読むワクチン〈1〉

 読むワクチン

 これからを生きる高校生のための短編集〈Ⅰ〉

目次 
 人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ・・R・フルガム
 草之丞の話       江國香織
 胡桃割り        永井龍男
  父          芥川龍之介
 父母のこと       藤原新也
 よだかの星       宮沢賢治
 驟雨(はしりあめ)    藤沢周平

            Ⅱ
 どうして僕はこんなところに B・チャトウィン
 イーブリン       ジェイムス・ジョイス
 レギュラー       石原慎太郎
 しげちゃんの昇天    須賀敦子
 婉(えん)という女(部分)大原富枝
 博多にて       ラフカディオ・ハーン
  霧笛        レイ・ブラッドベリ
     
            Ⅲ
 耳の塔         村田喜代子
 やぶからし       山本周五郎
 マテオ・ファルコーネ   メリメ
 桜の樹の下には     梶井基次郎
 コスモポリタンズ    S・モーム
 クチィ挽歌       甲斐大策
人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ─前書き─R・フルガム(1937〜)  
                 
 若い頃からの習慣で、わたしは毎年春ごとに、わたし個人の生活信条を文章にすることにしている。すなわち、わたしの〈クレド(信条集)〉である。あじめのうちはこれが何ページにもわたる長いものだった。生活の根幹にかかわる問題をすべて網羅(もうら)しなければ気が済まず、何もかもきちんと辻褄(つじつま)をあわせなくてはならないと思いつめていたからだ。できあがった文章はまるで最高裁の弁論趣意書(しゆいしよ)といったおもむきで、人生の悩み苦しみはことごとく言葉によって解決できるとでも考えているふうな、ふりかぶった調子だった。
 年を重ねるにつれて、わたしの〈クレド〉は次第に短くなった。ある時は斜(しや)に構え、またある時はくだけて滑稽(こつけい)に、かと思うと、口当たりよく穏やかに、と文章はいろいろに変わったが、わたしは習慣を守って書き続けた。ここ数年来、わたしはこの〈クレド〉をやさしい言葉で一ページ以内にまとめる決まりにしている。飾らない単純な言葉にも深い含みがあるとつくづく思う。
 短いことはいいことだ、と気がついたきっかけはガソリンスタンドだった。ある時、わたしはおんぼろ車にスーパー・デラックス・ハイオクタン・ガソリンを入れるというヘマをやってのけたのだ。わたしのぽんこつはこの強力なガソリンをもてあまして消化不良におちいった。わたしははたと膝をたたいた。わたしの頭と心でも、よくこれと同じことが起こっているではないか。あまりにもいろんなことを頭に詰め込みすぎると、かえって血のめぐりが悪くなる。車が交差点でエンストするように、選択を迫られる人生の節目節目で足がすくんで動けなくなってしまうのだ。すぎたるはおよばざるがごとしで、何でも知っているというのは、何も知らないのと同じことである。思索の人生もなかなか楽ではない。
 と、そこでわたしは、充実した人生を送るために必要なことは、すでにあらかた知っているのだということに思い至った。しかも、それはそんなにむずかしいことではない。わたしにはわかっている。もうずっと前からわかっていた。なら、わたしはそのわかっているところに従って生きてきたか、となるとこれまた話が別だけれども、、、。目から鱗(うろこ)が落ちて、わたしはこう考えた。
 人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持で日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。わたしはそこで何を学んだろうか。
  何でもみんなで分け合うこと。
  ずるをしないこと。
  人をぶたないこと。
  使ったものはかならずもとのところに戻すこと。
  ちらかしたら自分で後片づけをすること。
  人のものに手を出さないこと。
  誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと。
  食事の前には手を洗うこと。
  トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。
  焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい。
  釣り合いのとれた生活をすること──毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして、  少し働くこと。
  毎日かならず昼寝をすること。
  おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、はなればなれにならないようにすること。
  不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。発泡スチールのカップにまいた小さな種のことを忘れないように。  種から目が出て、根が伸びて、草花が育つ。どうしてそんなことが起きるのか、本当のところは誰も知らない。  でも、人間だっておんなじだ。
  金魚も、ハムスターも、ハツカネズミも、発泡スチールにまいた小さな種さえも、いつかは死ぬ。人間も死から  逃れることはできない。
  ディックとジェーンを主人公にした子どもの本で最初に覚えた言葉を思い出そう。何よりも大切な意味をもつ言  葉。「見てごらん」

