斎藤陽一詩抄

斎藤陽一詩抄





              一九〇九年 明治四二年 宮城県

                    昭和三年  古川中学卒

              一九三三年 昭和八年  死去


         旅影?


彼女は彼女の頑な田舎の叔父さんを樫鳥(カケス)だといって眩しく笑ふのです。


無 題


     1


ひっそりしてゐる。

獅子鼻のカンテラが行く手に燃えて時々落ちる。

針のような夜が音もなく降りつもる。疼痛の激しい重量。

痩せた塗椀、空虚、少々砂塵が残る。褪せる/\夜明けの胃袋、街、


     2


朝、鯨は易々とお産を済ませて愈々安堵した。

彼女は今、可愛い坊やを連れて、ライラックの匂ふ朝の高原の散策に出掛ける。


     3


青空から石の段々、眩しく瞬く大理石像、シェリー酒の水の庭園の原始の林、前

栽の砂利道を彼女は水盤のやうに色彩をくる/\と溢れさせる。彼女は通る。彼

女も、彼の女も。彼女達はメリーゴーランド。どこまでも感情が燃えて続く。聖

壇のやうに青い道、角のない水路を航行する彼女のリボンのヨットは、海草にま

かれて苦笑しながら停船する。

みんな笑ひ出す。可笑くって、可笑くって。彼女も彼女も彼女も一度に笑ひころ

げる。磨かれた笑はみんなオゾンになる、太陽の肌にちりばめられてしまう。

間もなく走り出す。透明なヨットの腹は海草の萌え出す色でくすぐったくなる。

マストの天邀(てんよう)で笑ふ声、哈哈哈ゝゝ。 微風にまかれる舞曲のオヂサンが笑ふの

だ。どこまでも、どこまでも哈哈哈ゝゝ。


    4


霧ノヤウナ毒ヲモツ人情モ、蝎ノ血に狂フ僕ノ心臓モ、赤イ刀匣に蔵ッテ置カウ。

泡ノヤウナ彼女ノ心ヲ映ス鏡ヲ求メニCALIPHノ国ニ武者修行者トナルノダ。

衣ズレノヤウナ夜明ケガ来ルマデ。


    5


蛇穴ニ膨レタ水気ガ歌フ。


    6


乏シイ油ガツキル、真暗ナ孤独ガ村ノ上ニノシカカル。蝙蝠ノ群ハ鋭イ夜気に打

タレテ苦悶シナガラ消エテシマウ。


    7


冬空の河岸に泥木が眠ってゐる。河岸の月くさい土は複雑な感情を原質として眠

りこけてゐる。僕は今、寝静った泥木の目脂をそっと盗みたくなったのだ。僕は

噫々、神秘な泥棒だ、泥棒だ。




   沈 光


牛車ハ更ニ々々快(ハヤ)イ

遠ク水流ヲ渉ッテシマッタ。




   夜の牧場


五月の風の乳首  タンポポ

波動する絵草紙  カウモリ

地下園の園丁  ケラ

蛙の決闘(手の手の業物) ヒレアザミ

捨てられた駿馬の精液  ミゝズ

匂ふ闇、匂ふ闇。 




   産  卵


光を脚のさきに蹴って鶏が草原から駈け戻って来る、

彼女はそのあはだゞしい郷愁を捨てるために鶏舎に駈けこむ、そしてせい一杯

力んで卵を産む、

押しこめられた郷愁、卵、

彼女は安堵して又元の草原へ戻って行く。





   旅  影


峠ノ空木ヲ鳴ラス鳥群ノ旅影ガ

アヽ光ニ降ル、光ニ降ル。


湲流(かんりゆう)ニ溺レタ光ノ量ガ

アヽ岩魚ノ脚ニナル、岩魚ノ脚ニナル。




   冬


坂の上の街の端れの早い冬

とぢこめられた馬肉の呼吸が飾られた飾窓の中で切られた血管を立てる

二階に咳こんでゐた今は居ない肉屋の食客の女、痩せた古格子にうそ寒い日が

當りはじめてから幾日になるだらう

それから遠い山並は一段と白くなってしまった。




   葩(はな)


山巓(さんてん)ヲ翔ケル風ノヤウナ候鳥(こうちよう)ノ群ハ残雪に眼ヲ射ラレテ半バ感覚ヲ喪失スル、

六月の山岨、感覚ハ色トリドリノ傷マシイ山ノ葩ニヒラク

                    8,5,10 作ル




   重  量


赤道反流を游泳する捕鯨船は、その無風帯の底へ白い銛を打ち込んで停船する。

停船は夜半の重量を恢復して月のない暖流の印象へまどろみつヾけた。

                    8.5,10 つくる




   アプリオリ


恰も道のやうに、彼は方向に向って歩く。