『17才のための日本と世界の見方』はお勧め

 ずいぶん長いこと使ってきたコピー機がついに「カタッ」。前回のも、その前のも、この「カタッ」の一音で動かなくなった。途中経過がまったくない。どうも今の文明を象徴しているように思えてならない。
 (『ニーチェの馬』のタル・ベーラは「世界の終焉は劫火に包まれるようなものではなく、ごく静かなものだと思う」と言う。たぶんそれが正しい。それに、滅びにいたる過程、というものもなさそうだ。タル・ベーラについて細川晴臣が「堕落した世界に見切りをつけたんだ」という。情けない。その程度のことしか言えないの? 「いまの世界は滅びかけている」と悲鳴をあげる人たちもいっしょ。べつに人類が何かをしてもしなくても、滅びるときは滅びるのです。ただ、過去には、ひとつの文明が滅びるとき、すでに別の文明が興っていた。いまはほぼひとつの文明しかない。一蓮托生ですな。)
 で、去年か一昨年かの「新年大売り出し」のときに一万円を切る値段で買っといたブラザー製品をどうにか使いこなせるようになった。これが思っていたより高級品で面白い。これからいろいろ工夫する余地がありそうだ。だいたいそんなもんで、これまでバカにしていたメールをはじめた主婦が今はまっている。「ね、どうしたらいいとね?」眠っているのに起こされてしまう。
 そのスグレもののブラザー製品の仕様書を見ると、中国製である。そうだろうな。ブラザーが工場を持っているという話を聞いたことがない。
 中学生のとき、日本は原材料を輸入してそれを製品化し、完成品を輸出する。それを加工貿易というのだと習った。
 大人になって、司馬遼太郎を読んでいると、車に使うもとの鉄鉱石は約2000円。それを100万円の車にして輸出しているのだと書いていた。「なるほど。」いまは物価があがっているだろうが、それでもたぶん鉄鉱石代からエネルギー代まで含めても2万円ぐらいか、もすこしか。それを100倍の200万円の製品にして輸出する。トヨタや日産の儲けが一割だとして、残りの178万円ぶんの大半が国内をうるおしている。
 中学校のころの主要輸出品だった繊維製品や電器製品も理屈は同じだったはずだ。
 ところが今は、化学製品や機械部品を中国などに輸出して、製品を輸入している。日本はいつのまにか、材料輸出・製品輸入国になった。少々円高になっても貿易赤字じたいはなくならないだろう。もちろんそのぶん、海外に展開している工場からの儲けで、企業自体はおつりが来るようには仕組んでいるのだろうけど。電器業界不振の原因がどこにあるのかは知らない。でもやはり、打つ手が遅れ遅れになったということだけでは片付かない問題がありそうな気がする。
 20年ほどまえ、アメリカの映画会社を買収したりしたころのソニーが、「もうメーカーとは呼ばせない」というコンセプトを打ち出した。大賀さんの時代だったんじゃないかな。それがソニーを重たくした、というような単純な話じゃないと思う。
そういえば、西武百貨店の堤某が「これからは文化を売れ」と社員に発破をかけたのも同じ頃だった。「文化」のほうが元手がかからないとそろばんをはじいたのか。あるいは、商品よりも文化のほうが高級に感じたのか。そういう時代だったんだな。
 松岡正剛『17才のための日本と世界の見方』は大人にお薦めです。たぶん帝塚山学院で行なったことが成功のミソ。

別件
 一晩中ふっていたらしい雨がようやく小止みになったので、散歩にでた。
 数軒先の子どもたちが幼稚園の制服を着て、自分より大きな傘をさしてうきうきしている。
 そうだった。あのころは雨靴をはいたり、傘をさしたりすることが心躍らせる一大イベントだった。靴を買ってもらって、待ちきれずにその夜、枕元の畳の上ではいて歩いたのは何歳のときだったのだろう?
 「歩きはじめたミヨちゃんが、赤い鼻緒のジョジョはいて、おんもに出たいと待っている。」