南原繁歌集「形相(けいそう)」抜粋










今日もまず散歩。
いつも優しくしてくれるNさんちの方に行きたがる。しばらく見かけなかったので心配していたが、先日会えた。元気そうだった。チビたちは欣喜雀躍、狂喜乱舞。Nさんも嬉しかったんじゃないかな。しかし、あるいはもう老人会会長を引退なさったのかもしれない。
――ピッピそっちダメ。
(ピッピは賢いやつで、子どもの頃は「そっちダメ」というと、こちらの言うことに従うふりをして、突然90度方向を転換して自分の行きたい方向に行こうとした。が、綱があるので「ギョヘェッ」。相当の回数試したうえで、お父さんをだますのをあきらめた。
が、いまでも、自宅の庭で遊んでいるとき「ピッピ、家」と行っても入って来ない。何度もそうやって家に戻ったら、お父さんのほうは家に入らなかったということを経験したので、「もう騙されんぞ。」お父さんがほんとうに家に入るかどうかを遠くから見て確かめている。
ガロのほうはそんなこと一切関係なし。「ガロ家」で喜んで飛び込んでいく。)
Nさんちのすぐそばに宿敵フレンチブルドックの家があるのが分かったのだ。
ある日、その家から宿敵があらわれてた。「あれっ、この家だったのか。」と思ったとたん、フレンチブルドックが襲いかかってきた。綱をひきちぎられた男の子は呆然としている。
――すみませぇん。なんで手を離したとね!?
子どもには無理だ。
それ以来、その家の人に気をつかわせてはいけないと、前を通らないことにした。
――こんど、散歩のときに会おうね。
 てな話はそれくらいにして、


