比加里荘便り2012/12/30

 年末最後の恒例行事である山小屋に行ってきた。昭和5年生まれのオーナーも元気。
──寒くて外を歩けなくなったので室内歩行器を買って練習していたら、こんどは筋肉痛で動けなくなった。
 ススキと枯れ葉と枯れ草の彩りが絶妙でうっとり。それに夕方の散歩の時の阿蘇の夕焼けが見事で、ここに載せる技術があればと思う。年が明けたら絵はがきを作ります。
 ロフトにあがって抽出しを開けたら、見馴れない本が入っている。
 長谷川宏『新しいヘーゲル』(講談社現代新書
 そんな本を買ったのも覚えていない。「山小屋で読もうと思って持ってきたまま忘れていたんだな」と開いてみると、何カ所か折っている。最後の折れ目は、最終頁のランズマン監督『ショアー』。
 たぶん、「時事国語」という特設科目をかってにでっちあげて自分のクラスでやっていたころだろう。もちろん教科書なし。教材はすべて手作り。忙しいなんてもんじゃなかったけれど、それなりに充実していた。
 折れ目がついているところから、いくつか抜き出してみる。

──幕末・維新にはじまる日本の近代化は、お手本のある近代化であった。西洋文明をお手本として、できるだけ速くそれに追いつくことを基本方針とする近代化であった。
・・・が、精神面の近代化にかんしては事情が少しく異なってくる。西洋の近代精神をお手本としてこれを消化・吸収しようとするその姿勢そのものが、西洋近代精神に反することだからだ。いいかえれば、西洋の近代精神は、お手本としてこれを消化・吸収しようとする接近のしかたをきびしくしりぞけるような、そういう精神なのだ。お手本をもたないで生きていく、というのが、すなわち精神における近代化ということなのだ。──第5章 近代とはどういう時代か──
──キルケゴールは、人間の生きる世界の全体を普遍的な理性によって完全にとらえきることができるという、ヘーゲルの円満な合理主義とでもいうべきものに、はげしく反発した。
・・・「あれかこれか」──ヘーゲルなら「あれもこれも」だ。そうやって対立するものが対立しつつ一つの和解へともたらされることに、キルケゴールは我慢がならなかった。対立する一方を否定し、一方のみを選びとるという偏頗な選択こそ、神ならぬ人間の、おのれの分に誠実なふるまいだとキルケゴールは考えた。
・・・キルケゴールは意識の位階性に異を唱え、ヘーゲルが低次元とする感情のうちにこそ崇高な宗教性が宿ると考え、そこに人間心理の眞実をうかがおうとする。ちなみに、「不安」は、二十世紀に至って、ハイデガーサルトルが人間存在の根底をなす心事としてふたたび大きくとりあげる。この二人にとっては、社会のうちに安定した生活の場を見いだすヘーゲルの個人よりも、つねに不安と背中合わせに生きているキルケゴールの孤独な個人のほうが、身近に感じられたのである。
 「反復」──ヘーゲル哲学で精神の本質が「発展」であるとされていることを横目でにらんだ命名である。キルケゴールは人生が反復できるかできないかについて明言してはいないが、対立をはらみつつ持続的に発展していく人生、というイメージを向日的にすぎると感じていたのはたしかで、やりなおせるものならやりなおしてみたい、といった一見不条理な痛苦の思いに人生の眞実相を見ようとしているのである。──第六章 ヘーゲル以後──

──レヴィ=ストロースはまぎれもなく西洋近代がうんだ文化人であり、文化人類学はこれまたまぎれもなく西洋近代がうんだ学問ではあったが、うまれてきた人と学問はいうならば鬼子だったのである。
 が、鬼子とはいっても、レヴィ=ストロース文化人類学のうちには、近代的な要素もまたたっぷりと盛り込まれている。失われゆく未開の生活と文化を書物のうちに残す、という発想がきわめて近代的なものだし、未開人の友人にまではなることができても、未開人になることはできない、という自覚は、まちがいなく文明人の自覚である。レヴィ=ストロースの西洋批判、近代批判は、合理主義と人間主義進歩主義の意味と価値をいわば全身で知っている人間が、しかもなおそれらに強い違和感をもたざるをえない、という位置で発せられるものであり、だからこそ、その批判には自己否定ないし自己批判の苦渋がにじむのである。
 そのことは、多少の差はあれ、メルロ=ポンティについても、ハイデガーについても、フロイトについてもいえる事柄だし、いっていい事柄である。
 が、それらとはまったく類を異にする巨大な近代批判が存在する。ヘーゲル哲学の生誕の地に起こったナチズムである。・・・

 読んだこと自体を覚えていないのだけれど、長谷川宏のことばに相当の影響をうけている気がする。あるいは、その角度が自分とあまりにも似ているがために、他人のことばとして記憶にとどまらなかったのかもしれない。
なんだか、も一度読み直してみたくなった。冬休みの予定変更。

 最後に、引用されているアドルノのことばでしめくくる。

──個人は彼に残された最後の、もっともうらわびしいものである死までも収奪されてしまった。収容所において死んだのは、個人ではなくサンプルであった。
 
別件
 山小屋にでかける前日、CDを探しているうちに、『エニシング・サドンリィ』第二号・三号が出てきた。
 その二号のなかに、斎藤陽一の詩。「明治42年宮城県生まれ、昭和3年古川中学卒業、昭和8年死亡。25歳」筆跡はまちがいなく国語教師。
 が、完璧に忘れている。インターネットに名前を入れてみたが出てこない。
 自分が忘れているだけでなく、世間からも忘れられている人らしい。でも、いったい何で知ったのだろう? 古本屋で見つけたのか?
──朝、鯨は易々とお産を済ませていよいよ安堵した。
──みんな笑ひだす。可笑しくって、可笑しくって。彼女も彼女も彼女も一度に笑ひころげる。磨かれた笑ひはみんなオゾンになる。
──河岸の月くさい土は複雑な感情を原質として眠りこけている。
 あとふたつだけ書きます。
 いずれ、ぜんぶ打ってアップすることになりそうだけど。
──恰も道のやうに、彼は方向に向かって歩く
──彼女は彼女の頑な田舎の叔父さんを樫鳥(カケス)だといって眩しく笑ふのです