高校2年現代文補助プリントⅡ

2012/10/16

 学校の根城に新しい住人が現れた。またもやうら若き女性である。
──職員室ではなかなか集中できなくて。
 朝、戸を開けたら女性二人が並んで座っていると、急に明るくなったように感じる。二人の前はGchanひとり。居心地はこれまで以上にいい。

別件
 月曜日、三年生の教室に行ったら、席替えがあっていた。クラスによっても違うのだろうが、よく席替えをする学校ではある。
 先週の漢字小テストを配ろうにも、前回集めたときと席順がまったくちがっているので、ひとりずつ配るしかない。
──××、△△、○○。
──アタシがしてやる。センセイに任せといたら授業時間がなくなってしまう。
 気のいい女の子が手伝ってくれる。
──夏休みは楽しかったね。
 補習を手伝ったとき、知っている生徒はほんの数人だけだった。それで、知っている生徒にアシスタントをやらせた。その時のことを言っているのだ。補習の準備をしながらお喋り。
──お弁当の三種の神器を覚えていますか?
──卵焼きとウインナーと唐揚げ。
──良くできました。
 中間考査前には家庭科の先生からの「×月×日までにお弁当の献立を提出すること」というお触れが出ていた。ひとりひとり工夫していたのだろう。
──夏休みはあんなに楽しかったのに、二学期になったらどうしてこんなに意地悪になったと?
 毎時間小テスト。一問でも間違えたら課題あり。(ぜんぜん大した課題ではないのだが)もうすぐ本番の受験。
──こんど、△△の過去問を持ってきてください。


グローバリズムの光と影

 前回話したかったのに、スペースの関係で話しきれなかったことを書きます。別に試験には出ない内容なので、無視してもかまいません。

 前回の最後の部分で、「小さくて無力な国ばかりになったら平和をとりもどせる」「機械を棄てて人力でできることだけに戻そう」「文字は捨てよう」と「小国寡民」を唱えた、いまから約2500年前の老子の時代を、「殷が亡んだあと中国で強力なグローバル化がはじまった春秋時代」と説明した。
 つまり、私は「グローバル化」とは20世紀後半からはじまったことではなく、むしろ人類史の初期からずっと続いているものなんだと認識していることになる。
 も少し正確に言うと、文明が興ったということは、グローバル化が始まったということと一緒なんだと考えている。
 文明(シビリゼイション)とは、人類の生存場所が散漫だったそれまでの時代とちがって人口が一定地域に集中しだしたことを指す。なぜ一定地域に集中しだしたかというと、穀物の生産量が飛躍的に伸びた地域(ナイル川沿い、チグリス・ユーフラテス沿い、インダス川沿い、黄河沿い)に行けば「食える」ようになったからだ。
 穀物は、それまでの食糧とはちがって保存がきく。一年前に収穫したものでも食うことができる。それまでの食糧は保存がきかず、多量に手に入っても一度に食える量は決まっていたから「食糧獲得意欲」には限度があった。しかし、穀物の発見によって人類は「貯える」という欲望に目覚めた。その貯えられたものを目指して人々は集まってきた。
 どの地域でも人口の集中が起こった遠因はそこにある。もちろん大規模農業にはその管理者が必要になる。だから、生産量の拡大と人口の増大は権力を生みだす。そのようにして古代文明は生まれた。
 が、そのとき、集まってきた人々は、それまでの自分たちの「故郷」を捨てただけでなく、たぶん、もとの自分たちの言葉も捨てた。あるいは、自分たち固有の名前も捨てた。だから、私はその時代を「グローバリズムの始まり」と考えている。
 中国を例にとると、現在の中国語を彼ら自身は「漢語」と呼んでいる。もちろん、漢字をつくった「漢」という国の言葉という意味だ。しかし、「漢」は人口1千万に満たない小国だった。(はず。)それが中国の盟主となったあと、まわりの国民は漢民族風に外観を変え、「漢語」を身につけ、漢字を学んだ。そしてさらに「漢」風の名前に変えた。
 中国だけではない、隣国も中華文明に浴するため、もとの自分たちの名前を捨ててチャイニーズ名を名のるようになった。漢名を名のることが「文明人」の証になったのだ。

 ちょっと横道。
 「漢」とか「中国」とか「チャイニーズ(チャイナの)」とか使い分けているが、それは現在のあの国の国名「中華人民民主主義共和国」には固有名詞がひとつも入っていないことによる。英語のチャイナ、フランス語のシネは、古い中国の呼び名である支那からきている。中国自身はその支那を嫌って、国内的には「漢」と呼ぶ。が、正確に言うと「中華」の「華」は「漢」以前の固有名詞らしい。ただし、その「華」は完全に滅んだ。(亡ぼされた)その遺跡ではないかと思われるところから出てきたものの展覧会が福岡で開かれたことがあるが、その出土品は明らかに「漢」とはまったく別の文明だったと想像がつく異質なものだった。

