野見山暁治さんの絵は音楽に似ている。

2012/05/28。
 先週はまだ体調がはっきりせずグズグズしていた。頭がもやもやしたままだったけど、仕方なしに日曜日無理矢理グループ・ホームに出かけたら、不思議なもんで頭がすっきりなっている。
 今週もどうやら働けそうだ。
 福岡はもうツツジもバラも終わりがけ、そのかわり配偶者が今年、庭に植えたまだ30センチくらいのヤマアジサイが咲き始めた。可愛いもんだ。
 石楠花もいいな。もうこちらでは終わっているだろう。今年は見ないままになりそうだ。
 幕末の話だったか、日本に来たイギリス人が日本の石楠花の種類の多さに驚いて、たくさん向こうに持って帰ったそうだ。西洋以外の世界を知って、植物収集熱が沸騰していたころの話だろうとおもう。
 吉田秀和が死んじゃった。98歳というから年齢に不足はないけれど、恩人みたいに思っていたひとの一人だからやっぱり悲しい。
 学生時代に古本屋の本棚から『ソロモンの歌』を抜き取ったのが始まりだった。中身は99,9%忘れたが、以後、音楽に限らず、あの人のことばに触れることによって、見えるものが変わったと思う。なにが見えはじめたのかまでは分からないけど。
 死亡記事を読んでいて思ったこと。
 野見山暁治さんの最近の絵は、あれは音楽に似ている。それも近代音楽。(具体的にいうと、幕末のフランクや、明治のアルバンベルグ)本人は「音楽はさっぱり分からない」と言っているが、それは、音楽のもともとは音と音の重なりや響き合いであるはずなのに、大抵の音楽にはメロドラマ風の筋書きがあって、そのほうが強く印象に残るからだ。(現代音楽には、その筋書きの代わりをリズムに担わせる傾向がつよいものが多いように感じる。それも野見山さんはニガテだろう)かれは、具象とか抽象とかいう範疇を超えたところで仕事をしている。見えるものだけを追いかけている。そしたらその奥に、どうやら見えなかったものが潜み始めているらしい。あの人の『遠賀川』や『太田川』が好きで好きでたまらないのはそういうことらしい。
 若いころの野見山さんは、関根正二に自分と近いものを感じたと書いている。あるいは大人になってからムンクについて、「絵は描くものだ。オレは塗っていた。」と書いている。
 ふと思ったこと。
 野見山さんにとっては、その関根正二ムンクが頂点で、以後、かれはひたすら遡行し始めた。その遡行はいまも続いている。ひょっとしたらもう「塗る」こともやめるかもしれない。その向こうにあるのは「描く」こと。素描。あの人の新しい線画を見たくなった。
 いまのオレには何が見えているのかな?
 青春時代、というか思春期。自分を風景のなかに溶かし込んでしまうのが夢だった。(そんなオシャレなことばはまだ知らなかったと思うけど)いまは少しそれに成功しかけている気がする。たとえば、犬の散歩のときに出会う子どもたちにとってオレは、もう一箇の人間ではなく犬の背後の風景(背景)みたいなものになっているんじゃないかと感じる。(書き割りではござんせんぞ)も少ししたら風景のなかの点景になれるかもしれない。そうしていつか、風景の奥に消えてしまえたら最高だ。・・・それもまた筋書きのような気もするけど。・・・
 そんなことを楽しみに、今週も頑張ります。

別件
 訃報記事に吉田秀和が引用していたというゲーテのことばがあった。
 我々はみな集合体で、自分自身と呼べるものはわずか。私は先人や同時代人に学び、他人が播いた種を取り入れさえすればよかった。