食い物談義Ⅱ

 昨日の夕方から急に?の声が元気になった。(昼間はこっちにいなかったから、たぶんその前からなんだろうけど)今日はもう朝からうるさい。足下では蟻の姿が目立つようになった。相関関係があるのかないのか。
 ガロは穴掘りに夢中。あるいは?の幼虫の匂いがしているのかもしれないが、成果のほどは確かめたことがない。暑くなった当初、食欲が落ちていたが、また母親より早くがっつくようになった。これでひと安心。
 食い物の話の続きです。
 司馬遼太郎だったか、開高健だったか、モンゴルに出かけたとき(たぶんチンギスカンの墓探しのときだろうから、開高健のほうか)、草原のパオの横に住ませてもらって地元の人たちとの交流をした。その人たちの食事を見ていると、調味料は岩塩のみ。
 そこで、自分たちが持ち込んだ調味料をつかって料理を作り、招待すると「うまい。うまい。」と喜んで食べてくれたので、引き上げるとき、それらの調味料を進呈した。
 ところが、その次に行ってみると、彼らのパオには開高健たちが進呈した調味料がそのときのまま置いてあって、彼らは相変わらず岩塩だけの食事をしていた。
 この話が大好きなのです。
 たぶん自分自身にもそういう先住民的なところがたぶんにある気がする。舌のもつ頑固さと、舌のもつ貪婪さ。
 だいぶ前になるが、アフリカでモロコシを栽培して暮らしている一族がテレビに出ていた。豊かな農家で、奥さんが5〜6人いる。家財道具らしきものはほとんどない。ただ食料の量に見合うだけの人数を養っている。だから、家族自体が財産といえば財産。そんな暮らしだった。
 その一族の食材は、挽いて粉にしたモロコシのみ。それに水を加えてペースト状にしたものを一日二回食う。「これが一番うまい」というのだが、それ以外の食い物があるわけではない。しかし、食っているときの一族の幸せそうな表情はその一回分の量の少なさとともに忘れられない。
 また、白人のグループがベドウィンの案内で砂漠地帯を歩くという別の番組を見たことがある。食事は白人たちとベドウィンたちは別々。案内係は焚き火をしてその燠火の上に薄く円盤状にのばしたパン生地のようなものをのせ、焼けたら各自でちぎって食う。食事はそれのみ。腹がくちくなるとそのまま焚き火のまわりにゴロッと横になる。中東の金持ちたちの貪欲さしか知らなかったけど、本来の沙漠の民は、あれほど寡欲でなければ生きていけなかったろう。
 またまたテレビ番組で恐縮だが、アイルランドの農家に娘さんが里帰りするのを見たことがある。美しい草原のなかの一軒屋で、豊かそうな家に見えた。その久しぶりの家族揃っての昼食はオーブンで焼いたジャガイモ一個(ただし、でかかった)のみ。それを、お祈りをしたあとで、バターをつけながらナイフとフォークで食べる。やらせかもしれないと思いつつ感動して、当時は国際情報コースというやつの担当だったから、「留学するならアイルランドに行け」とだいぶ言ったけど、まったく反応はなかった。(行ったのは、ドイツ、カナダ、ニュージーランド。中国。旧東ドイツがあった分だけましか。)
 先日観たタル・ベーラの『ニーチェの馬』(ハンガリー映画)では毎日の食事シーンが六日間続いた。食材は茹でたジャガイモ。各自一個ずつ。調味料は塩のみ。毎日毎回同じ食事。それを手で皮をむき、テーブルに叩きつけて潰したり、殴ってほぐしたりしながらハフハフとただ黙って食う。ほとんど壮絶な食事だった。
 なにか、そういう食事の原型のようなものが好きなのです。
 今朝は、このところの定番の、ゴウヤとシシトウとピーマンとキュウリの炒め物とニラの合わせ。それにトマトと冷や奴と玄米飯。
 テレビではさまざまなグルメ番組があり、新聞にはフリーペーパーが挟まれ、街中にはさまざまな店があるらしいけど、それらを食べたいと思うことはほとんどない。というか、そういう食事をするために必要な好奇心みたいなものが極端に少ないらしい。
 ひとつには、子どもの頃の調理係だった婆ちゃんがけっこうオシャレなひとで、おやつは蒸かしたカボチャだったりジャガイモだったりした。それにマヨネーズをそえて食う。これが実にうまかった。だから今でもひとりのときは、そんな食事を作るし、スコットランドに一週間滞在したときは、バカでかいジャガイモを食わせる店を見つけて一日一回は出かけた。それで大満足だった。大満足だったし、そんな店(メニューはジャガイモだけ。ただし、上にかけるソースは5〜6種類のなかから選べる)がやっていける国をうらやましいと思った。
 いま食いたいものは、木曜日に出かける北海道でのノブタンマの手打ち蕎麦と同じくシンちゃん手製の石焼きピザかな。
 
別件
 子どもの頃よく遊びに行っていた親戚のおばちゃん(なぜか知らないけどそのおばちゃんを信用していた。だから小学生のとき、姉の父親のことを知りたくなったときは、そのおばちゃんに質問したら、きちんと教えてくれた。)は鶏を飼っていて、卵を収集にくる人に売っては掌にあるコインを嬉しそうに眺めていた。(あの頃の鶏卵の小売り価格は一個20円。卸値はいくらだったのだろう?)息子は「かあちゃんは餌代を勘定に入れんで儲かったちゅうて喜びようとやから世話ない。」とぼやいていたが、おじちゃんはサラリーマンだったから、自分自身の収入がどんなにか嬉しかったろうと思う。

 今朝も野菜売りのおばちゃんが一輪車を押してやってきた。
──おはようございます。お野菜はいらしゃれんですか?
 一日の売り上げは千円くらいにはなるかな、と言うと主婦は
──そげん、あるわけなかろうモン。
 そうだろうな。ということは一ヶ月に収入が1〜2万円。それでも一日数百円の収入が魅力なのだ。