  南原繁歌集  形相(けいそう)抜粋 

公孫樹の嫩葉(わかば)かかやく下をゆき吾がとぼしきは顧みさらむ  繁

昭和十一年


  新年の歌

 
天なるや日は照らせども現身(うつそみ)のわれのいのちの常なげくなり



  勅題「海上雲遠」


見はるかす大わだつ海のきはまりに密雲(あつぐも)わけり嵐來むとす



  二・二六事件


ふきしまく吹雪は一日(ひとひ)荒れゐたり由々しきことの起こりてゐたり 2/26


重大のこと起これるにかかはりのなきが如くに人ら往きてかへるも 2/28


「兵に告ぐ」と戒厳司令官の声いへどわれの心に徹(とほ)らざるものあり 2/29



  春の行程


音立ててストーブの湯はたぎりをり三月の陽は斜に射せり


朝まだき辛夷(こぶし)の花の白々と咲きたる林に雨は降りをり


眞逭なる空に綾なし咲き満てる桜花(はな)を見あげてうつつともなし



  家族


食事終へて直ちに部屋へ退(さが)りたまふ母はつつましき老に入りたり


ひとつ蚊帳に枕ならべてうまいせる四人の子らの父なる吾は



  明暗


谷ふかき洞(ほら)なかに火の燃ゆる見ゆさながらわれの生きて來にけり


戒厳令いまだも解けず夏となりぬ何がなされてゐるにやあらむ   6/25


  七月某日 二・二六事件の結末発表あり


十七名の死刑報ぜる今朝の記事は食堂にゐていふものもなし


かの人もこの人もはやわが友ならずと思ひ飯(いひ)食(を)しにけり

  スペイン動乱


ひとつ国の民らがたがひに敵となり戰はねばならぬものありといはむか


ファシズムとコンミュニズムふた分かれ世界戰はむ日なしと誰がいふ



  故江原萬里君 八月九日三周年記念日に当たりて


こころ凝りて書きけむ君が絶筆をけふの忌日に取り出して見つ



  和解 十月十七日暫く交わり絶えゐし・・・植木良佐君の告別式に列なりて


相共にいのちまもりて茅ヶ崎にかなし乙女と君は逢ひけり



  秋より冬


蟋蟀(こほろぎ)は霜夜に鳴かずなりにけり夜半に目さめて思ひ出でつも



  十月三十日 郷土をおもひて


曼珠沙華咲ける田畔(たあぜ)に筵(むしろ)しきて遊びしことも四十年の昔

  師走


言にいでて民らいはずなりぬるとき一国の政治のいかにあると思ふや


ふるきものなべて滅びむ寺々のこの夜半鐘の鳴りつつひびけ





昭和十二年


  一月宇垣大将組閣成らず


あかつきにふりたる霜のさえざえし大命降下して内閣ならず


  きさらぎ


わが部屋に置きつつぞ見るシクラメンの花は一夜に伏しみだりたり


  春点綴


自首せむ人を警視庁に伴ひ來て混凝土(こんくりーと)の階段を幾つか昇る



研究室


かたつぶりの殻にひそめる如くにもわれの一生(ひとよ)のひそみてあらな


研究室にゐてひとり飯食(は)むわがこころ世にそむくものの心にはあらぬ


Y君の辞職きまりし朝はあけて葬(はふ)りのごとく集ひゐたりき 12/1

            Y君=矢内原忠雄

研究室をたどき知らなく檻のなかの獣のごとく歩みゐたりき

たどき=方便・たづき


  事変


けふもあまた人うたひつつ出征の兵士を送る街はひそけし    8/3


この夜も起こりてあらむ上海のたたかひをおもひつつねむりけり 8/12


軍うごきただならぬ世となりにけり心ひそめて何をしなさむ





昭和十三年


木枯はゆふべ吹きまき雪もよふ天垂らす雲は深く動かぬ


ソヴヰエット・ロシアの国さかひ越え一共産主義者恋人と落ちゆきぬ



  教授グループ事件


きさらぎとなりし一日O君等囚はれにけり君既にいへりき
                            O君=大沢章
二人なき友とし結び富山県に仕へころは吾ら若かりき
聖マリア大聖堂に相寄りて嘆けば君が面影に顕つ
相ともに喜寿を祝ひし君逝きて吾のいのちの空しきが如


