雑報

2013,6,23

 ガロの体調が日増しに目に見えてよくなっていく。昨日は玄関先のベンチに助走なしで飛び乗ろうとした。さすがにズリ落ちかけたから、あわててサポートしてやった。気がついたら自分で二階にあがってきていることもある。
 それにつれて困ったことがふたつ。
 散歩のときの拾い食いの癖が甦った。飲み込めそうなものなら何でも「ゴクン」。だから、油断もスキもない。昨日は「コラッ」と口のなかに指をつっこんで吐きださせようとしたら指を噛まれてしまった。「強気になったねぇ。おまえ」
 あとひとつは、家主様を無視するようになったこと。退院して以来、お父さん一辺倒になっていたのだが、あさ顔を合わせても挨拶もしなくなったという。「もう全然かわゆくない」。これは困ったことではなくて、愉快なことかな。
 もともとガロにとってのヒエラルヒーは、「お父さん→ピッピ→自分」。家主は家主。ものの本によると、犬にとっての序列は二段階までしかないんだそうです。だから、三段階あるというだけで、実はもう天才なのかもしれない。
 
 G夫婦が桂離宮に行った。その報告を聞くのがたのしみ。ただし、現役で忙しいから、夏休みに聞ければもうけ。冬休みになってしまいそう。
 そのことを言ってきたメールに、「桂離宮には外部はなくて、内部しかない気がする」との返信した。なにごとも「先入見なしに」というのもひとつの方法だが、短時間の場合はむしろ、ある視点をもっていったほうが、(その視点がまちがっていても)効率的だ。
 「桂離宮には外部はなくて、内部しかない気がする」というのは、加藤周一のことばを押し広げて考えたもの。が、アメリカ在住(ひょっとしたらアメリカ国籍)の写真家が撮った白黒写真の影響のほうが大きいかも知れない。例によってもうその写真家の名前は出てきそうにない。本人は、「桂離宮がどういうものかも知らなかったから、ただのモノとして撮った」と言う。それが逆に大成功を生んだ。「××をアメリカから呼び寄せて撮らせてみよう」というその出版社の企画の大勝利。そういうことは時々おこる。こちらは「先入見なし」の効果例。
 が、桂離宮は内部のみ説、は、一例にすぎない。この国の文化は内部からでないと何も見えない。(外側からみて理解できる文化はどこにあるのか?という質問はいまは無視。ただ、あらゆるものを言語化しようという西欧の情熱は、「外部から見たい」という執念に取り憑かれた人々とともにある気がする。──なんだ、客観のことか、、、──)
 この国への外部からの批判が、この国の人にとっては痛くもかゆくもないというのは、そういう事情による。「ぜんぜん関係ない」からだ。的外れもいいとこの批判を聞かされても、わざわざそれに反論する気がおこらないのは、人の心理として当たり前のことだ。
 「発信力が足りない。このままでは孤立する」という危惧はその通りなのだろうが、外部的言語で発信しようとしたとき、たぶんそれは別のことを言っているにすぎなくなる。(いちど、ドナルド・キーンの文章を読んでみよう。たぶん、こちらは首を傾げるだけだろう)言いようがない、のです。そのような言語を自分たち自身がもっていないのです。日本語は、外部化をめざして分割されてきた言語ではない。中国語や西欧語をとり入れるときも、自国語そのものに変質がおきないような取り入れ方をした。それが現在の、漢字だらけカタカナだらけの日本語だ。どっちかというと、それで助かった、と国語教師は思う。そうすると、イザヤ・ベンダサンの言った「イスラエル、日本、世界の異端児説」に同意せざるを得ないのかな。
 ではどうするか?
 そのままのことを正直に発信すればいい。
 「あなたの言っていることは的外れです。だから幾らあなたがリキんでも、あなたの言葉は日本人の心に触れてきません」
 「もし、日本を理解したうえで発言しようと思うのなら、ここに来て下さい。1〜2ヶ月滞在したくらいでは無理ですから、ここで暮らしてください。それしかこの国を理解する方法はないと思います。もし、そういう「理解する努力」をする気もないのに日本に向かって発言するのなら、あなたの言葉はわたしたちにとってはただ言語以前の吠え声にしか聞こえません。いくらグローバル化しても、そういう文化がまだこの地球上にはいくつもあるのです」
 もちろんその上で、この国の門戸はもっともっと開けよう。日本語を学ぼうとする人々には最大限の援助をしよう。日本語が話せるようになったら少し、日本語の読み書きができるようになったらもっと、日本の古典が読めるようになったら大半の日本人以上にこの国を理解できるようになる。それは、そんなに難しいことではない。
 むしろ、いまいちばんこわいのは、日本人の発言自体が(つまりその人の日本語自体が)へんに外部言語化してきているように感じることだ。それがいちばんこわい。西欧語は、部分であってもそれは全体のどの部分かがわかる。日本語はそうはいかないのです。それが汎神的文化の特徴なのです。
 これは、古典教育にもっと時間を割け、という話ではない。(センター試験に関していえば、「漢文」か「古文」か「現代文」かの三択制でじゅうぶん。あるいは、書き下し文を含めた「古典」と「現代文」の二択制。そんなことをしたらみな現代文をとるから古典教育が死ぬというのなら、現代文は白紙答案が続出するような難解な小論文形式の記述問題にすればいい。そうすれば採点もらくだろうし、たいていの者は「古典」に逃げるさ。)「純粋なもの」だけを古典だとする風潮をもう変えなきゃいけない時になっている、と言いたいのです。たとえば、「日本書紀」や「古事記」や「源氏物語」は、高校生までは現代語訳で触らせればいい(クライマックスのところのみ原文付)。「万葉集」などの歌は、さすがに原文じゃないと無理だろうが、基本的に「対訳版」を用いる。(この国語教師は日系カメラマンの眼によって桂離宮に目覚めた。加藤周一だってひょっとしたら、口に出さないだけで、同じ写真集で悟らされたのかもしれない)「ホンモノを読みたいものは大学か専門学校に行け」。それでいいじゃないですか。「ホンモノを読みたいものは夏休みの課外を受けろ」なんてオシャレだと思うよ。
 じっさいこの国語教師はいまだに、「日本書紀」も「源氏物語」も一部分しか読んでいない。(「古事記」だけは34才の失業中にぜんぶ読んだ)。万葉集はいまも、指があたったところを開いて数ページよんだら満足する。なんだかお経みたいだけど、そういう贅沢を最後までつづけようと思っている。
 ただし、問題点がひとつある。現代語訳がそれ自身で文学作品とよべるレベルであること。でないと勉強する価値がない。でも、できないことじゃない。堀辰雄の『かげろうの日記』は、原文をよんでいるかのような違和感さえ覚える名文だった。円地文子の『なまみこ物語』は、小林秀雄『無常といふこと』の種本じゃないかと思うほど読みごたえがあった。家主は谷崎潤一郎訳で『源氏物語』を読み通したという。
 最近、「日本語しか読めなくてもうけた」と感じる機会が多い。ただし、そろそろ外国語に向かい合いたい、という思いと同時進行なんだが。

