沖縄の話をしよう

2013/06/22

今日は沖縄の話をしよう

 もう夜中の12時半だけど、いい気持なので書きます。今日は、(いや実際には昨日はになった)国語科の歓送迎会だったのです。
 他校に転勤になった人も駆けつけてくれたし、あたらしく三人も迎えた。非常勤のくせにそれがうれしくて、転勤した人と知らないうちに結婚した人にはアンドウ珈琲のドミニカを(高くなったので百グラムずつ)持っていった。嗜好が合えばいいんだけど。
 転勤した人に、図書室司書の女の子が『どうして僕はこんなところに』をわざわざ市民図書館から借りてきてくれた、という話をすると、
──そうなんです。そういう人なんです。
 見るひとはちゃんと見ている。だからこの世界は生きるに価する。
 新婚さんは沖縄出身。最初のころのものすごく緊張している横顔を「きれいだ」と感じた。いっぺん感動したひとのことはずっと忘れない。(前回の話とどこか矛盾しているな)最近はやっとフツウの表情になっている。
──ああ、よかった。
 京風懐石の店だったんだけど、相変わらずおいしいうえに、(ハモ料理は最高だった)隣席のいつまでも女学生のような感じのひとからつがれるので気持ちよく酔っぱらって、またもやひとりで何やらしゃべっていた(気がする)。
──○○先生。わたしは学生時代に一度だけ沖縄に行ったことがあります。
──何年くらいまえですか?
──学生時代なんだから40数年前になるな。
──でしたら、まだパスポートが必要だったころですね?
 このひとは頭のいいひとなんだな。いちど「授業を見学させてください」と声をかけられて話したとき、そう感じた。今回はその受け答えでなおさらそう感じた。ことばに無駄がない。
 まえにも話したはずだが、沖縄返還が日程にのぼりはじめたころ、学生たちのあいだに「独立しよう」という動きがある、というのがピンとこなくて、ちょうど当時の二万円が手に入ったとき、ともかく行ってみようと思った。
 そのころ可愛がってくれていた西日本新聞政治記者(当時は田中角栄つきの、いわばエリート記者だった)に「沖縄に行ってみる」と言うと、「じゃあ、いまオレの友人が支局にいるからそいつに会ってこい」と免税店でウィスキーを買う金を渡された。それを届けに支局にいくと、自分の目で見て、自分の耳で聞いてから、帰りにもいちど寄れ、と言う。
 45日間うろついた話は、たしか欧州旅行記のなかに書いている。
 約束通りに帰りがけに挨拶に行ったら、スタンドバアに連れていってくれた。思ったことをそのまま言ってみろ、というので、以下のようなことを言った。
 沖縄はこころから好きになった。でも、沖縄の問題はなによりも沖縄内部の問題だと思う。沖縄は自己矛盾している。
──そうなんだよ! それがいちばんの問題なんだよ!
 アルコールのはいった友○さんはカンターを叩きそうな勢いで、現地のバーテンダーをまえにして大声をあげた。(こんな純なひとに新聞記者が勤まるのか?)現実主義者は心配になるくらいだった。
 のち、福岡にもどったとき、タクラマカンだったかゴビだったか、砂漠地帯をジープで走破する企画記事の署名がその友○さんだった。「ああ、このほうがあの人に似合っている」その後のことは知らない。ひとまわりほど上に感じたから、いま元気なら70代後半だろう。
 コザ出身だというその女の子に「あなたにだから言うね」と、その時の感想をそのまま伝えた。
──40年前といまと何にも変わっていません。
 そんな率直なことばを聞いたのははじめてだった。(このひとはホントに聡明なひとなんだ)
──国語の教員はいつも自分が試されているみたいで、つらいところがあるけど、辛抱してつづけなさい。いつかきっとワタシみたいに「国語の教師でよかった」と思うときが来るから。
 というと彼女がこちらの目を見ながらうなづいた。
 結婚相手はアルバイト先で知り合った、おなじ沖縄出身だという。いつかその人にも会えそうな気がする。
 あの田中角栄付きの政治記者は何かを若者に手渡そうとした。友○さんもだ。それはまったく無私の行為だった。だったらオレもまた同じことをする。それがただのカリカチュアであってもだからといって何ひとつひるんだりしない。

別件
 歓送迎会の場所は、25年間つとめた学校の教え子の親の店だった。それもあって当時はずいぶんお世話になっていたから、帰りがけお母さんに挨拶をした。
──ああ、どこかでお会いした方とは思いましたのに思い出せませんで失礼しました。その節はありがとうございました。
 いいえ、こちらこそお世話になりました。
 息子のこと、ご主人のこと、手短に近況報告してくれた。イギリスに行っていた息子がもどってきて、跡を継ぐと意思表示した。いま鍛え上げてもらっているところですとうれしそうだった。担任だった男に伝えておきますね。きっとあいつも喜ぶでしょう。
 そんな話を横で聞いていた別の団体の30代と思われる女性がとつぜん、
──先生ステキ!
 と声をかける。
──イロっぽい。しかもチテキ。
 あなたはもう酔っぱらっています、というと、
──いいえ、酔っぱらってなんかいません!
 この歳になってそんなことを言われても、もう何の役にも立たないよ。
 そういえば学生時代、三島某が「タテの会」を作ったとき、ダジャレ男が「オレたちはタタずの会を作ろう」と言い出した。そのくせのちに立派な男の子をはらませやがった。「やるじゃねぇか」
くだらんダジャレを言うな!とひいた方は、空砲をうつのにも疲れて、チビ二匹が孫代わりである。「人生ちゃそげなモンたい。」
 でも、国語の教員をやめないでほんとうに良かったとつくづく思う。せんせい、ありがとうございました。