大内教授とらはれしのみに日月経ぬ君は僂麻質斯(リウマチス)を病みて居らずや

                          大内教授=大内兵衛

  終講


校庭の公孫樹の枝に春の光流れゐたりき講義をはりぬ



  春光


風ひけば心素直に口あきて咽喉(のど)に薬ぬりて貰ひつ


わが待ちし春は來にけり天地を光に揺りて春は來にけり



  内村鑑三先生 三月二十八日八周年記念日


日曜講演にたましひそそぎて先生にブルー・マンディのありし親しき


  講義


大勢の新入学生のまへに講義していよいよわれは愚かになりつ



  梅雨ふる頃


梅雨ふるにしとどに濡れし庭の藪萱草の花咲きにけり



  夏休 七月十日神戸地方水難


津波に訓導殉職したる話紙帳(しちよう)のなかに起きなほりきく



  七月某日


一片(ひとひら)の雲のごとくに日華和平の望みあらはるときけば嬉しも


八月十一日正午砲火ををさめたる張鼓峯の上(へ)に虫が鳴くとぞ


颱風過ぎ空限りなき宵月夜弟に動員令は下りたり     9/3

                            弟=義弟西川宗保


  九月二十日、ズデーデン問題を繞りてチェッコをドイツを中心にヨーロッパは戰争触発の        形勢にあり


戰は欧州に捲き起らむとして秋の没(い)る日の静かなる空


  
  九月三十日・・・欧州戰争は寸前にて一先づ回避さる


戰はずして欧州に平和よみがへり日華のいくさ限りなくつづく



  『小島の春』


業病のかなしき生を嘆きたる君が手記を讀むいのちに沁みて



  善悪の彼岸


善悪の彼岸に政治はありといふ現代(いま)にあてはめてしかも然るか



  歳晩


みいくさの炎とたぎち進むときわれは古典を讀み暮らしつつ



この冬は石炭乏しといふ研究室の暖炉に近く机を寄せぬ


何ひとつ為遂げしもののあらなくに吾が四十九の年暮れむとす





昭和十四年


  歳旦頌


ひんがしのアジアをこめて新(あらた)しき年のはじめの光あれこそ



  河合教授の場合     河合教授=河合栄治郎


心静かにと思ひゆきし今日の会議に言(こと)にし出でて憤りけり


おほやけのためとし思(も)へどひとつの理論を貫きいへば我執に似るか



面(おも)ををかしてわれいふべきはいへりまたこの人に会ふこともなけれ
     平賀総長

たのみし同志らつぎつぎに追はれこの冬寒くひとり籠らふ



  二月十五日 釈尊寂滅の日、偶々雪降る


み仏の園にしあれや木も石も雪ふりつみて清(さや)けき光

  春愁


人間の諸厄(しよやく)すませて幼(いと)けなくわがありし日のごと純(もはら)ならしめ


身ひとつをもてあましけりわが生(よ)の四十になりても五十歳にても


童貞をたもちしわれの若き日を恋ひおもひつつ老をたのしむ


かの日には聖きと智慧と眞実を求めあへぎつつ死にしと記せ


下嘆く愁いはいはず夕されば心はればれしくかへりゆかむか


朝あけてわれに愛(かな)しき詩を讀まぬ日はなし足るとこそ思へ



  五月


新しき支那に呼号して起ちしといふ呉佩孚将軍のこと伝はらず



  六月 大学にて独乙のナチス学者の歓迎会あり


ケルロイター博士の午餐の会を断りて雨寒き昼をひとり飯くふ


歌一首詠みたるのみにこの日われ心和みて六月(みなづき)に入る


弟が帰還せしと聞けるだにあるひは戰争の終るかろおもふ


灯ともる昼の廊下をゆきつきて吉野作造先生この室(へや)にいましき



  八月二十七日、突如独蘇不可侵条約成り、平沼内閣総辞職


わが頭のなかにとどこほれるものあるらしきこの夜もまた睡られざらむ



  八月三十日 独蘇の包囲態勢に対し波蘭(ポーランド)蹶起


ひとつの国のほろびむとしてふるひ立つ絶対のちから凡(おほ)にし見めや


  
九月三日 英国遂に対独宣戦布告、仏これに倣ふ


目つぶりて?々(しばしば)も思ふこの日はや第二次世界大戦はとどろき起こりぬ 9/1


息づまるごとき世界大戰の重圧を感じつつ部屋をわれ起ち歩く


英仏軍いまだも動かず午後早く衢(ちまた)に出でて夕刊を買ふ       9/6 


国境突破けふ仏蘭西軍が進入せしといふザール・ブリュッケンを地図にたしかむ9/7


陥落を伝へしワルソオに女(をみな)子供もあはれ銃とり死守しゐるとぞ   9/11
  九月十三日 独軍の進撃愈々急、英仏軍の波蘭救援直接の途なし。例年ならば九月に來る

