マクナマラのことば
2012/09/21(金)
一週間ぶりに畑に行ってみると、もうむちゃくちゃ。うちの作物と隣の作物がからみあっている。先週の颱風のせいだ。
そろそろ潮時だとあきらめて、柵や網を片付けたが、これがまたからみあっているので簡単にはいかない。シンちゃんのお母さんの口癖を真似したら「ゆるくない。ゆるくない。」わが故郷の言葉で言うと「やお行かん。(柔らかくない)」漁師は毎日こんな面倒なことを辛抱強くしているのだなと思いつつ網をほぐしていった。が、その反面、一度こんなことをやり出したら、もう他の職業につく気にはならないだろうな、とも感じる。草むしりと同じで、その間なにも考えていない。ありゃあいい。
大好きな『イタリアの小さな村』で、ある漁村で奥さんと二人暮らしをしているお爺さんが出てきていた。もう引退している。週一で奥さんが出かける日は、自分でフライパンで炒めた魚と、パンと葡萄酒が朝ご飯。それが旨そうでしかたがない。そのあと、港に出ていって、もどってきた船の網の繕いを手伝い、お駄賃代わりに魚を受け取る。
──船を下りてもなにか触っていたいんだ。
あのお爺さんはまだ元気なのかな?
散歩の帰りに玄関に出てきているご主人から声をかけられた。
──いま、何歳ですか?
いつも吠えていた丸々と太ったコーギーは少し前にいなくなったのだという。
──12歳でした。お宅のもだいぶふとっとりますなぁ。
「おおきなお世話だ」
畑の周辺には彼岸花が咲き始めている。クリークにはカモの姿。ただし、真鴨ではない。が、もうすぐ今津湾はにぎやかになる。
「理性はわれわれを救わない。」
「人は善をなさんとして悪をなす。」
昨日寝がけに、枕元からメモ紙が出てきた。
──こりゃ、なんだ?
しばらく眺めていたが、いつ何を読んでいた時のものかわからない。諦めて明かりを消したら思いだした。『 Fog of war 』のマクナマラの言葉だ。
「戰争にも目的と手段の釣り合いが必要だ。」
「理由付けを不断に再検証せよ。」
「目に見えた事実が正しいとは限らない。」
「データを徹底的に集めよ。」
「効率を最大限に高めよ。」
そして、
「自分を超えたなにかのために。」
「 Never say never 」
戦後、ベトナムに招かれ、死傷者5万7000人を背負ったもと長官は、徹底的にベトナム側と議論をかわしたという。
──思いがけなかった。自分がベトナムを完全に誤解していたのに気づかされた。
たぶんそれは、「日本は自衛戦争(self defence)をおこなったんだ」というマッカーサーの発言とも通じるものがある気がする。
昨夜、トム・ハンクスとスピルバーグの『パシフィック』最終章を見終わった。いつか全10章を通して見直したい。なぜならあのテレビ映画は他国民のことではなく「自分たちの物語」なのだから。
別件
先日の佐世保旅行のとき、松浦線の駅で行き会い列車待ちがあった。列車から降りた男の子が、お母さんが呼ぶのも聞かず、列車が動き出すのを待っている。
しばらくしてやっと列車が動き出すと、ちぎれそうなくらいに手を振る。口が「バイバイ」と動いた。
機関車トーマスに限らず、あの子にとって列車は、機械ではなく動物でもない、もひとつの生き物なのかもしれない。
駅のそばで育ったんだが、機関車のことをどう感じていたのか思い出せない。そうとうにこまっしゃくれた子どもだったから、あの松浦線の男の子のようなことはなかったんじゃないだろうか。そのぶん、これから先、バスや汽車に手を振るようになるかもしれないけどね。