雲雀よ!〈1〉〈2〉

雲雀よ!〈1〉


 最高気温がマイナス3度の福岡なんて想像できなかったが、現実になったみるとけっこう面白かった。
 学校についたら「あーら先生、いま休校と決まりました。」
 せっかく出てきたから午前中は学校で遊ぶと決めて、一室にストーブを二つつけて授業の準備に熱中したのはいいが、食堂も開いていない。非常食のカップ焼きそばを食いながらパソコンに向かった。
 外では自転車を押して登校してきた生徒が雪合戦に興じている。(その前週教室に行くと「先生、これ!」二十センチほどの雪だるまを見せにきた。目が黄色、口は赤。──チョークを利用したな。──)
 反対側の校舎では三年生が黙々と受験勉強をしている。
「ここは学校なんだな。」


 友人からのメールにあった「巡礼」ということばが急に気になって、「英語なら何だろう?」と辞書を引くと「プリグリム(pligrim)」とある。(なんだ。「プリグリム・ファザーズ」のプリグリムってそういう意味だったのか。)
 そのピューリタンたちが上陸した東海岸に遺っている墓には十字が刻印されていないという月本昭男の報告はいろんなことを妄想させたが、いまは、「彼らは原罪を放棄したんじゃないか」という補助線を引いてみている。大西洋に乗り出すとき彼らは過去と訣別して「いま」だけを選んだ。そのとき彼らは自身をプリグリムと呼んだ。その子孫から見たら、『奥の細道』の旅もまた「プリグリム」であるはずだ。ひょっとしたら現在は、日本語で『奥の細道』を読む人々より、英語で読む人々のほうが芭蕉に随伴している可能性が高い。

「Nothing in the voice of the cicada intimates how soon it will die,」と不意にテディーが言った。「Along this road goes no one,this autumn eve.」
「何だって?」とニコルソンがほほえみながら訊ねる。「もう一度いってみてくれない?」
「これはふたつとも日本の詩。両方ともあまり感情を詰め込んでいない」
                ──『テディ』──
 それがどれほど俳句の世界とは乖離していたとしても、訳者やサリンジャーはそういうふうに読んだのだ。「蝉の声のなかには何もないということが、そのすみやかな死を暗示している」

 クラカワーの『荒野へ(Into the wild)』にのめり込んだ時のことを思い出した。
      ──砂漠へ行くがいい。巡礼者と亡命者たちよ──第四章に掲げられている言葉。──
 たったひとりでアラスカの荒野に分け入って死んだマッッカンドレスを理解するために、クラカワーはワシントン州知事の従弟でありながらアラスカのヒッピー村の村長をしているロッセリーニに会う。「現代のテクノロジーと無縁でいられるか、それを知りたかった」と言うロッセリーニは友人への手紙で次のように書く。
 「私は大人になってから、石器時代生まれになることができるという仮説のもとに生活をはじめました。私はプログラムを作り、この目的だけに専念したのです。ここ十年間、肉体的にも、精神的にも、感情的にも、石器時代の現実を体験したと言えるでしょう。しかし、仏教的な言い方をすれば、結局、純粋な現実( Pure reality ──「ナマの現実」と訳すほうが分かりやすいのではないか──)と直面する場がやってきたのです。われわれのような人間には、土地が与えてくれるものだけを食べて生きていくのは無理であることがわかりました。」(佐宗鈴夫訳)
 クラカワーはその「純粋な現実と直面する」ことを「濾過されていない経験」と言い換える。たぶん仏教の伝道者は、日本語の「真」を「Pure reality」と表現したのだ。それとの「直面」や「経験」がつまり「求道」。「The norrow road to a far province」は、きっとそういうふうに読まれている。
(後半を「into the deep north」と意訳しているものもある)
 われわれはいま、「濾過された現実」に取り囲まれている。別に否定的な意味合いを持たせているつもりはない。文明社会は現実を濾過する装置として発展した。しかし、「濾過されていない現実」は常に周辺や中心に散在しつづける。「文明の滅び」を口にする人々は、自分が「濾過された現実」しか知らないことを問わず語りに吐露しているに過ぎない。なぜそんな変な言い方をするのか? 「濾過されていない現実」──それを「野蛮」と言い換えるほうが、「濾過された現実」の住人には分かりやすいのか?──はいつの時代であっても、いかなる場所であっても「聖」なる事柄に属するからだ。