   雨期が唯一の頼みなりといふ


二旬にあまる死闘のかぎりつくしつつ遂にほろびゆく波蘭なるか  9/18


おもむろに欧州大戦は進むらし英国商船けふも沈みぬ      10/某日



  ノモンハン高原


五月にわたるノモンハンの戰闘の佇(や)みしか国は秋ならむとす    9/17 


コロンバイルに戰ひ死にし同胞の一万八千あまりかなしも   10/3発表



  銀杏黄葉


銀杏葉の逭きがなかに黄葉(もみぢ)そむる下に歩みを暫しとどめつ


銀杏葉の黄なるに逭きひとところのこれるありて夕日うつらふ



  十月三十日 新設の東洋政治思想史講座開講。早稲田大学津田左右吉博士講師として招聘


相欺き憎み戰ふ世にありて愛を説き平和を説くは非現実的か


演習(ゼミナール)の学生にむかひ哲学はkontemplativとわれはいひたり
kontemplativ=contemplative


 坐机


今年は書斎に石油ストーブを廃し机を買ひ來りて坐して学ぶ


新しき机のまへにわが坐る思はむことの清くしあれな





昭和十五年


  一月一三日阿部内閣退陣


大いなる戰のなかに三たびまで一国の政府の変わるべかりし

  業苦


いまの現(うつ)つに世を憤りはた自らを嘆けばつひに学者たらじか


愚かしくひとつのことに思ひこり学びつづけつつ吾が生(よ)は経むか



  立春


わが庭の椎の根方に蕗の薹いくつか萠え出で春は來りぬ



  三月九日津田左右吉博士起訴


つつましく一生(ひとよ)日本神話の研究にだずさはり來て君起訴されぬ


いまの時代(よ)に生きつつをりて何事の起らむもわれら驚かざらむ



  籠居


春さればわが庭つちに咲き出づる紫薄きかたくりの花

  欧州大戦図 五月十四日独軍蘭・白に侵入


英仏独軍国をかけての戰も新聞(ニユース)の上には演習の如し


  五月二十一日 北仏乱入の独軍を聯合軍遂に阻止し得ず


けさも聯合軍不利のニュース見てひと日を何かわがいら立たし  5/22


新聞の伯林(ベルリン)電報を抹殺し讀まむもわれの心やすめか



  マジノ線


マジノ線破りて深く進入せし独軍「突出部隊」の語あり


ほしいままなる人類の慘虐地の上にのこしてこの年五月は去りぬ



  六月十五日巴里入城


独乙軍つひに巴里に入城すといふその光景(ありさま)を想ひ眩(めく)らむ

  倫敦市民


独乙軍つひに海峡(チヤンネル)を渡るべしと思へど何か英国に恃めり    7/1


対英独空軍爆撃のにぶりたるこの二三日息づく吾は      8/23 


独軍の対英上陸戰疑はず誰も誰もいひし七八月は過ぎぬ    9/1



土用


にはかに暑くしなれば朝は日の照りつくる研究室にわれ居りがたし


物価変動のはげしき世に住み学者われらに臨時手当六拾七円下されき


もの乏しくなりゆく世にし朝な朝な水道だに迸り出でよ



  八月某日 穎原家長女信子京都より來る。十年目なり


手毬歌(てまりうた)うたへりしををさな児はしづかなる少女子(をとめご)となりて相見つるかも


  親友故松本実三君の一子立一、東大入学の後間もなく病を得て入院、遂に死去


この世の別れと思ひたづね來し病院の階段のぼる心ととのへつつ 6/25



  十一月四日 立一君の祖父米国より帰る。その追悼記念会の席上


大洋を渡りて祖父(おほちち)のかへりますこの日待ちゐて君は亡きかも


二十年まへ夫(つま)を葬りし紀の国の浦べの山に子をまた君の   梅子母堂に



  八月二日実と晃を伴ひ秩父三峯に登る。途中飯能に一泊


藭森(かむもり)の杉の木の間にわが立ちて仰げる天(そら)ゆ霧ふり來る



  三国同盟


日独伊三国同盟成りしかばわれは英吉利の友に便りをつつしむ  9/30


勝とぐるまで独伊と戰はむ英吉利を私(ひそか)に嘆美すわれのいはなく

  秋夜


