石原吉郎 麦

 いくら読んでも偏差値は上がりそうにない国語プリント

今月の詩                  2016年3月

 新聞のちいさな記事に(新聞とネットのいちばんの違いは、新聞は自分にとってはどうでもいい情報だらけなので、自分の知りたいことを探さねばならないこと。生きていくうえではこの「探す」ことが大切なのです)「ホモサピエンスはなぜネアンデルタール人に勝ったのか」という新説が載っていた。
 ネアンデルタール人ホモサピエンスはけっこう混血している(つまり、我々の中にはネアンデルタール人のDNAがけっこう生き残っている)ことが最近分かってきたのでワクワクしているところだった。
──ホモサピエンスはオオカミ(のちの犬)を味方につけて狩りをするようになり、自分たちだけでの狩りを続けようとしたネアンデルタール人に勝った。

 数年前、友人が「オレたちはどうして〝美しい〟と感じるんだろう?」と言い始めて「うーん。」
 たしかにわれわれは「美しさの基準」にもとづいて「美しい」とか「美しくない」とか判断してはない。「美しい」という感情は方程式に会わせてオートマチックに湧いてくるわけではない。皆が同じものを同じように「美しい」と感じるようになったら何とツマラないことだろう。ニンゲンをやっている楽しさは、「分からない」ことを恐れない勇気から始まる。
 「なぜ美しいのか?」
 「分からん。分からんけど美しいものは美しい。」

 「好き」という感情もいっしょだ。
 我が家に犬が現れてから20年ちかくなる。
 一代目は職場に現れた迷い犬だった。なんとなく学校でみんなに可愛がられて居ついたのだが、「ゴールデンウィークの間は誰が面倒をみるんだろう」と思って家に連れ帰った。以後、リー(生徒たちはダイゴロウと名づけていたのだそうだがメスだった。学校が再開されてダイゴロウのことを知った生徒が何人もオヤツやドッグフードを届けてくれた)とは相思相愛。まだ忙しかったころで、夜になってやっと帰ってくるとリーはまだご飯を食べていない。「リー、ご飯は?」と声をかけると「ウー」と体を押しつけてくる。「ゴメン。寂しかったとやね。ゴメン、ゴメン。」と体をゴシゴシしてやると、急に思い出したようにお皿のほうに行ってガガガッ。(どうしてこんなにまで好きになるんだろう?)
 いまは二代目のピッピと三代目のガロがいるが、二人の好きなものは「ご飯」と「サンポ」と「お父さん」。(お母さんも好きだけど、お母さんは好きなのと同時に「ちょっと怖い」らしい)
 お父さんが二階に上がったら自分たちも二階。下に降りたら自分たちも下。外に出たら自分たちもお外。子どもの頃は、お風呂に入ったら「自分たちもお風呂」(指鉄砲でお湯をかけられると閉口して外に出るが、お父さんが出てくるまで脱衣場で番をしていた。)「トイレに入ったら自分たちもトイレ」ピッピたちとにらめっこをしながら用を足すにはそれなりの熟練が必要だった。
 仕事に出て行こうとすると玄関に来て、キャンキャン抗議をした。
 嫌いなものは「お風呂」と「お父さんはお仕事」
 風呂にいれる準備を始めたら二階に逃げていって下の様子をじーっとうかがっている。迎えに来られたら諦めて抱っこされる。「はい、きれいになろうね。」
 学校に行く日の朝のサンポは短い。「まだ行くゥ」と言うので「今日お父さんはお仕事」と言うと「そうかぁ。お仕事かぁ。」諦めて帰り始める。家で着替え始めると、もう近くに寄ろうとはせず、遠くからただ他人を見るような目でじーっと見ている。「もうボクたちのお父さんじゃなくなっている。」

 お父さんやお母さんやジイジやバッパや、幼稚園の先生と遊んでいるときの幼児たちもそうだ。夢中になっておっかけっこをしている。(どうしてあんなに100%信頼しきることが出来るんだろう?)
 われわれだってきっとそうだった。お父さんやお母さんやジイジやバッパが大好きで、自分への愛情を100%信頼していた時期がきっとあった。(でも今は、、、。)

