ミロのビーナス

2012/06/18(月)
 日曜日は晴れて、蒸し暑いくらいだったのに、今日はもう午後から雨。
 帰るときはかろうじて雨が上がっていたが、また雨。
 空を見ながらチビたちの散歩のタイミングを測っている。明日からは台風の影響が出そうだというし、やっぱり梅雨は梅雨だったんだな。
 今日も、一時間だけの日なのに6時間働いた。時給に直したら何百円になるんだろう。それでも仕事が終わりきれない。去年行っていた県立高校の教員が夜10時〜11時まで働いているというのが成る程と思える。あの人たちは自分たちで自分たちの仕事を増やしているのです。そうでもしないと生徒が勉強しないという現実があるのは分かっているけど、も少しどうにかしないと、自分たちの人生がつくれないよ。
 今度の学校も独身者が多数。
 一年生の担任で、先週まで昼休みをつかって面談をしていた教員がいた。
──将来の職業の希望が書いてないけど、まだ見つからないということかな?
──はあ。
──まさか、高校卒業と同時に結婚して永久就職なんてことを考えているんじゃないだろうな?
──そうなったら理想ですけど。
──なかなか難しいぞ。オレだっていつ結婚できるかわからないし。
──かんばってください。
 いったい、どちらが面談をされているのだか分からない。
 へんな言い方になるけど、センセイたちよりも生徒たちのほうが自然に感じてしまう。どうも、高等教育というやつはメリット、デメリット半々という気がする。「大学なんかに行かなくて良かっですね」と感じる女性はけっこう多い。男にいたっては「人生の選択を間違えたんじゃないの?」と言いたくなる人多数。さいわいなことにオレの行った大学は、その高等教育機関の規格からははずれているような学校で、運が良かった。
 三年生はすでに問題集の演習。面倒くさがっている男の子たちは、ぷちぷちお喋りをしている。
──人生相談ばかりしてないで、まず目の前の課題に取り組め。
──そうぞ。わかったか?
──いやあ、一億円あたったらこんなことしなくてすむのに。
──そうはいかん。人間ちゃろくでもない生き物でな、飢えへの恐怖感なしには人間らしくなれないように出来とる。
──うん。それは言えてる。そうぞ。わかったか?
──いやぁ。
──オレはやっぱり大学に行きたい。
──オレは、、、。 

 その教室に、先週だったか先々週だったか入ろうとしたとき、教壇にのっしと腰を下ろしていた顔も体も丸々とした健康優良児がま後ろにひっくり返った。いまの女の子はスカートの下にショートパンツをはいてはいるけど、目の前にスカートの奥がばあっと拡がった。
──わあぁ。(生徒の声)
──わあぁ。(センセイの声)
 「アア、恥ずかしかった」と言い残してその生徒はトコトコ自分の席にもどっていき、なにごともなかったかのように授業開始。
 このおおらかさが何ともいい。

 高橋某がつかまった。カミさんは「かわいそうだ」という。
──だって、洗脳されてしただけやろ? それに捕まるまでちゃんと働いて、税金も払いよったとやろ? 偉いやんね。
 そうか、そういう見方もあるか。
 少しまえに捕まった運転手役の男をかくまっていた女性は逃亡生活について弁護士に、「楽しかった」と言ったという。よかったなと思う。せめてそうでなくちゃ。
 菊池某女は新聞記事によると、すでにマインドコントロールはとけていたのに出頭しなかった理由を、「同棲していた男との生活を続けたかったから」と言ったそうな。それも良かったね。人間なんちゅうもんはそげなもんですばい。
 レヴィナスじゃないけれど、幸福だった記憶が不幸を乗り切らせる。
 それに比べると、高橋某はなんだか貧乏たらしくて、同情心がわかない。おとなしく罪に服せ。それに、もうあの人たちのためにオレたちの税金を使うのはやめちょくれ。それともみせしめに全員終身刑にして、ときどき近況報告をさせるか。麻原ショウコウ長生きせぇ。ぶくぶくに太った90歳になれ。なんなら偶には外出許可にしてやってもいいぞ。

 アマゾンから「こんなものを買いませんか?」と言ってきたなかに、昭和28年文学座テネシー・ウィリアムス『欲望という名の電車』パンフレットがあった。中身はわからなかったけど、表紙が気に入って購入。そのなかに、ビビアン・リーの写真がある。こりゃ演劇に縁のある友人たちに見せなきゃとコピーをした。
 気位がたかくて気品のある老いたもと娼婦。
 女優なら誰でも演じてみたい役柄なんじゃないかな。檀ふみでさえ声がかかったら体に震えがおこるだろう。(なんで檀ふみでさえ、なのかはよく分からないが)ただし、杉村春子のブランシ(そんな名だったかな?)は見に行く気がしない。あの人が演じたら、どうしても「通り抜けできません」になってしまう。若い頃はちがったのかもしれないけれど。
 マレーネ・デートリッヒ、エリザベス・テーラー。ひょっとしたら二人とも舞台で演じているのかもしれない。そうか、『波止場』のエヴァ・マリア・ブロンテもいいな。(映画は誰だったのだろう?マーロン・ブラントだけが印象に残っている。あるいはエリヤ・カザン演出の初舞台のときのデシカ・ダンディだったのか?)人間ちゅうもんのやり場のない悲しみが横溢している舞台。登場人物のなかの誰にも同情するわけにはいかない状況。皮膚も心もヒリヒリ、キリキリなってくる全員がひとりっきりの状態。そこにたぶん観客は自分の何かをダブらせながら見る。日本なら誰だ? 
 ふっと浮かんだのは奈良岡朋子、ぐらいかなぁ。若尾文子だったらもの凄い舞台になったかもしれないが、あの猛女優をまっこうから受けてたつことの出来る男優がだれかいるかな? いたのかもしれんな。 加藤剛にでもやらせたらどんあ舞台になっていたのだろう?
 学生時代にたまたま自宅に帰って深夜放送を見ていると、『ペイトンプレイス物語』というのがあっていた。以来、帰るたびに続きをみた。最後の頃の主役はライアン・オニールと、あれは何といったか、『ウエストサイド物語』で主役を演じた女優さんだった。
(時間の順序は知らない)
 小さな町に暮らすさまざまな人間模様が描かれていくのだが、どの登場人物もさびしい。寂しくない人間は一人も登場しない。その孤独さをだれに預けることもなく自分で抱えこんで、自分の責任で生きている。
 プロテスタントちゃこげんきつい生き方をしとるとか!
 18か19のときの率直な感想だった。
 が、いまでも、万一洗礼を受けなきゃいけなくなったときはカソリックにしてもらおうと思う。アングリカンやギリシャ正教やロシア聖教でもいい。プロテスタントは現世の人間関係がきつい。
 そのテレビでみた『ペイトンプレイス物語』と、映画館でみた『欲望という名の電車』が自分のなかでダブっている。脚本は高校生のときに読んでいるはずだが、たぶんイメージがわかないままだったのにちがいない。

