熊野純彦『レヴィナス入門』途中経過

熊野純彦レヴィナス入門』途中経過

──日常性において在るとき、私もまた「ひと」のひとりであって、「この私」としては生きていない。世界は安定した意味をもち、私はその安定性とひきかえに、「この私」としての生をなかば喪失している。──熊野純彦ハイデガー──
 おそらくハイデガーの言っていることは正しい。しかし、その言葉の意味合いは、われわれとはまるっきり逆だ。
 われわれは「この私としての生をなかば喪失し」、安定した世界、安定した日常性に在ることを何よりも望む。そして「この私」が、いつかその安定した世界の日常性のなかに霧消してしまうことを期待している。

 これは死生観だけの話ではない。花鳥風月のなかに「この私」を溶かし込むことをこの国の文芸は目指していた。(翻ってわれわれの文芸は、正岡子規以後は、「この私」を表現すべきものに変わってしまった。子規ならたったひとこと「下品だ」で切り捨ててしまう筈の数々の歌人俳人の横行は、ぶん、己を風物として生きている人たちによって辛うじてその弊をうすめられている。)いや、必ずしも過去形ではない。先日みた玉三郎地唄舞『雪』は、舞手や演奏者の「この私」をまったく感じなかった。ただ「風情」のみ。至芸はいまも生きている。
 学生時代に、「芥川賞よりも直木賞のほうがレベルが上なんだな」と感じたのは、いわゆる純文学というのは「この私」を表現すべきものだということになっていたからだろう。あるいは中学生のころ、「小説よりも戯曲のほうが男らしい」と感じたのも、似た理由だったからかもしれない。

 先週行った中宮寺に見つけた皇后の歌碑。
 中宮寺のついぢのうちにしづもりてさざんくわの花清らかに咲く

 が、ハイデガーはちがう。いやハイデガーだけでなく、あの地域の大半の意識的な人たちは違う。かれはそのなかで特に鋭敏な嗅覚の持ち主だったというに過ぎなかろう。あの人たちのとって「この私」を喪失しかけている状態は恐怖そのものだった。だからハイデガーは「この私」を取り戻すために「歴史」とつるむことを選んだ。その歴史は、カギカッコつきの歴史だった。
 いっぽう、そのハイデガーにもっとも刺激を受けたというレヴィナスは、1935年30才のとき『逃走について』という論文を書く。それについての熊野純彦の説明。
──レヴィナスの語る「逃走」あるいは「脱出」とは、たとえば生の方向を向きかえることへの欲求ではない。また、生それじたいからの離脱、つまり死のがわからの誘惑でもない。脱出とは、レヴィナスにあってはなにより、私が私でしかないことからの、私が〈私〉の存在に打ちつけられて在ることからの逃走である。・・・それは、一方では不可避、他方では不可能な志向である。

 やっと、熊野純彦レヴィナス入門』にたどりついた。
 考えてみると長かった。最初に内田樹訳『困難な自由』をただただなぞり、それから熊野純彦の評論『移ろいゆくものへの視線』をよみ、飛び入りのユング『心理学と錬金術』経由であります。(『移ろいゆくものへの視線』を評論と書いたが、それは、小林秀雄流の「他人の作品をダシにして己を語る」式のものとは真反対。著者自身のことばは、ほとんどテニヲハとしてしか使われていない。ひたすら自分で訳したレヴィナスのことばを順序をいれかえ整理することによってレヴィナスが考えようとしてことを浮かびあがらせるという手法。その手法は最初に熊野純彦を知った『西洋哲学史』も同様だった。(もうボヤぁっとしかしていないが、小林秀雄本居宣長』もそんな感じだった気がする)
 ハイデガーは「歴史」にまみえた。レヴィナスは「他者」にまみえた。しかし、ふたりの決定的なちがいは、どうやらレヴィナスの「他者」にはカギカッコがついていないらしいということだ。レヴィナスの「他者」はやたらとエロチックだ。
 レヴィナス。1905年リトアニア生まれ。のちフランス国籍をとる。伴侶はやはりリトアニア出身。ユダヤ教ラビにしてサルトルと同時代の西洋哲学者。
 一時期毎晩聴いていたルバッキーテもリトアニア出身。フランス在住。あるいは彼女もユダヤ直系かもしれない。彼女のピアノに秘められている東方性は、レヴィナスにあってはより顕在化する。彼らの生まれ育ったところは、その東西のもひとつのあわいなのかもしれない。
 レヴィナスによって体現されている東方性。
 前世代のユングにとっては、それがグノーシスであり、錬金術だったのではないか。いま、そんなことを考えはじめている。

