ショートカットきわめつけ
GFへ
2013/03/11
いつだったか、「あはれ論」を図解して以来、まだこだわっている。
というか、若いころからだいたいそうだった。
なにかに取り憑かれたように書いたあとで、「なんであんなものを書いたんだろう?」と考える。それが、自分を見ることだった。その自分が、かならずしもホンモノの自分だとは限らないんだけれど。
「あはひ」ということばが気に入っている。そう気に入りつつ、熊野純彦を読んでいると、レヴィナスを論じるなかに「あわい」が出てきた。どういう文脈だったかは忘れた。でも、そういう日本語をもちいることでやっと表現できることがレヴィナスのなかにはある。
昔、この世を「草葉の陰」にたとえたことがある。
いまはここを「あわい」ではないかと思い始めている。ただし、何と何の「あわい」なのか、とはいっさい考えない。そういう発想を捨てるための「あわい」。いや、ここが「あわい」だというよりは、オレたちじたいが「あわい」なのだ。そう思ったら、なんだかスッキリした。スッキリしたから、この項はもうおしまい。
連休4日目。
15日の最後の授業のプランがだいたいできた。
1,漢文の補講。
2,問題集の最後にあった加藤周一の「日本の現在主義とここ主義」について。
3,自由と孤立について
ただし、50分でこの三つともは無理だな。いけるところまで。
先週、ある若いひとの研究授業は孟子「四端の説」だった。
あのあと、どんな授業があったのかはわからないが、せめて、「性善説と性悪説」「道家と法家」は補っておこう。
研究授業の日は、たまたまその次の授業は自分だったので、漢文の文法の話を補った。
「決斯東方は、VOCだよ。」
ただ、予定していたことがあったので、文法的な話だけで終わったのが心残りだったから、すくなくとも以下のことだけは、きっちりと話したい。
教科書では「決斯東方」を「コレを東方にキる」と読ませている。べつにそのとおりでいいんだけど、「決ル」を「きル」と覚えさせるのは、いまの高校生には余計ではないかと感じた。「ケッす」でいいじゃないか。
「コレを東方にケッす」
「斯れ」がさすものは「土堤」「堤防」。つまり恣意的に土堤を決壊させて水を流すことだ。それを昔は(といってもわれわれの子どものころまではそうだったんだけど)「土堤をきる」と云っていた。大雨がふって堤防がもちこたえられそうになくなったとき、ある方向にのみ土堤を切り崩して水を流し、他の方向の被害を防ぐ。それが治水の常識だった。(小学生が知っていたんだから、常識の範囲でしょ?)
が、いま、そんなことをしたら、そう指示した者は被害者から訴えられて、家族もろとも一生が台無しになるだろうから、もう誰もそんなことはしない。そうはせずに、もろい土堤のままにしておいた国や地方自治体に責任のすべてをおっかぶせる。税金でする補償ならタダなのだ。ましてや、どこかで起こった事故のように、個人が犯罪者として数十年にわたって裁判を受けるなどということにはならない。
その決断の決。決心の決。決意の決。たぶん、もともとの「決」じたいが上のことを指していたのだと思う。「訣」も「袂」も、「抉」も、「夬」にはそんな意味があるに違いない。(こんど調べてみます))
──東に百万人が住み、西は五万人だったら、その人々からどんなに呪われてもしかたがないと決意して西側を決壊させる。ただし、西側はちょうど米の収穫期であるならば、百万人のなかの生き残りから悪魔のように思われることをかまわず東側を決壊させる。生き残っても食糧がなくて飢え死にするしかない状況を避けるためだ。「決」とはそういう意味だ。だから、わざわざ「きる」という訓を覚えるよりは、漢字のもつ意味を頭にいれよう。
そんな感じで授業をでしめくくれたらいいな。
別件
朝の散歩のとき、Nさんに久しぶりで会った。チビたちは狂喜乱舞。お元気そうだった。
──しばらく見かけませんでしたねぇ。
Nさんちの横に相性のわるい犬がいるのがわかって、そちらには廻らないようにしてから数ヶ月。チビたちはさっそく帰り道でNさんちのほうに行こうとする。
──ピッピ、ガロ、そっちダメ。
また会えたらいいけれど。