蝉が羽化しつつある音をたぶん聞いた

2012,7,13

 5、6日前になるのだろうか。
 もう梅雨明けだなと思った夜、眠れなくて玄関に出て涼んでいると、どこからともなくサーサー、サーサーという音が聞こえてきた。空耳かも知れないと耳を塞ぐと何も聞こえない。やはり外から聞こえている。
 その次の日か、もう一日たった朝か、今年はじめて?を見かけた。そして公園では、まだ弱々しいが鳴き声。
 あのサーサー、サーサーは?が羽化して、たぶん木に登っていくときの音だったんだ。
 これからガロは大忙しになる。はやくも公園で飛んでいる?を一匹ぱくっと食った。「タンパク質が足りん。」
 昨日で一学期の授業はお終い。
 今日から5週間の休暇。
 やりたいことがありすぎて、たぶんその五分の一もやりおおせないうちに休暇が終わるのだろうが、まずは何はともあれ休暇。この三ヶ月よくぞ働いたと自分へのご褒美。まだ自分に何も買ってやっていないが、月末の北海道旅行がその代わりということにしとこう。なにしろちょうど30年ぶり。
 そうとうにきつかった時期に、心を開いてくれた人たちにまた会える。(亡くなった人もいるけれど。そのお返しは、いま高校生たちにしているつもりですから)
 三ヶ月間の自作のドラマは、それなりのストーリーがあって、満足できるものだった。ただし、自演ではない。
 生徒たちは、それぞれが主役をちゃんと演じたんだな、ということを『山月記』の感想文を読んで思った。大半の生徒が、自分自身の問題として李徴と袁?について考えている。そうでなくちゃ。そのノビノビ感が、「また頑張ろう」(これは某センセイの感慨)を生む。
 なかでも、筆者の見ている角度を感じさせる文章がいくつかある。読み進むにつれて、その角度がくっきりしはじめる。高校のときの自分にはあんな文章は書けなかった。「みんなに読ませてもいいか?」。拒否。「名前を隠したらいいか?」。許可。そのうちの一人は演劇部、も一人は管弦楽部。(たまたまその二人は教卓の前の席)学期末にはじめて気がついたんだが、「ウソ?」と思うくらい、一時期の若者とはちがう内向きの男女だった。
 どういう風に感想文集を編輯するか、この夏休みのセンセイの宿題。
 生徒には「特別サービス」として。ジェームス・ジョイス『ダブリン市民』のなかの「イーブリン」と、石原慎太郎『人生の時の時』のなかの「レギュラー」を与えた。「レギュラー」は男子校のとき、チャンスを見計らって必ず読ませていたもの。「イーブリン」は去年の須恵高校ではじめて使った。が、不発。まるっきり読めていない。フツウの高校生には難しいのだとはじめて分かった。
 最後の時間に配ると、「いま読んでもいいか?」「いいぞ。」
 授業が終わると、例のセンセイの目の前で仰向けにみごとにひっくり返った大物少女が血相をかえて(といっても上気して、の意味)駆けつける。「センセイ、これ分かりません! この″彼女″っていったい誰なんですか?」あ、そういう具合に分からないのか!!「どうしてイーブリンは船に乗らなかったんですか!?」「それを考えるのが宿題やろ?」「そうか!」
 大丈夫。彼らはきっとまた、自分の問題として考えるだろう。口惜しいけれど、こういうことにはある程度のレベルというものが必要らしい。
 最後の最後は、試験前最後の授業で教室中が揺れたクラス。
──今日は自習にしよう。
 と言うと、
──エエ!?
 そうか。その最後の授業の頭でも面白いことがあった。授業開始の挨拶のとき、これまた例の馬乗り少女が大きな声で
──ありがとうございました!
 大笑いになった中で彼女が「死ね!」と大きな声を張り上げるからびっくりしたら、
──いえ、石井に言ったんです。
 石井とは、人をからかうのが上手な男で、たぶん早速、機知を飛ばしたんだろう。あるいはガンつけたか。
 素直な生徒たちなので、言われた自習課題を黙々とこなしている。が、なんで「エエ!?」なのか考えた。いままで休暇前に「休暇中の宿題を前倒しでやろう」と言うと、ほとんどが張り切ってやったのに。
 思い当たることがあった。
 もひとつのクラスでは、最後の授業の頭で「ヒッグス粒子」の話をした。その情報がもう入っていたのだ。なにしろチンプンカンプンの顔をして聞いていたので、まだ無理かと思ったのだが、さっそく伝わっている。「××がわけの分からん宇宙の話をしたぁ。」とうぜん自分たちのクラスでもするだろうと期待していたのに肩すかしを食って、
──エエ!?
 授業の最後に、正面に座っている物静かな演劇部の男に、
──二学期の最初の授業のとき、「センセイはボクたちに何か話したいことがあるはずです」と言え。そしたら思いだすことがあるから。
 と言うと、生徒たちの顔がパッと明るくなった。
 理系クラスだから、も少し中身を練ってから話そう。ビッグバンからはじめて、小柴さんがノーベル賞を与えられた理由。引力と磁力のアナロジーダークマター。すでに始まっている放射能無能化技術の考え方。そうなったら最後は「物質とは何か? 生命とは何か?」を投げかけて終わるはず。
──私が答えを持っていると思うなよ。自分にはもう分からないから君たちに質問しているんだ。
 休暇中には『重力とは何か』も読まなくてはならない。

 我が師は、横浜で倒れ、再起した富山(そこでは池田弥三郎たちとウマがあって楽しかったらしい。家族の話では「まるで梁山泊みたい」だったとか。)でまた倒れたあとも教えに行きたがったのだそうだ。
 たぶんその百分の一ぐらいなんだろうが、先生の気持ちが少し分かるような気がしてきた。
 が、そういうことにはキリがないし、ここまで来たら一寸先は闇、だ。家族のうちのひとりに、いつか何かが起こったらもうそれっきり。だから、いま、を抱きしめよう。

別件
 散歩のとき毎日通る老人ホームの脇で、毎朝そのまわりを清掃しているおばあちゃんがいらっしゃる。日本の母ピッピはもう覚えていて、そのおばあちゃんを見かけたら懐いていく。
──お前とそっくりなとがウチにもおったとよ。
 事情は聞かなかったが、ご主人がその犬を殺したのだそうだ。
──なんて可哀想なことをすると、と言うと、「お前も殺そうか」ちゅうとですもん。そんなことがあったので家を出て、ここでお世話になっています。
 ね、ジョンはお前と同じくらいお利口さんやったとよ。

 人生のまとめ方は難しい。