吉野弘

今月の詩   2014年8月

   A frog jumped into an ancient pond,
  after the silence.

 哲学、科学、とつづけたので、今月は文学。
 授業で話しかけたことの続きです。
 注意深い者は上の英詩を読んで、「?」と感じたはずだが、そのことはわざとじらして後回しにしよう。
 
 一匹の蛙が古代の池に飛びこんだ。
 あとは沈黙。

 もちろん元禄時代に生きた『奥の細道』の松尾芭蕉開眼の句として知られている、(知らない日本人はモグリ、のように有名な)句の名訳です。

 古池や蛙(かはづ)飛びこむ水の音

 「古池」を「an ancient pond」と訳したのはキラーパス。イギリス人やアメリカ人はきっと、たとえばローマ帝国の遺跡で奇跡的にいまも水が湧き出ている池を連想するのではないかしら。しかもそこで一匹の蛙が、数千年前からの記憶をとどめながらたった一匹だけで生き残っている。(たった一匹だけで。)
 それだけでも、この英訳をした人は天才だと思う。でも、二行目はいったい何だ!?
 訳者は「水の音」を訳そうとはしなかった。その代わりに
音がしたあとの「the silence」を付け加えた。芭蕉の句のどこにもない言葉なのに。
 この人はほんものの天才なのだと思う。

 話をもとに戻すけど、君たちは実は「after the sile-nce.」をすでに読んでいる(はず)。
 そう、期末考査まえの「近代文学史46」で仕掛けて、この日のためにこっそりと忍びこませていたハムレットの末期(まつご)の言葉です。
 父親は暗殺されたのではないかと探索を続けたハムレットはついに、おぞましいばかりの結論に達する。そして復讐は成し遂げられるが、仇のしかけた陥穽(かんせい)にはまって体中に毒がまわる。親友の危機を救おうと駆けつけたホレイショーも間に合わない。「この話をみんなに伝えてくれ。こんな哀しいことが二度と起きないように。after the silence.」
 言いたいことはヤマほどある。しかし、
「after the silence.」
 芭蕉の英訳を読んだ人は(ハムレットの言葉を知らない者は英米人のモグリ.「Let it be」もまたシェークスピアハムレットにつぶやかせた言葉です。)それを思い出す。「バショウは言いたいことをすべて捨象(しゃしょう)したんだ! ハイクは表現する文学ではなく、伝えたいことを捨象する文学なんだ!」
 誰だか知らないけれど、芭蕉のみならず、英米のひとりの天才がハイクを世界に広めたのです。
 
 『ハムレット』では、主人公や仇だけでなく恋人のオフィーリアまでみんな死んでしまう。王を暗殺したのがバレて窮地に陥ったマクベスはそれでも「母親が生んだ男にオレは殺せるはずがない。」と奮戦するが、「気の毒だなマクベス。I was from my mother`s womb,untimely ripped.」という男が現れてあえない最後を遂げる。「『ロミオとジュリエット』にいたっては一目で恋に落ちた二人が数日後にはともに死んでしまう。
 だからシェークスピアの生年ー没年は、「ひとごろしーいろいろ。」(1564ー1616。日本でいうと安土桃山時代)。ちなみに芭蕉の生没年は1644ー1698。江戸時代初期の貞享(じょうきょう)から元禄(げんろく)にかけて活躍しています。

 では、クエッション。つぎの英詩はなんという俳句の訳でしょう? どちらも芭蕉の俳句です。


Along this road
goes no one
This autumn eve.


  Being ill an journey
my dreams run wandering
through witherd fields.


 今年の一月、新聞に吉野弘の訃報が載っていた。
 おっかなびっくり社会人になって間もない頃、生きていく勇気とエネルギーを与えてくれた恩人のような詩人でした。
 合掌。

    I was born 吉野弘



確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内(けいだい)を歩いてゆくと、青い夕靄(ゆうもや)の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂(ものう)げに ゆっくりと。

 女は身重(みおも)らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議さに打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳(わけ)を ふと諒解(りようかい)した。僕は興奮して父に話しかけた。
──やっぱり I was born なんだね──
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
──I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね。──
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気(むじやき)として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

─蜻蛉という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね──
 僕は父を見た。父は続けた。
──友人にその話をしたら 或日(あるひ) これが蜻蛉の雌(めす)だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物(しよくもつ)を摂(と)るのに適しない。胃の腑(ふ)を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉(のど)もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々(つぶつぶ)だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと 彼も肯(うなづ)いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ お母さんがお前を産み落としてすぐに死なれたのは──。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡(のうり)に灼(や)きついたものがあった。
──ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白いぼくの肉体。