 いま気づいたこと。
 ヤマとは、聖と野蛮が一体化された「場」のことだ。たとえば火山の火口。それが「ヤマ」がもともと指していたものなのかもしれない。歌舞伎の「おやま」もまた相反するものが一体化した存在だったのだろう。

 もう三ヶ月以上になっている山本七平『聖書の旅』も、いよいよ終章を残すのみになった。
 一章読んだら「ほううっ。──続きはまた次回。」
 たとえば、砂漠のまんなかにあるイスラエル軍の基地に立ち寄ったときのことを著者は次のように報告する。
 中世には十字軍が盤踞していた水場は古代から幾多の争奪戦の対象だった。周りには何もない。近くに街があるわけでも山があるでもなく、緑が見えるわけでもない。ただ砂礫しかない。イスラエル軍はそこの兵士の駐屯期間を一ヶ月と限定している。「それ以上いさせると除隊後に社会復帰の難しい者が出てくる。」──そんなところに何年もいつづけた西洋人は気違いだったとしか思えない、と著者は書く。
 「そういうことか。」と思いあたったことがある。
 イラクに派遣されていた自衛隊員に自殺者が何人も出たという記事を読んだが、それを週刊誌や野党が取り上げないのが不思議だった。たぶん自殺の理由がつかめずに、下手に大騒ぎすると自分たちが火の粉をかぶる危険性を感じたのだろう。
 日本人はたぶんイスラエル人以上に群れのなかで暮らすのが常態だ。その群れを失ったときの自分を想像することさえできない。

 「ムレ」という地名が各地にある。たぶん人家の密集していたところ。「ムラ」は反対に人家が散在しているところ。ムラが行政単位として残ったのに対して、ムレは地名としてのみ残っている。たぶんムレは、区画化された住宅域をあらわす「マチ」にその呼称を譲ったのだろう。

 病床の富永太郎を訪ねたあと小林秀雄が手紙を出している。
 「君は知っているか? どんな余計者でも断じて生き延びねばならぬ。」
 富永太郎は療養先から雑踏を求めて死期を早めた。そのことを大岡昇平は「富永は自分の詩に殉じた」のだと言う。
  ──私には群集が絶対に必要であった。徐々に来る肉体の破壊を賭けても・・──
 でも、富永太郎を殉教者あつかいするのには違和感を覚える。かれは群れにまぎれこんで匿名化する喜びをもう一度味わいたかった。ほかの若者同様「ひとりっきりで死ぬのは嫌」だったのだ。

 イラクから帰ってきた日本の若者たちは、戦闘の危険から来る緊張感から解放されてエアポケットに陥ちたとも考えられるが、砂漠のど真ん中のただ何にもないところで生きている間に、かれらから何かが欠落してしまったのではないか。その何かをあえて想像するなら、「いいお日和で」とか「昨日の雨はひどかったねぇ」とかいうような、ほとんど意味をなさない会話へ恐怖を覚えない何か。周りの人々が無言で、自分に対してまったく無関心であることに平気でいられる何か。

 いくらも読んでいるわけではないが、この『聖書への旅』を書くことが山本七平にとって最大の宿題だったのではないかと感じる。その宿題を彼は果たした。その中でも白眉は終章直前の『裏切り者の謎 ヨタファタ』──フラティウス・ヨセフス──
 レヴィナスの『困難な自由』を読んでいるとき生理的な嫌悪感がこみ上げてくるのにやめられなかった、という話は何度もした。これからも酔ったら同じことを言いそうだ。でも、あの嫌悪感は二度と味わいたくないからレヴィナスをもう一冊読むことは考えられない。(続けて詠んだレヴィナスの親友だった自称王党派ブランショのことばには、もう一度触れたくなる時がいつか来るはずだが。)
 水平方向の奥にある無間地獄を覗きこまされているような読書が終わったあと、「一神教というけれど、この人たちの一は究極の数字であって、その隣には0しかなさそうだ。」と思うようになった。0と一との絶対矛盾的自己同一。

