3年8組へ

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現代文の授業を終えるにあたって。   2012/11/末

 四月に出会ったばかりだったのに、もうお別れの時がきた。
 私の母校の講堂には、「一期一会(いちごいちえ)」という額が掲げられていた。「こうして会えるのは、これが最後かもしれんと思えちゅう意味たい。」と先輩が教えてくれた。実際にそこで、のちの国語教師がならうのを楽しみにしていた先生からの別れの言葉を聞くことになった。けっきょく授業を受ける機会がないままに終わったけど、その最後のメッセージはいまも心の奥深くで生きている。
 「お前たちはいま、受験勉強をしながら色んな疑問を感じているはずだ。その疑問を簡単に合理化してしまうな。これからも大切に抱えていけ。」
 高校生の時に感じていた疑問を、国語教師は持ちつづけてきた。合理化はしなかったけど、答えが見つかったわけでもない。たぶん、これからも疑問を疑問として持ちつづけてゆくしかあり得まい。
 
ちょっとこじつけ風になるが、そのころ考えていたことのひとつは「人間らしさちゃなんか?」ということだった。思春期の自分はなんだかやたらと動物めいて見えた。その後、実際に自分を「ああ、やっと人間らしくなってきたな」と感じたのは、50代になってからだったから、このヒトはそうとうに執念深い。
 また母校の話になるが、国語教師の通ったところは実に古くさい学校で、先生たちは、「物にも事にもホンモノとニセモノがある。それを見分けられるようになれ。」と言う。「人間にもホンモノとニセモノがいる。お前たちはホンモノになれ。」そう言う先生たち自身がどの程度ホンモノだったかどうかは怪しいものだが。
 3年のときの担任もユニークな人で、最後の訓辞は「恋をすることを忘れるな。」だった。その先生が定年になったときクラス会をやった。その席でも「お前たちは恋をしているか。オレはしているぞ。」と言う。あきれて、「先生の相手はどんな人ですか?」と訊くと、「いや、人間じゃない。弓道だ。オレはいま弓道に恋をしている。」

 人類の歴史は450万年前に遡るという。それ以前のどの時点で類人猿と枝分かれして進化したのかは、いまだにそのミッシング・リンクが探し求められている。
 ホモ・サピエンスという言葉がある。(智慧をもったヒト)という意味だそうだ。そのほかにも、われわれのことをホモ・ルーベンス(遊ぶヒト)と定義した学者もいる。
 なかには、半分ふざけて、「体毛がなくなった猿」と定義した人もいるし、「本能がこわれた猿」とたとえた人もいる。
 ヒトというものを、どういうイメージでとらえるかということは、先人にとっても大切な命題のひとつだったらしい。
 フランスのショーヴェ洞窟の壁画は4万5千年前に遡るという。ラスコーより1万年以上古い。さらにそれより古いのではないかと思われる絵がアフリカで多数見つかっている。
 ホモ・ピクトル(絵を描くヒト)。絵を描きはじめたとき、われわれの先祖は人間になった。
 ホモ・ロクエンス(ことばを話すヒト)
 ホモ・ポリティカス(政治をおこなうヒト)
 ホモ・ファーベル(ものを作るヒト)
 ホモ・エコノミカス(金もうけをするヒト)
 ホモ・コンシューメンス(消費するヒト)
 「自分」を演じる動物
 何かを遺そうとする動物

 19世紀のドイツの哲学者はある日、御者(ぎょしゃ)にはげしく鞭打たれている馬を見つけ、「止めろ!」と駆け寄ってその馬の首にすがりつき、そのまま失神してしまった。数日後、意識は回復したものの、以後は次第に自分のことも分からなくなっていったという。 
 そのナイーブな哲学者は人間を「約束する動物」とたとえている。
「未来」を信じている唯一の生き物。未来に向かって約束しあい、その約束を誠実に果たすための努力をつづける唯一の生き物、人間。
 いま国語教師はそんなイメージを追いかけている。

