われわれは「絶対矛盾の自己同一」そのものだ。

みなみな様へ
                                2014/08/26

 4歳の女の子からナンパされてしまった。
 この夏休みの総括をしようと思うのだが、なにから話せばいいのかわからないので、その話あたりからはじめる。
 3週間ほどまえ、家族4人で山小屋に行った帰り、基山サービスエリアでトイレタイムをとった。となりのベンチで昼食をとっていた女の子たち(2〜4歳?)がバラバラッと駆け寄ってきて、「かわいい。」「さわっていい?」。チビたちは早くも自分たちのシゴトだと観念する。しばらくキャッキャ言いながらさわった後、いちばん年長の子が「○○たち今日ね△△に泊まりにいくと。泊まりに来る?」
 それが聞こえたママが慌てて駆け寄ってきて「スミマセーン。アンタたちオシッコに行って出発よ!」いちばん下の子は「イヤァー。ネコにさわるぅ。」「ネコじゃないと!来なさい!」それでもトイレから出てきたあと下の子は、きょろきょろチビたちを探して手を振りながら引きずられて行った。あの子がいちばん頭はいいのかもしれない。
 まだ独身時代、10歳ほど先輩の家に遊びに行ったことがある。かわいい女の子が挨拶にきてしばらくお喋りをしているところにお母さんがきて「もう寝る時間よ。」「イヤァ。今日はこのおじちゃんと寝るぅ。」女の子とはそういう発想をするものかとビックリしたのを思いだした。あの子ももう数人の子持ちのはずだ。

 『生命の起源』のつぎに読んだのは「超ひも理論」の解説みたいな本だった。
 簡単にいえば(簡単にしか言えないんだけど)、素粒子──ほんとはこの言葉じたいがおかしい。素粒子を英語ではエレメントと呼ぶ。素粒子はツブツブではなく、物質(粒子)の素になる要素にすぎない──は何からできているのかというと、単なる揺れ。何かが揺れているのではなく、まるでヒモが揺れているかのような単なる揺れなのだという。
 そう考えれば勘定が合う。
 ビッグバンによって、無から物質が生まれた、という考え方がどうにもしっくり来なかった。
 無から有が生まれると思うか?
 そういう意味の奇蹟がこの宇宙で起こったのじゃない。無から生まれたものはやはり無(空)なんだ。物質の本質は空でなければおかしい。
 仏教ではその空なる物質を「現象」と言うだろう。

 終戦特番でNHKが、学者たちが戦争とどう関わっていたかという実につまらない番組をやっていた。ただその中で、福岡伸一西田幾多郎の足跡を辿るという副題がついたものがあったので録画した。最近そのテの番組はたいてい録画して、つまらない所はスキップしながら見ることにしている。
 なんで福岡伸一西田幾多郎なんだ?
 が、その疑問はすぐに解けた。
 かれは「生命に部品はない」と言う。『世界を分けてもわからない』以上に、生命を分けたら生命ではなくなる。生命をある瞬間に切り取ろう、一瞬生命現象をとめて監察しようとしても生命の「動的平衡」を覗くことはできない。生命とは継続の中にのみある。
 世界を主体と客体に分けたら世界ではなくなる。──西田幾多郎の基本的スタンス。
 以後かれは「客観」にもとずく西洋哲学とはまったく相のことなった独自の哲学を構築していく。(スンマセン。偉そうに言っているけど、じっさいに読んだのは数十年前の『善の研究』だけです。中身は99,99%忘れた。ただ、その読後に「この人はほんとうに偉い人だ」と感じたのだけはしっかりと覚えている。小林秀雄流に言うなら「顔は見ていないけど手のぬくみだけは覚えている、つもりだ。)
 時間もそうだ。時間を細分化したら時間ではなくなる。「時間に部品」があるわけがない。
 世界も時間も区分けできない。すべては「動」そのものなのだ。
 福岡伸一は自分の生命観を突きつめて、ほとんど詩のような結論にやっと行き着いたとき、まるっきりそっくりの認識論を展開していた稀有の日本人がいたのを思いだした。
 いつのことだか知らないが、いつか、現在の西欧文明が行き詰まったとき(すでにそうなりかけているのではないかという気がするが)彼らが考えめたことをずっと以前、20世紀のはじめにアジアの片隅で、ほとんど独力で考え続けた男がいるのを発見する。
 レ・ヴィ=ストロースがそこまで知っていたとは思わないけれど「そのときのために、あなたがたは日本人のままでいてください。」
 韓国人の生徒が言っていた。「日本人は信じがたいほどガンコだ。」
 アタリキよ。時流に乗っかるなんぞ、アイデンティティを喪うことで生きのびようという文化的遺伝子の持ち主たちに任せておく。

 この宇宙は空である。
 このわれわれも空である。
 しかし、宇宙はある。
 われわれは生きている。
 この宇宙もわれわれも、西田幾多郎の言う「絶対矛盾の自己同一」そのものなのだ。
 
 先週は月曜日から日曜日まで、福岡に別々に来てくれた二人とただひたすら話し込んでいた。特別の話をしたわけじゃない。ただ普通の思い出話みたいなことでアッという間に時間がたった。
 そのうちのひとりの香川から来た愉快な男は、30年以上前のあるとき「親が帰って来いちゅうからちょっと帰る。たぶん見合いをさせるつもりなんじゃろ」と言って休暇中に帰った。戻ってきての報告は「小学校の入学式の日、自転車の後ろに坐ってふざけ合っているうちに足がバチっと当たって隣の自転車から転げ落ちた相手は、運良くか運悪くかコエタゴにきれいにハマった。それが見合の相手だった。もう逃げられん。」と言う。
 その後、香川県の採用試験に合格し、故郷にもどって「肥まみれ」にしたことがある女性と結婚し、親の家の傍らに家を建て、三人の子どもを育てあげ、生徒たちたちをロボコン・コンテストに出場させ、自分はマラソンを10回以上完走し、定年までつとめて、今も傍に住む親の面倒を見ながら母校の教員であり続けている。その自然さは見事の一語に尽きる。
 旭川や黒木の住人に敬意を覚えるのは、こっちが必死になって読みまくり考えまくって身につけようとしてきた、小林秀雄の言う「常なるもの」が内蔵されていることだ。かなわない。
 哲学の主目的はほかにない。
 「常なるもの」とは何か?
 その言語化しようとしてもできるはずがないものを如何にして言語的に言い表すか。それもまた、絶対矛盾。しかし、いつか、自己同一が起こる。かならず起こる。そう信じ、それに賭けずにやってられるか?

 いい休暇だった。
 ま、いいか。