たらちねの母のまはりに幼きらかたまりて寝る秋夜となりぬ


をさなくて振りさけ見にし三ツ星の今宵も光りぬ傾きながら



  冬


汗垂りつつ書き起したる論文の半ばならぬに冬となりたり


かすかなるわれの書けるも伝はらぬ紀元二千六百年記念論文集


獣(けだもの)のごとく寝ね起きたたかひて君が遺しし歌よみかへす   渡辺直己歌集


妻を子を一日怒らず家にあり茶を入れしめつこの日のゆふべ





昭和十六年


生(しやう)ありて子らと來て遊ぶ草野原春日うららかに照りてゐるかも


米とぼしければ狭きwが庭に植うるもの逭々と伸びよ


麺麭(ぱん)買ふ独乙女(をみな)がいくところにも列なせる見き前大戰ののちに



  近衛内閣に与ふ


客観的実在性なきことがこの幾年(いくとせ)決断せらるるに吾はおそるる


正しき否は暫く措き果たして事の可能性ありや卿等よ思へ


第一線に立てる大臣(おとど)らが決死奉行(ぶぎやう)せざればいかにか国は


庶政一新を論ずれども誰も誰も周辺をめぐりつつ核心に触れず



  バルカンとスエズ


バルカンの国々枢軸に傾きゆく中にユーゴー起ちて戰ふ


ユーゴー軍起ちたるのみにし四断さる後(のち)のニュースはわが讀み敢へず


くるほへる世界の兇暴のまへに起ちて誰ぞこれを阻まむものは


大戰を避(よ)くといへども米蘇の遂に参戰せむ日なしと誰がいふ



  五月空


隣家(となりいへ)の竹の根のび來てわが庭にぬきいづるその筍を愛(を)しむ




  母逝く


   一


老いまして盲(めし)ひし母の病み臥せば嬬(つま)は育む幼児(をさなご)の如く


むしろ死の静けさ待てる老の上にも苦しみは去らずいのちの限りは


かなしみの極みにありて風を静め湖(うみ)を歩み給ひしイエスを信ぜむとす


   二


わが母のいのちの終り見守りて出でたる庭に月照りにけり


母が愛(め)でしゆすら梅の實縁先に朱(あけ)に照りゐて昼は静けき


はるかなるものの如くに思ひをりし母のみ葬(はふ)りけふ吾がせむとす


   三


必ずわが出づるとに送りましし母のいまさず今日を出でゆく


   四


池の水のかきつの花の光にも慰もるわれのこころと思へや




  独蘇開戰


立ちゐて独蘇開戰の号外を讀みしままわが庭のへを幾めぐりすも 6/22


独蘇戰五週に入りぬ黄に熟るるウクライナの麥刈り入れつらむか


戰は童ら地に線を描きて国取りする如く思はゆる瞬間あり



  ノートより


くれなゐの柿のつぶらな實枝ながら黄菊と活けて朝をすがしむ



  十月十一日長女待子結婚 ※


嫁ぎゆく娘(こ)に与ふると女(をみな)の道われは訓へて奉書に書く


眞實(まこと)なるものこのこの国に生(あ)れしめよ汝が脊子が生(よ)をたすけ成さしめ


黒髪の白くなるまで睦まじくかたみに生きて清らかなれよ



  十月十七日第三次近衛内閣倒れ東条内閣つくらる


死国に報いむと言挙げし大臣(おとど)近衛の三月にして去る


一人(いちにん)に総理陸軍内務大臣を兼ぬこの権力のうへに国安からむか


祖国(くに)の上にいよいよ迫り來らむものわれは思ひていをし寝らえず


権をとれる者ら思へヒットラーといへども四面作戰は敢てなさざらむ


あまりに一方的なるニュースのみにわれは疑ふこの民の知性を



  十二月八日


人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戰ふ


日米英に開戰すとのみ八日の朝の電車のなかの沈痛感よ


民族は運命共同体といふ学説身にしみてわれら諾(うべな)はむか






昭和十七年


  新春譜


あかあかと林に燃えて巨(おほ)き日の初日の没(い)りを見つつ立ちをり


わが知れる卒業生の大方が明日の入営に來り惜別す


学生にてありたる君等たたかひにいのち献(ささ)げて悔なしといふか



  新嘉坡(シンガポール)


