「忘れないこと」を強要する社会は病んでいる。

2013/06/14

 朝からなんだかスッキリしなくて、「今日はいちにちウツラウツラして過ごそう」と思っていたのだが、10月に北九州である朴葵姫なるギタリストのサロン・コンサートのチケットをはやめに手に入れたかったのを思いだして、自転車でローソンに。
 ところが、分からない。店員の男の子が電話をかけてくれたが、それでも、「すみません。分からないそうです。」なんでそれを聴きに行きたくなったのかは自分でも不明。あるいは、チラシに載っていた小さな顔写真が気に入ったのかもしれない。竹西寛子以来、たいていの動機はそんなもんです。
 テレビでは、博多座のCM。
 今月は猿之助が空を飛ぶ歌舞伎をやっている。それにつづいて、「レ・ミゼラブル」、「アマテラス」。そのうちどれかひとつは見に行こう。「レ・ミゼラブル」の群衆シーンは、映画では味わえない迫力があるだろうと思うし、「アマテラス」の鼓童はいちど聴いてみたい。三つのうちのひとつに絞るのは、年金生活者のつらさということもあるんだが、それ以上に、こちらに体力の問題がでてきた。
 水曜日に聴いたアファナシエフはすごかった。
 「うつくしい」などという表現はふっとんでいる。たぶん、あれは音楽という範疇を超えていた。
 聴き出したとたんに何も残るものがない。聴くはなから消えてゆく。それは、イメージとしては(あくまでもイメージなんだけど)アファナシエフの音と音が干渉しあって、出ては消え、出ては消えしている感じだった。もちろん実際にはすごい技巧なんだろうが。
 その余韻どころか、情緒も残らない演奏はまるで、「エレメントしかない」とかってに思いはじめたこの宇宙そのもののように思えた。だから、拍手はしなかった。それはあの演奏を遇するのにふさわしくない。(金額のこともあるが、もともと、演奏が終わったとたんに「ギャー!」というわめき声が耳にはいってくるのがイヤで、若い頃から三階席を自分の指定場所にしている)たぶんやらないはずだ、とは思ったが、アンコール曲なぞは聴きたくもないので、さっさと会場を出た。CDを買おうとも思わなかった。一期一会。かれにはそれがもっともふさわしい。
(じつは数年前、まるっきり違った演奏をユーチューブで聴いてびっくりして、あわててCDをいちまい買い、さらに興味をもって彼の詩集を読んだ。詩集はまた、演奏とはまるっきりイメージの違うものだった)
 カシオーリとアファナシエフ
 いまのところ、そのふたりがいれば、ピアノはいい気がする。

 今日は、前回活字で送った「勘違いする能力」の後編、「忘れる能力」のことが書きたいのです。
 「勘違いする能力」とは、リアリティを自分の脳内に作り出す能力のこと、のつもりです。その能力がヒトをヒトたらしめ、ヒトを活性化させてゆく。テレビをみて、その画面にリアリティを感じるのはたぶん人間だけだろう。(うちのピッピはときどきテレビ画面が目にはいって「ドヒャア!」となることがあるが、そういうときは瞬間的に身をそらす)以前、友人の息子がアニメをみていて、主人公が白鳥かなにかに乗って、「サヨナラ」と去っていくのに向かって、涙をながしながら手を振っていたと教えてくれた。それが人間のもつ尊い能力の現れなのです。それを「子どもはまだバカだから」と感じるオトナはすでに大きな退化現象をおこしているのに過ぎない。退化しないと生きられないのがいまの文明社会なんだけど。(3Dがはやるのは、その退化をおぎなう技術だからです。でも、退化をうながす技術でもあるな。)
 「忘れる能力」の話にもどる。
 「忘れる能力」とは、「経験する能力」の源であり、「思いだす能力」の源でもあります。
 ヒトは強大な「忘れる能力」を獲得した。そのおかげで貴重な「未来」を手に入れることができた。そう思っている。
 「歴史の経験から学べ」などとキイたふうな口をきく者がいる。
 経験から学べるわけがない。ヒトは忘れるから、もいちど同じことを経験できるんだ。それも(とうぜんながら)あたかもはじめてのことであるかのように。その繰り返しを経験と呼ぶ。だからフツウに使う「経験」という概念はイリュージョンにすぎない。(「概念」というものじたいがそうか。数日前、アーサー王の歴史ドラマを見た。そのなかで登場人物が、「おれたちの国はまだアイディアにすぎない。それをおれたちが現実にするんだ」と言う。その「アイディア」は字幕では「概念」になっていた。)
 30才のころの二日市時代に、経団連の副会長だったという人の「経験とは髪の毛がなくなったあとで神様がくださる櫛のようなものだ」という言葉を読んでいたく感動したことがある。なんというリアリスト。それがホントなんだ。「経験を積む」のに必要不可欠なのは、それを経験したことがあるということを忘れていることなのです。過去にも同じことがあった。同じことをした。同じことを感じた。同じことを考えた、と思いだすつらさや痛さにたえることなんです。それ以外の経験なんぞはない。
 だから、われわれは歴史からは学べない。覚えている人間には、未来への行動力が湧いてこない。
 「歴史とは思い出だ」と言った人も、きっと似たような感じ方をしていたんじゃないかと思うよ。(ここまで書いて、”ひょっとしたら無常とは輪廻のことなのか”と思いはじめている。しかしこれは、たぶん、いつものショートカットにすぎなかろう)
 積み重なるのは、経験ではなく、思い出のほうだ。
 同じことのはずの「思い出」は、実は、思いだすたびに少しずつ変形していく。変質していく。その変形や変質には気づかずに、われわれは同じことを思いだしているつもりでいる。そうやって、思い出はしだいに固定化していく。その変形、変質、固定化のしかたには、ある種の偏りがある。傾向がある。われわれが○○観と呼ぶのは、その偏りや傾きが固定化したもののことにちがいない。
 前回の話にもどると、「うつくしい」とか、「おいしい」という感じ方は、その固定化したものの何かに対応しているのだと思う。
 そんなことを考えている爺さんの脳はそうとうに固定化が進んでいるので、もう新しい料理をあまり受けつけようとしない。「味わう」ということが面倒くさくなっているのです。知っている味、馴染みの味のほうがいいのです。たぶん、うつくしさ、についても同じなんじゃないのかな。朴葵姫のギターを聴きたいと思ったのも、たぶん、彼女の表情が何らかの思い出と結びついたからだろう。(ネットで調べて、「わからない」理由がわかった。まだ発売前だった)もうそれがどんな思い出なのか、思いだそうとする気にはならないけれど。10/18。西日本工業倶楽部。それさえインプットされていれば、それでいい。
「忘れてはいけない」ことを強要する社会は病んでいる。ひどく病んでいる。タマーに、いつかどこかで思い出せたら100%それでOKなんだ。その思い出は実は事実とはかならずどこか違うんだけれど、それで100%OKなんだ。
 いま考えているのは、そういうことです。
 あと2ヶ月たらずで前期高齢者。その割りにはけっこうイキイキ暮らしているな、と思う。忘れっぽいからだ。どんどん忘れてきたからだ。(少々、忘れることを自分の強要してきたキライはあるけれど)と同時に、大切な思い出がたくさんたくさんあるからだ。
 ひょっとしたらこれは、『海街ダイヤリィ』の影響ですかね?
 
別件
 バビーの家の前を通ったら鳴き声が聞こえてきた。「なんだ、いるじゃないか。よかった。」
 ただその声はえらくショボクレてか細く聞こえた。きっと外に出してもらえないのだろう。