短信

2012/09/06 

井筒俊彦大乗起信論の哲学」を読み終わった。読んでいるあいだ中、白川静の風貌がどこかに浮かんでいた。
 ふたりはそれぞれ独力で、この世界のよってきたところを探りつづけた。
 白川静は地底を発掘するように自分の素手で、井筒俊彦は地平の向こう側まで自分で歩いて行って。そして、ほとんど同じもの(同じこと?)に出遇った。
 その二人が見いだしたものを「真」と呼ぶことにする。「充溢するもの」のことだ。「滲出するもの」のことだ。
 別に呼び方は、藭でも、仏でも、無でも、空でもいいんだが、それらは自分の使う「真」と同様で名称にすぎない。そういうのを仏教では仮名(けみょう)というのだと今回知った。
 白川静 1910(明治43年)〜2006(平成18年)
 井筒俊彦1914(大正3年)〜1993(平成5年) 
 巨人と呼ぶにふさわしいひとたちがいた。いまはいるのだろうか?

盧泰愚(ノテウ)の演説集を市民図書館から借りた。が、予想どおり、日本の国会でおこなった演説は省かれていた。
そのとき盧泰愚は、日本の国会議員たちを前にして、「日本に対してどうこう言う前に、自分たちの国を自分たちで守れなかったことを恥じる。」と語ったと伝えられている。
 「自分たちの国を自分たちで守れなかったことを恥じる。」
 これ以上の誇り高い意思表明を知らない。
 しかし、本国ではきわめて評判が悪かった。韓国語の文脈ではあり得ない表現だったからだろう。と同時にかれらはそこに「日本化教育」の残滓をみた。が、それは少し違う。日本の教師たちが施そうとした教育は、日本ではできない真の教育だったのだ。(ちょうど敗戦後の日本に来たアメリカの若者たちが「自国ではもう不可能な純粋の民主主義」を日本に根付かせようとしたように。)それが盧泰愚に結実していた。・・・オレにはそのように見える。
 学生時代にはじめて韓国に行ったとき、梨花女子大で文学を学んだという中年の女性に遇ったという話は以前にもした。たまたま出遇って話しているうちにソルジェニチンの話になったのでびっくりした。そのおばさんが、「今日、ウチに泊まりに来なさい」と言ってくれた。
 そのひとはホンモノの反日家で、「歴代の大統領たちは反日のポーズをみせているだけだ。」と言う。「金大中だって、ほかにいないから仕方なしに私たちは投票しただけです。」(大統領選挙で朴正熙に負けた直後くらいだったと思う)真の反日家は李承晩だけだったと言うのだから参った。が、そのひとの解放後の韓国教育への失望は大きかった。「いまの子たちが考えているのはお金のことばかりです。」夫が遺してくれたものはすべて子どものために使う。「あとはあの子たちが何とかしてくれるでしょう。」こと教育に関しては、自分たちが受けたものに誇りを持っていた。そこらへんが難しい。
 兄弟がいた。兄はソウル大生で、じろっとこちらをみて、英語でペラペラっと話しかけ、しどろもどろながら英語で答えると、「ま、いいか。」と自分の部屋に入っていった。弟は「今日から、兄さんと呼びなさい」という母親の言葉をまもり、次の日一日「アニ」「アニ」と呼びながらソウルを案内してくれた。「アニは韓国人に見えないから、どこに行っても安心だ。」
 まだ戒厳令下だった。
 また長くなりそうだから以下省略。
 
・1982年の中央公論を見たくて市民図書館に行った帰り、小学校前の兄妹を見かけた。15センチもない段差を降りられなくて妹が躊躇している。兄が出してやった手を握ると、やっと降りた。「うん、よかったね。」と思っていると背後で、ギャーっという妹の泣き声が聞こえてきた。転んだのだ。一生懸命なだめる兄の声も聞こえないように泣きつづける。兄が意を決したようにくるっと後ろ向きになってしゃがみ、「××ちゃん」と声をかけるとベターっと背負われて、もう笑顔になっている。「痛かったあ。」
 あの子でもいつか兄から独立することができるのかな。

・いつもの朝の散歩。いつものようにNさん宅の前を通りたがる。少し前までは「おお、来たね。」と顔を出してくれていたNさんを最近は見かけない。数日前はウォーキングの会が公園に集合していたが、リーダーであるはずのNさんの姿がなかった。「また来ようね。」

・リーの時代からの散歩仲間のタックが一月前ぐらいに死んでいたことを先月末に知った。そのお母さんが亡くなったのは何ヶ月前だったろうか。
 ジュンタ、オーチャン、イブ、クウ、Kさんちの犬。大学の先生ちの犬はなんといったか、無視されるのが嫌いで、前を通り過ぎようとすると必ず吠えた。「お、××元気か?」と声をかけるときょとんとする。いやその前に、リーに恋をして綱を断ちきり裏山ごしに我が家の裏庭に落ちてきた隣のハスキーは何といったか。そのほか名前を知らないままだった犬の数は10匹ではきくまい。
 人間のほうも、タックのお母さんをはじめ、ラッキーのお父さん、フウのお父さん、前の家のお嬢さん、隣の老夫婦、Iさんのご主人とお嬢さん、そういえばクウのお父さんを見かけなくなった代わりにその娘さんらしい人とこのあいだ口をきいた。
 その代わり、たくさんの新しい犬たちを知った。ミッキー、エリ、メリー、モカ、モコ、モア、モモ、フウ、ライ、ブンタ、ムサシ、バビー、スズ、ジョン、チビ、タミ、ダイ。
 これからもまだ別れと出逢いがつづくのだろう。
 今日の朝刊に宇宙飛行士山崎直子さんのインタビューが載っていた。
 高校時代の担任だった英語教師から教わった詩をいまも大切にしていると言う。
 「変わらないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気。そして、それらを見分ける英知を与えてください」
 ジョン・ダン、なのかな?
 また、市民図書館に行きたくなった。