 『小さな村の物語 イタリア』という番組をときどき何となく見ている。そのBGM『ラプンタメント(英語のアポイントメント 会う約束?)』のことを知りたくてユーチューブで探していたとき、『天空の城ラピュタ』の主題歌を子どもたち800人が合唱しているものにぶち当たった。聴いているうちに胸が熱くなった。
 正直に言う。「こんなことを西陵生にやらせたい」と思った。
 ただし、ラピュタは小中生向きだから。次の合唱曲を提案する。君たちには間に合わないけど、後輩に「あいつがこんなことを言っていた」と伝えてください。

水のいのち』 詞 高野喜久雄  曲 高田三郎

   1雨

降りしけれ雨よ、降りしきれ
すべて立ちすくむものの上に
また、横たわるものの上に

降りしけれ雨よ、降りしきれ
すべて、許しあうものの上に
また、許しあえぬものの上に

降りしきれ雨よ分け隔てなく
涸(か)れた井戸
踏まれた芝生
こと切れた梢(こずえ)
なお踏み耐える根に

降りしきれ
そして立ちかえらせよ
井戸を井戸に
庭を庭に
木立を木立に
土を土に

おお すべてを そのものに
そのものの手に

   2水たまり

轍(わだち)のくぼみ
そこの ここの
くぼみにたまる 水たまり
流れるすべも目あてもなくて
ただ黙ってたまるほかはない
どこにでもある 水たまり
やがて
消えうせてゆく水たまり
私たちに肖(に)ている水たまり

わたしたちの深さ
それは泥の深さ
わたしたちの言葉
それは泥の言葉
泥のちぎり
泥のうなずき
泥のまどい

だが、わたしたちにも
いのちはないのか
空に向かういのちはないのか
あの水たまりの濁った水が
空をうつそうとする
ささやかな
けれども一途ないのちはないのか

うつした空の青さのように
澄もうと苦しむ小さなこころ
うつした空の高さのままに
在ろうと苦しむ小さなこころ

   3川

なぜ遡(さかのぼ)れないか
なぜ低い方へゆくほかはないか

よどむ淵(ふち) 
くるめく渦のいらだち
まこと 川は山にこがれ
きりたつ峰にこがれるいのち
空の高みにこがれるいのち

山にこがれて石をみごもり
空にこがれて魚をみごもる

さからう石は山の形
さかのぼる魚は空を耐える
だが やはり 下へ下へと
ゆくほかはない川の流れ

おお 川は何か
川は何かと問うことを止めよ
わたしたちもまた同じ石を 
同じ魚を みごもるもの
川のこがれを 
こがれ生きるもの

   4海

空をうつそうとして
波ひとつなく凪(な)ぐこともある
岩と混じれなくて
ひねもす
たけり狂うこともある

しかし、すべての川はみな
そなたをさして常に流れた
底に沈むべきものは沈め
空にかえすべきものは
空にかえした

人でさえ行けなくなれば
そなたをさして行く
そなたの中の 
一人の母をさしていく

そして そなたは
時へてから 満ち足りた死を
そっと岸辺にうち上げる
見なさい
これを見なさいと云いたげに

   5海よ

ありとある芥(あくた)
よごれ 疲れはてた水
受け容れて
つねに新しくよみがえる
海の不可思議

休みない汀(みぎわ)
波の指 白い指 くりかえし
倦(う)まず くりかえし
数えつづける
海の不可思議

くらげは 海の月
ひとでは 海の星
海蛍 海の馬 空にこがれ
あこや貝は光を抱いている

そして深く暗い海の底では
下から上へ
まこと 下から上へ
雪は 白い雪は降りしきる

おお海よ
たえまない始まりよ
あふれるかに見えて
あふれることはなく
終わるかに見えて
終わることもなく
億年の昔も今も
そなたはいつも始まりだ
おお空へ
空の高みへの始まりなのだ

のぼれ のぼりゆけ
そなた 水のこがれ
そなた 水のいのち

たとえ 己の重さに
逆らいきれず雲となり
またふたたび降るとしても

のぼれ のぼりゆけ
みえない翼あるかぎり
のぼれ のぼりゆけ