせん。こっちも親分から「行けっ」ち言われて仕方なしに来ようっちゃなかですな。
 サラリーマンの守護神であるはずの連合は怒って見せろ。それでなくとも、サラリーマン以外でまともに所得税を納めている者が何%いるんだろう?
──サラリーマンは収入を丸裸にされて、がっちり税金を取られている。(副収入があるのに申告していない者もいるだろうけど、本題と関係ないから放っておく)それをじっと我慢しているのに、五億円の資産を作るだけの収入があった男に対して税務署は自分達の仕事を真面目にやっているのか!?
 連合が何か理由があって動けないのなら、サラリーマンが「同盟」を創ろう。政治家に弱く、庶民に強い税務署への抗議の姿勢を明確にするための「確定申告同盟」だ。
──全サラリーマンよ、確定申告をしに税務署の前に長蛇の列を作ろう。納税者の権利を行使しよう。
 時間がない者は、前の晩からテントと寝袋を持参して、並べばいい。
 学生時代、モスクワ芸術座だったかが来たとき、天井桟敷の最安のチケットを手に入れるために二日前から並んだことがある。誰かがコタツテーブルを持ち込んで来ていて、初めての男たちと劇場の外で徹マンをやった。それぞれの身の上話をしながらの麻雀は楽しかった。振り込んだ奴が「悔しいさあ」というので「長崎か?」アルバイト先で知り合った対馬出身の女の子が使っていたのだ。
 一晩たったあと、劇場の人が席の数だけの番号札を渡した。「今日はもう帰りなさい。」そのうえ、舞台稽古を見学するチケットをただでくれた。あのころは「演劇青年」を大切にする文化がまだあったのだろう。あの『どん底』は忘れない。「新劇」のイメージが変わった。かれらの「新劇」はほとんど歌舞伎に近かった。
 そんな楽しいことを、も一度やろう。別に「先着百名の税金は半額」とかにはならないだろうけど。

別件
 公園で中学生のお兄ちゃんが、子どもたちにサッカーのボレーシュートの打ち方を教えていた。ヨッちゃんも混じっている。
──蹴るときはね、足の指をグウにしなさい。そしたら強く打てるよ。そう。いいねぇ。
 ワンバウンドしたボールを二回通り蹴らせる。
──ボレーを打つときはね、足は上から下。長友を見てごらん。思いっきり上から下に足を振り下ろしているから。まず、ひとりひとりでやってごらん。はい、上から下。もういっぺん、上から下。
 やろうとしてバランスを崩して転んでしまう子もいる。
──わあー、もう一息。もう一回やってみようか。そう。その感じ。じゃ、ボールを投げるよ。やった。拍手!
なんちゃことば、の風潮に文句ばかりつけているが、すでに「男は黙って」ではない次世代の指導者が育ちつつある。「ベンキョウも頑張って、ガッコウの先生になりなさい。」