 それにしても、表紙の絵は誰が描いたのか知らないけど美しい。あのころの劇団というは一つの運動体だったんだろうな。
 ついでに60年前の観客の写真も付け加えておきます。

2012/06/20(水)
 先週から2年生は、清岡卓行の『ミロのビーナス』。
 「ミロのビーナスを見ながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには両腕を失っていなければならなたっかのだと、僕はふと不思議な思いにとらわれたことがある。」から始まる文章だ。この文章はまるで音楽みたいで、このテーマがさまざまに変奏されて進んでゆき、またテーマに戻って終わる。その間は逆説的表現の連続。そのアイロニカルや逆説的表現をまず彼らから引き出したかった。(前回の授業はただ読んで文中のことばの意味を確認したところまで。その時にアイロニーや逆説的表現の説明は終わっている。「日本語の″皮肉″とは少し意味合いが違うんだ。」)
 授業の始め方をどうするか、あまり考えないままに教室に行ってしまった。
 第一形式段落を再度読ませていて、ふと思いついて言った。
──××先生がこんなにも魅惑的であるためには、髪の毛を失っていなければならなかった、と私はふと不思議な思いにとらわれたことがある。
 これはウケた。ウケすぎてしばし授業は中断。
──この言い方はなにか変だろう? 第一そう書いた生徒は、××先生をほめているのか、けなしているのか、どっちなんだ?

別の話 
 加藤陽子福田和也佐藤優『歴史からの伝言』は、はじめて知ることだらけで、ハッとしたり、ホウと思ったり、覚えておきたいところだらけだったけど、もう大半を忘れた。ただ、一カ所だけ強烈に覚えているところがある。
 そんなに以前じゃないころ、小島直記の本で、次のようなことを知り、「対米戦争は避けられたかもしれない」と報告したことがある。
 桂太郎内閣のとき、アメリカのユダヤ資本が満州鉄道を買い取りたいと申し出てきた。仲介したのは政商鮎川義介らしい。その価格が日本の財政赤字を一気に好転させる破格値だったので桂は大いに乗り気になり根回しをはじめたが、「日本人の血で獲得したものを金に換えるのか」と言われて諦めたという話だ。
 もしそれが実現していたら、自分たちの国の資本が投下された満州国アメリカは承認したにちがいない。それにユダヤ資本が根付いた場所には、シベリア鉄道を通じて多くのユダヤ人が入国しただろう。満州は五族共和どころか、まさに楽土になったかもしれず、世界史は大きく変わっていた。
 今回の話はその後、蘆溝橋事件以前。
 当時、通貨制度が破綻しかけて、軍閥がそれぞれ独自の貨幣を発行する状態に陥っていた中国に対して、イギリスが日本と協力して資金援助をしようと持ちかけていたというのだ。しかもその方法が、イギリスと日本が折半で、まず満州国に資金を渡し、満州国蒋介石の中国に資金援助するというものだった。(当時、中国通貨の混乱の影響で満州国自体が多大な出血をして経営が困難をきわめていた。)
 英国にしてみれば、金を吸い取るだけ吸い取った中国からはもう吸い取りようがなくなっていた。だから枯渇しかけた海底油田に海水を注入することで採掘量をふやすのと同じ手法で、最後のうまみを中国から吐きださせようというやり手婆そのものの狙いだったのだろう。が、まず目先の金が必要な蒋介石は乗ってきたはずだ。
 もしそれが実現していれば、英国と中国は満州国を承認したことになる。(ロシアは領事館を設置していたから実質的には満州国を承認していた。)
 大蔵大臣の高橋是清は大いに乗り気だったのだが、軍部の圧力を受けた外務大臣広田弘毅(総理大臣なぞ勤まらない無能、無責任な官僚だった)が蹴ったのだそうだ。
 歴史の「たられば」はまだまだあるのかもしれない。
 それらを、いまさら言っても詮ないこととはまったく思わない。
 歴史はかならず繰り返す。われわれはも少し悪賢くならなければいけない。時には腹どころか股ぐらまで触らせる破廉恥さや、場合によっては平気で損をしてみせる腹黒さを身につけなければならない。守るべきものはその背後にある。