新・忘れられた日本人

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 今朝は川が凍っていた。橋を渡る人影が表面に映って動いてゆくのが美しかった。この冬いちばんの冷え込みだったかもしれない。
 それでもチビたちは元気。行く気マンマンで外に飛び出してゆく。
──セーター着せる?
──要らん。

 筒井功『新・忘れられた日本人』を読みはじめたとたんに、「あれっ?」
 そんなわけで、発情期が治まったようなので暫くは沈黙のつもりだったんだけど、簡略に報告します。
 去年の春、郡山でお土産にもらった本のなかの「箕は呪具だった」という記述から頭が動き出して、報告したのを覚えている。家の出入り口にぶら下げていたのだそうだ。その写真ものっていた。
 その形から、象形文字のU(のような形)が連想された。口のもとの文字だ。Uは祭器なのだという。それ自体が価値あるものであると同時に、献げるべきものを入れる器でもあった。(ぜんぶ白川静の受け売り)西日本にもそういう風習があったのかどうかは知らない。が、観光地の土産物売り場には箕のミニチュアが積まれているところを見ると、やはり似たような祭具としての働きがあったのだろう。
 今回の筒井功によると、それらを作っていたのは被差別者だったのだという。それは東北では徹底していて、敗戦後のバカ売れした時期でも、彼らの生業を脅かす者たちは現れなかったとある。祭呪の意味を考えるとき、それはなんだか得心がいった。
 その「箕作り」の人々は定住をせず、、ほとんどが家族単位で暮らし、交流範囲もひどく狭かった。だから婚姻関係もその狭い範囲内から出ることはほとんどなかった。
 以前、東北には部落問題がないと聞いてびっくりしたことがある。人が群れているところには、いじめや差別や暴力はつきものだと思いこんでいたから。でも、ああ、そういうことなのかと気づいた。
 定住をしないのなら部落は発生しない。「箕作り」のある家族は、定住を選んで土地を買って家を建てたという。それで他の「箕作り」とは縁が切れた。
 では、西日本には被差別地域があり、東北にはないのは何故か? 西日本のほうが豊かだったからだ。人が固まって定住しても食っていけたからだ。東北の場合は、一カ所で箕作りをし、大体売れるとまた別の地域に移動して箕作りをした。箕作りだけでなく、木工による器作りをしていた人々の場合も同じく、原材料の入手から生産・販売まで一連の労働を家族で分担しておこなった。そうしないと食っていけなかった。ひと家族が生活してゆくためには数年間にわたる移動にかなう広い範囲が必要だった。
 数年前の驚きは、自分の不明から起こった。日本中、いや世界中、差別がない土地なんかまずない。ただ被差別者がかたまって暮らすことが強要されていた場所はそう多くはないということなのだろう。(島崎藤村『夜明け前』にも、堀田善衛の自伝風小説にも被差別者が登場する。信州にも越中にもそれらの人々が定住していた。)
 それに、西日本の場合は農民(土地持ち)もまたたくさんいた。その農民たちは、工に従事する人々と自分たちをはっきり区別していたはずだ。
 話を「象形文字のUのような形」にもどす。
 箕が祭器であったのは、古代中国の?と形が似ていたからだ。団扇や扇子が献げるものを載せる器として用いらていたのも同じU型 であることによるのだろう。
 じゃあその象形文字のもととなる自然界のものとは何か?
 馬蹄型の青銅器が陳列してあって「貨幣」と説明してあるのを見て不思議に思ったのはまだ若いとき。それもまた自然界の何かを模したかたちだったはずだ。
 思いつくのは貝殻。
 ・・・こういうことでは、中国人よりも日本人の方が感性が鋭いというのが面白い。雪の下のヨは手の象形だと言ったのは幸田露伴だったか。雨を手で受けるかたち=雪。はやくに文明化して平坦化してしまい「Who am I」になってしまった中国人とちがって、この国の人々はその由ってたつものの記憶をとどめている。その結果起こることを文明語で語るのには相当の無理がある。
 この社会も漸々文明化して混濁が減り、フラットになり、人々は「Who am I 」になってゆく。われわれもすでに半身以上はそうなっているのかもしれない。それをとどめようとすることは間違いだと思うだけに、なにか話したい。
 貝のもとになった子安貝象形文字はまさに女性生殖器そのものだ。朋もまた貝殻の合わさった形ではなかったか。(こちらは勘違いかもしれない。いま「字統」を見たら、「一対をなす貝殻を綴ったかたち」とあった。)ただしUのもとになった貝はおおきな平貝だ。鮑かな?(白川静によると、魚は女性の象徴だったそうだ。)その片身が器になり、そののちに陶器や青銅器になった。
 固くて破損しにくく、ツヤが失われず、平たくて拡がりのある貝殻は、内陸部では貴重な器であり、同時にそれ自体が呪具になった。それがこの国では木工・竹製品にかたちを変え、箕や団扇や扇子になり、実用性以上の意味をもつものとして流通し、飾られ、用いられた。「飾る」「献げる」「受け入れる」「混ぜる」「消化する」「生る」「「変身する」「斥ける」。その意味をひとつにしぼりこもうとするのは浅はかだ。ただそこに本人たちも思い出せないが大切な祭祀性、呪術性が含まれていたのは間違いない。
 そんなことを考えつつ、『新・忘れられた日本人』のつづきを読んでみます。
 
別件
 ツシマイエネコが「ガロは絶好調よ」と言う。血気盛んなころと同じように、座布団をくわえて床に叩きつけていたというのだ。
 母ピッピはお母さんから怒られると、息子のガロに対してウップン晴らしをする。やられたガロは、自分より幼いものはいないので、座布団に当たり散らす。ガロのよだれにまみれてボロボロになってゆく座布団こそいい迷惑だが、まあカンベンしてもらおう。
 ピッピは家に来たときからお母さんからの怒られ役を一手に引き受けざるを得なかった。で、どうしても納得できないときは、お母さんの目をじっと見ながら床の上に「ジャー。」あれは実にミモノだった。
 室内でオ○○コやウ○コをさせるようにしつけかけたことがある。けっこううまく行きそうだった。ところがある時、新聞紙からはみ出していたことがあって、お母さんからクソミソに怒られた。それからあと、彼女は室内どころか庭でもいっさい排尿・排便を行わない。颱風が来ようが吹雪になろうが、家から出て用をすます。その、雨にも負けず、風にも負けず、散歩をさせるのはお父さんの役目だ。
 ほめなきゃいけないときに叱る。あれは完全な教育の失敗だな。
 ガロの体重は4,5キロ以上。たしかに絶好調である。