大人になろうと思う高校生のための評論集

大人になろうと思う高校生のための評論集

  目 次

大人になるまでの暗い道 中沢けい・・・・・4
子に厳しい親の哀しみ  野見山暁治・・・・5
若者の法則       香山リカ・・・・・7
触ることの不思議    大井 玄・・・・・9
詩と映画  清岡卓行・・・・11
手を見つめる   市川 浩・・・・12
近代文学の運命     中野好夫・・・・15
自然科学を超えて  村上陽一郎・・・16
機械と人間  中岡哲朗・・・・18
現代の神話    山崎正和・・・・20
歴史の発見  木村尚三郎・・・22
二十世紀とは何だったのか 佐伯啓思(けいし)・・・23



進化と人間行動 長谷川寿一・・・24
自信          加藤諦三・・・・26
現代〈子ども〉暴力論  芹沢俊介・・・・28
情熱を喪った光景  西尾幹二・・・・30
ピアノを弾くニーチェ  木田 元・・・・31
人間の限界       霜山徳爾・・・・32
スカートの風      呉善花(オソナ)・・34
悠々として急げ     外山滋比古・・・36
うつし世の後ろ姿    藤原新也・・・・38
変わらぬもの      日野啓三・・・・40




 大人になるまでの暗い道 中沢けい

 子ども時分(じふん)にしたいたずらや悪さが話題になることがある。けっこう残酷なまねをしていて、驚いたり呆(あき)れたりする。蝶(ちよう)や蜻蛉(とんぼ)の足をもいだとか、羽をむしった、あるいは蟻(あり)の巣へお湯をそそいだというのは序の口だ。蛙の皮をはいだとか、穴に隠れようとする蛇を無理矢理に引きずり出したなんてことまである。残酷だが、残虐とまでは言えない程度のいたずらや悪さを多くの人が経験している。
 人間には確かに残酷を好むような心情が備えられている。なにゆえに、そんな心情が備わっているのかは分からないが、何か必要があるからこそ、そういう心情が備えられているのだろう。愛する者を守る勇気や、赤ちゃんのおしめを汚いと思わない親の愛情や、うまいステーキ肉を家族そろって食べたいという願いは、どこかで、子ども時代の残酷さとつながっている。
 もし、子ども時代の残酷さがなければ、我々は赤ちゃんのおしめの汚さにたじろぎ、ステーキ肉の血の色に肝(きも)をつぶしているかもしれない。大人になった今では鯛(たい)をお造りにして、頭をかぶと煮にすることはできても、蛙の皮をはぐようなまねはむごくてできない。
 あの幼い日からいったいどのような暗い道をとぼとぼと一人で歩いて、大人になるという大事業を人はなしとげるのだろうと、不思議になるばかりだ。人の心には、そうした暗い道を一人で歩まなければ熟さないものがある。その不思議さに頭を下げたくなるような気持ちになることがある。畏敬(いけい)の念を抱(いだ)くと言ってもいい。たいていの人は、その暗い道を恐ろしいとも思わないで歩いて大人になる。それは畏敬の念を抱いてもいいほどの大きな不思議と言えるだろう。

ワンフレーズまとめ


ワンフレーズ感想
 子に厳しい親の哀しみ  野見山暁治

 あなたは子供ぎらいだから、と周囲の人たちは私のことを勝手に決めてしまっている。私も人の子だ。自分が大人になったからといって、今さら人間の小型が嫌いになるわけはない。どんな動物でも、小さいのは可愛い。私は子供ぎらいじゃなくて、甘える子供が嫌いなんだ。ただ、やたらと甘える子供があたりに満ちみちているだけだ。どだい、子供を人間扱いするのが間違っている。あれは動物です。蝶々の幼いのがサナギのように、これは人間に成長する以前の小動物じゃないか。
 ヨーロッパの人間たちはこう考える。いや別に、考えるというようなナマ易しいものではなくて、もう必然的にそうなんだ。この小動物たちには、やがて参加しなければならない人間社会というものを教えてゆかなくちゃ。
日本人はこう考える。この小動物は人間社会に入りこむ以前のものだから、いつくしんであげなくちゃ。
 ヨーロッパで私が覗(のぞ)いた家庭では、子供たちは、それこそ親から叱(しか)りとばされて生きていた。時間になると小さい部屋に投げこまれて、大人たちの会話のなかに入りこむことは許されなかった。小動物はドアをたたいたり泣き喚(わめ)いたりする。いい加減そんなことをしていると、親からお尻をいやというほどぶたれて、ドアに鍵(かぎ)をかけられるのがオチだ。動物的感性というか、それなりに痛い目にあうのは避けるようになる。
 私の知っている日本のたいていの家庭では、この小動物がどんな部屋にでも平気で侵入してくる。幾つになったの坊や? すぐ答えてくれればいいが、その子がまごまごしていると横あいから母親が、五つなんですよ、と声をかけたりする。「ネ、おじちゃんにイッチュって言ってごらん。」冗談じゃない。私は子供に年を聞いているのだ。なんだってその母親が、本人になりかわって答えたり、通訳をかって出たりするのか。これくらいの小動物なら、ちゃんと聞きわけられる分別(ふんべつ)はある。それとも、この可愛さを温存(おんぞん)したくて、成育を拒(こば)んでいるのか。
 Xなる者が部屋に現れて我々の会話をぶち壊し、話題をX氏自身だけに集中させた。夕食のときX氏が喚(わめ)いてスープをひっくり返した。X氏が眠るまで麻雀(まあじやん)はできなかった。そんな例を次々にあげると、とても巨大で横暴(おうぼう)な生物がその家庭に君臨(くんりん)しているように思うだろう。事実そうなのだが、そのX氏の正体が子供だと言えば、なんだ他愛(たあい)もないと人々は許してしまう。
 相手が小さいと、大人たちはじかに恐怖を感じない。この小動物がやがて人間に成長し、世間(せけん)に向ってX的行動をとりはじめたときになって、親たちははじめて眉(まゆ)をひそめる。
 だいいち、年はイッチュというのが気に食わん。どうして五歳と言えないのか。子供の舌(した)たらずは仕方がないとしても、大人がその舌たらずの真似をしたり、幼稚な専用語をつくって子供と話をしなきゃならんのか。私が知っているよその国ではこんな奇異(きい)な言葉はなかった。
 家庭のなかで、その秩序(ちつじよ)を乱したときに私の親が、ガキ共の尻をぶったように、どうして今の親たちは凛(りん)たる姿勢を示さないのか。家という小さい社会での生き方をまず教えこまないのか。そうは言っても、かつては権威のあった私の父は、当時からは想像もつかないくらいその牙(きば)をもぎとられてしまっている。老齢(ろうれい)のせいではない。昔の老人はそれなりに威張(いば)っていたものだが、その老人のときの世相(せそう)と今はすっかり変ってしまったのだ。年いった私の父は、家のなかに在る物、テレビ、暖房器の操作(そうさ)を若い者に教えることは出来ない。いや若い者からいくら聞いてもなかなか飲みこめないでいる。畳のうえでの所作(しよさ)にはうるさく叱言(こごと)をいえた親父も、椅子の生活になじまないとなれば、家のなかで威厳をたもつ沙汰(さた)ではないだろう。
 ある夏の日、私は砂の上に腹這(はらば)いになってぽんやりと寝転(ねころ)んでいた。地中海にのぞんだ入江の浜辺だ。波うちぎわで小さい素裸の女の子が砂遊びをしている。波が脚もとをさらう。同じように小さい裸の男の子がそこへやってきたと思うと、ふいと女の子の頬っぺたに手をあてた。
 ただそれだけのことだ。べつに痛くもないだろうが、女の子は泣きだした。男の子はその泣いている様子(ようす)を眺(なが)めている。よくある風景だ。両方の父親がやってきた。大人どうし二言三言(ふたことみこと)話していたが、女の子の父観は去っていって、男の子の父親だけがそこに残った。
 お前は今なにをしたのだ。問われて男の子は困ったように父親の顔をみた。こうしたんだろう。父親は我が子の頬っぺたをなぐった。子供は泣き出した。痛いか? この女の子にお前はそうしたんだ、え、この子に謝りなさい。怯(おび)えた男の子は、ママンと母親を呼んで逃げてゆこうとした。父親はいきなりその腕を捉(とら)まえて、女の子のそばに引き戻した。男の子も女の子も泣きっぱなしだ。
 父親はそのわきに腰をおろした。母親は私の近くのビーチーパラソルの下で、子供の方をわざと見ないで本を読んでいた。
 それは随分(ずいぶん)と長い時(とき)の刻(きざ)みだった。我が子の泣き声を聞きながら砂の上にしゃがんでいる父親の背中に其夏の太陽が照りつけ、その向うに、やけに青い水の色が拡(ひろ)がっていた。
 子供の泣き声がようやくを嗚咽(おえつ)にかわったとき父親は立ちあがり、我が子を女の子の前に立たせて、最初に言ったことをもう一度くりかえした。
 謝りなさい。男の子が手をさしだした。※パルドン。小さい二人は握手したのだ。
 何処(どこ)に居たのか女の子の父親が出てきて、男の子の頭をなで、大変だったな、と大人どうしの挨拶(あいさつ)をして、それぞれ子供の手をひいて去っていった。
 ただ青い海だけになった私の目のまえで、それっきり丸い背中の父親の残像(ざんぞう)がいつまでもこびりついている。子供を持っていない私に、それは親の哀(かな)しさを伝えてくれる永遠の風景だといってもいいだろう。

 注※パルドン(仏語)=ごめんなさい。(英語のpardon)

