2013嘉穂同期会福岡支部新年会

1013.2.11

 2月9日は、高校同期会の新年会にはじめて参加した。
──あの男は誰やったかね?顔に見覚えがあるっちゃけど。
──なん言いよるとね。応援団長やないね。
 そんなことばっかり。女はもとの顔とそんなに変わっていないのだが、男のほうが老けてしまっている。こちらはもともとが老け顔なので、すぐ、
──おお、××。
 応援団長は、福岡支部の世話係を一生懸命口説いている。たしかに口説きたくなるほど、「いまがいちばんきれいかもしれない」と感じる。鈴木清順が「60になったら、60の女に色気を感じる」と言っていたが、あれは半分はほんとう。
 同窓会に出るとき、「来てるかな」といつも期待する小1のときの同級生がいる。夫の看病と子育てに30数年間専念したという女性だ。そのひとの全身からただようホンノリとしたお色気は、60過ぎのとき別の男が「○○、オレと恋をしよう」(そいつはバツイチの妻帯者)と口説きつづけたのでもわかる。「つあらん。○○はオレのほうが早うから眼をつけとる。お前には渡さん!」そのとき、彼女がすこしうれしそうに笑ったのが、こっちもうれしかった。「××さん、5月は来る?」今度は中学の修学旅行のやり直しをするのだ。目的地は奈良。
 いろんな男がいる。そいつらが、それぞれ自分の生き方をつらぬいている風情なのが快い。──はっきりしていた頃の母親に、「同窓会に出たら、女たちがきれいになっていたのでびっくりした」というと、「そういう人しか同窓会には出て来んもんバイ」。そうなのかも知れない。──
 実に自由な生き方をした男は「この二年ほどは、まったくつまらん生き方をしています」と言って笑いを誘う。ただ、息子が、尖閣諸島と同じ番地に住んで漁業をやっていると言うと、「さすがお前の息子ばい。」なにしろ「歴史は遠し三千年」の校歌を歌い続けている学校だ。
 57歳以降一円も稼いでいないと威張っていた男は、年間250本くらい映画を見ていると云う。「しかも、かならず映画館で、」というのでいっせいに「オウ!」
 一分間スピーチが回ってきたので、K先生が退官のときに言ったことばを伝えた。
──おまえたちの学校は、生徒が先生を育てる学校やったな。
──そうだ。あいつらは皆バカばっかりやった。
 そのバカは、卒業試験のとき、教員用の椅子にすわってバッと新聞をひろげて読みはじめたので生徒のほうがびっくり。カンニングし放題でどうにか卒業できた。あとでそのときのお礼を言うと、「そんなことあったか?オレは覚えとらん」あの人たちは、都合の悪いことはぜんぶ「覚えとらん」か「お前のカンチガイ」ですませる。
 別のバカ先生のところには、恩義を感じた卒業生たちが、毎年そろって年始の挨拶に行っていたそうな。子どもがいなかったせいもあるだろう。心得てちゃんとおせちを準備していてくれていた。
──ばってんねぇ。おくさんが「こんなことするとは、あんたたちの学年が最後みたいよ。」ち、言いよんしゃった。
 中学校に遊びにいったときも、そんなことがあった。「あんたたちのころまではよかった。いまの子どもは何を考えよるとか、わからん。」その後、先生は早期退職をした。
 同級生でも50ぐらいで退職した有能な小学校教員がいる。
──子どもはまだ教えきる。ばってん、いまさら親や教員は教えきらん。
 がまんがきかなかったんだな。やっと一巡して、また、ひょっとしたら教育が成り立つ社会が戻って来つつあるのかもしれないのに。
──××さん。あんたの「人生ちゃそげんもんぞ」に救われた。なにかあったときは、友だちにもそのことばを伝えよる。
 さて、どんな脈絡のときに言ったのやら。
──いつか生徒に言おうち思いよるけど、幸福ちゅうとはいちっばん最後に幸福になったモンがいっちゃん幸福なとと思うよ。
──ウン。ありがとう。幸福にならなね。
 世話係をくどきつづける応援団長は、赤字の公立病院の建て直しを請け負って成功させている有名人で、3年ほど立て直しのめどがたつと、でまた依頼がきて日本中で活躍している。
──もう今度ので終わろうと思いよる。
 なにしろ、「女は嘉穂が最高だ」という愛妻を残しての単身赴任中。
──おまえ、そげして、いったい日本中に何人おんながおるとか!?
──ええとな。
 と指を折る仕草をしてみせて、「両手の指ぐらいじゃ足りん。」と豪語しつつ、
──ばってん、△△、今日はホンキぞ。
 世話しがいがあったね。△△さん。
──また、頼むね。
──うん。
 ワイワイさわぎつづけて3時間半。「もう、店の人にわるいバイ。河岸を変えよう。」男たちは中洲にながれていく。国語教師は小1の同級生たちとコーヒーへ。
 そうか、みんなが笑いころげた話があったので、今日はそれでしめくくる。子どもの頃からずっと「オリーブ」のあだなが変わらなかった女性がまだ現役として介護施設で頑張っている。
──入ろうとしたらいくらぐらいかかるとか?
──そうねぇ。一億二千万から四千万まで。
 いまちょうど四千万が空いとるよ、と言うのだが。

