ことばの力

2013.6.27

配布するかどうか迷っているプリント

 フランク・アンネの日記とブルース・チャトウィンを読んだあと、なにやら別のことが頭に浮かんだので、それを一学期さいごのわたしからのことばにしようと思います。
 いま、ロンドン郊外のウィンブルドンでは硬式テニスの全英選手権があっている。昨日の時点で、男子は錦織と添田、女子はクルム伊達が一回戦をいずれもストレートで勝ち上がっている。錦織は現在世界ランク11位。この大会で好成績をあげれば、念願の「トップ10」入りの可能性がある。クルム伊達は42才、出場者中最年長。それが一回戦を突破したことはビッグニュースとなった。(その後、史上最年長での三回戦進出)
 二週間前の全仏で優勝したスペインのナダルが大会初日で姿を消したことはそれ以上のビッグなニュースだった。「Rafael Nadal suffers first-round loss」(これを書きはじめた翌日の27日、テニス界の神様のように思っている(この「神様」は日本でいえば、野見宿祢や手力男命みたいなものだ)フェデラーが二回戦で敗退したことを知った。)最終的に残るはセルビアジョコビッチと地元イギリスのマレーか?

 実はジョコビッチのファンなのです。彼が伸び盛りのころ全米選手権準決勝で、当時の世界№1スイスのフェデラーと対戦し、マッチポイントを握られたことがある。だれもが(国語教師も)「ジョコビッチもこれまでか」と思った。そのとき、フェデラーのサーブを受ける姿勢をとったジョコビッチがニヤッと笑った。不敵な笑いだった。試合はジョコビッチの大逆転勝ち。
 終了後、記者の質問は、その笑いに集中した。
 「もう、どうしていいか解らなくなったんだ。だから”せめて笑ってみるか”と思った。そしたら笑えた。自分でも不思議なんだが、そうしたら勝てた。」
 テニスの強さもだが、その精神的な強さを尊敬している。
 そのジョコビッチが今年、ある国の大会で負けたことがある。会場中が相手の味方になっていた。ジョコビッチがポイントをとると大ブーイング。相手はべつにその国の選手でもなかったのに。なにか理由があったのだろう。その時のジョコビッチの悲しそうな顔が忘れられない。
 ジョコビッチの祖国セルビアでは、いまから14〜5年前、たいへんな内戦が起こった。もともとさまざまの民族、さまざまな宗教が混在していたところで、国連が口先で介入してもその内戦は収まりそうになかった。そのとき国連から現地に派遣されていた代表は日本人だったが、「どちらかに肩入れするわけにはいかない」と腹をくくっていた。内戦が長引き、国連内部から無能よばわりされ、アメリカ大統領のクリントンからも非難されて解任され現地を離れるとき、人々からは彼を惜しむ声はひとつも上がらなかった。が、本人は、「アメリカが実力行使しない限り、あの紛争は止められないと思っていた。だから、アメリカを引っ張り出したのが私の仕事だ。」と述べている。現にNATO軍とアメリカ軍が強引に介入すると一気に紛争は鎮まった。ことばだけの交渉では収まりがつかないことって実際にときどきある。
 が、NATOが介入したきっかけは、セルビア側が「セルビア人だけの国をつくろうとしている」という報道が世界を駈けめぐったことだった。「セルビア人は自分たちの国を『クリーン・アップする』と言っている。」クリーン・アップは日本語では「民族浄化」と訳される。第2次大戦の悪夢が甦った西ヨーロッパは軍事介入を決意し、アメリカはさらに大がかりな空爆作戦にでた。
 サッカー・ジャパンの監督だったオシムはそのころヨーロッパのチームに所属していたため、数年間にわたりセルビアに住んでいた家族と連絡がとれなかったという。(さいわい戦後、再会することができ、日本にも奥さんと一緒にきた)
 テニスの才能を嘱望されていた中学生のノバク・ジョコビッチは、親が財産を売り払って息子をスイスに留学させた。「それからは道路掃除でもなんでもやった。息子のためだと思うとまるっきりつらくはなかった。」
 息子をスイスに行かせるとき父親は、「いいか。お前は一流の選手になって転戦し、セルビア人も普通の人間なんだということを世界中の人々にわかってもらえ。そして、うちひしがれているセルビア人にもいちど勇気を甦らせるんだ」と言い含めたという。
 ジョコビッチはいまそのミッションを忠実に態度のみで果たそうとしている。