ワンフレーズまとめ



ワンフレーズ感想






  若者の法則   香山リカ

 高校や短大で十代の若者たちを前に講演をするときに、必ずしてみる質問がある。「あなたは、自分は若いと思っていますか?」。何を言っているんだ、と思う人もいるだろう。若さ真っ盛りの十代にそんなあたりまえの質問をしたって意味ないじゃないか、と。
 ところが、驚くべきことにどの会場でも「若い」というほうに手をあげる若者は、わずか一割か二割。八割以上は、「自分は若くない、と思う人は?」というほうに手をあげる。むしろ元気よく「若い」に手をあげ生徒たちに笑われるのは、会場にいる教師たちだ。
 さらに個別に話してみると、彼らの中に共通してちょっと変わった年齢感覚があることに気づく。「もう若くない」という若者(この言い方じたい奇妙だが)に、「じゃ、あなたはいつが若かったの?」と聞くと、「小学校まで」「中学一年くらいまでかな」と恐ろしく低い年齢をあげる。「どうしてそこまでは若かった、と思えるの?」と続けて質問すると、「楽しかったから」「希望や夢があったから」という答えが返ってくる。さらに、「じゃ、もう若くないってことは、あなたは大人だということなの?」と聞くと、これにはほぼ100パーセント「違う。大人じゃない」という返答。「大人になんかなりたくない」という人も多い。
 つまり彼らは、「若くはないが大人でもない」という宙ぶらりんの時期にいる、と自覚しているわけだ。しかも、楽しかった時代、希望にあふれていた時代はもう終わってしまったと感じている。あとは、苦しくつまらない”若くない日々”を淡々とすごすだけ。いつまでも大人になりたくない、と言うのなら、もしかしたらその時期は今後、六十年も七十年も続くのかもしれない。まさに無間(むげん)地獄だ。
 実際、まわりを見ても、その延長で三十代、四十代を迎えたような人が目につき始めている。
 たとえば、二00一年に東京都は、職員の「降格希望」を認める制度を作った。これは昇進の反対、「給料が下がってもいいから仕事を減らしてほしい」という希望をうけつける、というものだ。年配の人からすると「せっかく昇進したのに、どうしてそんなもったいないことをするのか」と理解しがたいと思うが、四十代以下にはなかなか好評だという。もちろん中には、家族との時間や趣味を充実させたいという人もいるだろう。しかし、私のまわりには「とくにやりたいこともないけれど、責任あるポジションにつくのはイヤだから」と言っている人もいた。これも公務員として就職し、仕事はまじめにこなしてそれなりに昇進した「若くはないが大人でもない」人たちが増えた、というひとつの例なのだと思う。
 おそらく彼らの目には、社会や家庭にいる大人たちがさぞ楽しくなさそうに映っているのだろう。疲れ切っていつもため息ばかり、自分のために仕える時間もお金もほとんどない。そんな大人たちの姿をみていれば、たしかに若者が「大人になって責任ばかり増えたって損なだけ」と、思ってしまっても不思議はない。
 「若いんだからもっとがんばって」と若者の肩をたたくまえに、「大人になるのもけっこう悪いことじゃない。若い時代を楽しんで、それから大人になってまた別の楽しみを味わうことだってできる」と若者に見せつけてやるのも、悪くないのではないだろうか。

ワンフレーズまとめ



ワンフレーズ感想

  触ることの不思議  大井玄

 寝たきり老人が立って歩くようになることは稀にあるが、脳梗塞後の認知症アルツハイマー病の人が頭脳明晰になることはまずない。そう言えば、「ぼけ老人」と称されていた認知症高齢者は大方が女性であった。佐久市の保健課に持ち込まれる彼女たちの問題には共通点が多かった。それは、家庭における人間関係がどうしようもなくこじれていることである。
 典型的には、認知症女性は夫が戦死するなどして経済的困窮のうちに子どもたちを育てている。爪に火をともす思いで育て上げ、無事に子どもたちは独立していく。同居する長男にも嫁が来る。そして孫も学校に通うようになるころ、嫁さんが「お義母(かあ)さん、このごろおかしい」と気づく。もの忘れがひどくなるのと同時に、いわゆる「もの盗られ」妄想が現れる。「お前、わしの財布をもっていったな」。認知症など知らない嫁さんは、姑(しゆうと)の性格が悪くなったと思い、亭主に訴える。最初は母をかばっていた長男も母の妄想が矯正不可能であるのを知り、妻の側に立つようになる。人間関係がこじれてくると、認知症女性は家庭で孤立し、離れで淋しく暮らすことになるのだった。
 「ぼけ老人」に何をしてあげられるかわからないまま、保健婦とどぶ板を踏んで一緒に家々を訪れた。まず家族から愚痴(ぐち)混じりの病人の様子を聞き、ぽつねんと正座している着物姿の認知症女性を型どおり診察する。あるとき、じっとうつむいたままの彼女があまりに可哀そうなので、横に坐って方を抱いてあげたことがあった。すると彼女は突然嗚咽(おえつ)しはじめたのである。
 びっくりしたのは言うまでもないが、同じような経験が何度か重なると、なぜ彼女たちが泣くのか、涙をこぼすのか、説明を考えるようになった。夫に抱かれた記憶か、それとももっと幼いころ母に抱かれたときのすべてを委(ゆだ)ねる安心の記憶なのか。孤立した寂しさ、心細さが、一瞬癒(いや)されたのだろうか。はっきりした理由は考えつかないままだった。ただ分からないまま認知症高齢者の腕や膝や肩にはできるだけ手を当てるようにした。
 そのうち触るという行為が不思議な作用を及ぼすのがわかってきた。あるアメリカの心理学研究者たちが行った実験では、図書室の司書に本を返しに来た学生の腕にごくさりげなく触ってもらう。ごくさりげなく触るので、学生はほとんど触られたことに気づかない。しかし触られた学生は、触られなかった学生に比べて、圧倒的に多くその司書に好感を抱くのだった。つまり触られたことは意識に届かないが、脳はきちんと触られたことを覚えていて、「好き」という情動(じようどう)的反応をしているのである。
 私の看とった方で九十一歳の女性がいた。いわゆる注文の多い患者で、心不全などいくつかの疾患(しつかん)があるが、神経質でなかなか薬を飲んでくれない方だった。この人の主な訴えは、「身体がだるい」というもので、最後の二年くらいは寝たきりにちかく、週に三回訪問マッサージ師が来てくれていた。娘は、隣家に夫と住んでおり、部屋と部屋を結ぶ電話でいつでもすぐ母の部屋に来る仕組みになっていたが、最後の一年は母の横に布団を敷き、夜の合図にいつでも応える献身的介護者だった。母は日中うとうとと食事もほとんどせずに寝ている。だが夜になると娘を起こし、かき氷やアイスクリームを食べる。それから便所まで独りで行く。だるいと言って娘に足をさすらせる。毎晩何度も起こされるので、娘はへとへとになり腰痛(ようつう)症になった。
終末期の信仰は型どおりで、聡明なのにまだらにぼけている様子が現れ、誤嚥(ごえん)性肺炎を二度起こした。急性期病院に入院すると、これも予期されたように、点滴の管(くだ)を引き抜こうとし、夜間の譫妄(せんもう)(せんもう)も起こした。つまり認知症高齢者は、見知らぬ場に置かれると、強い不安と恐怖を覚え、興奮したり叫んだりあばれたりするのである。受持医から退院時に胃瘻(いろう)の設置を勧められたとき、私の助言を聞いていた娘はそれを断った。
 往診のとき、病人はかならず「だるい」と訴えた。そういうときに訪問マッサージ師がやって来ると、いかにも気持ちよさそうに揉(も)まれている。私はマッサージ師の鮮やかな手つきを見て、医者の無力を感じるのだった。
 夜はアイスクリームを食べると横になる。娘がまるで自分の幼子にするように母の足をさすってやる。母は安心したように横になっている。私は娘さんに尋ねた。
「足をずっと揉んであげるのは大変でしょう?」
「そんなことないです。マッサージしてあげなくとも、ちょっと手を当ててあげるだけで大人しくしています」
「揉んであがないのですか」
「ええ、ちょっとさすってあげてからは手を当てているだけで大人しくしてくれます」

 すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。
 きこえるもんは、きこえないものにsわっている。
 感じられるものは、感じられないものにさわっている
 おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているのだろう。
 ノヴァーリスの歌ったように、私たちは不思議にさわっている。
   ※ノヴァーリス「光に関する論考、断片集」
    佐治晴夫『宇宙の不思議』PHP文庫
ワンフレーズまとめ

