岩田幸雄について

2013/12/30

 新年早々のおさわがせです。
 F氏にいただいたコマイをしゃぶりながらお手紙いたします。
 「ピーナッツを食べるのを途中でやめることができる人間がいたらそれは世界でもっとも勇気にみちた人間である」とは、たしかイギリスのジョーク。
 「塩マメを囓りながら他人のうわさ話をするのは人生最上の悦びである」と言ったのはたしか貝原益軒。このうわさ話に成功譚はとうぜん含まれない。「貝原益軒はできる」
 が、干物も加えてほしいなぁ。

 河上徹太郎に教えられて、白州正子『心に残る人々』を手に入れた。読みたかったのは岩田幸雄の章。でも他にも「ワカモト」の長尾米子なども興味深かった。「長尾美術館」はいまもあるのかしら?

 白州正子によると、広島出身の岩田幸雄は児玉機関や南京政府パトロンだった。中国での密貿易で巨万の富を築き、またそれを使い尽くしたらしい。敗戦後は中国人に化けて現地に残り、土地の人々の信頼を得ていたがばれて戦犯として服役。帰国後はモーターボートレース理事長。
 国内でも様々な団体や個人のパトロンを勉めたが表にでることはなく、いわゆる敵対者のなかには自分の活動資金が(右翼の)岩田から出ているということにも気づかないままだった者がけっこういる、と書いている。(例にあげられているのは平林たい子
 その生き方はほぼむちゃくちゃなんだが、ひとことで言うなら彼はつねに「捨て身」だった。積み上げた財産がいまのレートに直して数十億でも数百億でも、ひとつのことにすべて吐きだすのを何とも思わなかった。考えることはニガテで行動がそのまま表現だった男。本人に言わせると「感傷的で空想的」な生き方をやり通し、小林秀雄が「信じるに足る」と公言した数少ない一人。どうやらそういう人間らしい。
 その短い話を途中まで読んで吹き出したのは、明治大学出身と書かれていたこと。それなら、「考えるかわりに捨て身で行動する」のはよくわかる。そういう文化的遺伝子ってたしかにあるんだ。
 林房雄に岩田幸雄がほとんどそのまま登場する『武器なき海賊』があり、銀座の女の子を岩田幸雄から奪い取った小説家はそのいきさつをそのまま書いている、とある。
 どちらも読んでみたいが、『武器なき海賊』は、市民図書館にも県立図書館にもなく、古本市場では1万円を超えていて手が出ない。(林房雄にはやはり右翼で、影に徹した男を書いた『面白い人やなあ』という小説もあると、『満鉄調査部』から教わったが、こちらも図書館にはない。あれは何という人物だったか。林房雄は熊本出身。(山本健吉一族は福岡。かれ自身は長崎育ち。)この島の文化的遺伝子は妙に地虫的だ。林房雄小説集、というのはないのかしら?)岩田幸雄をコキュにした小説家が誰だかは書かれていない。ただその小説家は岩田を敬愛するようになって、その小説を毎回ご本人に贈ったという。「読むのはつらかった。」
 もうお暇な方々、けっこうな暇つぶしになるかもしれませんぞ。

 山本健吉『ことばの歳時記』をF氏から教えられて読んだ。つづけて『ことばの季節』も読もうと思う。(それを読み終えたら、柴生田稔の短歌。)山本健吉は『日本の古典文学』と『命とかたち』で十分なんて、なんにも分かっちゃいなかった。ゴメンナサイ。ほんとうの仕事はこちらのほうだ。ブタに真珠。ワタクシはブタでございました。でも、最近はネコ程度にはなった気がします。まだまだ成長途上なのです。
 それにあのころの明大にはまだ岩田幸雄的文化はけっこう残っていた気がする。偏差値が70を超えたいまよりは、ずっと面白かったと思いますよ。だって、45年後に、ほとんど人生の端と端とで先生に会うなんてステキなことだと思ってます。
 その本の序で「季語」を、ザイン(Sein)とゾルレン(Sollen)で説明している。存在と当為。ドイツ語はかじったこともないから、出てくるたびに戸惑う。「在ることと在るはずのこと・在るべきこと」。そういうふうに受け取っている。(「在るはずのこと」と「在るべきこと」が同じことば、だとしたら、ドイツ人はまともにものを考えることは出来ない。どうなっているんだろう?)ともあれ、自分の使っている「実体・現実」がザインで、「理念・希望」がゾルレンなんだろう。オリバー・ストーンの『アメリカ史』はあほらしくて2回目からは見なかったのは、ゾルレンだらけだったから。いっぽう、『ケネディ』のリンドン・ジョンソン篇に満足したのはザイン的だったから。(鴎外はゾルレン的で、漱石はザイン的。このショートカットぶりがわが特技であり、生きのびるコツなんです。)
──「花」は春、「時鳥」は夏、「月」秋、「雪」は冬、ということは、すでに王朝の短歌の世界で、いつのまにか決められていたことで、俳人たちはそれを踏襲しただけのことである。そのような歌の題を、ある美学者は、すでになまの素材ではなく、和歌の美に適合するものが長い伝統のあいだに自然に選択されたという点で、ゾルレンの意味を持っていると言う。それに対して、俳句の題は無限に拡大する素材の世界を整理したという点で、ザインの概観を与えるものだと言う。
 小西甚一は『日本文芸史』の最初の万葉集のところで、いくつかの例を挙げながら、「日本人にとっての自然はそのはじめから人生の暗喩だった」と言い、「俳句だけのことではない」と切って捨てる。このほうがよりザイン的に思う。
 山本健吉は次のようにつづける。
──その世界の中心に、和歌から受けついだゾルレンとしての題目とその約束を据えていたからこそ、自由に八方に拡がって、ザインの概念を示す広々とした世界を築くことができたのである。
 
 バイザウウェイ。
誘い水として『ことばの歳時記』から二つ三つ。
●ハナはもともとFlowerではなく、ものごとの前兆・先触れのことだった。「花」が春の季語になったのにはそういう遠因がある。
池田弥三郎は「万葉集にでてくる雪はすべて春の歌なのではないか」と言っていた。
●柳田(国男)翁は俳句を「群の芸術」と呼んだ。
折口信夫の連作『凶年』冒頭
 なかなかに 鳥けだものは死なずして 餌ばみ乏しき山に声する
●「蛙のめかり時」は蛙の交尾期ではなく、交尾期のあとの「春眠期?」を意味する言葉だと思う。
佐保すぎて奈良の手向けに置く幣は妹をめ離(か)れず相見しめとぞ(長屋王
 「めかる」という言葉は、ここでも使われていて、「媾離(めか)る」の意味でよく通ずるのである。
山里は冬ぞ寂しさまさりける人めも草もかれぬと思へば(源宗干)
 百人一首で有名なこの歌は、「人め離る」と「草枯る」とを、かけて言っているのである。

 またぞろ抜き書きをしたくなったから、このへんまで。

 本年もよろしくお願い申し上げます。