 少しまえ、ある新聞社がテレビで、「わたしたちは信じます。ことばの力を」というCMを流しつづけたことがある。そのとき思いだしたのがその「クリーン・アップ」だった。きわめて不快だった。「お前はヒネとる」とは、子どものころから言われ続けていることではあるけれど、「ことばの力」は正のベクトルしか持たないわけではなく、むしろ負のベクトルを持ったとき破壊的な力をもつ。私たちはそれを歴史から何度も学んできたはずだ。
 ユーゴスラビアの分裂と内戦はまだ学んでいなくても、ネットの世界で「ことばの力」が具体的にどう発揮されているか、君たちはもうよく知っている。わたしたちの祖先が「ことばの力」を信じたのは、それが個人から個人にむかっての呼びかけだと思いこんだからで、そのとおとい思いこみを逆用したがるひとを憎む。。
 これからも「ことば」が人を動かし、世の中を動かし、さらには大きな運命をも動かすときが来る。それは期待することではなく、逆につねに警戒すべきことなのだ。
 わたしたちが信じるべきなのは「力」ではけっしてない。
 「こころ」。いま浮かんだだけのものです。でも、いちばん信じたいことです。
 もう20年ほどまえ、アラスカの原生林に入って道に迷い、ほとんど餓死するようにして亡くなったクリスというアメリカ人の若者が最後のときまで手放さなかった手帳には、「それを誰かと分かち合うことができたとき、ひとはほんとうに幸福になる。」とメモされていたという。
 もうすぐ前期高齢者だから、恥ずかしがらずに言う。国語教師が信じているのは「力」ではなく、「愛」です。
 わたしたちにもっとも大切なものは、簡単にことばで表現することが難しいことのように思う。その簡単に言語化できにくいものを、昔の日本人は「あはれ」と呼んだ。
 君たちに古典から学んでほしいと国語教師が思っていることは、その「あはれ」ということば、「あはれ」という感情を大切にした祖先たちの感性なのです。

 いま、夏休み用に小さなプリントを作りかけている。最後の授業までに間に合うかどうかはまだわからない。(べつだん宿題にするわけじゃないから安心しなさい)
 それは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「AT HAKATA」という大好きな短い文章です。(もちろん英語)。箱崎の馬出にいまもある称名寺というお寺の大きな銅製の仏頭をみたハーンが考えたことが書かれています。しかし、その仏頭はもうない。前の戦争中「金属が足りないから」と溶かされてしまった。その後、銃弾になったのか、電線になったのかは知らない。軍国主義日本がどんなに野蛮な国だったかの実例のひとつです。

 しかし、いまの日本はいい国だと思う。
 そう考える根拠のひとつは、この国から出ていこうとする若者が少ないことだ。この国は若者にとってきっと居心地のいいところなんだ。人間とは、自分の不幸にだけは我慢がきかない生きものだと思っている。「だったら出ていってやる」(国語教師自身は若い頃、いや幼い頃、高校時代どころか中学生の時から「ここ」を出たくて仕方がなかった。出なかったのはただ勇気が足りなかっただけ。でも、振り返れば、それで良かったんじゃないのかなあ。勇気が足りない、ということは、そんなに悪いことじゃない。むしろ大切なことだ。)
 もひとつの根拠は(といっても、統計を見たわけじゃないんだけど)、中国や韓国の国籍をとった元日本人より、日本の国籍をとった中国人や韓国人のほうが圧倒的に多いと想像されることだ。「日本人になろう」「いっしょに日本人にならん?」
「この国で生きよう」とする外国人が多い国、それはきっといい国なんだ。
 その良さをノホホンと守ること。それは、いつの時代も、次の世代に課せられたやわらかなミッションなのだと思う。



 角田光代のことを考えていた。

 彼女は、「物語るということはゲームなんだ」と言っているように思える。
 若いころだったら、そう聞いただけで「カアーッ」となったような気がするけど、いまは「なるほど、そうなのかもしれない」と思う。年若い彼女のほうが国語教師より大人だ。
 われわれが手にした貴重なゲーム。服装とも、体型や顔立ちとも、財産とも、社会的地位とも関わりなく、すべてのものに平等に授けられた、だれひとり前もってのアドバンテージを与えられていない、道具もルールも必要ない、もちろん勝者も敗者もなく何の報賞も期待されない純粋なゲーム。それを「贈与」だと感じた人々がいてもなんの不思議もない。
 そのひとたちの子孫から、特異な芸術家や学者が輩出したのは、とうぜんの成り行きだ。

別件
 最近でもっとも反応のよかったことばを書いときます。
松岡正剛千夜一夜
 迷ったときは立ち止まって足下をみつめ、偶然を待つことにしている。