現前の虚、未来という可塑的な過去

                                 2013/08/22
 いつごろからかインターネットに繋がらなくなったので、しばらく電源を切っていたらまた繋がるようになった。機械の考えていることはよくわからない。ピッピやガロの考えていることなら95%は分かる。家主の考えていることは100%の自信がある。あんなに正直なひとはめったにいない。
 120数年間の観測史上もっとも暑いという夏もすでに8月下旬。(ほんとうならもう秋でしょ?)もうすぐ休暇もおわる。
 こんな不思議な夏休みはたぶんはじめてだった。
 朝起きて(だいたい6時)一時間ほどコーヒーを飲みながら新聞を読む。トイレをすませてからチビたちの散歩。もどってきたら水をのませながらメールの定期便。それからまずチビたちのご飯、つづいて自分の豆腐(今日は姫島の先生からもらったウニを上に載せた一品)とプレーンヨーグルト(自家製梅干し入り)の朝飯。それからアイスコーヒーをもって二階にあがり、午前中は机の上でモサモサ。昼飯後はテレビをつけたまま昼寝。目がさめたらまたチビたちの散歩。もどってきたら一時間ほど水風呂で体を冷やしてから晩飯。あとはテレビをつけたまま就寝。なんにもしないのに、「あと200年間おなじ毎日でもあきない」と思う充実感があった。どういうことなのだろう?

 卒業生が遊びにきた。
 どうせロクなことじゃなかろうと出てみたら、案の定「留年しました」。留年じたいはどうでもいい。4年で卒業するよりはずっとマシかもしれない。世の中へどういう出ていき方をするのか、もうしばらく考えてみればいい。どうせいくら考えても結論なんて出ないだろうが、あきらめはつくかもしれない。それだけでも、あきらめきれずに社会人になるよりはズッとましだ。
 昨日の新聞に綾小路きみまろから若者へのメッセージがあった。「人生は暇つぶしだ」いまの若者にはピッタリのアドバイスに思える。あの男を素通りしていたのはマジメ人間にみえたから。そのとおりだったんだな。(そういえば、高円寺での合い言葉は「祭じゃ、祭じゃ」だったか。)
 たまたま、甲斐大策さんの話を聞いてきた次の日かその次の日かだったので、「オレは七年で大学を出たけど、かれは十年かかったそうだ。留年したくらいでビビるな。ただあわてて結論を出して退学したりはするなよ。」
 その甲斐さんの話に長谷川しゅんが出てきていた。長谷川海太郎谷譲次林不忘牧逸馬)、長谷川りん二郎の弟、長谷川四郎の兄。大連時代に甲斐巳八郎宅によく来ていたのだそうだ。
 後年、甲斐さんがテレビに出てバンジョウを弾きながら歌っていたころ長谷川しゅんに会ったら、「テレビに出たりしたら人間がだめになる。テレビに出なくてすむ生き方をしろ」と言われた。「そういうご本人は北方海域で船に乗り込み、ロシアとの通訳をしたりしてたんですが」
 『長谷川しゅん―彷徨える青鴉』というブログを見つけたのでコピーを送ります。『満州浪漫』という本のもとになったものらしい。「青鴉」は長谷川しゅんが綴りつづけたノートの題名。

 あとで思いだしたんだが、『ふらう』を石風社に頼みにいったのは、甲斐さんの本を出しているところだったから。GもFも賛成してくれた。それぐらい甲斐大策はわれわれにとっては大きな存在だった。ちょうどひとまわり年上。(早稲田では西江雅之とほぼ同学年。「アフリカには私のほうが先に行ったんです。早稲田の年表にちゃんと載っています。ただその後、私はアフガニスタンに引っかかってしまいましたけど」
 刺激を受けて図書館から三冊の本を借りた。甲斐巳八郎・大策『アジア回廊』、草柳大蔵満鉄調査部』、江藤淳『戦後と私』。三冊とも大当たり。ゆっくり眺めたいから、インターネットが使えるようになったのでアマゾンで注文した。『アジア回廊』に載っている絵の一部もコピーを送ります。父親の巳八郎は息子よりさらに吸引力を感じる。
 あの時代には、もうわれわれの世代には失われた文化が生きていた気がする。そのことに関してはいずれまた。

 まだ、アントニオ・ロペスのことを考えている。
 考えているといっても例によってボヤーっとしているだけなんだが。(どうも頭のなかでことばが動いているときはホントの意味で考えているんじゃない。「考える」ということは、それとはちょっと違っている。)
 旭川から「空の空なるもの、が届いた」というメールを受け取って何か違和感を感じた。
 「空」ということばを使うから意味が充満する。「虚」でいいんだ。「空」はもうイミシンすぎる。(学生時代に林達夫はそれらを「ことばのインフレ」と呼んでいた)
 ロペスが見ていた風景や人物も、長谷川りん太郎の見ていた光景も、「虚」だったんだ。そう思ったら神経が楽になった。「永遠の可塑的過去」は別にユダヤ人の専売品なわけではない。最近はやりの映画みたくなってしまうが、たぶんそれらのパニック映画とは逆で、「未来という可塑的過去」を見たものは、現前する「虚」に戦慄するのではなく、感動する。

 草柳大蔵満鉄調査部』は、「日本の夕陽はどうしてこんなに小さいの?」という引き揚げてきた女の子の感想からはじまっている。それだけで「胸キュン」。
 開高健ベトナムもので小説家がもっとも描きたかったのは、大地も人々もいっしょくたに血のように染める夕陽だったのだと思っている。(それもまた「虚」か。)
 自分にもいくつかの思い出がある。
 小学校のとき、新聞配達の帰りに、ボタ山を呑み込んでしまうんじゃないかと思う巨大な朝日に出会ったことがある。その後も期待したけど一日だけだった。
 34才のとき、山口の油谷湾でテントをはって一晩中釣りをしたことがある。その日の水平線に沈んでゆく月は、しだいに赤味を増してきて、「血が滴りおちてゆく」というアメリカの小説家の表現そのままだった。
 いま住んでいる糸島半島では、この世をいっしょに引きずり下ろそうとしているのではないかと思う夕陽に出会ったことがある。
 が、どれも一回だけ。季節や時刻だけでなく、気象が大きくかかわっていたのだろう。
 『ハリーとトント』のラストシーンもよかったな。

別件
 今日は甲子園の決勝日。どっちが勝つもよし。本人たちにとっても「勝つも野球、負けるも野球 」。思いっきり愉しめばいい。
 大好きな箱根駅伝を見ていたとき、ある社会的に名を成したOBに「○○さんにとって箱根駅伝とはなんですか?」と質問したインタビュアーは、「遊びです。」という答えに黙ってしまった。きっと深遠な答えを期待していたんだろう。しかたなしにそのOBが付け加えた。「遊びだから楽しかったんだ。」それ以外になにがあるか?
 じつはいま、「満州」にも同じような関心の持ち方をしている。のろわしいまでの楽天的なニヒリズム