ワンフレーズ感想
  詩と映画 清岡卓行

 二十歳前後に現代の多くのひとはある深淵(しんえん)をのぞく。それは、生命力のはげしさから、感情の崖(はて)しなさから、ふしぎな観念を形づくらせるものである。絶対、虚無、死、純潔・・・・。生きようとする夢の過剰(かじよう)が、ついに生を否定させるにいたるこのメ(※)タフィジックな悲劇は、恐らく本人にもそれが生の倒錯(とうさく)であることを漠然と意識させてはいるものであろうが、その渦中(かちゆう)にあるときは、ひとはいわば象徴的な眠りしか求めないであろう。眠りとは、その場合、仮定された甘い死である。
 第二次大戦の後期に、ぼくが呼吸していたのはそうした雰囲気であった。ぼくのそうしたあるかないかの台風の眼――世界から取り残されてたみじめであると同時に誇らしい意識は、退嬰的(たいえいてき)な生活の中で守られた。病気でもないのに高校を休学してからふたたび大学で休学するあmでの数年間、実家の一室と下宿屋の一室において、ぼくの夢の錬(※)金術はつづけられた。
 そのころ、ぼくの心を奪った一人の詩人がいた。ア(※)ルチュール・ランボーである。彼の形而上学(けいじじようがく)的な地獄は、そのままぼくの観念の世界に投影(とうえい)された。日常的なことで言えば、例えば、食べるということ、それが肉類であろうと、野菜類であろうと、他の生命を代償(だいしよう)としなければならないことに、限りない嘔吐感(おうとかん)があった。戦争が否定されたのは平和が肯定されたからではない。生そのものが不潔であったのだ。自分がここに座って一つの空間を占有(せんゆう)しているという自覚、それはすでに許しがたい自然との共犯であった。そしてまた、静かな時間が全身をどこかへ運んでいるという焦燥(しようそう)、それは、湿気し、乾燥し、腐敗し、新生する、耐えがたい自然との妥協で
である。このような死への親近感は、どの角度からでも切り取ることができるだろう。怒りが支配する場合もあれば、優しさが貫かれる場合もある。あるいは、自由という観念がどこまでも拡大される場合もある。ぼくは、近道に、ぶっきらぼうに、いわばメタフィジックな純潔を焦点にしながら語ろうとしただけだ。ひとりはやがて、その場合には、宇宙を認識する原理、時間と空間の形式を拒否しようと白熱するに至るだろう。純潔はそこでついに論理化されることができるのである。この生命の逆説の行く手には必然的な帰結として、自殺しかあり得ない。
 しかし、ぼくに問題は残った。というよりも、ぼくは自分の論理に誠実であり得なかったのかもしれない。前に書いた言葉を用いれば、恐らく本人にもそれが生の倒錯であることを漠然と意識させている何ものか、単純に動物的な本能がたちはだかったのである。ここに論理のきびしい美しさはつらぬかれない。生ぬるく物質化して行く、最初の、自己放棄がある。ぼくはその感触をまだ覚えている。

清岡卓行=詩人・小説家。『ミロのビーナス』の作者。映画『ヒロシマ私の恋人』『かくも長き不在』の翻訳者
メ(※)タフィジックな=形而上的な。観念的な。
錬(※)金術=他の物質から金を創り出す術。
ア(※)ルチュール・ランボー=十九世紀フランスの詩人            『地獄の季節』


ワンフレーズまとめ



ワンフレーズ感想







  手を見つめる  市川 浩

 赤ん坊がまじまじと自分の手を見つめながら、手を開いたり閉じたりしていることがあります。あたかも不思議なものを見るかのように、飽きずに繰り返している。リ(※)ルケの『マルテの手記』に出てくる自分の手の不気味な描写や、数々の手の彫刻を挙げるまでもなく、手は体のどの部分にもまして、我々の注意を引き、我々を不安にさせる何かを含んでいます。
 赤ん坊は、何か物を取ろうとしても、なかなかうまく手を届かせることができません。対象としての自分の手と、内側から感じている自分の手がまだうまく統合されていないのでしょう。考えてみれば、対象として見えている手が、同時に主体として感じている手でもあるというのは、不思議なことですね。赤ん坊は、そういう不思議さを、自分の手を動かして見ながら感じているのでしょう。そして最後に自分の手をがぶりとくわえます。手に限らない。赤ん坊は、目についたものは何でも口に入れます。あれを見ると、確かに「認識することは食べることだなあ。」と思うわけです。実際アメーバーでは食べるとうことと認識するということの間に区別はないでしょう。我々だって、「食べたいほどにかわいい。」とか、「むさぼるように見る。」とか、また逆に「食い足りない。」とか言います。手をがぶっと口にくわえる時、対象としての身体(対象身体)と、内側から感じている身体(主体身体)が一緒に統合され、確認される、そういう体験だろうと思うのです。
 動物も自分の体が見えないわけではありません。しかし、前足は、それをなめる行為や獲物を押さえる行為の一部として見えているのであって、動物は足そのものを見ているのではない。手そのものを見て遊ぶ赤ん坊の手遊びは、身が身へ折り返す二重化の始まりであり、最も原初的な自意識の萌芽(ほうが)ではないでしょうか。自分の自分に対する関係が反省ですが、身体的レヴェルでの反省とも言うべきものが、この二重感覚にあるわけです。そして赤ん坊は、最後に手をくわえることによって、見える手を自己に同一化し、見える手と内から感じている手の分裂を乗り越えるのでしょう。
 それにひきかえ、体以外のものを手のように自由に動かせないのは、なんという不(※)条理でしょう。これは意のままにならない〈他〉の発見です。魔術や技術は、世界のすべてを自分の体のように自在に処理しようとする願望であり、工夫だと言えるでしょう。
 この〈他〉の発見が〈自己〉の発見の始まりです。身が身に折り返す身の二重化だけでは、まだそれは自己の把握(はあく)とは言えません。自己の把握は、自分に対する自己と同時に、他者に対する自己がとらえられた時に、初めて確立します。自己把握と他者把握はほとんど同時的なできごとであって、このふたつは分けることができません。他者を把握することによって自己を把握する。また、自己を把握することによって他者を把握する。そしてその自己を自己自身がとらえる〈反省〉という二重の関係を通して自己が形成され、自覚されてゆきます。
 小さい時から非常に不思議だったのですが、自分で自分をくすぐってもくすぐったくない。ところが、人にくすぐられると非常にくすぐったい。生理的な触覚(しよつかく)としては、ほとんど同じ刺激を与えることができるはずです。ところが一方ではくすぐったくないのに、他方はくすぐったい。つまり、触覚のような非常に原始的な感覚の中にも、既に他(・)であるものの直覚的な把握があります。これがただちに他(・)者(・)の把握と言えるかどうかはわかりませんが、他者把握の始まりには違いないでしょう。
 そのような他者との関係においてある私の身体(対他身体)というものがあります。そして他人(ひと)から見られた身体、他人によってとらえられた自分の存在の把握があります。人見知りや照れや恥ずかしさは他(・)人(・)に見られているわ(・)が(・)身(・)(自分)について照れたり、恥ずかしがっているのであり、そこに他者の把握があるのは明らかでしょう。恥ずかしさは次第に抽象的な自己を恥じるレヴェルにまで達するとしても、まず自分が見える(見られる)ものであるからこそ恥ずかしいのです。もし私が見えないものであったとすれば、人に対する恥ずかしさは生まれなかったでしょう。それは反省が抽象的な自己に対する反省のレヴェルにまでいたるとしても、まず見える自己に対する身の折り返しから始まるのと同じです。こうして子供が恥ずかしいと感ずるようになったということは、他者をとらえるようになったと同時に、自己を把握するようになったということでもあるわけです。
 他者に見られている私は、奇妙な存在です。それは確かに私でありながら、私の自由になりません。他人(ひと)が私をどう見ているかは私にはわからない。見られている私はある意味では他者の自由にゆだねられ、いわば他者に所有(他有化)されています。〈他有化〉を表すヨーロッパ語は〈疎外〉とも訳されます。他人に見られている私は、私でありながら私自身から疎外され、私の自由にならないものになっている。それどころか逆に私自身を支配さえする。
 恥ずかしさに伴うある種の屈辱感は、自己が他有化され、疎外されることから来るのでしょう。

リ(※)ルケ=1875〜1926詩人。『マルテの手記』
不(※)条理=理屈に合わないこと


ワンフレーズまとめ



ワンフレーズ感想
  近代文学の運命    中野好夫

 一五四三年、コペルニクスの『天体の回転について』が出た。彼を頂点とする地動説の確立は、自然存在としての人間威厳のうえに加えられた第一の打撃であった。聖(※)書とプ(※)トレマイオスとの結合版をもって、中世教会が強制していた人間観の権威はあっけなくも崩れ落ちた。もはや人間は、宇宙の中心に位置する地球上にあって、しかも特に神より愛されたる被造物という光栄の王座にとどまることは許されなかった。転落の歴史が始まったのである。しかしながら、なお彼らには一つの小さからぬ誇りが残されていた。すなわち、人間は一切の被造物のなかで最後に「神に肖(に)せて」つくられたものであり、また神よりの委託をもって、それらの被造物の支配を許された高貴なる存在という誇りであった。たとえ転落はしても、なお人間と他の一切の被造物との間には、こえがたい不連続があると信じることができた。だからこそシ(※)ェイクスピアがハムレットの口を通して語らせている有名な人間賛美の声は、なおいまだ「人間、なんという素晴らしい造化(ぞうか)だ! 高邁(こうまい)なる精神! 無限の能力! 姿も動きも、その際(きわ)だった見事さ! 行動は天使にも似、知恵は神にも似た! この世の華、万物の鑑(かがみ)! 」というのであった。
 ところが、第二の打撃は生物進化説という形でやってきた。これもまたその最終的仕上げこそやや遅れて、一八五九年ダ(※)ーウィンの『種の起源』の出現を挙げなければなるまいが、疑うことのできぬ生物進化の事実はすでに十九世紀初頭からしてようやく認められつつあった。そして最後にダーウィニズム近代文学に与えた影響は、直接にその科学的臆説(おくせつ)によってよりも、むしろそれのもたらす二次的な世界的影響において、実に想像以上に大きいものが指摘できる。いうまでもなく進化説の与えた打撃は、この地球上においてさえ、今度は人間の特殊的地位が剥奪(はくだつ)されたことである。もはや、人間と他の生物との間に不連続はありえない。人間から下は単細胞にいたるまで、それは結局一つの連続にほかならない。人間は単にこの世界への最後の登場者として現れたにすぎない。幸いに現在は生存競争に成功して先頭を駆けているにしても、それらは決して本質的に他の一切の生物と異なった存在であるということではない。当然、人間相互の関係においても同様であろう。「王侯将相寧有種乎。」(「おうこうしょうしょう いづくんぞ しゅ あらんや」※陳渉(ちんしよう))、そこには一切の紫衣美飾(しいびしよく)を剥(は)がれたありのままの人間が、個人の形で、立っているだけである。近代文学の人間探求が、王侯でも英雄でもない、中等なる人間への興味に向かったのは当然である。              