 人間として知っていなくてはならないことはすべて、このなかに何らかの形で触れてある。ここには、人にしてほしいと思うことは自分もまた人にたいしてそのようにしなさいというマタイ伝の教え、いわゆる「黄金律」の精神や、愛する心や、衛生の基本が述べられている。エコロジー、政治、それに、平等な社会や健全な生活についての考察もある。
 この中から、どれなりと項目を一つ取り出して、知識の進んだ大人向けの言葉に置き換えてみるといい。そして、それを家庭生活や、それぞれの仕事、国の行政、さらには世間一般に当てはめてみれば、きっとそのまま通用する。明快で、揺るぎない。わたしたちみんなが、そう、世界中の人々が、三時のおやつにクッキーを食べてミルクを飲み、ふかふかの毛布にくるまって昼寝ができたら、世の中どんなに暮らしやすいことだろう。あるいはまた、各国の政府が使ったものはかならずもとのところに戻し、ちらかしたら自分で後片づけをすることを基本政策に掲げて、これをきちんと実行したら世界はどんなに良くなるだろう。
 それに、人間はいくつになっても、やはり、おもてに出たら手をつなぎ合って、はなればなれにならないようにするのが一番だ。
  草之丞の話    江國香織

 世間知らずで泣き虫で、夜中に一人でトイレにも行かれないおふくろが、いったいどうして女手一つで、ここまで僕を育ててこられたのか、ふしぎに思っていた。それでも、女優というのはよほどもうかる商売なのだろうと、僕はのんきに考えていた。
 五月。僕は中学にも慣れ、さっそく午後の授業をさぼって映画をみに行った。すると電車の中に、桜色の着物を着たおふくろがいた。
(どこへ行くんだろう。)
 そうは思っても、こちらも学校をぬけだしてきた身、うかつに声もかけられず、遠くからながめていた。おふくろは、ちいさなふろしき包みをひざの上にかかえていた。
 電車をおりたおふくろは、駅前商店街をぽくぽくと足ばやに歩き、八百屋の前で立ちどまった。そして、おもむろにふろしき包みをほどくと、中から鰺(あじ)の干物(らしきもの)を取り出して地面に置き、まるで墓参りでもするように、神妙(しんみよう)に手を合わせるのだった。あっけにとられている僕のそばをすりぬけて、おふくろはさっさと駅へ引き返してしまった。
 七月。朝寝坊をした日曜日。パジャマのまま台所に行くと、おふくろは庭に出ていた。よく晴れた、しずかな午後だった。枇杷(びわ)の木の下に立って、おふくろは侍のかっこうをした男と話をしている。紺(こん)の着物に刀をきちんとぶら下げて、ちょんまげも凛々(りり)しいサムライだった。おおかた、風変わりな役者仲間だろうとは思ったが、それにしては侍(さむらい)姿(すがた)が板につきすぎている。これが草之丞だった。
 おふくろは日傘をくるくる回して、まるで女学生のように頬(ほお)を染めている。サンダルをつっかけて、僕も庭に出た。
「おはよう、母さん。お客様なの?」
 おふくろはびくっとして、しばらく僕の顔を見つめていたが、やがてにっこりと微笑んだ。
「草之丞さんといってね、お父様ですよ、あなたの。」
 僕は、僕の心臓がこんなにじょうぶで良かったと思う。
 おふくろの話はこうだった。草之丞は正真正銘(しようしんしようめい)のサムライで、また正真正銘の幽霊で、おふくろに一目惚れをした。おふくろがまだ新米女優だったころ、舞台で時代劇の端役(はやく)をやった。セリフはたった一言(ひとこと)だったけれど、あの世で見物していた草之丞は、そのたった一言のセリフ、『おいたわしゅうございます』にすっかり参ってしまい、矢もたてもたまらず、下界(げかい)にやって来たのだ。二人はめでたく恋におち、僕は生まれたというわけだった。
「それからの十三年間、草之丞さんはいつだって私を助けてくださったのよ。」
「助けるって、どうやって?」
「いろんな相談にのってくださるし、眠れない夜には子守唄もうたってくださるし、お金に困ったら、お金も貸して下さるわ。」
「幽霊が、金を?」
「ええ。たいせつな刀やお皿を売ってね。」
「・・・・・・・・」
「だから私も、五月には供養(くよう)を欠かさないの。」
 おふくろの説明によれば、元和(げんな)八年五月七日、草之丞が壮絶なる一騎打ちの末にあの世へ行った野っ原が、現在のあの、八百屋だったらしい。つまりおふくろはあの日、五月七日の命日に、草之丞の好物を抱えて、いそいそと墓参りにいったのである。僕は絶句してしまった。
 草之丞は、ちかくで見ると思いのほか大きく、なかなかの二枚目だった。肩をいからせて、うつむいている。ひどく緊張しているようだった。もちろん僕も緊張していた。
「二人とも黙っちゃって、どうしたの?」
 ふしぎそうに言ったおふくろを見て、どこまで天真爛漫(てんしんらんまん)な人だろう、と僕は思った。
「はじめまして。」
 しかたなく、僕のほうから口をきった。
「こんにちわ。」
