ウモテとウラ

2012/11/14(水)
 家に帰ってきたら、「16日解散になったよ。」
 なんだか「ウソ。」という感じだった。テレビで見たアベさんちのぼっちゃんもそんな顔だったな。瞬時にして攻守逆転。あのときのノダ氏はまるでジョコビッチみたいでかっこよかった。ノダ党にとっては百人力だろう。
 大接戦という予想だったアメリカの選挙でオバマが圧勝した直接の理由は、颱風のあとすぐに現地に行き、被災者のおばちゃんをそっと抱きしめて背中をなでてやった、あのパフォーマンスだったんじゃないかと思っている。あれができるのは大統領の特権。しかも、ロムニーがやったらただキザったらしくなる動作がサマになっていた。その映像が全米に流れたあと投票。颱風に感謝しなさい。
 が、何はともあれ、この国にはうごきが出てくるほうがいい。もう今の政権は現実への対応力を失っている。
 なにごとにもオモテとウラがある。現実にもオモテとウラがある。その表向きだけしかみない人々が政治をおこなうのは無理だ。オモテ側だけで現実を変えることはできない。表舞台にいつづけているつもりの人々は、そういうことはありえないから、いつのまにか自分たちのウラ側がオモテになっているのにも気づかない。
 帰ってくるまえに見た日経には「中国は5年後にむけて大きく揺れ動く」という予想が載っていた。これから世の中がどうなってゆくのか皆目見当がつかないけれど、なにが起こっても「思考停止」を起こさない政権であってほしい。
 
 3年生の授業にいったら、最前列の何人かが目立たないように口紅をつけているのに気づいた。「へーっ。」それぞれが自分に合う色を使っている。「やるやん。」このヒヒ爺は目くじらをたてる気なぞまったく起きない。むしろ、彼女たちが、もうすぐお別れになる教師に対して、おめかしをして迎えてくれたような気がした。
 が、たぶん、彼女たちだけではない。唇だけでなく、お肌のほうにも、それなりのものを多くの女子生徒がほどこしているのだろう。たまたま今日、そのうちの何人かが目だっただけなのだ。そういう18歳たちを好ましく思うのは、どういう心境の変化なんだろう。
 授業は鷲×清一というもと東大学長(東大は学長かな?総長かな?)の文章。
 「老人をふくむ弱者を介助する社会システムがつくられていくにしたがって、それまでの家族や地域にあった相互扶助が消えかけている。」その通り。「だから、もいちど相互扶助をとりもどそう」
 それで何か言った気になっているの?
 家族や地域社会に相互扶助が生きていた時代は、相互扶助をしなくては皆が生きていけないほど貧しい時代だった。野口英世のおっかさんが息子にあてた手紙を読んで見ろ。(明大の齋籐なんとかの、『声をだして読みたい・・・』にある。)相互扶助の相手をもたない人間がどんなに不安で悲惨だったかよく分かる。(が、あの悲痛な手紙が残っているということは、受け取った息子が保存していたということなんだろうな)
 もと文藝春秋の編集長だったという出口××という男の『巨人伝説』(アトラス伝説?)はいま手に入るのだろうか。そのなかにもプライベートな野口英世が出てくる。
 豊かな社会のいま以上の相互扶助というもののイメージがわかない。「家族や地域社会に相互扶助が生きていた時代」よりも今の方がはるかに「相互扶助」的な世の中なんだ。あとはほとんど「心」の問題だけ。きいたふうなことを口にするな。とくに都会で家族関係や地域社会の人間関係がゆるくなったことも、ゆるくても生活していけるようになったにすぎない。それ以上は無い物ねだりだという気がする。