※聖書・・・・・・・キリスト教旧約聖書新約聖書
プトレマイオス・・二世紀ごろのギリシャ天文学・地理学者
シェイクスピア・・十六世紀〜十七世紀のイギリスの劇作家・詩人。作品に『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『リア王
          『マクベス』『ベニスの商人』などがある。
ハムレット・・・・シェイクスピア作『ハムレット』の主人公。父親を殺した犯人をつきとめようとして悲劇的な最期を遂げる。
※臆説・・・・・・・事実に基づかず、推測していう意見=仮説
※陳渉(ちんしよう)・・・・・・中国の秦帝国(BC221〜236)が崩壊するきっかけとなった反乱を起こした。     


ワンフレーズまとめ


ワンフレーズ感想 




  自然科学を超えて 村上陽一郎

 一般に、自然科学の理論体系の特徴を考える場合、その「即事実性」という点が強調されることが多いように思われる。科学が問題にするのは、「事実」お世界だけである。科学理論は、「事実」からの帰納によって得られる。したがって、新しい理論体系が生まれるためには、従来からの「事実」群があるだけでは不十分である。今までの理論と抵触(ていしよく)するような「変則的な」新しい「事実」が既知の「事実」群に付け加えられることによってはじめて、新しい理論も生まれる。理論的発展がないということは、革新的な新「事実」の発見がないということなのだ。「事実」こそすべてだ。
 しかし、本当のとこころ、問題はそう簡単ではない。例をニュートン万有引力の法則にとってみよう。二つの物体の間に働く力は、両者のキョリの二乗に反比例する、といういわゆる「逆二乗の法則」は、運動の三法則と並んで、ニュートン力学の根幹を占めるものである。けれども、実験結果としてのデータが、つねに正確にこの逆二乗の法則を満足させるかといえば、むしろ、そういう満足すべき実験値が得られることの方がまれである。大体、逆二乗の法則は、「二体問題」(二つの物体どうしの間の関係のみを扱う問題)として定立されているのであるが、われわれが実際に体験する経験世界には、純粋な「二体問題」として解けるような関係など存在していない。したがって、われわれの経験世界における具体的な物理空間において「逆二乗」の関係を指し示すこともあり得ないことになる。
 言い換えれば、われわれは、経験の世界に対する前提として、そうした数値的関係が、複雑な分数や無理数にならない、という単純性への信頼を持っているのである。
 コペルニクスは、それまでの地球中心説を逆転させ、太陽を宇宙の中心にすえ、地球の運動を認めたことによって、革命的な業績をあえたと考えられている。そして、「コペルニクス革命」という言葉は、百八十度の転換を表現する比喩の役割をもつに至っているけれども、コペルニクスのこの理論上の転換は、われわれが暗に期待するほど、近代的な根拠にもとづいておこなわれたものではないことが指摘されている。コペルニクス太陽中心説を採用した理由の一つは、地球中心説を採った場合の諸天体の運動状態の計算が、太陽中心説を採った場合のそれよりもはるかに複雑になる、という点にあった。神の理性は複雑をではなく単純を選んだであろうとコペルニクスは考えた。そして、科学に、こうした信仰に由来する一種の信念が持ちこまれるのは「前近代的」である、と現代では見なされる。
 しかしながら、自然界の構造を定式化するのに、できるだけ簡単な形に仕上げる、もしくは、その定式化は簡単な形になるはずだ、という信念は、われわれにも前提にされており、そうした信念が、経験にもとづくものというよりは、経験に先立つものという性格を備えていることは明らかであり、その点では、われわれもコペルニクスと同断(どうだん)である。それではわれわれも「前近代的」なのであろうか。
 フランスの、科学的犯罪捜査法を教える学校では、教室にスローガンを掲げているという。
「眼は、それが探し求めているもの以外は見ることができない。探し求めているものは、もともと心のなかにあったものでしかない。」 注 帰納induce?演繹deduce
      ニュートン  1642〜1727
      コペルニクス 1473〜1543
ワンフレーズまとめ

ワンフレーズ感想
  機械と人間 中岡哲朗

 人間が「物」を造るには必ず「手」を使う。手によって物の形を変える。そこにわれわれの役に立つ物が出来上がる。ある場合には、出来上がった物自身を道具としてさらに別の物が造り出される。それがまた道具となる場合さえある。道具が複雑化すれば機械となる。そしてわれわれの手によって直接造り得る物とは比較にならぬほど大きなもの、精巧(せいこう)なものが機械によって容易に造り出されるのである。
 しかしながら道具や機械がどんなに進歩しようとも、それが手の延長であり、手によってあやつり得るものである限りにおいて、ある種の制約を免(まぬか)れることは出来ないのである。しかもそれは手で動かしても容易に形がくずれたり壊れたりしないほどに丈夫でなければならない。すなわち物理学でいうところの「固体」でなければならない。複雑な機械となれば、単一(たんいつ)な固体ではなく、多くの固体が特定の仕方で連結されねばならぬことはもちろんである。いずれにしても「技術」といわれるものは、常にこのような一定の形と強さをもった機械を不可欠の要素としていることは、改めていうまでもないであろう。
 ところが物の形を変えて新しい物を造り出すという仕事には、もう一つの不可欠の要素がある。それはいうまでもなく、物を動かすのに要する「力」である。手の指先の器用さと同時に、腕の筋肉の力が必要であったのである。それぞれの機械になんらかの形で動力が補給されねばならない。それはあるいは蒸気の膨張する力であり、ガスの爆発の力であり、電気の力であった。しかしながら力自身は本来形のないものである。ただそれが形のある物に伴っているが故に、われわれはこれを制御(せいぎよ)し得たのである。高所から落ちてきた水自身が運動のエネルギーを持っていたが故に、それを電力に変えることが可能であった。電力そのものもまた、それが「針金」という固体の中を流れる電流という形において初めて人間の手であやつり得たのである。空間を伝わる電波はアンテナによって捕らえられて初めて有用となるのである。
 このようにして人間がいろいろな形の力を利用して、さまざまな物を造り出すに当たって、直接相手にしているのは、常に固体または固体の連結したものとしての機械であり器具である。しからばそれらを造り出す材料となっている物自身は、一体どこから得たのであるか。
 それらはなんらかの形で初めからそこにあったのである。人間のいるといないとにかかわらず、自然物として存在していたのである。物を造るのに必要な動力はどこから出てきたのであろうか。それももちろん、自然が本来持っていた力以外の何物でもない。現に自然自身がわれわれの存在すると否(いな)とにかかわらず自分自身の中に包蔵する力によって、不断にその姿を変えつつあるのである。山上の土は絶えず雨水(うすい)によって平地へ運ばれている。動物や植物が数限りなく出来てはなくなっていくのである。
 この休止することを知らぬ自然自身は一体誰が造ったものであるか。造り手の姿はどこにも見えないが、人間との類推によって造物者を想像することは勝手である。しかし造物者は人間のように「手」でもって物を造りはしないのである。特別な道具、特別な機械を使うのではないのである。文字通り自然に物の姿が変わり、物が出来上がっていくのである。「天道もの言わずして品物とおり歳功なる」という言葉の通りである。人間自身の肉体もまた自然の所産として、道具を使わずに造られたものである。肉体の一部であるところの手自身は、けっして固体としての道具ではないのである。
 造物者が手を使わなかったとするならばその代わりに使った物は何であったか。人間との類推によって造物者の心を想像することも勝手である。その心はしかし人間よりはるかに理性的なものである。自然は自分自身の規則を持っている。そしてそれから逸脱(いつだつ)した振る舞いをすることはけっしてないのである。自然力の発現、自然の姿の変化は、すべて自然が自ら定めた規則に忠実である結果として生まれてきたものである。造物者は他を動かす「手」を持たない。造物者自らの「心」に従って変化していくのである。
 しからば造物者の心は何によって知り得るであろうか。人間の心は果たしてなんらかの仕方でこれと共感し得るのであろうか。これに対して解答を与えるものは「科学」である。科学は現に自然自身が遵法(じゆんぽう)しているさまざまな規則を見つけだしているのである。いかなる方法によってこれを見つけだしたのであるか。あたかも目に見える顔形を通じてその人の心を察し得るがごとく、目に見える自然の姿を通じて造物者の心を察し得たのである。物を造るのに「手」が必要であったのと同じ程度において、物を知るには「目」が必要であった。しかしながら目が単なる肉眼に止(とど)まっている間は自然の表層しか見ることが出来なかった。顕微鏡が発明され、エックス線発生装置が考案され、それによって肉眼が補強されて、初めて自然の本当の心を見抜くことが出来たのである。しかしそれらはまた、すべて人間の「手」によって造り出された「機械」であった。ここでも機械が人間と自然を結ぶほとんど唯一の通路として横たわっているのを見いだすのである。しかしそれはけっして孤立しているのではない。形ある物として機械の背後には目に見えない自然力があり、物も力も不動の自然法則に従って変化していくものであることを忘れてはならないのである。