まのあたりほろぶるものの時ありていのち甦る日なしと思ふや  2/15


  三月六日出発、芦屋なる氷上家(長女の嫁ぎ先)に客となる


春の雨けぶれる汽車の窓に凭(よ)り何ゆゑなしのわれの一日(ひとひ)よ


えにしありて婿(むすめむこ)の家に一夜(ひとよ)いね暁(あかとき)にふる雨を聴きをり


故郷(ふるさと)につづく海辺にとれし魚(いを)少年の日のごとく食ひ飽かなくに


夙川(しゆくがは)の堤(どて)の長手をわがゆきてその白き土老い立てる待つ


津の国の広き大野をふりさけて古(いにしへ)の日本のまほらとぞ思ふ


ひたむきに君が書きけむ独乙(どいつ)精神論讀みつつわれの心揺らげり



  十日帰京


アスファルトのまだ敷きのこる武蔵野の黝(くろ)き土のうへ恋(こほ)しみてゆく


七日の旅よりかへり來てわが部屋に火鉢の燠火(おきび)つぐこともなし



  春闌(たけ)く


八十四年のいのち生きまししたらちねの母が終焉(をはり)の春たちかへる


小笹生(おざさふ)の丘のなだりを下り來てはつか流るる水のせせらぎ


たゆたひつつ一年われの書きて來しナチス論文けふ脱稿す



  四月十九日(※東京初空襲)


