食い物談義Ⅲ

 いつものことだが、あとから思いだしたことがあるので付け加え。
 学生時代に新聞の小さな記事で、ヨットで単独世界一周をする途中で日本に立ち寄った、たしかスウェーデンの青年のことを知った。堀江青年太平洋横断のだいぶあとの話だ。かれの食料は生の大豆だけだという。「そうか。大豆だけで生きられるのか。」
 ただし、記事が小さかったのは、その青年から大した話が聞き出せなかったかららしい。そうとうの変人だったのではないか。その後のことは何もしらない。たぶん、世界一周して故国に帰っても、別段ヒーロー扱いも受けなかったにちがいないし、マスコミは知らないままだったかも知れない。そんな国のほうが民度は高い気がする。
 河口慧海だったか。やはり学生時代に『チベット潜行××年』とかいう本を読んだ。中身は例によって99,9%忘れたなかで、覚えていることがひとつだけある。二回目の本格的チベット旅行の際は、地元のひとに教わった通り、ハダカ麦の粉(つまりハッタイ粉か?)とバターだけで数年を過ごした。はだか麦というのは野生種にちかくて、成熟するとはじけ飛ぶので拾って収穫するのだそうだ。
 モロコシ、大豆、はだか麦。要するに、豆であれ穀物であれ、そのまま食えばそれだけで完全食。こと生存に関しては副食物は特にいらないんじゃないのかな。
 筑後川沿いで暮らすイトコはおもしろい男で、日本の出生率が低下したのは肉食のせいだと言う。「昔はタンパク質の摂取量が少なかったから体がそれを作ろうとした。いまは外からタンパク質を取り入れるから体は作る必要を感じなくなってきているんだ。」案外当たっているのかも知れない。
 玄米に切り替えて4ヶ月。(ただし、晩飯は主婦に合わせて銀しゃり)それで特にどこがどうなったという感じはしないけれど、だんだんと玄米のほうが旨く感じるようになってきた。なのに、なんで白米食が普及したのだろう? どの国でもその方が歴史的に支持されたから今の食文化があるに決まっているのだが、そこらへんのことが分からない。
 子どもの頃の飯は麦飯。べつにそれで文句はなにもなかった。(ただし米主体に麦をまぜたもの。横の家のスエちゃんちは麦主体に米が混じっていた。それを小学生のスエちゃんが共同水道で洗うのだが、水を切ったとき麦がこぼれるということがほとんどない。オレにはスエちゃんが達人に見えた。)あれは日活だったんだろうか、教育映画を見ていると、弁当に入れるのに母親が麦をのけて米が多いところをよそっている。なにもそこまで気を遣う必要はないじゃないかと感じた。ただし、またもや、ただし、だが。「××の栄養弁当」というのは学校で有名だったんだそうだから、我が家の食生活は豊かな方だったらしい。中学一年のとき、いちど、近くに下宿している担任の弁当をのぞき見したことがあるが、麦飯のほかには蒲鉾が数切れ入っているだけだった。
 イギリスを2週間程うろついたときは朝食で必ず「パンはホワイトかブラウンか?」と訊かれるので、「ブラウン。」やはりそのほうが何となく旨く感じた。
 姉の学生時代だから今から50年前、学生寮で「麦飯反対」の意見が出て担当教授を交えての団交が開かれた。そのとき教授が、「食費抑制という狙いもあるけれど、君たちの健康面も考慮したうえで麦飯のままにしようと決めたんだ」と説明したところ、学生側は白飯要求を撤回したという。そのうち日本の旅館でも、「白米になさいますか? 玄米になさいますか? 麦飯になさいますか?」と訊かれるようになるかもしれない。そういえばしばらく麦飯を食っていない。もし訊かれたら「麦飯」と答えることにしよう。

 テレビ番組によると、数百年前の人類は、肉食系と草食系が共存していたらしい。同じ(南アフリカの)洞窟から両方の化石が発見されたというんだからスゲェ。つまり、草食系人類は肉食系人類にとっては食料だったわけだ。
 が、その後、草食系人類のほうがその数において肉食系を圧倒し、現在に至っている。
 草食系といっても彼らが食っていたのは草の葉ではなく、おもに草の根を食っていた。その名残が臼歯なのだそうだ。かれらは生存競争に負けて敗退しかけたとき、他の動物が食っていない、しかもほとんど無尽蔵にある食い物を発見した。ただし、それはそのままでは飲み込めないほどに固いから、歯ですりつぶしては飲み込んだ。この選択があたって、草食系人類は大地に夥しく繁殖し、ついにアフリカからはみ出てユーラシア大陸に進出した。それがわれわれの直接の先祖なのだという。
 もちろん、その過程では肉食系と草食系の交雑も進んだだろうから、草食系文化が勝ったという表現のほうが正しいのかもしれない。また、草食系はべつだん草の根を選り好みして食っていたわけではないから、むしろ雑食系文化が繁栄し、肉食のみというピュアな文化が衰退し(極北以外では)滅亡したと言うほうが適当だろう。
 その「草の根に頼れば生き延びられる」遺伝子と、何でも食えそうなものは口に入れ、飲み込める状態になったら胃袋に入れるという「食えそうなものならなんでも食ってやる」遺伝子が我々のなかで同時に蠢いている。
 先住民たちの信じられないほどの寡欲さと、都市文明人のこれまたヒューマンビーングとはとても思えない貪婪さの両方の遺伝子が人類の繁栄を促してきた。
 とすると、これは機械文明以前からの、人類のあり方そのものなのではないか。そんな気がしてきた。

 さて、夏休み前半のおしゃべりはこれくらいにして、今日からは体を動かすことにする。が、オリンピックと重なるのは計算に入っていなかった。どうなることやら。

別件
 公園でいつもピッピたちを可愛がってくれるNさんに会った。散歩帰りにはフウのところに立ち寄って、おしゃべりをしてから帰ることが多かったのに、ご主人のMさんが亡くなってからは、あまり姿を見せないとフウのお母さんが言っていた。やはり散歩に出てきていた公園のすぐ上に家がある長老のエリの相手をしていた。
――エリも相当に弱ったな。
 でもこちらには、Nさんの弱り方のほうが気になった。