 大昔、人間に出会ったオオカミたちは、人間といっしょに行動するのが面白くて仕方がなくなった。そうしていつの間にか人間を好きになってしまった。毎日分け前のえさをもらっているうちに「ボク」も「ワタシ」も、自分はその人の子どもだと思い込むようになった。それを「どうして?」と元オオカミたちに訊いても「? さぁー。」人間のほうも「オオカミたちをだまして、利用している」と思うのではなく、異種協力にワクワクしているうちにかれらを自分の子どものように(人によっては自分の子ども以上に)可愛く思うようになった。果敢に自分より大きな獲物を追いつめていく「オレのオオカミ」を、「かっこいい!」と思うようになり、一匹ずつ名前をつけていった。
 我が家のピッピもガロも名前を呼んでもらうのが大好き。じっとこっちを見て声をかけてもらうのを待っている。「ピッピ」「ガロ」と呼ぶと瞬間的にイキイキとなってムクッと立ち上がる。(14歳のピッピは耳が遠くなってきたので、最近「おいで、おいで」を教えた。すぐに覚えた。こちらをジィーっと見ていたら「おいで、おいで」をすると突然駆け寄ってくる)

 今年度最後の「偏差値は上がりそうにないプリント」で老教師が君たちに伝えたいことはもう分かったと思う。
 ひょっとしたら「美しい!」と感じることも、「好き!」と思うことも、単なる勘違いの所産なのかもしれない。単なる思い込みなのかも知れない。
 しかし、老教師は断言する。
 ホモサピエンスが幸せを獲得したのは、その「美しい!」と感じる能力、「好き!」になる能力を備えたからだ。
 その「美しい!」や「好き!」は、場合によっては幸せとは反対の不幸のもとになる危険性もはらんでいる。それでもホモサピエンスは自分たちの新たな可能性に賭けて生きるほうを選んだ。
 これからだってきっとそうだ。
 
 風邪で寝込んでいた我が家の魔女がやっとすっきりした顔になって起き出してきて、「へんな夢を見た。」と言う。
──ガロが二階から飛び降りたら、下でライオンが待ち構えていた。ガロを噛みそうになったライオンに力いっぱい石をぶつけたらライオンは逃げて行った。
 「ガロ、良かったねぇ。」

 今月は、深く尊敬している石原吉郎の詩を紹介します。
 かれはソ連(現ロシア)が日本に宣戦布告したとき満州にいて、民間人なのに捕虜にされた。しかもソ連の裁判所でソ連の国内法にもとづいて有罪判決を受け、ソ連政治犯(いろんな国籍の人がいたそうだ)と一緒に重労働をしたという経験をもっている。
 5〜6年後やっと帰国した石原吉郎失語症に陥る。それから救われたのは「詩を書くこと」だった。
 そんな経験を持つ詩人の「沈黙するためには言葉が必要だ」は、老教師のいまを支えてくれている。
 徒刑囚として重労働をした帰りに見たカザフスタン(当時はロシア領)の大地に広がる麦畑の光景が、詩人には忘れられなかったらしく、彼の心象風景そのものになっていた。麦畑の数多くのなかの一本の麦。(それはどの麦であっても良かったはずだ。)それが自分自身だと。自分自身でありたいと、詩人はきっと祈るような気持ちでこの詩を書いたのです。


           麦 石原吉郎

       いっぽんのその麦を
       すべて苛酷な日のための
       その証(あか)しとしなさい
       植物であるまえに
       炎であったから
       穀物であるまえに
       勇気であったから
       上昇であるまえに
       決意であったから
       そうしてなによりも
       収穫であるまえに
       祈りであったから
       天のほか ついに
       指すものをもたぬ
       無数の矢を
       つがえたままで
       ひきとめられている
       信じられないほどの
       静かな茎を
       風が耐える位置で
       記憶しなさい

 石原吉郎の詩文集『望郷と海』は、退職するとき図書室に寄贈するつもりです。

 これで「今月の詩」は終わります。
 でも、ひょっとしたら四月からも西陵に来られるかもしれんないという密かな期待をもっている。なぜなら、どうしてだか分からないけど、いつの間にか「西陵が好き!」。この歳になってそんなことになったのか、ただただ不思議だ。「どうして?」と訊かれても、「? さぁー。」