春ま昼たちまち高射砲のみだれうつ音底ひびき家居りがたし


空襲のありたる夜半立ちて見張りする天つ空に星ものものし



  母の一周忌


さ庭べのゆすら梅の實あかく垂り去年のごとく夏は來にけり


ありありと今宵おもかげに立つ母を心にもちて寝ねむとぞする



  軽井沢


わが汽車の信濃境に入らむとき白き霧ふる山迫り來も


きよらなる処女子(をとめご)と青年を見合わしむとこの山のまにわれは來にけり

  晩夏


をさなきより貧しきなかに生くるゆゑきびしかる世もわが常としぞ思ふ


教授俸やうやく五級に達せしときわが白髪(しらかみ)のいよいよ白かり


わが庭に植ゑし南瓜に生(な)れる實の大き栗南瓜貯へつつ食(を)さむ


一時間あまり並び立ちゐてわが妻の買ひ來し胡瓜ひとつを愛(を)しむ


久しぶりに手に入りし甘きもろもろを食ひつつ児らの豊かなる顔


二百十日静かに雨の降るなべにきびしかりける夏も去(い)ぬべし



  処女作


わが書の小さき広告を目にとめて言寄せたまふ遠き友らが



  ニュース


九月十三日コーカサス戰線の山の上に白々雪の降りそめしといふ


たかぶれる心あきらかに打たるる日歴史にありて国はほろびし


ツーロン港にフランス艦隊のことごとくが自沈に記事を読みつつ思ほゆ

                              11/29





昭和十八年


  戰ふ世界


ドイツ軍藭にしあらねばスターリングラードに重囲のなかに陥りにけり


このま冬独蘇の軍の戰へるドン河の辺に吹雪あらすな


トリポリ陥(お)ちたりときき衢(ちまた)ゆくわれの心にしみとほるもの   1/25


チュニジアを囲める軍の春たけて動き初めぬ世界視るべし



  早春


昼餉(ひるげ)せむ列にまじりて春まだき新宿街(がい)に立ちつつ吾がをり


やうやくに席にしつきてわが食(た)うぶ一椀の飯(いひ)飽くといはなくに


電車にてやうやく坐りし病みあとのわがまへに立つ嫗(おうな)ゆるし給へよ


疲るれば椅子にしよりてあからひく昼をひとときまどろむ吾は



  春ゆく


さみどりのけぶるが如く公孫樹(いてふじゆ)の芽ぶけるときに逢へらく思ほゆ


春おそく芽ぶきそめたる庭木々のみどりの色のわが眼にし沁む



  六月十四日次女愛子M先生の媒介により・・満州に出動中の未見の青年と婚約す

          M先生=三谷隆正  青年=喜多川篤典

とこしへの縁(えにし)にあれやわが娘子のよき夫(つま)得たりいまだ見なくに



  六月某日 宮中に大祓の儀ありて参列


齋庭(ゆには)なる白き真砂をふみまして皇弟(いろと)の宮のまゐのぼります


まこと船の艫(とも)ときはなちわが罪を海のはたてにもちて棄(す)てしめ



  イタリア崩壊


いまの現(うつつ)にわが生きをりてまさに見るファシズム・イタリア崩壊の日


この日ムッソリーニ退きいづれの日にヒットラー死なむも驚かめやも


イタリア半島の尖端といへど英米軍まさに欧州大陸に上陸す   9/3



  書斎


うちにたぎつものをおさへてわが書かむ論理の行(ゆき)を静かにたどる


原稿を書きつつをりて毎日が決戦の連続といふをわれは諾(うべな)ふ


むらぎもの心動きに日もすがら書きしもろもろ破りて棄てつ



  秋づく


十月十日雨がしぶきて降るなかに雷(いかづち)鳴るも夏終るべく


たたかひに出で立つ日までこころ凝り書き遺したる君が論文


昏れのこるわが庭のへにつはぶきの花のあかるきその黄なる花



  病床


相寄りてともに学びし若きらのいづこの涯にたたかふらむか



  冬來


枯れ枯れし銀杏の落葉ふみてゆく今日の講義のおろそかならず


凩(こがらし)の吹ければ校庭(には)の公孫樹(いてふじゆ)の諸枝(もろえ)あらはになりにけるかも





昭和十九年


  一月十六日・・・高麗藭?に参詣、帰途戸塚家にて夕食


埼玉(さきたま)の野わたる風の寒くして歩みを速む高麗の?(やしろ)に


高麗王の廟(みたま)の塔(あららぎ)石古りて彫(え)りたる梵字見とも見えなく


もの乏しくなりたる時を君が家に白米の飯(いひ)まぶしみて食ぶ



  牡丹江


満州に寒さゆるびぬといふ記事にわれはうれしむ子ら居らしめて


いのちあらばまたも相見むわが子らの真幸(まさき)くあれよ雪凝(こご)る国に



  M君の結婚                M君=丸山真男


若き友のこのよろこびに入らむ日をわが待ちにつつ恋ふるが如く



  大内教授令息婚筵 大内教授令息=大内力


現身(うつしみ)のいといと豊(ゆた)にまどかなる君がへに坐り今日をことほぐ   父君


  撤収


夥しきいのち死につつ独と蘇は三年(みとせ)たたかふ何といはむかも


チャーチルが世界戰史にたぐひなき大軍事行動といふはいつか始めむ


大東京火(ほ)むらとなりて燃えむ日のいまは空想のときにしあらず


三年(みとせ)経しウクライナの争奪戰成らじかも独軍完全に撤収しぬ







