象徴はリアル中のリアルだと思う

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 松岡正剛の『千夜一夜』に、『心理学と錬金術』があったので、こんど送ります。たぶん、かれにとってはその発想に類似点がある恰好の読み物だったんじゃないかな。

 いまは、『人間心理と宗教』を三分の一ほど読んだところ。例によって夢分析になったので中断して、湯川豊須賀敦子を読む』のほうを開いた。こちらのほうについては手書きにしたい。じつは一頁めで、もうその先は読まなくてもいいと思うほどに感動してしまったのです。そんな感動の仕方をすると、ほんとうにその続きに進めなくなる。だからまた、ぐちゃぐちゃ書き送ります。

 もとに戻ると、ユングを夢中になった読んだけど、「夢分析」は横読みした。なんだか種明かしを見せられているようで、ただ退屈だった。
 高校、いや中学校の教科書だったんじゃないかな、人間を幾つかのタイプにわけた図かなにかが載っていて面白かったんだけど、自分もそのなかのどのタイプかに分類されると考えたらイヤになってそれっきり。それと似た気分が「夢分析」にもある。たぶん、「謎」である無意識とその分析とがミスマッチに感じるんだと思う。もちろん、言語化しなければなにも分からないと言われれば「そうかもしれないけど」と答えるしかないんだが。
 松岡正剛ユングの東洋思想の解読に「?」をつけるのにも類似点を覚える。

 ユングは「象徴」というものをキーワードに話を進めている。
 が、チクゴタロイモの日本語の「象徴」とはずいぶん意味合いが違う。
 チクゴタロイモにとって「象徴」とは(カタカナ語の「シンボル」も同様)、事物のもっともリアルな部分を抽きだしたものだ。象徴とはリアルものをさらにリアルにした(日本酒でいうなら大吟醸酒のような)きりっとしていて生々しいものであり、だから象徴には互換性がまったくない。が、ユングのいう象徴は、象徴であるがために様々な互換性がある。
 つまり、ユングのいう象徴はアナロジーを伴う、比喩の核にあたるものらしい。と同時に「唯一のもの」でもある。それがピンとこない。「だから無意識なんだ」と言われてもなおさら「オレたちとは違う」と感じる。なのに面白くて夢中で読んだ。
 夢中で読んだと書いたが、それより、スルスル読んだ、というほうが当たっている。自分でも不思議になるほどスルスル読んだ。
 むずかしい言葉はあれこれあるし、ドイツ語、ラテン語ギリシャ語のオンパレード。「こんなものを池田先生はよくも自然な日本語に訳したな。」

 才能には四段階ある、という説は何度も聞かされて、またかという感じだろうが、も一度復習すると、才能には、小才、中才、大才、天才、の四段階ある。
 小才は、自分を人にひけらかすことで満足する才能。
 中才は、自分にとってはただ重荷に感じる才能。(ちなみにチクゴタロイモのはこの才能です。その重荷から解放されたのは60ちかくになってから。──いまはルンルンだけれど。──その話にはいずれまた付き合ってください)
 大才は、他の人々に貢献できる才能。(池田先生などの才能がこれにあたる)
 いまいちばんその大才を感じる現役は熊野純彦湯川豊堀江敏幸もそうだ。(中沢新一もそうかな?ちょっと違うかもしれない。)要するに、自分が「有難い」と感じているひとたち。新聞の書評で菅野覚明吉本隆明について書いたという記事を見た。「チェック」。この人はジャーナリスティックな感覚の持ち主で、ハッとさせられることが多い。
 その大才の上に天才がある。
 天才は、ただ自分の才能に引きずられて生きるしかない。これはほとんど小林秀雄の『モーツアルト』そのもの。我が家の主婦はときどき、びっくりするようなことをひょろっと口にする。クレーの絵を見たとき、たった一言「この人は天才やね」。以後、彼女にとって、クレー以上の画家は存在しない。(自分にとってもそうかもしれないんだが、その意味は、クレーはカシオーリのピアノと同様「見てたら頭がよくなる絵」なのです。)
 熊野純彦はひょっとしたら大才なのではなく、天才なのかもしれない。『移ろいゆくものへの視線』のあとがきに、学部の学生だったころ、ある酒席での廣松渉との会話が引かれている。
──きみ、専門家としろうとのちがいって分かるかい?
──はぁ。
──あのね、専門家っていうのは、重要な二次文献にすべて通じていなければならないんだよ。
──いやぁ、たいへんなんですね。
──だからさ、専門家にならなくていいんだよ。しろうとでかまわないじゃないか。テクストがどれだけ読めて、テクストをどれだけ活かせるかなんだ、問題は。
 廣松渉についてはその名前しか知らないけれど、その人は熊野純彦の才能のありかに気づいていたのかもしれない、とも思う。その引用につづけて、「これを書くあいだ、しろうとであり続けようと意識した」と書いている。

 なんだか、まるっきりまとまりのつかない話になってしまったので、『須賀敦子を読む』の一頁めで滞ってしまった部分を書き写して区切りにする。

  須賀敦子が一九九八年に死去してから、十年が経った。私は縁あって須賀敦子とつきあいがあったから、もうそんな時間が流れたのかという当たり前の感慨がないわけではない。しかしもうひとつ別の思いもある。須賀が書き残した全文章を腰を据えて読み解くには、十年とはいわないけれど、少なからぬ時間が必要だった。私にとってはそうであった。
 時間が経つことで、「須賀さん」という人の記憶が薄れていくのを待っていたという意味ではない。読み返しているうちに時間が経ち、そのなかで見えてくるものがあったのだと思う。「須賀さん」についての個人的な記憶についていえば、鮮明なものはいまなお鮮明である。時間は必ずしもつごうよく働いてくれるわけではなかった。

 s、あんがとさん。
 
別件
 散歩のとき、お腹の大きなお母さんに連れられた小さな三兄妹と会った。
兄「こんにちわ」
弟「こんにちわ」
妹「こんチクわ」