 私に言わせると(ここらへんからは眉唾で読みなさい)「華」の文化は中国よりはむしろこの日本に近い。実はこの列島は古代から、地理的にユーラシア各地から難民がたどり着く場所だった。だから「殷」の遺民もたくさん来ているようだし、のちの「百済」の遺民もたくさんいた。
 もともとの倭人は、シベリアからマンモスを追いかけて(一頭殺しては皆で食い、食糧がなくなったらまた一頭殺すというやり方で、いわばマンモスたちに寄生して)南下してきた人々だという説がある。氷原を渡っているうちに地球温暖化が起こり、気がついたら海ができていて帰れなくなったうえに、食糧であるマンモスが絶滅してしまったという、実にとんまな人類がわれわれの先祖だというこの説が気に入っている。かれらは木の根や木の実や貝を食って食いつないだ。(いまのところ世界で発見されている「煮炊きをした跡が残っている土器」のもっと古いものは日本で出土したものだという。)そういう(辛酸ナメコの)人々だから、あとから来た人々に対しても寛容だったらしい。
 大きな証拠と言えるものがひとつある。それは、われわれの名前だ。日本には数十万の名前(姓)があるという。とにかく隣国や中国に比べて桁外れに多い。「田中、田下、田上、中田、上田、下田、小田、大田、右田、左田、北田、南田、西田、東田、宮田、田宮、鍋田、田辺、吉田、山田、川田、江田、津田、古田、新田、和田、蓆田、関田、荒田、堀田、木田、土田、金田、水田、幸田、弓田、永田、長田、原田、黒田、赤田、白田、青田、桜田、林田、松田、榎田、二田、三田、八田、百田、千田、多田、ただの田」この列島の人々はそれぞれ何がしかの先祖の思い出を残した名を名のっている。なかには、「自分の親戚たちだけしかいない名」や「自分の家族にしかない名」もあるという。そういう家族で娘しかいなくて、皆お嫁にいったためになくなった名前もあると「名前博士」の本には書いてあった。

 グローバル化は最近始まったことではないという論拠になったかな。

 われわれは、その歴史的グローバル化の中でも独自性を失わず逞しく生き抜いてきたし、その生き方はこれからも続く。
 2009年に101歳で亡くなった文化人類学の巨人レヴィ=ストロース(『悲しき熱帯』)はその晩年、日本人に向かって次のように呼びかけている。
 「西洋文明が行き詰まってしまったとき、彼らは、日本という自分たちとは別の文明が地球上に生き残っているのを発見するかもしれません。その発見が世界を救うかもしれないのです。だからあなたがたはこれからも、自分自身のままでいてください。」
 現在のグローバル化の問題点の大きな部分は、世界がひとつになりかけるということは、様々な危険を共有せざるを得ないということにある。それは、モノカルチャーの効率性と脆弱さに通じている。
 1929年アメリカに端を発した世界恐慌が、第二次大戦の遠因になったということは既に習ったはずだ。それは、そのとき世界中の経済がすでにリンクしていたということを意味する。
 そして現在、人口数百万のギリシャが破綻しかけて以来、ヨーロッパの経済状況はいまだに不気味な状態がつづいている。それにともなって右肩上がりだった中国の経済も危ぶまれるようになってきた。お膝元のヨーロッパでは、今度はスペインが危なくなりかけている。テレビのニュースでは失業率25%。若者だけに限れば失業率が50%ちかくに達するという危機的状況らしい。
 グローバリズムとは、世界中が「一蓮托生」的になるという状況をも意味する。かといって、それを避けようとすれば世界はブロック経済化しかねない。それは第二次世界大戦の直接的原因の一つだった。
 もう世界中のどの国も「一国経済」つまり鎖国政策は不可能なまでに密接につながっている。ちょっと昔までなら「隣の国が飢えていてもオレたちは大丈夫さ」という残酷さが許された。いまはそうは行かない。比喩的に言うなら、ギリシャがくしゃみをしたらヨーロッパが風邪をひき、スペインは肺炎を起こした。中国が傾いたら、いちばん影響を受けるのは日本と韓国のはずだ。「いい気味だ」なんて言っていられる話じゃないんです。
 もう皆で力を合わせる以外の選択肢はない。その意味では「戰争」の危険からは遠ざかることができるんだけど、歳のせいか何だか怖くてしかたがない。が、そこから先はもう、君たちの時代、君たちの番なんだからね。さあ、体と心を鍛えつつ、勉強!!