どうして我々は美しいと感じるのか

Mへ
 「どうして我々は、美しい、と感じるのか」という、当然といえば当然の疑問。質問が160キロの真っ向勝負なのに、それにストレートに応える能力が自分にはない。
 で、いつものように搦め手から話すことにする。
 たぶん、いつまでたっても搦め手ばかりで正面攻撃のない話になりそうだが、それもいつもの誠実さとしてご勘弁願う。
 云いたいことの基本は、相変わらずの「勘違いする能力」なのだ。
 「勘違いする能力」と「忘れる能力」を獲得したことが、われわれの先祖をホモサピエンスにした。もちろん、うちのチビたちもたびたび勘違いをして、こちらを笑わせてれる。しかし、その勘違いのケタが人間と動物では圧倒的にちがう。動物はなかなか勘違いしない。(それでも、肉親ではないものを「自分の親」と思いこむ能力がかれらを繁栄させた)。動物はなかなか忘れない(それでも、新しい主人をホンモノの主人だと思いこむ能力が彼らを生きのびさせた)。なのにいま、「勘違いできない人間」、「忘れる能力の低下した人間」が増えはじめている。それも、そういう欠陥人間に限って、どうやら「自分は知能指数が高い」と思いこんでいるらしい。また、そういう「勘違いしない能力」「忘れない能力」の指数だけををたよりにその人間の能力を総合判断する傾向がこの文明にはある。指が滑ったんじゃない。文化ではなく、この文明にはある。そんな気がする。
 美しいものと醜いもの、などという区別が自然界にあるわけはない。しかし、それは人間のかってな思いこみだ、と云ったところで、何を答えたことにもなるまい。そうじゃなくて、いつか、どこかで人間は、そんな勘違いをする能力を獲得したのだ。ある文化は髪の長さで女の美しさを測ったかもしれない。ある文化は、数量化できる「長さ」ではなくて、お尻の形で女の美しさを測ったかもしれない。ある文化はさらに計量化しがたい匂いが評価基準になったかもしれない。(たぶん、胸のふくらみがなんらかの基準になった文化は最近までなかった。ただし、出産した女の胸が異様に膨らみはじめることに、男は感動しただろう。この「感動」が次のキーワードになる。)
 「美しいもの」や「醜いもの」は、勘違いが繰り返されるうちに、偏向し、その偏向が固定化していった。なぜそういう偏向がはじまったのか。それは、男たちが感動を覚えるようになったからだ。感動は、勘違いなしには生まれない。「心が動く」経験をもったものは、も一度同じことを経験したいと願う。その繰り返しが偏向をもたらす。そして、「美しいもの」だけではなく、「正しいもの」や「高いもの」もまた同時に偏向しはじめる。
 ただ、肝心の「美しさ」については、様々な「美しさの基準」があったなかで、いつのまにか、女の美しさは、顔だち、によってのみ語られるようになった。顔がその人間を表している、という考えは、それほど古いものではない気がするのだが、少なくとも、われわれが気づいたときにはすでにそうなっていた。たぶんそれは、個人個人を識別する必要性の要請、つまり人口の稠密化が進むにしたがって起こったことではないだろうか。
 顔で人を区別する過程で、ある偏向が生まれる。傾向が出てくる。そして長い年月の間に、それらは固定化し、文明化の過程で文化がしだいに融合され、たぶんいまは、大多数の人類が、おなじ女や花をみて「うつくしい」と感じるようになった。しかし、それらの美しさは、美しさの源から派生したものではない。われわれの感動はけっして機械的なものではない。
 「美しい花がある。花の美しさというものはない。」高校生のときに読まされた小林秀雄のことばは謎のようだった。(いまはなぜ、あの謎を生徒に投げかけないのだろう? たぶん、教員たち自身が「勘違い」や「忘却」を怖れるようになったからだ。)
 感動がある。感動しかない。
 小林秀雄はそう云っているように聞こえる。
 ときに男は(あるいは女は)、「あんな女(男)のどこがいいのか!?」と親友から憂慮されても一途にその異性を追いかける。「美しい女がいる。女の美しさというものはない」。感動がその人間の行動を引き出していく。
 「オレは美人に強い」かってにそう思っていた。いまも思っている。たとえば、ミロのビーナスモナリザには「なんも感じん」。いわゆる美人には感動を覚えなかったからだ。だけど、気がついてみたら、木村伊兵衛の50年以上前の秋田美人が待ち受け画面になり、サヘル・ローズさん(の顔)をみなにも見てほしくて切手を買ってきた。「うつくしい女がいる。女の美しさというものが何かある。」それは、われわれの大いなる偏向なんだよきっと。
 その謎は、謎のままにしておこう。そうしないともう感動できなくなる。大切なのは「実際に美しいかどうか」ではなくて、「感動するかどうか」なんだと思う。心が動くかどうかなんだ。