 週刊誌の広告を見ると、「日本にはなぜエリートが育たないのか」という見出し。またぞろ誰かが、さもありげなことを書いているのだろう。
 エリートが育たないのは、エリートを育てる土壌がこの国では痩せこけてしまったからだ。その土壌を裏社会という。
 東京裁判で唯一文官として死刑になった広田弘毅のバックが福岡の右翼だったことは有名で、そうでなかったら或いは死刑をまぬかれたかもしれない。が、広田に限らず、「これは」という素材がいれば裏社会はその人材を育てるのに支援を惜しまなかった。いちいち個々のことを知っているわけではないが、見込みがあると見なされた若者には「××とどうだ?」という見合い話が持ち込まれる。それを受けたら、もう金の心配はいらないし、バックができれば出世も約束されたようなものだ。そうやって閨閥が形成され、エリート階層はゆるぎないものになってゆく。
 官界や法曹界や政界だけでなく、財界もマスコミもそのようにして同じ穴のムジナになっていった。それを支えているのが裏社会。政治家も企業も裏社会と表裏一体で社会の背骨を作っていた。(そうです。「講釈師見てきたような、、、」の話です)というか、いまも(たぶん、日本を例外として)世界の社会はそうして支えられている。
 その構造自体にいいも悪いもない。ただこの国の場合、ガラガラポンの回数が少なすぎる。戦後もう60何年目だ?明治維新から敗戦まで80年ちょっと。中国だけでなく、この国もそろそろ社会全体の変動がはじまるのかもしれない。
 もちろん、われわれの親はそういう裏社会とは縁がない。縁をつくらないように、表社会だけで生きられるようにふるまっていた。大抵の人間はそうだ。だから、エリートたちとはまったく別の社会で生きていたことになる。それが可能な社会は20世紀のはじめにはまだ稀だったんじゃなかろうか。
 その表と裏が表裏一体になったエリート社会に対抗できる集団は、日本では軍部しかなかったんじゃないかと見ている。というか、軍人はエリート社会の成員たちとは劃然と区別されていた気がする。つまり、軍部エリートと財界エリートとの間にはコミュニケーションが成り立ちえなかった。日本の悲劇の一因はそんなところにもあった。
 が、いま、その裏社会が徹底的に栄養失調状態に陥っている。そして更にこれからも「暴追」の名の下に、正義が浸透してゆくだろう。そんな土壌からエリートは育ちようがない。(別に、ヤアサンを擁護しているつもりではないんだけど)
 一日千里駆ける馬にはそれだけの食糧が必要だ。ほかの馬と同量の食糧しか与えずに「能力の高い馬がいない」と嘆くのは馬鹿げている。
 いま、漢文で習ったことを思いだした。千里馬に必要な食糧は、通常の馬の10倍どころか100倍なんだと思うよ。われわれの親が使った学費が100万だとするならば1億円必要だったという意味だ。それくらい使ってもハトヤマ程度のエリート坊ちゃましか育たなかったんだけど。(かれの場合は他人が見込んで援助したわけではないから、今回の話のサンプルにはならない。)でも、必要なんですよ育成費用は。いわゆる公的奨学金程度じゃ話にならないのです。

 物事には大抵オモテとウラがある。社会にもオモテとウラがある。そのオモテとウラはつねに表裏一体の関係にある。それ自体は当たり前のことだ。その当たり前の事実を事実として認めない(認めたらウラじゃなくなるか。難しいな)、暗黙のうちに認めない間は、この社会にはエリートは出て来ない。そういうフツウの社会から出てきたエリートたちと五分のやりとりができる人材は育たない。
 自分自身がウラ社会と関わりたいとはまったく思わない。たった一回きりの人生を台無しにしたくはない。しかし、ウラ社会なしのオモテ社会が成り立つはずがない。モノカルチャーを目指すのは、その社会の自殺行為だ。昔の総理大臣風に言うなら、あるともないとも言わないコトがあっていい。いや、必要だ。
 このごろはそう思えてならなくなった。

別件
 数週間前、
──おまえ、散髪にいったとか?
 と訊くと、
──いまごろ気がついたとね? もう2週間よ。アタシんことナアも見よらんっちゃね。
 と言われた。
 先週、冬装束に替えて出かけようとすると、
──そげんネクタイ持っとった?
 と訊く。
──はじめて見たよ。
 毎年冬になると着用しているネクタイで、16年前にイギリスをいっしょに旅行したとき買ったものだった。