ブランシュヴィック&レヴィナス&ブランショ

 「歴史的理性」は、あとになってから(絶対的なものを)照らし出すのである。遅れてやってくる明証性、それがおそらくは弁償法の定義なのだ。」レヴィナス
「存在すること、それは語ることに等しい。ただし、いかなる対話相手も不在であるところで語ることである」ブランショ
 
2013/07/20

 「この世界のヴァニシング・ポイントの奥には、なにか潜んでいたものの痕跡がある。それがすべての物語のはじまりだ。」モーリス・ブランショはそう言っているように感じる。
 「世界には無数の消失点がある。裸のわたしはまったく無防備に、その奥から見つめている無数の目にさらされている。」エマニュエル・レヴィナスはそう考えていたように見える。
 この世界にわれわれの居場所はない。なぜなら、われわれは消失点の向こう側(われわれの祖先はそれを「草葉の陰」と呼んだ)からこの世界にはみ出でてきた「外部」だから。だからわれわれはまたいつか、この世界でのワタクシを喪って、外部に合流する日まで漂流しつづける。
 「いずれまた宇宙は無に収斂する。」ホーキング。かれもユダヤ系なのかな?

 前回のぶんのまとめです。
 あのときも言ったとおり、これはほとんどただの祈りだと思う。が、存在よりも真理よりも祈りのほうが大切だ。ブランショはそれを「文学」と呼んだ(のにちがいない)。ホーキングの言うことが科学なのか文学なのかを判別する能力はこちらにはない。ただ、ホワイトヘッドの「前世紀のすぐれた詩人たちがもし20世紀に生まれていたら、きっと科学者になっていただろう」ということばはイミシンだな。「たとえばシェリー」

 セミしぐれ天地ふるわせ夏がゆく    絶滅危惧種

 なんだかフランスづいたので、今日はその国についての話をします。といっても、前もって言いたいことは、「ひとりぐらいはイギリス人の友だちが欲しかったな」とは思うが、フランス人を友人に持ちたかったとはまったく思わない。あの人たちはなにか面倒くさい。

「もっとも宏大な理念でさえ、それを実践に移すためには、偏狭さと排外主義の力を借りるほかない。」 レオン・ブランシュヴィック(1869-1944)

 もう10年以上まえ、フランスのある大学のえらい人が「ユダヤ問題はユダヤ人自身にも責任があった」という意味の発言をしてそのまま引退した。確信犯である。
 そのときまで知らなかったけど、フランスでは「決着をつけた歴史問題」に疑義を唱えることは犯罪行為らしい。(ああ、中国や韓国が狙っているのはその線か)
 そんな法律(なのかどうかも知らないけれど)がいつ作られたのだろうと思っていたら、NHKBSであっていたドキュメンタリーの再放送をたまたま見て、「この時か」とピンときた。(例によってただの勘違いかもしれません。正確なことをご存じのかたは教えてください)
 アルジェリアの独立問題でフランスが狂いかけていたときだ。いや、もう狂っていたのかもしれない。
 フランスは独立運動の背後にはエジプトの力があると考えた。「そのエジプトを背後から脅かす必要がある」。目をつけたのはイスラエル
 いっぽうイスラエルは、第一次中東戦争以後、独立を維持するために強力な軍事力を欲しがった。「核兵器が必要だ。」しかし、盟友アメリカでさえうてあおうとしない。目をつけたのがフランス。
 この話をテレビカメラの前で話したのが、のちの首相ペレス(番組は引退後)だからまるまる信用する。核開発計画のリーダーに指名されたときはまだ28才だったそうだ。
 ペレスはまず、イスラエル軍部の反対に直面する。が、その腹をさぐると、自分たちの軍事予算が削られるのではという危惧からだとわかる。「予算はまったくの別枠とする。費用は世界からの寄付でまかなう」そのハンパじゃない金額の寄付が集まったというからユダヤ資本もまたハンパじゃない。
 フランス内部にも核技術の移転に難色を示すものたちがいた。が、「いま決断すれば、核技術はフランスの独占市場になる」と説得すると乗り気になった。
 以後、全権を委任されたペレスはフランスにいすわり、交渉をつづけた。
 さきに書いた「反ユダヤ禁止法」(かってにつけた名前)はその過程でつくられたものにちがいない。これは、イスラエル核兵器があるかどうかよりも、もっと本質的な問題だと思うんだけど、どうか?

 レオン・ブランシュヴィックはひと時代前の人物。やはりユダヤ系。「だれも彼を恐れさせることはできなかった」という評でレヴィナスが言いたかった具体的なことは知らない。が、「だれも」には、ナチやフランスの社会主義系以外の人々も含まれている気がする。

別件
 四月以来、朝の主食はは豆腐とブルガリア・ヨーグルトにした。そのせいばかりでもあるまいが、ウエストは10センチ以上細くなって、まだへこみつづけているらしい。うれしがってGパンを三本も買い直した(計4350円)のだから、「もういいよ。」
 家主がいろんなミニ豆腐を買ってくる。「どれがいいね?」。それから意識して食べ比べてランクづけをしたら、「やっぱ値段の順やね。」
 慈悲深い家主は以後、「いちばん高い」豆腐を買ってきてくれる。
 豆腐は毎日食べなくてもいいが、ヨーグルトにはハマっている。「なにはなくともヨーグルト。」
──甘みもつけんで良う食べられるね?
──?。お前、漬け物に砂糖をかけて食うか?
──?。