西村蓬頭

雑談
 父親は冗談のことをゾウタンと呼んでいた。あれはひょっとしたら「雑談」だったのかもしれない。あの「ゾウタンのごつ!」をもう一度聞いてみたいな。

  高橋治『含羞』
 侘助に狂いはじめたら、もうとめどがない。
 私の年齢まで生きると、日本の女どもの変容ぶりは、近年、度し難いものに思えてくる。含羞などという曾ての美点は、単なる言葉だけの世界のことになってしまった。
 やむなく、庭じゅうに侘助のあらゆる種類を植え、初冬から春の終わる頃までは、侘助の含羞漬けになっている。忌憚なくいわせて頂けば、現実の人とのふれ合いで得られないものを、花との代償行為で埋め合わせているわけである。
  侘助のひとつの花の日数かな    阿波野青畝
 侘助というと、ひどい人は一種、花に少々関心のある人でもせいぜい数種と思っているようだが、実は無茶に花の種類は多い。作り出す人があり、天然の造化の妙を見つけ出す人ありで、年々新種がふえる。その点も人間のあり方とどこか似ている。だが、違うのは、花の場合、含羞の度が年毎に深まることである。
  侘助をもたらし活けて通ひ妻    石田波郷

 先日、西村蓬頭の句を調べに県立図書館まで行ってきたが空振りに終り、そうとうに疲れた。が、そのときの拾いものが上の文章。あるいは以前に読んでいたのかもしれないが、ホワっとなって何も覚えていない。あのひとの草木や俳句にまつわる文章はポンコツ教員にとっては精神安定剤そのものなのです。

 西村蓬頭の句では、
  掃苔や首筋拭いて人は老い
が、いちばん気に入った。

 以下も雑談

  四肢へ地震(ない)ただ轟々と轟々と
  膨れ這い捲れ攫えり大津波
  車にも仰臥という死春の月

 宮城県俳人高野ムツオが読売文学賞を受賞したという記事に出会った。
 選考委員の高橋睦郎の言。
 「3,11という出来事に最も切実有効に対応しえている言語芸術は、俳句ではないか。、、、。この深刻な事態に対して、散文はもとより、詩も、短歌も、しゃべりすぎ。、、、俳句のみが、その詩形の宿命上含み込まざるをえなかった沈黙の量によって、辛うじて事態に対応しえている。」
 そうかな?
 ポンコツ教員には、上の高野ムツオの句はあまりにも饒舌で、むしろ遠ざけたい。なんだか張り切って作っている。
 映画監督森達也の言。
 「言葉があまりにも早く復旧してしまったという気がします。絶句するのなら、もっと長く、徹底して絶句すべきでした。」
 過去形なのですか?
 まだ多くの人々は絶句したままのはず。そうであってほしいとさえ思う。
 あれは一年半ほどまえか。児玉桃を聴きたくて京都に行った。そのとき、委嘱曲が披露された。短いピアノ曲だった。演奏後、一番前の席に来ていた作曲者が紹介された。若い男だった。
 「音楽」と呼ぶのがふさわしいかどうか躊躇するほど「沈黙」に近い曲。ただ滞りがちな時が、それでもなんとか刻まれてゆく。短かったけど、それを聴いている時間はまさしく鎮魂の時間だった。それまでに聞かされたどんな言葉よりも心に入ってきた。
 いかん。こんど「エラート」にその曲名と作曲者を問い合わせよう。CDはなくともユーチューブでも一度聴けるかもしれない。

 俳句を創作だと思っている人のなかには、5・7・5に言葉をぎゅーぎゅー詰め込みたがるひとがけっこう多い。隙間がなさ過ぎる。しかもただ言いっぱなしだ。「俳句よ驕るなかれ」

 岩手県立高校教員照井翠
 喪へばうしなふほどに降る雪よ

 翠教師。もうあとは何も言うまい。言えば言うだけ、あとはただズンズンズンズン虚構に近づく。これまでもそうやって多くの人が自分のたったひとつの現実を虚構に貶めていった。

 沖縄水産高栽監督「ほんとうに悲しいことは口にできんさあ。」
 「ゾウタンのごつ!」冗談じゃないぞ!