夏休み宿題より

ジョイス「イーヴリン」(『ダブリン市民』より)と石原慎太郎「レギュラー」(『人生の時の時』より)について  二〇一二年八月

匂い

 人間臭い。イーヴリンも慎太郎もとても良い匂いがします。人が人間であることと、人が動物であることを証明する良い匂いです。個人的に私はこの匂いが大好きです。
 自分の臭(にお)い、体臭は常に自分自身で嗅(か)いでいるわけですが、体臭というものは自分ではあまり感じないので、嗅いでいる実感というものは得づらいと思います。
 イーヴリンと慎太郎も同様です。そして二人は、自分の体臭にそれぞれの反応を見せています。
 イーヴリンは惑わされ、慎太郎は酔う。
 過去のイーヴリンの毎日には様々な変化があっても、大きな体臭の変化はありませんでした。フランク、「人間臭い」の好物である愛がきっかけ(あくまでもスタート・ピストル)となり、彼女を惑わすほどの臭(にお)いになりました。惑わす臭いはその人を食べ始めるでしょう。
 慎太郎は人間としての危機に瀕し、体臭が動物よりとなり、酔える臭いを出すことに成功した。酔うと体が動く、心が走る。目的に食い付く。とても便利な回心というやつです。
 慎太郎は、上手く人間臭さを昇華させました。昇華させること自体にも人間臭さが産まれています。
 これはまた、個人的な好みになりますが、慎太郎の匂いよりも、イーヴリンの匂いのほうがエゴと矛盾がよく表れていて、私は好きです。