ワンフレーズまとめ



ワンフレーズ感想 









   現代の神話   山崎正和

 時代を問わず場所を問わず、人間が生きているかぎり「神話」のない社会というものはありえない。
 大昔の本物の神話から、近代の比喩的な意味での「神話」に至るまで、人間には社会を支える常識というものがあり、それは多かれ少なかれ宗教的信条に似た形をとる。人はそれを疑いがたい前提として話を始め、それを無言の約束として日常の社会生活を営んでいる。多くの人々は無条件に尊敬の頭を垂れ、少数の賢明な人も、あえてそれが事実であるかどうか疑おうとはしない。
 もちろんどんな神話でも、深く考えればぼろの出ない神話というものはない。しかしその反面、よい神話というものはどれほどぼろを出しても、なお生き延びてゆく不思議な性質を持っている。今の世の中に、キリスト教神話を文字どおりに信じている人は少ないだろうが、しかし、キリスト教は生き延びている。「天動説」に至っては、そんなものを信じている人はだれもいないが、それにもかかわらず、だれもが「日の出・日の入り」という言葉を使って疑わない。
 人間は、宿命的に「神話」というものを必要とする生き物なのである。
 人間にものを疑う精神が必要なのは言うまでもないが、そのためにも、社会には仮に疑わないですませる無言の約束というものがいるのである。我々はものを疑うためにも飯を食わねばならず、社会の中で飯を食うにはそれだけのルールに従わねばならない。そのルールまでいちどきに疑ってしまえば、我々は肝心の懐疑精神を養う栄養すら失ってしまうことになるだろう。
 言うまでもなく、二十世紀の現代にもさまざまな神話がある。そして現代の最大の神話は、我々はすべての神話を打ち破ってしまったという神話である。なるほど「男は女より偉い」という迷信は打ち破られたし、「アメリカは天国だ」という伝説も打ち破られた。だが、男は別に女より偉くはないとしても、その後に生まれた「男女平等」という説も、また一種の神話ではないのだろうか。言うまでもなく、人類は男と女の二種類しかいない。人間はすべてそのどちらかに属しているとすれば、「平等」などといっても、いったい両者を比較するどんな中立的な立場があるのだろう。人種や個人の平等という場合なら、必ず比較される立場の第三者というものが存在する。そういう審判員のいない男女の関係については、結局、男の「男女平等」と、女の「男女平等」の二種類が生まれてしまうほかなさそうである。
 現代信じられている常識も、疑えばこんなふうに疑えるのであって、それはなにも「男女平等」の理論には限らない。「神は万能だ」という代わりに「科学は万能だ」といってみたが、はやくもそういう楽天主義は大きなぼろを出し始めている。「伝統は善だ」という説も十分に疑うに足るようである。それにも係わらず、人間は性懲りもなく神話を求める動物であるらしい。
 しかも、現代の神話は、過去のいかなる神話よりも頑固で、傲慢にのさばっている。なぜなら、それは古い神話を打ち破ったという自信に裏付けられており、それ自身は神話ではないという錯覚に支えられているからである。言い換えれば、現代人は神話に対する醒めた心を失いかけているのであって、その結果神話を飼い慣らして使うという知恵も失いかけているのだといえる。

ワンフレーズまとめ


ワンフレーズ感想  



  歴史の発見 木村尚三郎

 我々に残された、我々の眼前(がんぜん)に浮き沈みする膨大な史実は、歴史家がそのあるものを取り上げ、他を捨て、そして取り上げたものに重要度の価値づけをおこない、因果(いんが)関連をつけることによって、はじめて過去を物語るものとなる。つまり、我々に「理解された過去」は、過去そのものではなく、理性による構成物にすぎない。
 過去は、それが記述された瞬間、過去そのものではなくなり、一つのフィクションと化す。そして、いかなる形のフィクションとして構成されるかは、一に記述者・歴史家の主体にかかっている。
 我々の過去を考えてみよう。五歳のときの自分はどんなだっただろうか。記憶はおぼろげになっている。我々は史料によって自分の五歳像を再構成しなければならない。どんな史料があるか。もっとも信頼するに足ると思われる「客観的」な史料、それはふつうのばあい古ぼけたアルバムの写真だろう。そして、これに加え、写真についての両親の説明。これはいわば「主観的」な史料だ。
 アルバムには五歳の自分を撮った写真が十枚あったとしよう。では十枚の写真をそのまま満足させるような五歳像をつくりあげれば、それが五歳の自分の、真実の姿となるだろうか。否(いな)である。つまり、アルバムの写真は、結局のところ撮影者である両親の主観によって、子どもの真実のほんの一瞬、一断面を切りとったものにすぎないのだ。何を切りとるかは記録者の主体にゆだねられている。ということは、アルバムの十枚の写真は、さしあたりは、あくまでも、両親にとっての子どもの真実、ないしは両親にとっての子どものあるべき姿、つまり両親が描いた五歳像を表現しているのだ。したがって、この十枚の写真は、すべて偶然的、恣意的(しいてき)な史料でしかないかもしれない。真実の五歳像をありのままに再構成するてだては、もはや永久に失われているともいえるのだ。
 我々が過去を再構成する際に主として依拠(いきよ)せねばならない文書史料は、この写真と同じ性格をもっている。そこには当然、文書作成者──それが法人や国家であっても──の主観が、意識的・無意識的に入りこんでおり、文書作成者による事実の選択と価値づけがなされている。

ワンフレーズまとめ

ワンフレーズ感想
 二十世紀とは何だったのか 佐伯啓思(けいし)

 オルテガはおもしろいことをいいます。今日における大衆の典型はいったい何かといえば、それは各種の専門家であるというのです。別に日雇(ひやと)いの労働者であるとか、あるいは庶民的な理髪師であるとか、中小企業のおやじさんであるとか、そういう人ではなく、典型的な大衆は、むしろ社会のエリートである知的な専門家だと説明します。
 それもそのはずで、結局、ヨーロッパの大衆を生み出した条件は、十九世紀の近代が築き上げた富であり、人間の自由であり、平等だからです。ヨーロッパは科学技術を発展させ、民主主義という理念を掲げ、それなりに実現させた。これこそがヨーロッパを大衆社会に変えた。ということは、典型的な大衆とは、そういう近代社会の申し子であり、その恩恵を一身に受け、その最先端を行く者なのですね。
 つまり、西欧近代の進歩主義や技術主義や民主主義、つまり近代主義というものを心から信じている者、それこそが典型的な大衆なのです。その典型はといえば、科学的な精神をもった専門家や技術者、ある種の知識人ということになります。
 科学的な専門家は、要するに自分の狭い世界のことしか知りません。世界の小さな社交界にしか属(ぞく)していない。にもかかわらず、自分の属している世界がすべてだと感じている。
 その結果、自分がその中で育ち、獲得してきた世界についての見方がすべてを理解するカギだと思ってしまう。実際には、彼の知っている世界は非常に偏(かたよ)ったもので、本来ある特定の観点から世界を切り取ったものでしかありません。しかし、その特定の世界の見方が世界全体である、これで世界を動かすことができると考えてしまう。だから彼は積極的に政治にかかわり、彼の世界観や社会観が政治的に実現されるべきだと思っている。この一種の無意識の思い上がりこそが、現代の大衆の典型であるということなのです。
 たとえば、経済なら経済という非常に狭い世界しか知らない。しかし、それにもかかわらず、経済の狭い世界が世界全体であるかのように、それが客観的な世界であるかのように思いこんでしまい、自分の狭い専門世界から得てきた意見が絶対的に正しいものだと考える。それは政治的に実現されるべき権利をもつと考える。
 もちろんこれは、われわれが通常いうところの大衆と貴族、あるいは大衆とエリートという対比とはまったく違います。むしろ現象的(げんしようてき)にいえば、エリートと目(もく)されて社会の中心部にあり、世界を動かそうとしている者こそがオルテガのいうところの大衆なのです。〈 中略 〉
 みなと同じような意見をもった、凡庸(ぼんよう)な者の政治的権利が正当なものとされる。それが大衆民主主義の場で世論を形成するわけです。そういう転倒した社会になってしまった。このようなニーチェ的な考えをオルテガは受け継いでいるのです。
 オルテガ自身は明らかに自由主義者です。いわゆる十九世紀型の自由主義者。古いヨーロッパがもっていた真のエリート主義にまだ期待がもてた自由主義を彼は受け継いでいる。
 しかし、それは二十世紀の大衆民主主義とは決定的に対立するわけです。二十世紀社会とは、そういう意味では自由主義よりも民主主義の側に力点(りきてん)が傾いていった。それは、大衆人による民主主義の時代だということができるでしょう。
 しかし、さらにいえば、はたしてこれは二十世紀初頭(しよとう)に限られた現象なのでしょうか。それどころか、オルテガのいう大衆の時代とは、まさに今日の状況をも指しているのではないでしょうか。