 残すは終章『マサダ』。その最後の頁を開いたとたんに目を離せなくなった。
────確かに彼らは「神かカイサルか」で妥協はなく、神が絶対であった。そのためには死も滅びも恐れず、それを言葉ではなく、実行し得た。だが、何かを絶対化することは自分の生き方を絶対化し、それが絶対化するためにすべてが許されることにもなってしまう。・・・理想は収容所群島を生み出し、純粋は暴力派を生む。そのため絶対主義はしばしば徹底した虚無主義になる。そのことをヨセフスは身をもって知っていた。それが生きつづけてすべてを記そうとした理由であろう。
 ・・・イエスパウロも、共にガリラヤ人であり。共に神を絶対としながら、絶対は同時に虚無に通じることを知っていた。それゆえ、黙って自らが砕かれた。・・・

 自分の旅も、マサダを目指していた。が、まだそこにたどり着きたくない。


 授業開始前の黒板に、全豪オープン・テニスで三回戦に進出した大坂なおみのことばを書いた。
 「引っ込み思案のわたしがテニスをしているときだけアグレッシブになれる。それが楽しいの。」
 書き終わって振り向くと、赤点王の野球部員が、まるではじめて恋を知ったばかりのような顔で黒板を指さして、「先生、それ!」と言ったきり顔をそむけてしまった。きっと「テニス」を「野球」に置きかえたら自分自身になると感じたのだろう。
 かれは新チームで守備の要のキャッチャーを任されているという。
2016/01/
                
雲雀よ!〈2〉


 何とか熱が下がって学校に行った。一年生の教室に入るとさっそく二人組が話しかけてくる。
 「先生、いま何時ですか?」
 「ごめん、私は時計を持っていない。」というと、もう一人がぬっと目の前に腕を差し出す。手首にはサインペンか何かで腕時計が描かれている。びっくりしてバチッと肩をたたくと「わぁ痛い!本気でたたくっちゃもん。肩の骨が折れた!」
 でも、センセイのリアクションに大満足したらしい。
 数日後、4Fにそのかたわれが姿を現した。
 「肩の骨折は治りましたか?」
 「はい、治りました。ありがとうございます。」

 最初に韓国に行ったとき出会ったアメリカの若者(こちらも若者だったけど)の話はしたことがあると思う。
 ユースホステルでたまたま同室(こちらの第一声は「靴を脱げ!」)になったのだが、ただ「寒い、寒い」を連発してオンドルの効いた床から離れようとしなかった。翌日起き出してみると一面の雪。「起きて外を見ろ!メニー・スノウ!」彼は布団から顔だけ出して「マッチ・スノウ!」と言い返してまた布団をかぶってしまった。(そうか、雪は数えられないか。)それでもその日は終日いっしょににグチャグチャおしゃべりをしながらソウルの街を歩き回った。あとで思い出したらそのおしゃべりの大半は彼の前半生の問わず語りだった。
 彼がベトナムから帰還してみると、街はあまりにも豊かで平和で、人々は戦争参加者をまともな人間としてあつかおうとしない。その差別的な視線に「オレはこの人たちに何をするか分からない」という恐怖を感じて故郷を脱出しオーストラリアに渡った。たどり着いた町には、身近にベトナム派兵者のいる人がけっこういて帰還兵に優しかった。たぶんオーストラリアでは、対日戦争からベトナム戦争まで一続きだったのだ。
 そこでお金を稼いでから、もう一年近くアジアをうろついているのだというが、そろそろお金が乏しくなってきた。「このあとは東京に行って英会話の教師でもやるか」

