信州へ

2013/01/25(木)
Sへ
 福岡は先週、それこそ年に一度の大雪。ただ窓から見ただけだが。
 木曜日からずっと寝込んでいた。大したことではなかったはずだけど、熱がとれない。まだ体に熱がこもっている感じだけど、今日から出勤。ほかの人はどうなのか知らないが、いったん熱が出ると目を開けていられなくなるので、ただひたすら寝ているしかない。
 土曜日だったかは、だいぶ楽になっていて、夜中にさまざまな妄想がわいた。なんともリアリティのこもった妄想で、「こんなふうなら寝たきりも退屈しないだろうな」と感じるほどだった。その妄想の内容をただで話すのはもったいない。しゃぶしゃぶか、水炊きか、もつ鍋か、つきなら話します。もちろんドリンク代は自分持ち。
 そんなわけで一週間ずっと風呂に入らなかった。もうそろそろ風呂でびっしょり汗をかいたら、すっきりなるんじゃないかと思っても、火曜日が123567と6時間も働かせてくださる日だったので、逆パタンになる危険を冒すのは控えた。
 どうやら乗り切れてほっとしている。12月からの密度の濃い仕事は断続的ながらも、老体にはこたえていたんだな。体と書いたけど、ホントは老脳にこたえているんだ。疲れは脳にたまる。そのこと自体には老若の差はない。若にはまだそのことがわからないだけだ。老になってはじめて真実が見えてくる。──新聞にのっていた田中哲也という人の俳句「物質の内に影なし冬の濤」。似たところのある人なのかもしれないな。──
 いじめの構図の話は、その原因めいたことを考えたことがない。社会があれば、それが当たり前のこととして、いじめや差別がある。そのことを徹底的に考え抜いたのがユダヤ人なんだろうが、あのひとたちに付き合うのはホントに疲れる。
 生物学者で『攻撃』という本を書いた西洋人はだれだったっけ?(ローレンツ?)動物の角は同類との戦いに勝ちのこるためにある。けっして異種から同類を守るためにできたんじゃない、と唱えた男だ。なにかあの本以来、考えても無駄だと思うようになったのかもしれない。(かなりの苦労をして育ったらしい)ツシマイエネコは「いじめは人間の本能だ」という。実体験や目撃からきた総合的確信らしい。大平正芳(クリスチャン)の「人間が行動を起こす動機の最大のものはネタミだ」ということばにカミさんはチョクで反応して笑い出した。
 60ちかくになって「ちょっと古い日本語集」というのを作ったことがある。きっかけは「さもしい」ということばを生徒が知らなかったことだ。そのことばを知らなかったら「いまの自分がさもしいのか、さもしくないのか」の判断基準がないのと同じだ。で、そういう一覧表をプリントにして渡したら「知らん。」「知らん。」とパニックになった。パニックを起こす間はまだ何とかなるかなと感じた。
 が、いまの大人たちはその「さもしさ」を知らない例が多すぎる。──週刊誌の見出しによると、鳩山さんちのぼっちゃんは「ノーベル平和賞」を狙っているんだという。なるほど、そう考えれば一連の行動は素直に理解できる。──そのことと「いじめ」とに関連があるのかないのかまで考えたことはないけれど。
 日曜日、頭がやっとはっきりしはじめて、2011米中合作『シャンハイ』を見た。劇場で観たかったと感じる映画だった。ヒロインの抗日の権化の中国女を菊池凛子、その仇役が日本軍の渡辺謙狂言回し役がニュートラルなアメリカ人という設定。なかなかイケる。そのなかの端役に絶望的なまなざしでアメリカ人を見つつ死んでゆくキタという日本人がいるのだが、そのまなざしをみて「もうこんな目を演じられる日本人はいないはずだ」と思ってネットで配役を調べると中国人だった。そのキャスティングの妙もおすすめどころ。(あの眼は、ひょっとしたらコンタクトレンズを使ったのかな? それともいまはCGで、人の眼の様子などどうにでも加工できるのかもしれない。 それにしてもキタは日本人にしかみえなかった。あの国には実にいろんな人間がいる。いま全豪テニスを見ているけど、テニス関係者の中国人は親しみを覚える顔立ちが多い。イギリスの影響を濃く受けた上海・香港系の人たちなのかもしれない。たぶん中国は世界最多種の多民族国家だ)
 映画はそのほかに、ハムレットを翻案したという香港の『女帝(エンペラー)』、イギリスの『エリザベス』。どちらもそれぞれのお国柄がよく出ていて飽きなかった。それにしても外国にはいい役者さんがけっこういる。
 さて、またしばらく現実にもどってきます。
 いや、どっちが現実で、どっちが夢か、次第にあやしくなってゆく。
 まさに胡蝶の夢か。いやあ、どちらも夢なのかもしれんぞ。

別件
 バビーのおばあちゃんが亡くなった。
 何年ぐらい前か、もとの犬が亡くなって、「もう二度と飼いません。」とおっしゃっていたのに、一ヶ月後ぐらいにはかわいい子犬を大事そうに抱いていらした。「バビーです。」そのバビーが大きくなると(といっても4キロぐらいじゃないかと思うけど)ひっぱられるように散歩をさせている。ツシマイエネコがそれを見て「もう無理よ。犬のほうが強いもん。人間は転んで大けがする。」そのうちおばあちゃんの姿を見かけなくなり、娘さんが世話をするようになっていた。合掌。

 このごろチビたちの親分であるエリを見かけない。もう16歳。体重40キロ以上の大型犬なのに、チビたちは最初からなついてクンクン寄っていった。ラブラドールと○○ドールの混血のエリは鷹揚で、足下によってくるチビたちにかってに匂いを嗅がせて、自分も気が向いたらピッピのお尻を嗅いでいる。「また入院したとげなよ。一日一万円げな。もう寿命やからねぇ。」
 一日三回散歩をしていた。「私が二回させるでしょ。そしたら寝る前に、かわいそうちゅうてお父さんがも一度散歩させるんです。」夜中に公園で、そのお父さんと会ったことがある。「足腰がたたんようになったから、もうダメかと思いよりましたバッテン、また歩けるごとなりました。」チビたちはそのお父さんも大好きで、見つけたらぐいぐい引っ張っていく。「おう、覚えとうとね?えらいねぇ。」
 もともと外で飼っていたのに、お母さんが留守のときに、お父さんが上にあげるようになったのだそうだ。「いっぺんそうしたらですね。もう毎日あげるしかないですもんね」
 年末に腎臓機能が低下して一度入院していた。年が明けてから公園であったときは「耄碌して、昼間は一日中眠っていて、夜中に家のなかを徘徊するんですよ。」とお母さんが笑う。「人間様には悪いけど、もしこの子が死んだら私、親がなくなったときより泣くと思います。」覚悟をしはじめているのがよく伝わってきた。