オルテガ・イ・ガセット(1883〜1955)=スペインの哲学者『ドン・キホーテをめぐる思索』『大衆の反逆』
ワンフレーズまとめ



ワンフレーズ感想
   進化と人間行動 長谷川寿一

 言語にしても文化にしても、その背景には持続的な互恵性や信頼、共感といった感情が不可欠であったと考えられ、それらこそがチンパンジーやゴリラをはじめ他の動物には欠けているものだと思われます。言語は他者との意味の共有があって初めて成立するものですが、意味の共有は他者との共同行為や共通の行為目標を前提としています。ときには言葉でだますこともありますが、言葉が嘘を伝えるよりも正直なメッセージを伝えることの方がはるかに多いことは明らかです。「疑心暗鬼」ではコミュニケーションはけっして円滑(えんかつ)には進みません。相手の真意をはかりつつも、言語は基本的には相互信頼の上に成り立っているものなのです。
 文化にしても、模倣という行為がその基礎にある以上、他者の発する情報を信用することを前提にしています。たとえば、子どもや若者たちは親をはじめ年長者の行為をいともナイーブに模倣し、文化の伝統に染まっていきます。伝統や宗教や流行の「感染力」が、理性的な判断能力をものともしないほど強力なものであることもよく知られています。模倣行動には大きく分けて2つの種類があり、その一つが他者と同じ行動を繰り返す「付和雷同」的な模倣(例 その先に求めるものがあるかどうかはわからないが、大勢が向かっているから取りあえず自分もそちらへ行ってみよう)、もう一つは他者の行為の結果に応じて意味がある場合にのみそれを模倣する真の模倣(例 他人がきのこを試食しても腹をこわさず美味いというなら自分も食べてみよう。他人が下痢をしたらやめておこう)です。校舎の方が、他者の有する情報をより正確に利用できるのですが、人間はつねに慎重とはかぎりません。むしろ、現実の人びとは他人の行為の最終結果まで見極めようとはせずに、ある意味で無防備のまま他人と同調しようとする傾向が非常に強いのです。
 人以外の動物は、模倣がきわめて不得手であることが知られていますが、皮肉にも、人はサル以上に「サル真似」の達人であるようです。すなわち、人は動物界では例がないほど、他者を信じやすく(裏を返せばだまされやすく )他者による影響や呪縛(じゆばく)から逃れられない生物のように思えます。そしてその背景には、他者との間互恵信頼という頑固な心理メカニズムが生得的に組み込まれていると思われます。おそらく祖先たちは、長い進化的な時間をかけて、互恵的なシステムを築きあげてきたのでしょう。人間は生来(せいらい)、社会的動物であるという認識は的を射ています。〈  中略  〉
 ここまでで、チンパンジーと人の間の連続性と差異化の歴史を駆け足でスケッチしました。そして、人とチンパンジーの大きな分岐点のひとつが、人類が安定した互恵的関係を築き上げることができた時点ではなかったかと推論しました。人類は長い時間をかけて、生物界でも無類の互恵性とその維持メカニズムを進化させ、それが今日の繁栄の肥沃(ひよく)な土壌になったのだろうと論じたわけです。進化生物学的視点に立てば、モラルは近代社会の文化や制度の産物ではなく、その起源は言葉も文化も未発達な数百万年前の狩猟採集社会にまで求められることになります。研究者の中ではまだ少数派ですが、利他主義や共感、信頼、社会的公正感といって特質には、かなり強固な遺伝的な基盤があり、それらは人間に組みこまれた本性にちがいないと私は考えています。しかし、たとえこれらの美質が生得的であったとしても、調和的な社会が自動的に実現されるはずもありません。多種多様な現実社会の制約条件が存在し、われわれに内在する他の本性(その中には攻撃性も想定できます)との相互作用もあるからです。多くの先達(せんだつ)が述べてきたように、自然はけっして単純にはモラルの権威たりえないでしょう。政治や社会正義に関する決断は、最終的には個々人の意志と判断によって下されるべきものだと私も思います。ただし、人の本性とその由来(ゆらい)を知ることは、けっして無駄な試みではありません。生理学が医学に、生態学自然保護運動に礎(いしずえ)を供(きよう)するように、人間性に関する生物学的理解はモラルの在り方を論ずるときに基本的視座を与えてくれるものなのです。
  注 生態学エコロジー
ワンフレーズまとめ


ワンフレーズ感想





  自 信       加藤諦三
 自信のない人は、ありのままの自分を受け入れてくれる人の前でも、自我防衛を行う。自信のある人はこの逆である。「窮鳥(きゆうちよう)懐(ふところ)に入る時は猟師もこれを捕らえず」という。猟師は鳥をとることを仕事としているが、窮(きゆう)して自分を頼りにして懐にとびこんでくる鳥は捕まえない、というのである。このように敵に接しても味方と思う人もいる。
 自信のない人はまず自分のおかれている現実を正しく解釈することが必要である。自信のない人は自分の味方を敵と思っていたりする。また、逆に本当は自分の敵なのに味方と思い、その人を尊敬してゆがんだ関係をつくり、それにしがみついていたりする。
 自信のない人が自信をもつためには、自分の周囲にいる人間の正体を見破ることが必要である。たとえばいま尊敬している親の正体はどうであろうか。情緒的に未成熟な親は、子どもの自然な成長を待てない。つまり、自分の内面が不安であるから、その不安から行動してしまう。そして、子どもが自分でやるべきことを先回りしてやってしまう。そして自分は「よい親」「立派な親」と錯覚する。子どもも「よい親」と錯覚させられ、感謝してしまうケースがある。過保護は偽装(ぎそう)された憎しみであるという。つまり、その親はみずからの内なる憎しみを過干渉、過保護というかたちで表現しているのである。ところが、その憎しみの行為の多い親を、「よくやる親」と親も子どもも錯覚する。その「立派な親」の正体は、不安な親、憎しみにかられている親なのである。不安や憎しみが正体であるにもかかわらず、愛と道徳という仮面をつけて登場する人間はこの世にたくさんいる。
 自信のない人はこのような人間に翻弄されることで、自信を失ったのである。彼は周囲の思惑や期待に身を低めて従おうとしたのである。彼はそのように努力することによって、疲れはててしまったのである。他人に嫌われることが恐くて、身をすりへらして好かれようとする。体面(たいめん)を維持することに腐心(ふしん)するあまり、自分は空無(くうむ)となってしまう。
 依存心が強ければ強いほど、その人は依存する対象への要求を激しくする。自分が心理的に依存する人に対しては、その人の気持ちの持ち方にまで激しい要求が出てくる。「はい」と肯定的な返事をしても、その気持ちが気に入らなくて怒り出す。つまり、依存心の強い人と深く付き合った人は、実にさまざまの、しかも強い要求をいつもされることになる。その広範にして深い要求に接して、人は心理的にゆがんでしまう。
 依存服従の関係がいったんできあがってしまうと、一方は服従になれてしまっているから、相手を恐れて、相手が依存心の強い情緒的幼児であると見抜くことがなかなかできなくなってしまう。関係がゆがんでいればゆがんでいるほど、その関係から抜け出せないというのは、こうした理由による。つまり一方は、全面的に深く服従にならされてしまっているのである。
 われわれが自信をもつためには、まず第一に、自分の周囲にいる人の正体を見破ることである。その正体を見破った時はじめて、なぜ、自分はこんな「ずるい」人間によく思われようとへとへとになっていたのか、とおかしくもなる。
 人間というのは、表面と内面は、時にまったくちがうものである。たとえば、多弁(たべん)な社交家に見える人が、対人恐怖症であったりする。対人恐怖症であるからこそ、、つぎつぎと話題をだして多弁になるということである。
 自己中心的な傾向の強い人は、人前では逆に振る舞うことがある。だから、自信のない人は他人を見まちがえるのである。このような人は、自分の本心と逆の行動をしているから心理的には緊張している。しかし、自信喪失している人は、この相手の緊張を見抜けないのである。
 我執(がしゆう)の強い人が、人前(ひとまえ)できわめて柔和(にゆうわ)に振る舞う時がある。「なんて柔和な人」と言われている人の中には、自己中心的激情をもつ我執の強いひとがいる。
 他人の正体を見ぬくと同時に、われわれは自分の正体も見ぬく必要がある。高慢な人は、自分が対人関係で緊張しているからだと知る必要がある。
 他人の正体を見破り、自分の正体を知ると同時に、自分の人間関係も正しく見ぬく必要がある。自信がない人は、好かれたいという欲求から、好かれなければならない、優越しなければならないという要請を自分にする。そして、その要請の実現が自己の生存に必要欠くべからざるものと主観的に感じてしまう。客観的に必要なのではなく、主観的に必要と感じているということである。ゆがんだ関係であればあるほど抜けだしにくい。
 自信のある人は、努力しなくても、自然と他人の正体が見えてくる。ところが、他人の正体を見ぬく必要のある自信喪失に悩む人こそ、実は、他人の正体、自分の正体をなかなか見ぬけないのである。