 昨日から、ブルース・チャトウィン『どうして僕はこんなところに』を読みはじめた。なんだか不思議な文章家だ。(小説家とか作家、というイメージとは少し違う。そうだ、「文士」がいちばんピッタリくる。)てっきり同年代だとばかり思っていたら15、6才も年上。デビューが遅かったんだな。そのうえ40代で亡くなっている。その名を知ったのは、或いは死後、『どうして僕はこんなところに』の翻訳が出たときだったのかもしれない。
 例の「人間のほんとうの住処は家ではなく道である」というシェルパのことばもでてきた。シェルパとはチベット語で「東の人」という意味なんだそうです。450年ほどまえに東の高原から移動してきたとあるから、ほんのちょっと前のこと。「かれらはまだ旅をやめられない」
 ロバート・バイロンがはじめてアフガンに入ったときの、「ここにやっと、劣等感にさいなまれていないアジアがある」という感想は、湯川豊は引用していただろうか。(甲斐大策にとっての初めてのアフガニスタンもきっと同様だったに違いない。でないと、あんな哀切感にみちた文章は出てこない。中村哲にとってのアフガニスタンはどうなのかな?)「バイロンには生き生きした偏見とでもいうべきものがあった」それこそが人間ですたい!
パタゴニア』も『ソングライン』も、バイロンの『オクシアーナへの道』も読んでみたくなった。下は25才のときの『ビザンティンの業績』より(1941年乗っていた船の沈没により死亡。36,6才)。
「アヤ・ソフィア大聖堂の存在は空気のようである。サン・ピエトロ寺院はこちらを圧倒するするほど実在的である。一方は神の教会であり、他方は神に仕える者たちのサロンだ。・・・アヤ・ソフィア大聖堂はじっさい大きい。サン・ピエトロ寺院は卑しく悲しいほど小さい」トルコに行きたくなるでしょ? 読みたくなるでしょ?
 でもその前に、Kが送ってきてくれた、イサベラ・バード『日本紀行』を読もう。時岡敬子の訳ならよめる。東洋文庫の日本語とはつきあいたくなかった。

追補
 現代文をむずかしくする方策のひとつは、「馬でも読めるように」書いたという福沢諭吉徳富蘇峰幸田露伴らの、明治前期の文章を題材にすることだ。国語教師が読んだことのない名文、名論文が数多く埋もれたままになっているはず。あるいはそれらの書き下し文を現在の実につまらない漢文教材に代える方法もある。
 いずれにせよ、われわれが知っている現代文、つまり、鴎外・漱石が小説を書きはじめる前の日本語を読ませること。それ以降はまるっきり変わっていないのだから、わざわざ学校で学習させる必要はない。例外は柳田国男ぐらいかな。
 生徒たちはそれぞれの必要に応じて現代文はよむ。第一、理科も社会もあれはぜんぶ現代文なのです。数学でさえ現代文の力がないと、あの教科書はまるっきりチンプンカンプン。その教科書を読みこなせるように工夫するのは、それぞれの教科の仕事だ。


別件
 アンネ・フランクについての角田○代を読んでいるとき思い出しかけていたのは、エドワード・オールビーヴァージニア・ウルフなんかこわくない』だった。『動物園物語』もオールビーだったのか。この人も同年代だとばかり思っていたのに、ずっと年長だったんだな。
 アーノルド・ウェスカーの『ぼくはエルサレムのことを話しているんだ』。ジョン・オズボーンの『怒りをこめて振り返れ』。それから、、、もう題名も出てこなくなっちゃった。
別件の別件
 オズボーンの「振り返れ」は、「Look back」。高松雄一ももひとりも、エリオットの「ターン」を「振り返る」と訳しているのがどうにも気に入らない。鮎川信夫はなんと訳していたのかなあ?