受けの日本、攻めの世界。

2012/07/01(日)

 錦織が負けた。試合自体はまだ見ていない。昨夜は第3ゲームを取ったところで「何とかなるかな」と思って寝た。それくらい自信満々だった。一年前の錦織より2ランク・アップしている。
 なのに、ストレート負け。それも第2セットのタイブレークを落としてからは、第3セットは1−6。完敗どころか惨敗。完全な力負け。
 もちろん勝負事には勝ちか負けかのどちらかしかないのだから、負け方に惜敗と惨敗の差があるわけではない。それでも打ちのめされている。たぶん錦織もそうだろう。あのあとグデングデンに酔っぱらうなり、女の子と地獄の特訓を繰り広げるなりしてくれたほうが、こちらとしては助かるのだけれど。真面目そうだもんなぁ。
 思い返せば、最初のコイントスで勝った錦織がレシーブを選んだように見えた。結果はもうあの時きまっていたのかもしれない。
 テニスの場合はサーブをとって、常に一歩リードの状態で闘うほうが心理的に有利だ。それが常道だと思う。なのに敢えてレシーブを選んだ。デルルポトロは「あれっ?」と思ったはずだ。その「あれっ?」がすべて。自分から敢えてアドバンテージを放棄するのは「あなたにはまだ、まともでは勝てそうにありません」というメッセージにしかならない。
 うちのめされたあと一つの理由は、「錦織に対しては、こうすれば勝てる」という見本を、去年のマレーと、今年のデルポトロがみんなに教えたこと。
──力勝負を最後までおしつけたら勝てる。
 卓球が好きで、相変わらずスカパー!の世話になっている。
 オリンピックでは男女ともメダルの可能性がじゅうぶんにある。ずいぶんと強くなった。ただ、男子に比べて女子はもがいている感じがする。
 日本と中国の違いは歴然としている。攻撃力の差だ。だから、もともと受けの強さで世界のトップテンにのぼりつめた福原も石川も攻撃力の強化に努めている。そのぶん強くはなった。が、そうなると守りと攻撃のバランスが悪くなる。肝心の「ここ一本」は攻撃か守りか、どっちかしか選べない。そのバランスが狂う。
 男子の水谷は、開き直ったかのように自分のスタイルを変えようとはしない。なにしろ、受けだけなら世界一かもしれない。が、やっぱり今回のオリンピックも銅メダル狙いになる。
 若手の丹羽は「攻撃的守備」という独自の戦法を編みだした。それで中国選手を次々に下している。あるいは、オリンピックでは水谷以上の結果を残すかもしれない。そういう魅力(相手が怖がる要素)を備えている。
 中国選手は、攻めているときはめちゃくちゃに強い。が、いったん受けにまわると「あれっ?」と思うほどにもろい。日本人選手とはまるっきり対照的なのだ。日本人選手は受けの時にその能力を最大限に発揮する。
 考えてみると、「やわらの国」日本では、まず受身や守りから練習がはじまる。そして仕上げはぶつかり稽古。(ぶつかり稽古というのは、疲れ果てた最後に転がされる稽古のことです)つまり、日本の練習は受身にはじまり、受身に終わる。
 これはもう卓球に限らない日本の文化なんだと思う。「受けきったら勝ち」なのだ。内田樹合気道なんてその典型だろう。(「勝ち負けなんか想定されていない」とお叱りを受けそうだが)
 錦織にわくわくするのも、単に強くなったからではなく、その日本的テニスで世界に伍しているからだ。そこには世界の強豪のだれそれの真似ではなく、かれ自身の自己主張がある。
 が、見回してみると、アングロサクソンもチャイニーズも攻撃文化そのもの。「守りは負け」を地でいっている。だからこそ、「切り返し」の妙に酔う。テニスは見ているだけでも面白い。
 「お嫁さんにしたい」韓国のキム・キョンア(既婚者。ずいぶんふっくらとなった。オリンピックが終わったら出産準備かな)が好きなのも、「攻撃的カットマン」であるからかもしれない。
 それにしても、錦織伝説はついに最終章を迎えた。アベレージ・ヒッターは卒業だ。「ここ一番」で勝てるか。勝ちきれるか。
 もう、最後の一年がはじまった気がする。
 いや、そういう発想自体が「攻撃文化」なのかもしれないけど。
 なにしろ筑後タロイモが育った高校は「攻撃は最大の防御」文化の生き残りで、それを徹底させるために、あの平和な時代にも「防御」を教えないという教育方針を堅持していたのです。上級生を相手に守ろうなんぞとしたら、蹴たくられて、ぶん投げられて、殴られた。
 「ツヤつけるな! 何様になったつもりか!」
 もちろん、わが空想のアホ高校の話ではあるんですがね。

別件
 月曜日の夜明け方、白村さんという人の夢をみた。
 漬け物を連続的につくるためのステンレス製の桶を考案した人だそうだ。その人は文学に親しんでもいるのだが、子どもができたとき、「この子を詩や小説の材料にはしない」と誓ったという。
 会ってみたくなったけど、夢だもんなぁ。それに名前つきの夢って、はじめてかもしれない。