  彼岸前後


やはらかに雨ふりぬればみちのくの雪か解けむと思ひつつをり


靖国の?に桜(はな)の咲くけふを二万五柱(はしら)の英霊(みたま)かへります


春雨はけぶりつつ幽(かそ)かわが傘に音して降るも朝ゆくときに



  河合栄治郎


きさらぎの中の五日のゆふべまで君書読みつつその夜倒れぬ



  伝道者浅野猶三郎君


なきがらのまへに涙垂りつつ亡友(とも)を語れる大賀一郎博士


  法学士三浦淳


はるかなる石見の国のふるさとをした恋ひにけむ君病みたれば



  故郷


阿波讃岐さかひの山脈(やまなみ)日にきらふ幻に見て恋ひつつぞをる



  秋川


秋川の川辺に咲ける梅の花わが下ゆけば香ににほひけり



  小出かず刀自、・・・三月三十日七十七歳にて永眠す


春寒きま澄める空に人を焼く黒き煙ののぼりけるかも



  欧州上陸作戦 六月六日英米軍北仏に上陸


既にして六月六日夜のあけに欧州上陸作戦遂げてゐたりし


方二十七哩海をおほひて艦船のとどろき渡る態勢(さま)し思はむ


ダンケルクを逃げ落ちしより四年目のけふを英米軍上陸す


この日にあへりしのみに吾がこころ燃ゆるが如し人にいはぬかも


偉大(おほい)なる夏來にけらし歴史ありて世界の運命極まらむとす


大戰のはじまりてより六年目(むとせめ)に入らむ今宵を月あかあかとのぼる


この月のかけにつつまた満ち照らむまでに戰争(いくさ)のやまんとしいはば



  サイパン


太平洋の洋心とこそサイパンのひとつの島に戰ひ決せむ



  秋風


四人の子のひとり疎開せしのみに家はひそけくなりしとぞ思ふ


さやけき秋の光のしみて照る空にむかひて歌うたふ子よ


戰の果(はて)はさもあらばあれ秋の日の野の上(へ)に赤く昏れ入りにけり



  法学士大川幸平君応召入隊中病死す


現世のわかれは愛(かな)し妻にいひて君たたかひに召されたりけむ


近江の海大津の浦にかなしびて君が母父(おもちち)の老いつついまさむ



  噫(ああ)小野塚先生


秋澄める山を來たりてうらがなし高原にして日は没(い)らむとす


軽井沢の旅の宿りの夜は明けて霜一面に白くひびけり


病む君をさびしき山にひとりおきて妻子らのへにかへらむ吾れか


むらぎもの心嘆きてわが書きし小野塚先生=人と業績


君が身につけ給ひし服外套着つつしわれの心つつしむ


われ夢にみまかりましし師の君をひとり言ひつつ音(ね)に泣きにけり





昭和二十年



ただならぬ時代(とき)の流れのなかにして汝がたましひを溺れざらし


うつしみの老いゆくわれのかがやきて今ひとたびを起たしめたまへ

幼ならよ汝が魂(たま)をふるひ立たし大きくなれよ国危ふきに


戰のむしろ後(のち)なる国民(くにたみ)の底力しもわれはおもはむ



  級友陸軍歩兵鈴木辰之助君レイテ島に戰死す 


帰還して言葉少なに語る君の和顔(にこがほ)をおもひありけるものを


君若くドイツにあそび女(をみな)子供にヘル・ハウプトマンと親しまれにき


すめ国の大き平和(たひらぎ)を恋ひにつつ君たたかひにいのちはてにき



  一月七日 米軍ルンガエンに上陸開始す


待ちに待ちたるこの日や大いなる日は地のうへにめぐり來りぬ


迫り來るルソン島のたたかひを幻にみつつ夜々寝ねなくに


たたかひの天王山とわれの言ひしレイテ島はいかになりつらむか



  春寒し


けふひと日わが妻子らを怒ることもなくて過ぎにき豊かなるに似つ


うつそみのわが毛髪(かみのけ)ののびしかば手鋏(たばさ)みて切る冬の名残りに


いみじき時代(ときよ)をいまに生きてをり大きくなりて子らは思はむ



  某日某夜


防空壕の掩蓋は尺余の土盛りてわれのいのちの安けきに似つ


防火用水にわが飼ひおく鯉の子の小さきゆゑにあはれなるかな


夜のまもりに立ちゐて仰ぐ冬の空に北斗かたぶきうつくしきかな


この美しき夜空を侵し入らんもの瞬時ののちにありとし思(も)へや



  劫火


白々と雪はふりゐて壕のなかに米編隊機の近づくとどろき


天地は暗く閉して燃ゆる火の炎はこがす雪ふる空を


くれなゐに夜空を染めて燃ゆる火に大東京は焼けつつあり



   焦土


大爆撃に一夜のうちに焼け果てし市路に立ちて声さへ出でず


焼跡に土と石とを積み重ねこのうつつなを遊べる幼なら


見のかぎり町は焼野となりにけりたたかひなればか人怪しまず


焼け果てし東京といへど旅ゆわがかへり來りてなつかしきかな


焼け壊(く)えし庭にし立てる石燈籠に三月の雨は静かに流る


花見れば花のうつくし雲見れば雲ぞ恋(こほ)しきわが生きをりて


美しきものはわが見て善きものは讀みてぞ置かむ明日は死すとも



  暁光


ヨーロッパ戰終了したれば壁に貼りし世界地図はたたみてしまひぬ


けふよりは詩篇百五十日(ひ)に一篇讀みつつゆけば平和來なむか


眞夜ふかく極まるときし東(ひむがし)の暁(あけ)の光のただよふにかあらし