 先週の水曜日、仕事から帰ってきたらチビの腰が立たなくなっていた。あわてて二歳のとき発病して以来の主治医に診せると「とにかく預かりましょう」と云う。もう5年以上の闘病生活ということになる。前回のピンチから立ち直ったとき、「先生のおかげです」と云うと、「いや、ガロちゃんのホントの主治医はあなたです。わたしはもうあのままやせ衰えて死んでいくと思っていました。」と云った。
 そんな医者だから「きっとまた何とかなる」とすべてをまかせて帰ってきたのだが、その夜の静かだったこと。翌朝、階下に下りていくと居間がガラーンとして見える。寂しいとか悲しいとかいうことばで表現できるようなもんじゃなかった。おそるおそる電話をすると「今日はじぶんで立ち上がりましたよ。もう一日あずかりましょうね。」ほっとして、それから次の日まではそわそわそわそわ。
 もらい受けに行ったら、やせ細っていたが、目に力がもどっていたので「ホッ。」
 ご飯も食べるようになったし、待ちきれないときは、キャンキャン催促する。それがうれしい。鼻もしっとりなっているときがふえた。後ろ足の踏ん張りもきくようになった。昨日はひさしぶりに二階まで自分であがってきて、こちらをじっと見つめる。「オシッコに行く?」そう聞いたらもう階段まで先に行って待っている。我が家の日常がもどってきた。
 医者からは「四日間は静養させるように」と云われていたのだが、待ちきれなくて、今朝やっと五日ぶりに三人揃っての散歩をした。「またいっしょに散歩できてよかったね。」ガロがぐいぐい二人を引っ張っていくので、気になってピッピをみてビックリした。仕合わせそうな表情になっているのだ。息子のガロにひっぱられるのに歓びを感じている。「こいつはホントの天才なんだ」。子どもの時、ハモニカを吹くとそれに合わせて歌い出したのにはびっくりしたし、小さなガロが来て、二人並んでドッグフードを食べているとき、先に食い終わったガロが物欲しそうにピッピの皿を覗きこむと、二口ぶんぐらい残して後ずさりしたのには感動した。直後にガロは顔を突っ込んで平らげた。二人が親子になった瞬間を目撃したと信じている。
 そういう天才たちがわれわれを人類にした。そしていまわれわれもその天才たちどうようなんだと勘違いして人生を楽しんでいる。

 搦め手から本題にはいるはずが、やっぱり搦め手だけになってしまった。
 書きながら思いだしたことがある。
 松岡正剛は「いいですか。ことばの仕組みが物語をつくったんじゃありませんよ」と云う。「物語を語る、ものがたり方がことばの仕組みを作ったんです」。
 吉本隆明は、実用がことばを生んだのではなく、芸術的感動がことばを生んだんだ、と云っているように思える。
 白川静は、「少なくとも漢字のもととなった象形記号は、音声言語に先だって生まれた」と云う。
 かれらのイメージしていることには共通性を感じる。
 それは、0からものを考える発想だ。初発へのこだわりだ。その初発のとき「美しい花」はあっても「花の美しさ」はない。その初発のときわれわれは感動し、我が身が「揺るぐ」。それは「我が身」のみに起こることだ。「我が身のみに起こる」ということに普遍性がある。
 ポーランドの詩人シンボルスカのことばも思いだしたから書く。上のことと関係あるのかないのかは、いまは考えない。
 「私たちはベッドを共有することができます。ひょっとしたら恋人を共有することも可能かも知れません。しかし、『マルテの手記』の感動を共有することはできません。それはまったく個人的なものなのです。」
 きっと関係あるんだよ。
 
別件
 グループ・ホームに行ってきた。
 息子の顔を見るとうれしそうにして、柔和な表情になる。
 「オレも入れ歯をつくることになった」と言うと笑いだした。が、その後はまたすぐに、息子の知らない世界にもどって行った。