オリンピック雑感

2012/08/07(火)

 連日連夜の睡眠不足に加えて飯塚訪問で、昨夜は眠りかぶってしまった。朝起きて、あわててインターネットを確認。ナデシコがまた勝っている。
──スゲェ。スゴすぎる。
 男子も今夜また勝って、決勝に進みそうな気がする。男女とも日本のサッカーは見ていて飽きがこない。それはたぶん日本人のひいき目じゃなくて、世界のサッカーファンを魅了しているんじゃなかろうか。
 今回のオリンピックを見ていて、期待よりはるかに少ない数のメダルしか取れなかった柔道や体操のことを含めても、思いがけないような競技でまで日本の若者たちが臆することなく闘っているらしいのに、なんだか感慨を覚えてしまったので一筆。
 その感慨は、
──ああ、やっと日本の戦後が終わったんだな。
 ということだった。
 いいんですよ。それが早とちりであれ、勘違いであれ、思いこみであれ、そんなことは気にしなくていいんですよ。大切なことは、そう思うこと、なんです。
 この、ものごとの機微がわかるかなあ?
130キロのまっすぐでローテーション・ピッチャーを守った阪急の星野は次のように言っている。(ゴーストライターの言葉かもしれないけれど、お気に入りのことば。)
――何かを見るときは、「こうなんじゃないか」と予測をつけてなが見るのが大切なんです。たとえその予測がはずれていても、ただ見ているよりもはるかに見えてくるものがある。
 たしか、ヤクルトの古田は「ひっぱり」のバッターなんだ、という説明のあとの言葉だった。古田はここという時はひっぱる。だからその前に外角球の流し打ちをたくさん見せつけて、古田は流してくると思い込ませているんだ。
 東京オリンピックがたしか64年、高校一年のとき。そのときのことで一番覚えているのは、買ったばかりの白黒テレビの前に父親が正座して、昭和天皇のあの小学校一年生が作文を読んでいるような開会宣言を聞いて、
──良かったあ。良かったあ。
 と叫んだことだった。
 そのときは、天皇がとちらないかハラハラして聞いていて、ぶじに宣言できたことにホッとしたように見受けたのだが、ひょっとしたら、父親の戦後はあのときに完結したのかもしれない。以後は、敗戦記念番組を見るたびにただ涙を流しつづけた。あれは懐旧の涙だったのだろう。
 ソウル・オリンピックが88。(韓国ではハチハチをパルパルと言う。パルパルの歌を歌っていたときのキム・ヨンジャは輝いていた。以後の日本の演歌を歌う彼女には興味がない)そしてペキン・オリンピック。それは、アジアの盟主が入れ替わったときでもある。日本はその座をちゃんと本家にもどした。その間日本は、アジアを支える役目を立派に果たしたんだと思うよ。なんと長かったことか。
これからは、肩の荷をおろして泰平の悦楽を享受することができるはずなんだけど。
 過去をひきずって鈍重に生きていた日本と比べて、周囲の国を見ていても、ヨーロッパの国を見ていても、戦後すぐから、なんだかケロッとしているように見える。
 ナデシコと闘っているとき、フランス陣の中心人物と思われる男が唇に指をあてているところが映された。「ああ、いま誰かが、フランスチームのなかの、もと植民地からきた選手のことを差別語でけなしたんだなと感じた。「シィー。世界が見とるんだぞ。」
 他国が引きずっているのは単なる敗戦。なのに、この国はなんだかフツウじゃない。いまだに戦後を引きずっている。敗戦ならいいんだ。この次に勝ちゃいい。が、そうではない。「もう二度とあやまちは犯しません」ツヤつけるな。
 その鈍重さ。いい加減さ。アイマイさ。謝罪しても仕方のないことは謝罪するな。謝罪すればするだけ相手の憎悪をかきたてる。その単純な感情ぐらい分かれよ。
戦後が終わらないかぎり、歴史は見えてこない。
 おれたちが戦後第二世代だとすると、いまロンドンで闘っている者たちは第三世代。ほんとに長かった。日本人もやっと○ン○のカワが剥けた。
 「ハンセンの法則」
 一世が伝えたがり、二世が聞きたがらなかったことを、三世は思いだしたがる。
 聞きたがらなかったのはオレたち。誇りを思いだしたのは三世たち。
 学生時代に「僕たちは戦争を知らない子どもたちさ」というイヤァーな歌がはやっていた。「知らないがあるか。知ろうとしていないだけじゃろが。なんが平和か。」
 今朝の新聞に浅田次郎の写真があった。戦争文学の編輯をしたのだという。彼の小説は何かを一冊読んで「オレが読む必要はないな」と感じてそれっきり。クラス会で卒業生から訊かれたからその通りに答えると、「でも、あの人が小説以外で書いていることは、先生が教室で喋っていたこととそっくりですよ。」と言う。何を喋ったかはまったく覚えていないが、そういう仕組みだったのか。

