宇宙というバロック

物質とは力のかたまりのコトだ。

運動会後やっと授業がスムーズになってきた。
きのうだったか、「さあ、あいさつをしよう」と声をかけると最前列の生徒が突然、「 ア フロッグ ジャンプト イン トゥ ジ エインシャン ポンド、アフター ザ サイレンス。」ーー覚えてきたのかーー目を丸くしてみせると、ニヤリ。
隣のクラスとの進度を揃えたくて「じゃ、今日は、前回予告した通り、夏休みに読んだり考えたりしたことを報告します。」けっきょく、いちおう「超ひも理論」の説明までをするのにちょうど50分かかった。
理系クラスなので、そういうことへの興味をかくさない者がいたらしく、こちらが説明しているとその理系ボーイのほうに生徒の視線がチラチラ行く。理系ボーイはその視線にうなずいてみせる。(ほう、じぃちゃんはけっこういい線を行っているらしい)
生徒向けなので、「と説明してきたけど、どうもしっくり来ない。ビッグバンによって無から有が生まれたということになるね。でも何もないところから何かが生まれたなんて納得がいくか?」リケボは首を横にふる。「つまり、まだまるっきりスッキリしない。それをスッキリさせる人が現れたら間違いなくノーベルショウだな。」リケボ頷く。
そこで見事にチャイムが鳴って「はい、明日は問題集に戻ります。明日読むのは●●番からです。宿題プリントは明日まで受付けまぁす。」と終わったわけだが、その夜ふっと湧いてきたものがあって、とうとう眠り損ねてしまった。

前置きばかりが長くなってしまった。以後は簡単。
無から有が生まれたわけではない。超ひも理論によると、生まれたのはごくごく小さなゆれ。何かがゆれているのでもなく、ただ何かがゆれているさのようなただのゆれだけが生じた。そのゆれのかたまりを我々は「物質」と呼んでいる。つまり我々が物質と呼んでいるモノは実は力のかたまりのことなのだ。
「動」だけがある。
我々が質量と呼んでいるものも力のことだ。
質量の大小とはそのかたまりのもつ力の大小を指している。
前回の夏休み報告は全面撤回する。(ただし、更なる転進の可能性はつねに留保)
この宇宙は空であるのに我々が生きているのは矛盾していると言ったが、なにも矛盾していなかった。我々もまたその単なる揺れ動く力のかたまりにすぎない。
この宇宙には、原子から恒星からたぶんブラックホールまで、極小から極大までの実にさまざまな力のかたまりがある。ーー「無からなぜ力が生まれたのか?」という質問には、自分の及ぶところではないから聞こえなかったフリをする。ーー
つまり、この宇宙には力が偏在している。極端な偏在の仕方をしている。なのに宇宙が宇宙のままであり続けているのはなぜか?
きわめてイビツな構造であるはずの宇宙に一定の秩序があるのはなぜか?
専門家たちはそこで、別の力の存在を想定した。力のかたまりの総体と拮抗するマイナスの力(何のコトか分からずに使っています)を想定しなければ、この宇宙のエントロピーはとっくに限界に達している。
その「マイナスの力のかたまり」のことを彼らは「ダーク・マター(暗黒物質)」と名付けたんじゃなかろうか。だから「ダーク・マター」の存在はただの仮説。数年前に立花隆はいまにも発見されそうなことを言っていたが、まだその証拠は見つかっていない。それに立花隆の言い方では、ダーク・マターはこの宇宙に遍在しているかのような言い方だったが、「プラスの力」の存在の仕方から考えて、はたしてそうなのかどうか怪しい。
第一、我々だけでなく専門家たちもそのダーク・マターなるものの視覚的なイメージいまだ持ちえないでいるはずだ。だから、中性子かなにかを超高速で衝突させて、ビッグバン当初の状況を出現させることでダーク・マターを見つけようとしても、ただ「これまでと違うデータ」を探すしかない。しかし、これまでと何が違えばいいのかということすら想定できていないのではないだろうか。
ひょっとしたら、これまでに手に入れたデータの陰にダーク・マター的なもの、あるいはダーク・マター的なことはすでにあるのかもしれない。
たとえば、超ひも理論の「ゆれ」はプラスの力だけで可能なのだろうか。
プラスの力とマイナスの力がほぼ拮抗しながら実に微妙に拮抗が崩れているときのみ「ゆれ」は生じているのではなかろうか。
もしそうだとしたら、力のかたまりであるマターとは別のマターを想定したこと自体が勘違いだったことになる。
本当のところははだ何も分かっていない、という方が正しそうな気がしてきた。

ふむ、ひと仕事したぞ。
なにか題名が欲しくなった。
題して「宇宙というバロック」。よし、これで行こう。