ワンフレーズまとめ


ワンフレーズ感想
 現代〈子ども〉暴力論  芹沢俊介

 生まれてくる子どもは、自分が生まれるべきか否(いな)かを考えたり選んだりすることができない。また生まれてくる子どもは、自分を生む親を誰にすべきか選ぶことができない。もうひとつ、生まれてくる子どもは自分の身体および性を選ぶことができない。生まれてくる子どもはこうした三重の不自由を背負っている。三重の不自由は三重の暴力と言い換えてもいい。いずれにしろ子どもは根源的に三重に受け身であることは確かである。この根源的な受動性を(※)イノセンスと呼ぼう。子どもは根源的にイノセンスである。イノセンスであるということは、あらゆる行動の責任を問われることがないということだ。なぜなら、――(※)トートロジーになるが――子どもは自分の意志で生まれてくることを選んだわけではないからである。「七歳までは神のうち」というこの国の古い諺(ことわざ)は、子どもの本質がイノセンスであることを図(はか)らずも物語っている。
 子どもがおとなになるためには、その本質であるイノセンスを捨てなくてはならない。イノセンスを捨てるということは、さきに挙げた三重の不自由を自ら選び直すことを意味する。三重の不自由は三重の(ロ)暴力であるという観点に立てば、この選び直しの過程は、子どもによる三重の対抗暴力と化すことを意味する。親は子どもによるこの三重の暴力を受け止め、肯定し、三重の不自由が実は自分の存在の根拠であるというように能動的な選び直しを子どもができる機会を作っていかなくてはならない。自分がこの世に生まれたことを肯定し、自分がその親たちから生まれたことを肯定し、自分がこの身体この性として生まれてきたことを肯定する。こうした三重の肯定が子どもがひとりで世界と出会うための契機である。
 こうした三重の肯定、つまり選び直しに失敗したらどうなるか。たとえば拒食症や過食症は身体と性の選び直しに失敗した子どもの例であろう。たとえば家庭内暴力は親の選び直しに失敗した例であろう。たとえば死の危険をかけたシンナー吸引や自殺は生の選び直しに失敗した例であろう。これらの例や子どもが現在引き起こしているさまざまなできごとの核には、このような三重の拘束や不自由を自分が世界に存在する与(米)件として積極的に選び直すことに失敗した体験が見いだされるはずだ。そして子どもの選び直しの失敗には、親=おとなが(※)関与している。
 親にとって、自分の子どもによってふるわれる最大の暴力はなにか。子どもをこのような身体と性に生んだという事実、つまり自分が親であることを否定されることである。ところが子どもにとって不可避の課題は、三重の不自由、三重の暴力、つまり根源的な受動性から自己を解き放つことである。こうして親にとって自分の子どもにふるわれる最大の暴力が、子どもにとって不可避の課題となるという(※)パラドックスが生じる。子どもは言葉やらイメージやら身体やらあらゆる可能な手段を用いて、親殺しを遂行する。これは避けられない。おとなはどうすべきか。この子どもの暴力を受け止めなくてはならない。なざなら、子どもを生んだということが、親が子供にむけて最初にふるった暴力なのだから。「お母さんを殺したい」という欲望の表出は、子どもの本質がイノセンスであり、そのイノセンスから子どもが自らを解放したい、(※)能動的に自己を選び直したいという抗(あらが)いがたい課題がひとつの具体的な形をとって遂行された例にすぎない。この表出行動は子どもが親を熱愛しているかどうかにかかわりなく、生じる。親はだから、このイノセンスの表出すなわちイノセンスを解体したいという欲求の表出をただ受け止めればいいのだ。肯定しさえすればいいのだ。そうすれば子どもは、自己の選び直しの機会を得たことになる。イノセンスを脱し、世界に対し行動し、その行動に責任をとることが可能な態勢に歩み入れるのだ。

註 ※イノセンス=罪のないこと。無邪気なこと。
トートロジー=同語反復
   与件=前もって与えられた条件  
   関与=能動的に関係すること  
   パラドックス=逆説?オーソドックス
   能動的?受動的
経済の機能様式=表現の仕方

ワンフレーズまとめ



ワンフレーズ感想


   情熱を喪った光景   西尾幹二

 われわれは通例、木や花や雪や色等々が、あたかも、これらの事物や事柄を正確に指し示す能力を持っている言葉であるかのごとく用いている。だが、よく考えてみれば、気というものはどこにも存在しない。松や杉や檜(ひのき)や楓(かえで)が存在するだけである。いや、実際には、松も杉も檜(ひのき)やも楓(かえで)も存在しない。存在するのは、「あの松」や「この松」だけである。指で直接示すことのできるものだけが存在する。こうして、抽象の段階をどこまで降りていっても、われわれは言葉をつうじて「木そのもの」に到達することはない。つまるところ、言葉というものは、自然の多様性と個別性を無視することによって成り立っているのであろう。
 これに対し自然は、いかなる言葉も、いかなる概念も、そしていかなる種族も知らない。「自然とは、われわれには近づき難い、定義し難いXなのである。」「いずれの概念も等しからざるものの等置によって成立する。一枚の木の葉が他の一枚にまったく同じだということがけっしてないのは確実なことなのだが、木の葉という概念は、個性的な多くの相違点を任意に捨て去ることにより、種々の差別相の忘却により形成されたもので、それによって、自然のうちに、あたかもさまざまな木の葉のほかに葉そのものともいい得るような根本形式が存在するかのような観念をよびさますのである。」(ニーチェ
 以上のような問題の出し方は、言葉というものの原理からいって、きわめて当たり前な事実の指摘かもしれないが、「葉そのもの」というような錯覚をよびさます必要がどうして人間には存在するのかということは、また別個の問題であろう。人間はなぜ言葉という嘘(うそ)によって真実が得られるかのごとき錯覚をつねに必要としているのだろうか。
 ニーチェは、それは人間が真実を知るためではなく、個体を維持するというもう一つの目的のためだという独特な解釈をつけ加えているのである。人間は、生きるために、道徳外の意味において、虚偽を必要としているのではないだろうか。「真実なものを少しも知り得ない場合には、欺瞞(ぎまん)は許されている。」さもなければ、人間は何も言えぬし、何も行なえぬであろう。
 人類は必ずしも真理を欲(ほつ)していない。人類が渇望(かつぼう)しているのは、「生を維持する、真理の快適な結果にすぎない。純粋な、結果のない認識に対しては、人類は無関心なのである。それどころか、ひょっとすると生にとって有害で破壊的な真理に対しては、敵意をさえいだきかねないものである。」破壊的で、結果のない、怖るべき諸真理を忘れることによってはじめて、人は、ひとつの真理を手に入れる。すなわち、それはひとつの虚偽を手に入れる、ということと同じ意味であろう。
 人類は何百年の習慣に従って、無意識に自己を欺(あざむ)きつづけてきたのである。それは生をまっとうするためには当然の要求であろう。「真実とは、それがイリュージョンであることをすっかり忘れられてしまったところのイリュージョンである。」イリュージョンなしでは、錯覚なしでは、いいかえれば忘れることなしでは、人類はもはや生存することさえもできないであろう。
 ここには危機的な色合いを帯びた生の概念がある。ややこしい概念の戯(たわむ)れと思ってはならない。孤独と寒冷と病苦のなかへ足を踏み入れていくニーチェの生の形式というものとの関わりにおいて考えてみなくてはならないであろう。
            注 ニーチェ(1844〜1900)
ワンフレーズまとめ


ワンフレーズ感想


参考 ピアノを弾くニーチェ 木田 元

 今日、八月二十五日は、私の敬愛する独逸の思想家ニーチェの命日である。
 この人は十九世紀の後半に、それまで西洋文化の形成を導いてきた超自然的な原理――「イデア」とか「神」とか「理性」とか、呼び名はその時どき変わったが――が効力を失ってしまったということを「神は死せり」という言葉で宣告し、その超自然的原理によって抑圧(よくあつ)されてきた生きた自然をもう一度復権しようと企(くわだ)てた。
 このニーチェほど二十世紀の思想界に大きな影響を与えた人はいなかったし、その思想には、私たち日本人にも共感できるところが多い。
 だが、この人の晩年はまことに痛ましい。一八八九年一月三日に、彼は旅先のイタリアのトリノの町で精神錯乱を起こし、以後十年あまりを母と、次いで妹に看とられながら過ごして、十九世紀最後の年、一九〇〇年の今日、ワイマールで永眠した。まだ五十五歳だった。
 ニーチェは、一方で強靱(きようじん)な思索を展開しながらも、他方では豊かな感性に恵まれ、自分で作曲をしたり、ピアノを弾いたりもできたそうだ。
 発病後、母親とイエナで暮らしていたころのこととして、こんな話が伝えられている。母親が知人の家を訪ねようとすると、まるで子どものようにニーチェが後を追ってくるので、彼女は彼をその家のピアノの前に坐らせ、いくつかの和音を弾いて聴かせる。すると彼は、何時間でもそれを即興で変奏しつづける。その音の聴こえるあいだ、母親は安心して知人と話ができたという。
 この話を読むたびに私は、いつも胸のつまる思いがする。今日一日、この思想家に思いを馳(は)せて過ごそうと思う。

   人間の限界   霜山徳爾

 「宿かさぬ 火影(ほかげ)や 雪の家つづき」(蕪村(ぶそん))──知性に富む、若い初期の分裂病者に、この句をきかせると、彼は痛いほどそれが判るという。彼自身が精神の病によって、いやおうなく深い寂寥(せきりよう)の内にいるからであろう。しかし、同じ蕪村の句でも「さくらより 桃にしたしき 小家かな」に対しては、全く何のことか判らないと途方(とほう)にくれる。桃の花というものは野暮(やぼ)なもので、桜のように高雅(こうが)でないから、小さな家には似合うのだと注釈を加えても、彼はまださっぱりと理解できない。ここに暖かい心が枯れてしまった彼の限界がある。
 ヒューマニズムとか、社会的連帯とか、美しい言葉が多く語られるが、そもそもわれわれは他者をどこまで了解できるのだろうか。相手の心の底まで分明(ぶんめい)に判ることができるのだろうか。それは考えるにはおよばない。その問いを逆にして、自分が小さい時から今日まで、たった一人でも、誰かに真に理解されたことがかつてあっただろうか、と自問してみるがよい。たとえ人生のなかばをこえた、半白(はんぱく)の老人でも、冷たい風が棟(むね)を吹き抜けていくのを感じるであろう。愛情をかわした者がいたから、そんなことはない、と反駁(はんばく)する人がいるかもしれない。その人にとってそれが救いならそれでもよい。それはほとんど美しい誤解にすぎないのだが。
 人間の限界とはいったい何であろう。限界という言葉は、たとえば限界状況などという形でよく使われる。しかし多くは若者が勝手に思いこんでいる大げさな表現であり、人間のぎりぎりの危機を示しているのではない。また限界とは有限性を示すものであるが、それならば無限ということ、永遠ということは人間にとって何を意味するのであろうか。たしかに限界といっても、智慧(ちえ)のそれもあるし、さらに志操(しそう)、人格、社会的活動のそれもあるし、また体力のそれもある。限界ということは人間がいかに生きるか、ということと密接にかかわってくる。人間はその全力をつくして生きるべきであるが、それはドン・キホーテともちがう。また努力するのみのファウスト的人間がよいとはかぎらない。人間にはできることとできないことがあり、その分別は重要である。しかし、まさにその故にこそ人生の意味が問われる。
 人間の限界を諦念(ていねん)をもって受けとめているという人がいる。しかし、たいていは立派な偽善である。執着(しゆうちやく)とルサンチマン(遺恨(いこん))のかたまりこそ人間の真実であり、限界の意識に常にからまっている。
 「蜉蝣(ふゆう)を天地に寄す。渺(びよう)たる滄海(そうかい)の一(いち)粟(ぞく)のみ。」と蘇軾(そしよく)は「前赤壁(せきへき)賦(ふ)」の内で述べている。広い世界の内で、人間はかげろうのようなはかない命であり、大海にただよう一粒の粟の実のようなものだ、という意味である。少しでも人生の辛酸(しんさん)をなめたものには素直な実感となるであろう。
 しかし、われわれの多くが過ごすのは、歯切れの悪い、生ぬるい毎日の生活である。 

