谷川俊太郎

今月の詩          
                    2014,7
 先月はいわば哲学史の話をしたので、今月は科学史の話をします。
 コロンブスが北米に到達したのが1492年。ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓したのが1498年。マゼランの船団が世界一周の快挙をなしとげたのが1522年。日本でいうと戦国時代に相当します。そして1543年にははやくもポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えます。
 教会の教えに反する『天動説』を唱え、あやういところで火あぶりの刑を免れたイタリアのガリレオ・ガリレイは16世紀から17世紀(日本でいうと安土・桃山時代)の人です。
 『万有引力の法則』を発表して人々に「もう考えるべきことがなくなった」と思わせたイギリスのアイザック・ニュートンが生きたのは17世紀から18世紀。日本でいうと江戸時代の元禄から亨保の時代。つまり鎖国時代です。

 ヨーロッパ人がグローバルな活動を開始し、科学者が宇宙に目をやっていたころ、われわれの先祖は実に内向きの世界観しか持ち得ませんでした。

 そして、ダーウィン(1809〜1882)がイギリス海軍のビーグル号に乗船し(1834年)太平洋やインド洋のさまざまな動植物を監察した末、1859年に発表し以後の人間の生き方に大きな影響を与えた『種の起源』(生物進化論)は日本でいえば幕末(天保五年)、明治維新のわずか8年前にあたります。

 時間はとんで、20世紀初頭、アインシュタイン(1879〜1955)は、宇宙は均質にできているというニュートンの考えでは説明できないことがあると『相対性理論』を発表します。
 さらにガモフ(1904〜1968)はそれまでの「宇宙は生成期から現在までそのすがたは大きくは変わらない」という考え方(定常宇宙論)に対して「宇宙はあるとき急激に膨張した」という、いわゆる『ビック・バン』説を支持しました。
 この二人の考えは定説化しつつあるように見えますが、まだまだわれわれの宇宙が解明されたと言える段階ではなさそうです。(いったいビック・バン以前の宇宙はどんな姿をしていたのか? 膨らみきった宇宙はどういう姿になるのか?)

 中学の教科書にのっている『二十億光年の孤独』はそれらの学説に接した少年の興奮と空想がファンタジックに膨らんだ傑作です。

  万有引力とは引き合う孤独の力である
  宇宙はひずんでいる
  それゆえみんなはもとめ合う
  宇宙はどんどん膨らんでゆく
  それ故みんなは不安である    ハクシュン!!


 今月はその谷川俊太郎が「二十億光年の孤独」と同じ時期に書いたものを紹介します。


  ネロ――愛された小さな犬に   

ネロ
もうじきまた夏がやってくる
お前の舌
お前の目
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる

お前はたった二回ほど夏を知っただけだった
僕はもう十八回の夏を知っている
そして今僕は自分のやまた自分のではない
いろいろの夏を思い出している
メゾンラフィットの夏
淀(よど)の夏
イリアムスバーグ橋の夏
オランの夏
そして僕は考える
人間はいったいもう何回くらいの夏を知っているのだろうと

ネロ
もうじきまた夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
また別の夏
まったく別の夏なのだ

新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと
醜いこと
僕を元気づけてくれるようなこと
僕を悲しくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと

ネロ
お前は死んだ
誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持ちまでもが
今はっきりと僕の前によみがえる

しかしネロ
もうじきまた夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ
秋をむかえ
冬をむかえ
春をむかえ
更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
すべての僕の質問に自ら答えるために