 オリンピックを見つつ、合間に中村勘三郎の『法界坊』をみつつ、中沢新一内田樹『日本の文脈』を読み継いでいる。
 『法界坊』の面白さは奇蹟的だ。見ていて笑い転げて、いつのまにか本気で泣いている。泣き笑いではなく、本気で泣きだしている。だからその度にストップして、何回にも分けて見なくちゃならない。別にいいんです。ストーリィーなんかどうでもいいんだから。その瞬間瞬間にぼこっと中空がひらけて、永遠が見えてくる。
 勘三郎のサービス精神に匹敵するのは林家三平くらいしか思い出せない。ただし三平は長くても30分ですんだのに、勘三郎は幕間があるとはいえ3時間以上ぶっ続け。もう神域に達している。その脇を固める橋之介や片岡亀蔵や、どういうわけか笹野高史のすさまじいエンターテーナーぶり。さらに端役たちのなんとも個性的なこと。
──ああ、あの役(台詞がひとつあるかないかの端役)を演ってみたかった。
 もう二度とは見られないのかもしれないけれど、あの平成中村座での公演は無形文化財、いや無形国宝に指定されるべきだ。DVDは永遠保存版です。
 いったいどういいういきさつでこんな舞台が可能になったのだろうと、演出の串田和義をインターネットで調べてみたら、数十年前に『上海バンスキング』を手がけたとある。そうか、またもやそういう仕組みだったのか。

 『日本の文脈』もまた、一度に一章を読むのが精一杯。その度にぐぐっときて本を閉じてしまう。昨日は第四章を読んだのだから、よみはじめて一ヶ月たったことになる。その第三章で中沢新一が次のように言っている。
──キリスト教グノーシス派の考え方だと、原初のとき、藭の光に満ちた世界に霧がかかり、藭=発光体は自分の影が霧に映ったのを見て自らの存在を知った。それまで自分がいることを知らなかったのに。その瞬間に堕落が起こって物質が発生した、という考え方をしています。
 しかし。99,9パーセントの確信をもって言うが、どの文書を読んでも、そんな直接的なことはどこにも書かれていない。これは、中沢がグノーシス関係の文書を読んでいるうちに、中沢のなかに浮かんだイメージなのだ。そしてそのイメージは正しい。
 堕落したのは藭なのか、世界のほうなのかという設問は成り立たない。世界と自分とが分離したことが堕落なのだ。
 が、それも魂と物質という二元論の中にある。
 われわれの先祖は、その二元論から免れていた稀有な人類だった。
──でも(これは筑後タロイモの付け足し)、レヴィ=ストロースは、君たち日本人はアマゾンのジャングルで暮らす人々と同じままでいいんだよ、と言うでしょ? ぼくはそのままじゃイヤなの。
 そして二人は二つのことで合意する。(ほかにもいっぱいあった気がするが忘れた)
 1,世界の辺境で独自の、あまりにも異なっているが故にかえって外見的には似ている文明を育んだ日本人とユダヤ人との決定的な違いは、農業を育てたか、里山をもっているかだ。
 2,戦争か結婚かの選択を迫られたとき結婚のほうを選んだのがわれわれの先祖だ。

 ナデシコの、あの丸まっちくて小ちゃくて平べったいのに、ひとりひとりが実に個性的な顔を見ていると、ほんとうにこの国で生きてきた人々は結婚を選んだんだなと思う。いや、この国の女たちは結婚のほうを望んだのだ。ひょっとしたら喜び勇んで結婚を望んだのだ。

 なんとか、オリンピックに話が戻ったから、今日はここまで。

別件
 数日前の散歩のとき、ガロがはじめて、「そっちはイヤ」をやった。今朝またやった。うしろ足を思いっきり踏ん張って、てこでも動かない姿勢をつくって、何も言わずにお父さんの眼を見つめつづける。ちょっと前までは日本の母の行く通りにひょこひょこくっついて歩いていたのに。
──お前ももう大人やもんね。ピッピ、ガロの言うことを聞いてやれ。
 老いては子に従え。日本の母は息子の行きたいほうに方向転換する。ついに我が家も世代交代である。