ワンフレーズまとめ



ワンフレーズ感想

 スカートの風 呉善花(オ・ソナ)

 そのころ、私は大学へ行くかたわら日本の企業でアルバイトをしていたのだが、そこで日本のビジネスマンと接することになり、さらに日本人がわからなくなってしまった。彼らに「何のために仕事をしているのですか」と聞けば、「家族のためだ」とか「食べるためだ」とかしか答えが返ってこない。「夢は? 目的は?」と聞いても多くは笑ってごまかす。「社長になりたくないんですか?」と聞いても、「なりたい」という者もいないし、有名になりたいと言う者もいない。そんな話を聞いているうちに、夢をもっている私が何か罪人のように思えてくるのだった。
 人並み以上の経済力も社会的な地位も、ましてや権力も望まない人たちが懸命に働いている社会。しかも、そのことによって貧困をほぼ一掃(いつそう)することに成功した社会。その事実を目の前につきつけられて、私はそれまでまったく迷うことのなかったみずからの人生観──夢を持って生き、その夢の実現へと向かうことで自分と社会を生かしていこうとする考えに、疑いの念を持たざるを得なくなったいったのである。
 私は、だんだんと、何をやる意欲もなくなっていった。そうして笑うことすらできない状態に陥(おちい)ってしまったのである。
 しかし、日本人はテレビを見てゲラゲラとよく笑う。なぜ夢のない人たちが笑うことができるのか。私から笑いを奪った日本人が笑っている。いったいどういう人たちなんだろう・・・・。何もかもがわからなくなってしまった。
 すでに夢をなくした私は、もはや夢を語ることの好きな韓国人たちと話をして安らぐこともできない。日本人も嫌、韓国人も嫌、そして自分自身はなおさらのこと嫌になった。
 夢もなく、お金持ちにも権力者にもなりたいと思わずに、ただ黙々と働く日本人の、ほがらかな笑い顔──なぜあの人たちは笑うことができるのか? 出世競争で後輩に追い抜かれた男が、どうして宴会の席で座の盛り上げ役を買って出ることができるのか? 私にも、夢がなくとも笑うことのできる可能性があるのだろうか?
 そうした日々のなかで私は、日本人にはことさら意識されることのない、ありふれた物事が織りなす無数の心のドラマの面白さと出会っていった。そうした体験そのものが面白かった。そう、その一つ一つはとても小さなことなのだ。日本人はまさしくこの楽しさによって生きているに違いないと思えた。
 お金と権力を手に入れて振る舞うことのできる楽しみを思う心が、私のなかではっきりとしぼんでゆくのが感じられた。なぜなら、「ことさらな事や物」がなくても「平々(へいへい)凡々(ぼんぼん)たる事や物」であっても充分に楽しく生きていける世界があることを、日本人の具体的な生活のなかで確かに実感できたからである。
 権力の獲得をねらう毎日であるからこそ充実していたはずの私の日々は、とくに壮大な夢がなくとも毎日をより楽しく送ることができる日本人の生活風景のなかに、消え入るようにして所在(しよざい)を失い、ようやく、夢がなくとも笑える自分を手に入れることができたように思う。
 日本人の一日一日はきわめていそがしく過ぎてゆく。でも、日本人の幸福とはまさしくそのことなのではないか。毎日いそがしく暮らすというよりは、そのように暮らしていられること、それが日本人の幸せなのではないか。私が日本人にそうした言い方をすると、ほとんどの人は「そんなことはない。自分だって楽に生活したいよ」と言う。それならばと、「もし会社でお金をあげるから、三ヶ月でも半年でも好きなことをしてよいと言われたらどうですか?」と聞いてみると、「それは確かに、自分なんかだったら、仕事をするよりもっと苦しいかもしれないね」と、これまたほとんどの人が言うのである。 ー中略ー
 こよなく親しみを感じ、愛着深い日本があり、日本人の友だちもたくさんいるのだが、心からわかり合え信頼し合える日本人の友だちがまだいない。私にはそうした親友がとても必要な気がするのだが、どこか外国人だという一線が相手を緊張させるのだろうか。なんともない日常のなかにふとそうした寂しさを感じるとき、私は教会へ行って神さまにお祈りすることにしている。が、私は決して敬虔(けいけん)なクリスチャンとは言えないかもしれない。なぜなら、自分の幸福を神さまに祈っているからである。
 私は、日本を足場にアメリカかカナダへ行くことが当初からのねらいだった。
 しかし、私はいま日本を離れがたく思うようになってしまった。
 私は、まだまだ日本での生活を続けたいと思っている。心を分かち合える友だちと出会うためにも、また心を許しあえる恋人と出会うためにも、決してふたたび閉じることのない心を自分のものにしてゆきたいと思っている。

ワンフレーズまとめ


ワンフレーズ感想
   悠々として急げ 外山滋比古

 フェスティナ・レンテ(Festina lente)
 「ゆっくり急げ」という意味のこのラテン語の文句を知ったのは、もう二十年以上前のことになる。
 そのころ、ある出版社の嘱託(しよくたく)をしていた。小さな社だから、仕事は別でも、社員はみんな親しい仲である。私はある雑誌の編集を任されていたが、書籍の出版の人たちともよくおしゃべりをした。あるとき出版部のKさんが、
「あの先生の葉書には、いつも最後にフェスティナ・レンテと書いてあるんだもの。叱られているみたいだわ。」
 と笑った。学校を出てまもないこちらには、初めて聞いたときには何のことかわからない。きき返してやっと、ラテン語の有名な言葉らしいとわかった。
 Kさんは調べていたらしく、スウェトニュースという人が言ったんだって、ということまで教えてくれた。
 〝あの先生〟とは京都大学西洋古典学の教授だった田中秀央博士である。
 博士にはその出版社に古典語文法の著書があって、そのころ改訂版の準備を進めておられた。担当のK嬢(じよう)のところへしきりに連絡があった。そのつど、必ず、最後に、フェスティナ・レンテのラテン語が書かれている。それをKさんはおもしろがり、私はびっくりした。
 こちらは若いから、そんな文句は面白くない。ことはさっさと済ませてしまいたい。ゆっくり急げ、なんて、年寄りの言うことだ、と内心バカにした。
 Kさんも若かったから、面白くなかったのだろう。
「私からの、早くお願いします、という手紙の返事の葉書にフェスティナ・レンテでしょう。そんなに急いでどうする、と皮肉られているみたいで。」
 逆に、校正の出方が少し遅れると、校正はまだですか、という葉書が来る。そして、やはり、終わりにフェスティナ・レンテ。これは、何をぐずぐずしているのか、と言われているみたい。実際、よく利(き)く言葉だわ  Kさんは感に堪(た)えたように言ったものだ。
 それから十年以上たって、あるとき、ふとフェスティナ・レンテがすばらしい知恵のように思われ出した。それ以後、折にふれて、思い出す。かつて、つまらぬ教訓のように考えたのが恥ずかしい。
 つまり、こちらが年を取った、ということである。青年は教訓が好きだ、といわれるが、せっかくの教訓がまるでわからない青年もたくさんいる。
 ちょうどそのころから、おとぎ話が面白く思われ出した。
 小学校の時に、うさぎとかめの話を聞いた。歌になったものも歌った。しかし、それはうさぎとかめのことだと思っていた。人間にもあてはまることがあることはわかっていても、人間の生き方そのものを比喩的、寓意(ぐうい)的に表しているとは考えなかった。
 なにしろ〝チョイトココラデヒトヤスミ〟グーグーグーである。難しいことなど知ったことではない。かめに抜かれてうさぎが慌てるが、あとの祭り。人間の社会にはいくらでも、うさぎ氏がグーグーグーグーやっている。それを小学生に教えてみせても、わかるわけがない。早すぎる。
 歌を歌った子供に、うさぎが偉いか、かめが偉いか、きいてみよ。かめと答える。それは知っているくせに、みんな、いかにしてうさぎになるかに心をくだく。これではいくら教えてみても役に立たない。
 うさぎが天才なら、かめは鈍才だと決めてしまう。かめは下手をすると、このごろなら〝落ちこぼれ〟という異名(いみよう)をちょうだいしかねない。
 うさぎとかめは働く時間が同じではない。うさぎは、猛烈に走ったと思うと、〝チョイトココラデヒトヤスミ〟となる。かめはそ