スコバのアーレント

2013/12/13
 ひさしぶりのセンター対策授業初日。
 漢文は去年のセンター対策以来。
 漢文を教えているときが、この教師はいちばんイキイキしていると思う。
 「理解力とは翻訳能力のことなんだ。わたしたちに理解できるのは自分のことばしかないなんだよ。他人のことばを他人のことばのままで理解したつもりでいるのは理解じゃない、ただ暗記しただけだ。」英語の授業の大切さはそこにある。べつに英語をしゃべるのが上手になる必要はないんだ。日本の英語教育の欠陥は英語教師の日本語力にあると睨んでいる。
 おなじ現代日本語を自分のことばに翻訳するのがいちばん難しい。古文は現代語と離れているぶん翻訳の要素が加わるが、教科書にのっている平安時代の文章は論理性に乏しい。あれは芸術教科のひとつに加えるほうがいい。音楽、美術、書道、文学。いぜん書道教師に「漢詩を教えたらどうか」と言ったが「いやぁ」。大学だけじゃなく、日本の高校は専門家だらけでいかん。いや、中学もいまはそうなんじゃないかな。偉そうにしたいんじゃない。ただ、自信がないんです。生徒から「私たちの前で英語を話してみて」と言われて「いいよ」と次の時間にスピーチをする老国語教師はただの変人。
 ついでに言うが、古文の教科書には万葉集だけじゃなく(実際には万葉集センター試験に出ないからほとんど教えない。)、日本書紀古事記を加えるべきだ。われわれの時代には載っていたし「歴史は遠し三千年、光あまねき大御代に」の右翼の頭目校ではしっかり教えていた。教師も卒業生も、昔流に言うならアカっぽいのがけっこう多いんだが、(なにしろ中選挙区の国政選挙では共産党社会党が両方とも当選していた土地柄だ。中選挙区のほうが百花争鳴できる。大選挙区というのも一度経験してみたいな。)同窓会では教師も教え子も肩を組んで大声で「歴史は遠し三千年」を誇らしげに歌う。この国はおもしろい。能の台本も載っていた。近松門左衛門も。
 いまそれらを教えないのは、ただただ入試に出ないから。
 出せばいいじゃないか。日本書紀なら、古文漢文混合問題が作れる。すばらしい文化遺産である学術書をなぜ無視するのかまったく理解できない。「歴史をただしく認識した民族だけが敬意を受ける」。ただアホなんとちゃう?
 国語の時間で翻訳能力を養うのにもっとも適しているのが漢文。
 初日の漢文に「詩賦」ということばが出てきた。ナマかじりながら説明しているうちにまた、すべった。
 いまの日本の文章は99,9%ただの散文だ。だけど、日本から賦の伝統が失われたのはむしろ良かったと思うよ。われわれは文章のリズムや美しさに酔って内容を吟味するのを忘れがちだ。
 日本の陸軍がリアリティを失った理由のひとつは、その作戦命令書が譜の伝統にのっとった韻文だったことにある。兵士の生死にかかわる命令が装飾だらけの美文だった。きれいごとの中身は「全員死ね。帰ってくるな。」なんだ。あんな軍隊はクソだ。ウンコだ。
 前日まで習っていた生徒は、「また始まった」とへんな顔をしている。
 辻政信に発言力があったのは、ビルマの参謀たちのなかで命令書を書けるのは彼ぐらいしかいなかったからだという話をなにかで読んだことがある。その命令書は、点も丸もない「××は○○を△△せむとす」式のヒラの書き下し文。命令書なんて小学校さえ出ていれば誰にでも書けて読める書式を作るのが「国民皆兵」の基本だろう?
 陸軍の命令書だけで海軍のは見たことがまだない。たぶん海軍も似たり寄ったりだった気がする。日清戦争以来の武士階級文化をそのまま踏襲して近代戦を戦おうとしていた。兵器は近代化されていたにせよ、言語的には鎧甲弓刀槍のままだった。(きっとそうだ。)
 真珠湾のみせかけの勝利以降も海戦のみてくればかりにこだわって、悲惨な戦闘を繰り返し、リアルな戦争はしないままに滅亡した。山本五十六を英雄あつかいする気にはまったくならない。