 自分探し、ということばが流行った時期がある。でも若者たちが探していたのは「自分」じゃない。自分の居場所を探していたのだ。その居場所とは具体的な地所を指すのではなく、むしろ「人間関係」と言い直すほうが適当だった気がする。自分にとって居心地のいい居場所(人間関係)を見つけること=自分探し。
 十七・八歳のとき、「ここはオレの居場所じゃない」と故郷を離れた者は大勢いただろう。いま思えば自分もそうだった。そこで居心地のいい人間関係に出会えたのは幸運だったが、それでもやはり「ここにこれ以上いたらオレはダメになる。」
 ただし、戻った故郷で新たな出逢いがあったのは、ただただ幸運だったとしか思われない。「オレには何にもないけれど、人間にだけは恵まれている」そう思い込んで、これまで生きてきた。それにしても六十を過ぎてからまた新たな出逢いが待っていたなんて。

 『マサダ』を読み終えた。
 なぜマサダのことが世に知られるようになったのかを知った。
 立てこもった人々が互いに環視付きで集団自殺していったなかで、孫たちを匿った冷静な女性がいた。その生き残りによって、ヨセフスはそこで起こったことを『ユダヤ戦記』に書き記すことができた。
 『ユダヤ戦記』は、聖書以外は読まないプロテスタントにとって唯一の補助教材だったのだそうだ。聖書(それも一筋縄では解けないものに思える)を理解するために参照する具体的事実が書かれているもの。
 その『ユダヤ戦記』は日本では長く紹介されず、やっと70年代に入ってから翻訳が出版されたのだという。日本人にとっては新約聖書それ自体が「濾過された現実」だった(旧約聖書はだいぶ違う気がするし、日本ではそれほど読まれてはいまい)としか考えられない。いや、四書五経をはじめとして、のちの民主主義も、フランス革命も、ロシア革命も、中国革命も、この国に到来したものは多分すべてがそうでしかなかった。だったら、われわれは、これからもまたそうである覚悟を持つしかない。

 六十前後になってロマン・ロランフランス革命ものを読んだ。──オレはこういう戯曲を書きたかったんだな。(もちろんそれは能力的にあり得ないことではあったけれど)──登場人物の誰にシンパシーを覚えることも出来ない戯曲群。そのなかで唯一『愛と死との戯れ』がいまも上演されるのは、敢然と処刑される道を選ぶ主人公とその妻に観客が思い入れをすることが可能だからだろう。

 『イナンナの冥界下り』を観てきた。
 第一の目的はシュメール語をナマで聞くこと。二つめは、いったいどんな「能」になるのか、という興味。
 ギリシャ劇風の能になるんじゃないかなと予想しつつ、会場でパンフレットを受け取ると、出演者一覧のなかに「コロス(コーラス)」隊がいて「やっぱりそうか。」
 あとで訊くと、そのコロスの合唱も安田師が作曲したのだという。
 が、大英博物館で上演される(あるいはイギリスで上演するときは英語? フランスでは仏語? リトアニアでの上演も決まったというから、そのときはチャトウィンが「もっともヨーロッパ語の祖型に近い」と評していたリトアニア語? あの人ならやりかねない。)一年後までに演出はもっともっと変わる。主役のイナンナを演じた人に「覚悟しておいたほうがいいですよ」と言うと「楽しみです」。あの人なら「天と地を司る神」イナンナを演じきることがきっとできる。
 シュメールの唯一の神イナンナは、姉の支配する冥界を冒して怒りにふれ、七つの霊能すべてをはぎ取られて、ただの肉塊となってしまう。(どこかで読んだことがありませんか?)イナンナを失った地上ではいっさいの生命が活力を失う。(どこかで読んだことがありませんか?)事態の深刻さを知った天の父は小さき者に「命の水」と「命の草」を与えて冥界に潜入させる。(どこかで読んだことがありませんか?)命の水と命の草によって甦ったイナンナは地上に光をもたらす。(どこかで読んだことがありませんか?)
「イナンナ。天と地を司る宮廷娼婦、われらの唯一の神」というコロスの合唱で終幕。
 宮廷娼婦という訳は、安田師の解読なのか解釈なのかは知らないが、基本的に彼は正しい。(と思う。)
 聖娼婦(Scred prostitute)という言葉を知ったのは最近のことだ。それはたぶん、古代の神殿に侍り、神と人間を媒介していた女性たち以来の存在であり、概念なのだと思う。──中国の「巫」もまた同様の概念だったはずだ。孔子はその「巫」の子(非嫡子)だった。──そこでは「engaige(契約・婚約)」することは具体的行為そのものだった。以前、勝手な発明のKM語について書いたとき、「カム」や「クム」や「コム」などを総称して「食と殖」と呼んだのはそういう「性」のイメージだった。
 「シム(占・染・締・絞・湿・閉)」もまた性的なイメージ抜きの解釈はあり得ない。
 万葉の時代には女が男に自分の下帯を渡すという風習があった。岩波古典体系の注を見ると、当たり障りのない解説になっている。でも、事実はそのものズバリの意思伝達だった以外には考えられない。
 思いたって隣室のフィリップに「女神≒娼婦」説を開陳してみた。(サッカーのナショナルチーム入りを望んでいたという若者なのだが、アスリートである以上に知性を感じさせる。かれもまた「自分探し」をしているうちに福岡に居着いたのかもしれない。)フィリップに限らずイギリス人の好ましいところは、こちらのしどろもどろの英語を辛抱強く聞き、随所に「Rjght」、「Right」と相づちをしてくれる。が、聞き終わって「お前の言いたいことはわかったが、我々にそういう文化はない。」でも、「Sacred prostitute」という言葉があるのだから、そういう文化があった(・・・・・・)のだ。
 その名残はいまもある。日本の従軍慰安婦をかれらはけっして「prostitute」と呼ぼうとはせず、「Sex slavery」。それは、必ずしも韓国の広報が成功したためばかりだと思わない。(それにしても何という「アイデンティファイ」だこと。いや彼らのアイデンティティとはまったく関係がないから声高に主張できる。彼らにとって彼女たちは「白民」だったのだ。)少なくとも今でもProstituteには社会的規範からは埒外のイメージがあるのだろう。
 
