2013.12.20

原阿佐緒
かなしくもさやかに恋とならぬ間に捨てねんとさへ惑ひぬるかな
家毎にすもも花咲くみちのくの春べをこもり病みて久しも
沢蟹をここだ袂に入れもちて耳によせきくいきのさやぎを
夕霧にわが髪はぬれ月見草にはかにひらくをたちてみつるかも

大西民子
唐草の銀のフォークを添ふるともエクレア一つ食む人ならず『雲の地図』
はじめより鳥なりしかば声やみてわが手に残す小さなむくろ
降り来り餌(ゑ)をついばみて土にゐる雀にも及ばず死にたるものは
葛原妙子
昼しずかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつをり『朱霊』
他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水
尾崎左永子
味覚やや鋭(と)き日のありて戸外には音立てて吹く晩冬の風
葛きりの舌ざはりは鍵善に如くはなし夕べ雨ふる四条橋わたる
永井陽子
ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ
阿木津英
産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか
馬場あきこ
われのおにおとろえはててかなしけれおんなとなりていとをつむげり
俵 真智
「カンカしちゃダメ」と言いつつおさな子は蝶の交尾をほぐしておりぬ
米川千嘉子
一枚のくらき万緑の窓としてある日青年はわれに向くらむ
東 直子
廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て
栗木京子
船遊びのやうな恋こそしてみたし向き合ひて漕ぎどこへも着かず
大滝和子
声きよき君をとおしてわたくしはありとあらゆる動物の妻
水原紫苑
まつぶさに眺めてかなし月こそは全き裸身と思ひいたりぬ 
宮 英子 富山桂月堂次女
しんしんと雪降り続き昼ふかしやがての日ぐれを恐れつつ待つ
春日真木子
雪明かりあはあはとして充つるなかふかむらさきの海鼠を掴む(水羊羹を贈られて)
小柴木とく子
宿直の汝が住居近しと知りたれど何立ちつくす夕べの廊に
三宅千代
幼らと草の実採りし日のありき吾にもの言うひと今はなく
三崎澪
耳に寄せゐる二匹の子羊のかたはら一つがあらぬ方見る
谷井美恵子
昼の月かかれる下にたたずめる足裏よりめまひたちのぼりつつ
園田節子 畳替へ
家のうち青き香りにつつまれて吾の在所を何処と惑ふ
矢沢欣子
家ごもる師走の昨日今日山茶花のくれなゐいつか窓に消えたり
井口文子
夫の遺影に会釈してバッハの組曲を聞く あの世この世は一つ
出井洋子
音程で肯定 否定 疑問まで「だんべ」で済ます生きねばならぬ
西澤みつぎ
読み終へしこの一冊の感動がここ数日のわれが総量
松浦あや
眠られず十年ものの梅酒割りかたえの猫にも指ねぶらせる
高 蘭子
テレビなど見なければ良し識者らが尖閣諸島を論じゐるとき
永田典子
熟れ麦の穂むらけぶらふ村道をゆきて帰らぬをとめありけり
秋葉貴子
明日を危ぶむ思いそれぞれ雪の降る宵のテーブルに鍋たぎりおり
藤吉宏子
祖語ひとついだく日ぐれにひひ(雨非)と降る雪は払はず家路を急ぐ
山埜井喜美枝
昨日より今日を育ちてゆく若き足よ 這ふ 走る 翔ぶ 蹴る 消ゆる
神谷佳子
朝まずめ伊良湖の空に羽ひろげ脚そろへたるサシバのかたち
藤川弘子
潜りたるカイツブリはも水の輪の外側についと頭あらはす
角宮悦子
婉曲にしりぞけられてゐたること塩漬けオリーブふふみつつ思ふ
三井ゆき
飛ぶ影はツグミならむか生きのびよ生きのびよとぞわけない泪
山本雪子
幼子が怖がる紅き椿のはな落ちたるのちの姿くずさず
小島ゆかり
猫としてわがかたはらにゐてくれるあなたはだれか青い夜の雪


窪田空穂
四月七日午後の日広くまぶしかりゆれゆく如くゆれくるごとし
窪田章一郎
かろやかに浮かぶ夕月そら深く人のいのちは死せりともなし
土屋文明
今日はまた昨日の如く腰おろし今日の心を静めむとする
柴生田稔
滅亡してもう惜しくない人類かと思ひてゐたりとどのつまりに
生きてゐたい世にもあらずと中野好夫氏の書きゐしことも思ひ出づ
佐藤佐太郎
みづからの光のごとき明るさをささげて咲けりくれなゐの薔薇
小中英之
平凡に生きて水くむ朝のため不眠症にも勝たねばならぬ
ここまでの人生ならばあきらめて秋の酸素にすべてをまかす
岡井隆
ノアはまだ目ざめぬ朝を鳩(合鳥)がとぶ大洪水の前の晴天
詠み人知らず「悼 高橋秀直君」
青年死して七月かがやけり軍靴のなかの汝が運動靴 1981國學院西門