参考
レヴィナス入門』第Ⅰ部より
●〈もの〉にとっての裸形とは、その〈もの〉の存在が目的にたいして有する余剰のことだ。
●世界は私とはなんのかかわりもなく、たんに存在する。わたしたちは裸形の世界に、裸形のまま在る。
デカルトの「精神」は、身体をもたないことが可能である。また哲学者たちの説く「超越論」的な主観には、そもそも「位置(ポジション)」が欠けている。超越論的主観はまた眠ることもありえない。それは「横たわる」場所をもたないからである。
●「瞬く光」のきらめきは「消えることで存在する」
●はじまりは自己自身への回帰においてみずからを所有する。
●〈私〉とは、・・・・存在であるまえに〈できごと〉である。
●分析が「道具」としてのありかたに止まり、「糧」へと突きぬけていかないのは、「ハイデガーの現存在が飢えをまったく知らない」からである。・・・・渇きを癒し、飢えを充たすもの、ひとがその由来も知らず、ひとがそれを所有することもできない、世界のある様相が、「糧」としての相が(立ち)あらわれる。
●私を支える大地の堅固さ、私の頭上の空の青さ、風のそよぎ、海の波浪、光の煌めきは、なにかの実体に貼りついているのではない。それらはどこでもないところから到来する。どこからともなく、存在しない〈なにものか〉から到来し、現れるなにもないのに現れ、したがって、私にはその源泉を所有することができずに不断に到来するのである。
●世界は手に先だって〈口〉にたいして与えられているのだ。そうでなければ、そもそも世界内のこの生そのものが不可能ではないか。
●青空は、海原と大地は、やがて私の「視線を引き延ばし、大地と空にうちに消失させる。」天と地のひろがりのなかで、かえって〈私〉が消失してしまうのではないか。
●ひとが生きているのは「世界によって養われている」ことにほかならない。
●超越論的主観性は生まれることも、死ぬこともない。現存在は飢えを知らない。だが、身体である私は、生まれ、息をし、飲み食べ、消化し排泄する。そしてやがては死んでゆく。身体であるとは、このような受動的なできごとである。──身体であるとは、・・・「他なるもののうちで生きながら私である」というできごとである。──
●私が住みついている始源的なものは、夜との境界に接している。私のほうを向いている始源的なもののおもてが隠しているのは、あらわれることが可能な〈なにか〉ではなく、不在の絶えず更新されるふかさ、存在するものを欠いた存在すること。際だった意味で非人称的なものなのである。・・・・始源的なものは〈ある〉へと繰り延べられる。

別件
 隣の夫婦が引っ越していった。仕事も退職したのだとか。たぶん親のいる田舎にもどったのだろう。「親の世話をするならいましかない」。二人とも60才ぐらい。ダブルインカムだったから若年退職でも年金には困るまいが。
 これで、前の家も左右の家も、20年以上まえに引っ越してきたときの人はみないなくなった。(うしろは裏山です。)今度いなくなるのは我々の番だな。
 いずれ家を改装して息子夫婦と孫が引っ越してくるという。そうか、あの息子は高校生のときまでなら知っとるぞ。親にハスキーを買わせて、それをほったらかして家を出て行ったやつだ。以後はいつもつながれてばかりで、悲しそうな遠吠えを聞くのが辛かった。名前はなんだったかな。
――まだ未熟者ですのでよろしくお願いします。