 『ハンナ・アーレント』を見てきた。
 彼女のイメージが自分のなかに出来上がってしまっているので、なんの期待もしてはいなかった。ただ、夢中になって読んでいた独身最後の時期の空気をもいちど吸いに行ったつもりだったが、実に密度の濃い映画だった。河上徹太郎の『達治詩日記』もそうだったが、本物は相手を黙らせる。だから横道の話だけ。
 (ついでだから『達治詩日記』の挿話をひとつ。三好達治の父親は印刷屋だったそうだ。マッチ箱の図柄をこすったら火がつくように工夫するのに熱中して廃業に追い込まれ、息子を養子に出したという。「三好達治もその血をたっぷり受け継いでいた」と河上徹太郎は書いている)
 ・ハンス・ヨナス(大著『グノーシスの宗教』の著者)はアーレントと同時期のハイデガーの門下生であり、アメリカの大学ではアーレントの同僚でもあったが、『イェルサレムアイヒマン』以後訣別する。
 ・アーレントにとって家族のような存在だった親友が死に瀕したとき、イスラエルは「ユダヤ人の敵」であるアーレントの入国を認めた。

 情報が多すぎて、その情報をどう整理するかがおおごとだけど、自分の場合は「信用できる人」を見つけて、その人のことばにだけ耳をかたむける。その場合の「信用できるかどうか」の要素には、その人の人柄はまったく含まれない。むしろ「いい人」のことばほどアテにならないものはない。「いい人」には、見たくないものを見ない人が多いからだ。「ロマンを忘れないリアリスト」。ひとことで言うなら、頼りにしているのはそういう人になる。
 大学を出てすぐのころ、開高健アイヒマン裁判傍聴記』にであった。「やっと信用できる男を見つけた」と思った。ちょうどそのころベトナムでなにが起こっているのか報道機関からの情報ではまったくわからなかったので、助かった。(日野啓三を知ったのも同じ時期だったが、きっかけは忘れた。開高健の文章に出てきていたのかもしれない。「信用できる男が信用している男は信用できる」)
 ノンフィクションというより、むしろ私小説にちかい文学作品なんだが、著者は自分の位置を明解にしつつ叙述していた。この「自分の位置情報」を含まない発言はいっさい信用しない。発言者はけっして空気ではない。
 その『傍聴記』の最後にこう書いている。
アイヒマンは、その額に鍵十字の入れ墨をほどこして釈放すべきだった。」
 アーレントは、
「罪の意識のない人間を死刑に処することに意味はない」と発言して、ほとんどの友人を失い、社会全体からバッシングを受ける。(それ以外にも彼女は、イスラエルユダヤ人の指導者だったラビたちへの疑義を隠そうとはしなかった)
モサドはアルゼンチンでアイヒマンを殺してしまえばよかったんだ」という夫はなんとも魅力的な男だった。(アクセル・ミルベルク)そして、バルバラ・スコヴァのアーレントはこのうえなくチャーミングで、女らしくて、信じることについてはテコでも動かぬ(ダイヤモンドは傷つかない)つよさを持っていた。
 その論法はつねに相手を黙らせてしまう。がゆえに憎まれる。名前は忘れたが、「アーレントがバッシングを受けたのは発言内容というよりその言い方にあった」と評した日本人がいた。が、ほんらいの論理とはその「言い方」のことだと思う。
 横道の三つめ。
 「このレベルの俳優たちがいまの日本には、歌舞伎役者を別にすれば、いったい何人ぐらいいるんだろう?」映画に惹きつけられながら、なんとも寂しかった。いまの俳優たちはフツウの人間しか演じられない。それ以外の人間はこの社会にはいないのといっしょなのだ。アカデミックな俳優養成機関がぜひとも必要だ。ここで言う「アカデミックな」は、東大レベルでは話にならないほんとうのアカデミズムという意味だ。
 最後の横道。
 アイヒマンは要するに役人だった。与えられた仕事をきわめて能率的にこなす役人だった。
 東条英機たち(だれまでが含まれるのかは知らないが)もまたアイヒマン同様ただの役人だったとしか思えない。

 監督はマルガレーテ・フォン・トロッタという女性。スコバとは『ローザ・ルクセンブルク』でも組んでいたという。冬休みにはいったらレンタルに行ってみる。