小林秀雄についてのまとめ

2013/11/22(金)

 パク・キュヒ「ソナタノワール」をかけながら一足はやい週末。(俳句にはなっていないか。)
 今日は、最後の対談で「あれはいい」とご本人が言っていた河上徹太郎の『小林秀雄』はこれだな、と思うものに出会ったので送ります。
 実は、それを読みつつ、「先生は読んでいらしたのかな?」と感じた。それというのも、河上徹太郎小林秀雄像と先生の小林秀雄観がぴったり一致するように思えたから。(読んでいらしたらたぶん、先生のあの文章はなかったろう)。小林秀雄を語ることはそのまま自分を語ることになるという点においても。
 だから、とくだんの発見があったというわけではないが、(例外は『モーツアルト』についての指摘。あれは河上徹太郎にしか言えない。)これと、先に送った江藤淳の追悼講演を併せたら、自分の知っている小林秀雄の後半生は語り尽くされている気がする。
 
 前に言いかけたことを補足します。
 「小林秀雄は理屈をこねくり回していたんじゃない。」
 それを理屈だと思いこんだ人たちはそこに、逆説や屁理屈を見る。その点では信奉者の場合も忌み嫌うひとの場合も同じに見える。
 「オレは評論家じゃなかった。詩人みたいなものだった」という本人の述懐は、テライでもトウカイでもない本心だった。なぜなら彼の表現は本人にとっては文学そのものだったのだから。(先生だったら、「それが詩語だ」というだろう。いや、言っていたかもしれない。も一度読むか。)かれは散文で詩のようなものを表現するという試みにたったひとりで果敢に挑み、ほとんど成功しかけたのだ。だから宮本武蔵の『五輪書』へのヤユにことばを吐きつける。「なにが書かれたよりも、なにを書こうとしたかのほうが大事だ。」
 が、成功しかけただけで、成功しきれなかった。それはまた最初からそうなるだろうとは本人が予感していた。なぜなら彼は中原中也と出遇っていたから。
 自分の文学的才能にいっぱしの自惚れをもっていた若者たちで、文学的才能を眞に持ち合わせていた者は、中原中也との出会いによってその自信を木っ端微塵にされ、出発以前に絶望を感じたにちがいない。かれらはそこから自分の生きのびかたを探らなければならなかった。
「№2じゃイヤだ。」
 その絶望から免れていたのは、自分の文学的才能なぞ最初からアテにしていなかった河上徹太郎ぐらいだったんじゃないだろうか。
 学生時代に、武満徹の友人だという男の文章を読んだ。その才能に驚くとともに、どうしてもその天才と友だちになりたいと思った彼は、「二日に一度しか寝ないで勉強する」と決めた。たしか二年間がんばった。そして武満徹から友人として認められた。そんな生き方もある。
 まえにも話したけど、たしか松永伍一が若い頃の開高健の思い出として、「ヴァレリーは読まんがええぜ。あれを読んだら小説が書けなくなる」と言ったという話をその死後に紹介していた。それを読んで二重に感動した。ひとつ目はその開高健の感覚の鋭さに対して。あとひとつは、それほどまでして「小説を書きたい」と思う若者が以前にはいたんだという事実に対して。
 河上徹太郎は小説家になりたいとも、たぶん文士になりたいとも思っていなかった。だからヴァレリーにのめりこんだ。かれの基本姿勢はディレッタントなのだと思う。
 中也と出会った若者たちはもう詩を書かなかった。(その中也がもし40才まで生きていたら詩を書き続けていただろうか?そうとうに疑問だ。かれにとっては「詩」そのものよりも「生き方」のほうが核心的課題だったはずだから。その中原中也の対極に三好達治がいる。かれは詩人としてしぶとく生きのびた。その謎にはこれから臨む)彼らはそれぞれ別のことをした。しかし、そのどれも、ひとりひとりがそれぞれの形で文学とかかわっていく道だった。小林秀雄の場合も例外じゃない。
 じゃ、小林秀雄にとってのいちばんの文学作品って何だ?
 それは、『本居宣長補遺』を読んでからにします。

 パク・キュヒは二枚目の『最後のトレモロ』に変わった。中南米の曲で構成された彼女にとって4枚目のアルバム。
 二枚目の『ソナタノワール』はヨーロッパ。三枚目のスペインものはパスする。5枚目は何になるんだろう?彼女の成長を見ていられるなんて、なんという幸運なんだろう。
 昨夜はイヤホンで庄司さやかのバッハを聴いているうちに眠っていた。いや、きこえ始めたらもう眠っていた。彼女の音は時として、今がこの世なのかあの世なのか判然としなくなる。また時として、ここが地上なのか宇宙なのか区別がつかなくなる。「宇宙はオレより孤独なのかもしれない」と言ったという椎名翁はおそろしく勘違いをしていた。宇宙ほど豊穣な世界はない。聴いているうちにそう感じさせる庄司さやかは、いま世界最高のバッハ弾きなのかもしれない。少なくとも自分にとってはそうだ。
 パク・キュヒが最後の曲になった。
 あとは、大西順子かタチアナ・ニコライエワ。(いつか二人を聴きくらべてください。ほんとに違和感がないから)エリザベータ・スーシェンコともしばらく会っていないな。が、『最後のトレモロ』も、終わってほしくない、と感じる曲。バリオスを教えてくれた年若い女性に感謝。