 「ヤマ」についての妄想をまとめておく。
 ヤマの中心(消失点と呼んだ所)は、聖と蛮が拮抗して一つになっている。もともとわれわれが「ヤマ」と呼んでいた場所は火山であり、その中心の火口ではなかったのか。──梅原猛は、「古地図で〝水〟となっている所はすべて出湯だった、と書いている──そこは最も聖にして蛮なる所。炭坑の「ヤマ」は地底へと開かれている坑口がその中心にして消失点。そうやって類推すれば犯罪担当者が「ヤマ」と呼んだのは殺人に限られていた気がしてきた。「殺」もまた最も蛮にして聖なる行為。歌舞伎のおヤマとは、両性が拮立しつつ一体となった存在。

 『聖書の旅』のあと、白川静『中国古代の文化』を開いた。
 そのなかで筆者は言う。
 「古代社会においては、すべて(の存在)が聖なるものであった。・・・俗なるものも神意にかなったときのみ存在しうるのである。
 「聖」とは、神の声を聞くことのできる者のことである。・・・聖者とは、風のおとずれによっても神霊を覚知する者であり、したがって「聖」は神ではない。神の声を聞く、神にもっとも近い人である。」
 さらにこう続ける。
 金文では、俗と欲とは同字だ。
 「イ」と「欠」は「人」。「口」は「祭器」。その上の「ハハ」は漂う神気を表している。
 なんだ。それじゃぁ、「ハッハァー!」じゃないか!


 今週はグループホームで母親に添い寝をした。一時は頭のなかで「その後」の段取りを考えていたが、また穏やかな日常が甦った。これからは、こういうことの繰り返しになるのだろう。
 二日目、スタッフのリーダー二人が「ちょっと」と事務室に誘い込んだ。
「わたしたちはお母さんが大好きです。ですから、お母さんには最後までここで自然な過ごし方をして戴きたいと思っています。わたしたちにできることは全部します。ですから、」。その真心がうれしくて、所沢の姉に「もしかしたら会えないままになるかもしれないけれど」と電話をした。
「大丈夫。うん。もう何遍も会っているから。」
 きっと帰るときはいつも、「これがお別れになるかもしれない」と思いつつ「じゃ、また来るね。」と声をかけてきたのだろう。
2016/02/26