 肝心なことを言い忘れそうだった。あの連中との心地よさはどこから来ているのだろうと考えた。
 贈与。
 浮かんできたのはそのはやりのことばだった。が、そんなヘンテコリンなことばを彼らは受けつけない。彼らもまた、のちの国語教師同様に文章を読まされて「こいつら何でこげな変な日本語を使うとか!?」と感じ、そげなことばを使わない生き方を選んだ。そげなことばを受けつけないかわりに当たり前のこととして実行する。そのことのなかに喜びを感じることができる。
──お前は「教師にだけはならん」ちゅうタイプと思うとったけどな。
──だいいち、まともに教室におらんやったろが。
  (なのに、どういうわけか、卒業できた)
──このひとはセンセイに反発しとったと。
──いや、××さんは権力そのものに反感を持っとったとと思うよ。 
 のちに鹿児島大学教授になった国語教師がいた。
──あのセンセイの授業をまともに聞きよったとが××さんのほかにもう一人おったと知っとう?
 出てきた名前はよく覚えている。かわいらしい女の子だった。
──あの人ね、まだ福祉に国も自治体もお金を出さんやったころにね、東京で身寄りのない子どもたちのための施設を自力で立ち上げたとよ。
 そう言えば、高2のときちょっかいを出して、体育教員だったその兄貴に殴られた人は看護士として無医村の島に渡り、「独身のくせして助産婦のしごとまで一人で引き受けとるとげなぞ」と聞いた。いまはどうしているんだろう。福岡市で県大会があったとき、終わったあとフト気づくと、その人が兄貴と応援にきていた。「あゝ、オレに仁義を切ってくれたんだな。」と思った。ソレッキリ。もうすぐ50年。会いたくなっちまったじゃないか。
 「ひるむな」
 「臆するな」
 バカセンセイたちのことばではない教えを体で受けとめて、えらそうに胸をはって生きてきた男や女が集合して、バカ話に熱中する。そのバカ話には相手に対するねぎらいや、感謝や、評価がしっかりと含まれている。

 分かってますて。
 ぜ〜んぶ国語教師とくいの「見てきたような」夢物語でぇす。
 ひとときのユメでぇす。
 が、いいユメを見られたので、報告します。
──人生ちゃユメなとやね。このごろツクヅクそう思うよ。
──うん、いいユメにしような。 

別件
 夕方の散歩の帰り道、近所の小1の女の子がお父さんと遊んでいるところに出遇った。もう自転車を乗りこなしている。
──あ、ピー。あのね、こちらがメス、こちらがオス。でもね、オスのほうが弱いと。
 なんという記憶力の良さ。
 ガロは珍しくすぐお父さんになついた。
──よかったねぇ。
 団地のいちばん高いところの横一列に家が建ち並んだので、あの家族とは、そのうち同じ隣組になるかもしれない。