牛飼いが歌よむとき

 ラジオはまだまだ捨てがたい文化を保っているらしい。
 主婦は台所仕事をしているあいだはラジオ。終わったらテレビに切り替える。それがリズムになっているらしい。
 自分は、高校野球県大会がはじまるのを楽しみにしている。
 ラジオで高校野球を聞きながら畑仕事にいそしむ。これが極上の人生。
そうか。日中戦争聞き書き的テレビ番組で、北海道で農業をしているお爺ちゃんが出てきて、「自分が殺した人たちにも、こんな楽しみを味わえる可能性があったんだなあと、このごろ思うようになった。」と柔和な表情で語っていた。その時期になると色んな人を引っ張り出して喋らせるけど、あのお爺ちゃんのことばが一番心に残っている。
 やっとその極上の人生を味わえるようになった。
 クラス担任をしていたころ、最初の二者面談でよく言ったのは、「自分はスーツ姿で働くほうが似合っているのか、ツナギを着て働くほうが似合っているのか、じっくり考えながら勉強してみろ」ということだった。そういう表現の仕方をするようになってから、けっこう男の子たちとの会話が自然になった気がする。
 自分もツナギを二本と腹掛けつきの肩で引っかけることができるズボン一本を持っている。
 ツナギのうちの一本は、美術部の顧問だったとき、「○○円であります」と部員が言ってきたので、部費を誤魔化して、美術部のユニフォームにした。これは部員たちも気に入って、放課後部室に入るとまずは着替えていたし、文化祭のときはそれを着て、偉そうに校内を歩いていた。じっさいに絵を描いている奴はひとりもいなくて、なんだか工作部みたいな感じだったな。
 運動会のときも、「オたちもユニフォームがほしい」
 予算はもうないし、
──じゃ安いTシャツを見つけてこい。美術部なんだから自分たちでユニフォームを作れ。
 たしか一枚100円のTシャツを買ってきて、それに各自で絵を描き、胸のマークだけは型紙をつくってスプレーで統一した。その記念Tシャツはいまも使っている。「福岡子どもなんとか」のユニフォームとともに今度の北海道旅行のバッグにも入れていく予定。
 もう一本のツナギは、これまた「500円である」という情報を聞いて、「オレの分も買ってきてくれ」と教頭に頼んだもの。(年下なんでタメグチをきいていたな。ゴメンナサイ)これは山小屋での作業用に向こうに置いているがまだ袖を通したことがない。そのうち使うことになるが、ツナギを着込んだだけで自信が湧き上がってくる。あれはなんなんだろうね? 「無名に戻ることへの自信」なんかそんなもののような気がする。
 腹掛けつきズボンはファッション用。30年まえの失業中に遊びに行った旭川で、ある女性が「着替え用に貸す」と与えてくれた。それに着替えると「似合う」と笑い出して、「それ、もう荒木さんにあげる」有り難く貰ってきた。その女性とも一週間後に会える。あ、当時すでに結婚していたよ。というか、結婚式に出ないかと誘いがかかって出かけて、そのまま数ヶ月厄介になった。旦那は北海道東海大教授。これも面白い男で、あるとき博多の中洲で飲んでいたとき、そいつが前触れもなく現れたのでビックリした。「奥さんがここだろうと言うので」そんなに詳しく行き先を教えたりしたことないし、中洲に連れていったこともないのだが、主婦の探索能力に驚いた。研究費を年内に使い果たさないといけないので「研修」に来たのだと言って、またどこかに出かけていった。
で、やっと本題。
 わが、とっておきの話。
 宮沢賢治は教え子たちと自前の農場を開いたが経営がうまくいかなかった。その理由のひとつは地元の人たちが知らない新しい野菜を普及させようとしたこと。トマトもそのひとつ。気持ち悪がって誰も食べようとはしなかったそうだ。(青いうちに食べようとしたのか、赤くなってから食べようとしたのかまでは知らない)
 トマトはやはり野菜か。子どもの頃それがいつも不思議だった。自分には果物に思えてならなかったんだが。
 あるとき、ラジオを聞くともなしに聞いていると、「トマトが豊作の年は、医者が腹を空かす」という言葉が西洋にはある、と言っていた。それほど健康にいいのだそうだ。なにか他の作物でも似たような話を聞いたことがある。そうか、リンゴだ。リンゴが豊作だと、誰がどうなるんだったか?
 話のついで、
 牛飼いが歌よむときに世の中の新しき歌おおいに興る
 伊藤左千夫の歌。
 彼は日本人の体躯向上には子どもに牛乳を飲ませるのがいいと東京都下で牧場をはじめたが、やっぱり早すぎてうまくいかなかったらしい。が、その風貌に似合ったいい歌だと思う。

別件
 隣の畑に50前後の夫婦が現れた。
 以前、若い女性を連れてきたときは妙に気になってちらちら眼が行っていると、
──わたし、娘です。
──そうか。ああ良かった。
 現役なので、畑に来るのは週に一度くらい。もう40センチ級のキュウリが5,6本できている。
──わぁ。これどうやって調理すんのよ!
 ウチもいつもカミさんがブウブウ言っていますと言うと
──でしょう?
 でも、ほんとはダンナに助け船を出したつもりだったんだ。