最後の職場

2012/06/30(土)

 昨日は例によって夕方まで布団の上。
 チビが「飯をよこせ」とキャンキャンいう声が頭に響いて仕方がなかったから、また熱が出ていたのだろう。4月以来の緊張感がとれてしまったのかもしれない。
来週の火曜日までが試験。そのあとはもうほとんど授業がなく、12日で一足先に長期休暇入り。
 三学期の須恵高校2年生『山椒魚』、一学期の西陵高校3年生『「である」ことと「する」こと』、2年生『山月記』『ミロのビーナス』。いずれも45年前に自分も教科書で読んだもの。(正確に言うと『山椒魚』は中学のときに図書室にひとり残って読んだ。空いてる教室を図書室にしてくれて、どこからか本を集めて並べただけの部屋で、司書もいず、生徒で運営していた。その「生徒会の歌」を先生が作ってくれたような中学校も、生徒減でもとの中学に統合されたという。)
 わが国語教員人生の集大成になるかもという気持ちと、いったい授業になるのかなという気持ちがダブっていて相当におっかなびっくりでやったが、どの教室でも、ふと気がつくと生徒の顔がこちらを向いている。(オレはまだ使いものになるぞ。)
 特別の生徒たちではない。むしろフツウの高校生たち。が、そのフツウさが一時期とちがってきている感触がある。
 バブルがはじけて以後に生まれた若者たちは実に寡欲だ。そのぶん足が地についている。そのほうが自然な気がする。それを「物足りない」とか「若者らしくない」と感じる大人や教員は多いかもしれないけれど、そうじゃない。そう感じる大人や教員のほうがまだ自分たちが育ったバブル文化から抜け出していない。
 これからは自然に出産年齢が早まるだろう。出産数も増える。「お母さんになりたい」と思う年齢が早くなること。「子どもがたくさんほしい」と思うこと。そのほうが当たり前でしょ? 子ども抜きの人生なんて、けっこうハードなんですよ。
 日本の景気がやっと上向きになってきたらしい。(たぶん消費税増税をも乗りこえて回復していく。以前のようなバブルにはならないけど。)べつに政策的な何かが功を奏したというわけではない。自然にそうなってきた。ただ不況に陥ったときに、その落ち込みを減らすための様々な政策は、財政赤字を増大させる結果にはなったが正しかった。この国はまあまあなんじゃないかな。
 高校生のときにアメリカのニューディール政策のことを習ったが、あとでシミュレーションをしてみると、たまたま景気の回復期にあの政策が実行されたにすぎなかったという報告を読んだことがある。たぶんそのほうがほんとうだ。
 出生率もまた然り。○肩上がりだの下がりだのと騒ぐのは時間の無駄。なにごともアップダウンがあるほうが自然なんだ。
 だから、これからの社会のこともあんまり心配していない。
 心配の種は全共闘世代とバブル世代。おおざっぱに言うと、そのふたつの世代は今もって足が地についていないように見受ける。

 いまの仕事部屋に、ときどき人が現れる。
──先生はこの部屋が似合っていらっしゃいます。
──学年末に出す校内誌になにか書いてください。
──8月8日管弦楽定期演奏会のチケットは何枚必要ですか?
 なかには教科書会社や問題集出版社の旧知の営業部員が、
──なんで先生がここにいらっしゃるんですか?
 縁があったんでしょうね。
 先週だかに現れた人のご主人はギリシャ哲学をやっているのだという。
──プラトンの翻訳も出しています。
──すごいですねぇ。いや、今すごいと言ったのは、そんな全然お金にならならことをなさっているからですけど。
──そうなんです。だから「私も働きよるほうが良かろ?」と言って働いています。
 海外旅行らしいことも出来ないけれど、主人がギリシャに連れていったくれたことがあるという話を聞いた。そうなると夫婦といっても同志みたいなものだろうな。

 『ミロのビーナス』のまとめには仕掛けを用意した。さてその仕掛けに彼らがのるかどうかはブッツケ本番。タチアナ・デリューシナ曰く、「人生は下書きなしの清書だ」
 いざ、まとめに入ると生徒はきょとんとしている。すこし経ってからやっと笑い出す。「まあまあの反応だったかな」
 ところが午後、別のクラスで同じまとめに入ると、生徒たちがクスクス笑い出す。そして、まとめの本番に入ると教室中が動いた。
──知ってたのか?
──はい。もう8組から情報が入っていました。
 この学校はいける。いやイケてる。
 教員が仕掛けをつくる。その話がその日のうちに他のクラスにも伝わっている。そしてそのクラスは「ほんとうに××はそんな授業をするとやろか」と、その時を待っている。
 図書室に「入れませんか?」と言っている本にソウル大学キム・ナンド教授の『つらいから青春だ』がある。──あと一冊は内田樹の『最終講義』──そのなかの言葉。日本とは比較しようもないほど就職競争が激しいらしい韓国の学生へのメッセージ。
──人生で重要なのは最初の職場ではなく、最後の職場だ。
 この学校を自分の最後の職場にしたい。
 いまは子どもみたいにそう感じている。
 
別件
 ここ数日、新聞の一面にデカデカと小沢の写真が載っていない日がない。
 あんなやつは、もはやただの張り子の虎ならぬ、張り子のペットだ。なんの力も持っていない。そいつに力があるかのように見えるのはメディアが大きく扱うからだ。あいつにわざわざ力を貸しているのは自分たちだということさえ理解できないらしい。
 いや、あんたたちはただ「自分たちの飯の種」を見つけだすのが仕事なのね。とにかく毎日「大変だ」「大変だ」というものがないと食っていけないだけなのね。そう、家族を養うために恥も外聞も忘れてしっかりお稼ぎなさい。そのかわり、「公益」だの「国益」だのという言葉をけっして口にしなさんな。