 低い声だった。
「そなたにとっては、はじめましてなのだね。私はいつも、そなたを見ていたのだが。」
 へんな感じだった。いつも見ていた、なんて気味が悪い。僕はぶっきらぼうにお辞儀(じぎ)をして、さっさと部屋に引きあげた。僕は幽霊の息子だったのだ。
 その日以来、草之丞はしょっちゅう僕の前にあらわれた。幽霊だという立場も忘れて、草之丞はじつに堂々と人前に出るのだ。彼はよく、学校のそばで僕を待ちぶせていた。いきなり飛び出してくるので僕がおどろくと、草之丞はきまって、
「やっぱりこわいか。」
とぼそっと言い、ひっそりと笑う。
 草之丞と歩いていると、みんなが僕たちに注目した。しかし、騒いだり怖がったりする人は一人もいない。まさか本物のサムライだとは思わないらしい。それに味をしめて、草之丞はまったくだいたんに街を闊歩(かつぽ)した。歩きながら彼はよく唄(うた)をうたった。やさしい声をしていた。それが彼の仏頂面(ぶつちようづら)には不似合いだった。
 草之丞と僕はまるで家族のように、いっしょに食事をし、いっしょにテレビを見た。
 十月のある夜、おふくろに呼ばれて風呂場に行くと、草之丞が入っていた。
「お父様の背中、流してさしあげなさい。」
 思わず後ずさりした僕の気も知らず、おふくろはにこにこして出て行った。こうして、取り残された僕は幽霊と混浴することになったのである。
 草之丞のからだは、白くてきれいだった。風呂場の窓からは三日月が見えた。
「そなたは、サムライの息子がいやか?」
 湯ぶねにつかっていた草之丞が言った。
「やぶからぼうに。」
 僕は少しあわてて、つっけんどんに言った。
風太郎、そなたはいくつになる?」
「十三。」
「そうか。もう一人前の男だな。」
 草之丞はひっそりと笑い、僕は胸がしわっとした。
 十二月。ごちそうと、葡萄酒(ぶどうしゆ)とレコードと、それはまさに、絵に描いたように上出来のクリスマスだった。僕とおふくろは、草之丞に赤いセーターをプレゼントした。草之丞はそれを着物の上からすっぽりと着て、
「これはあたたかい。」
と言った。
「すまんことをした。クリスマスに贈り物をするなどという習慣を、まったく知らなかったものでね。」
とも言った。もちろん僕たちは、贈り物など最初から期待してはいなかった。
 おふくろと草之丞はワルツを踊り、僕は踊っている両親を見て、うふふ、と笑った。なぜだか、うふふ、と心から笑わずにはいられなかった。
 踊り終わると、草之丞が言った。
風太郎、今度はそなたの番だ。」
 もちろん僕は、大あわてでことわった。おふくろとワルツだなんて、冗談じゃない。草之丞は、彼がよくする片頬(かたほお)だけのひっそり笑いを浮かべて、
「そうか。」
と言った。
「しかし、これからは子守唄だけでもうたっておあげ。私はもうここには来ないから。れいこさんは、風太郎にまかせる。」
 僕はぎょっとした。まったく突然のことだった。今まで心のどこかで感じていた、そのくせ知らん顔をきめこんでいた、そんな責任がにわかに僕の上にふってきた。おふくろはただ立ちつくし、子どものように素直な声で言った。
「行かないでください。」
「自然なことです。もう、私は必要ない。」
「行かないでください。行かないでください。」
 おふくろは、ほかの言葉を知らないかのように繰り返している。蚊(か)のなくような声だった。僕はどうしえちいのか分からなくて、取りあえずおふくろの肩を抱いてみた。
れいこさんをよろしく。」
 草之丞が頭を下げると、おふくろはようやく観念したらしく、はっきりとして口調でこう言った。
「私が死んだら、この家はお花畑にしてもらいます。そのお花畑のまんなかに、お墓をつくってもらいます。そうしたら、そこでいっしょに暮らしましょう。」
 草之丞はゆったりと笑った。
「では、さらば。」
 草之丞はきっぱりと言って、ごく普通の人間がするように、玄関から出ていった。そして、それきりだった。
 これが、草之丞の話のすべてである。しかし、おふくろは今でも毎年、五月になると鰺(あじ)を抱えて、八百屋の前で手を合わせている。

  胡桃割(くるみわ)り――ある少年に――   永井龍男(一九〇四〜一九九〇)

 僕が小学校一年の春、ちょっとした風邪で床(とこ)についた母は、それから三年間寝たままになった。母は三十六か七であった。
 はじめの一年くらいは、寝たり起きたりで、逗子(ずし)へ三月(みつき)ばかり療養に行き、土曜日から、父や姉と何度もそこへお見舞いに出かけた記憶もあるし、夏休みにはずっと泊まり込んで暮らした。夏休みが終わって、姉と僕が東京に引き上げると、母はたいそうさびしがって、まもなく帰ってきてしまった。付き添いの看護婦と、逗子にすんでいる母の縁(えん)つづきの桂(かつら)さんという女の人に助けられて、自動車をおりた母は、見違えるほどやつれていた。
 それでも次の年の節分の晩には、母についた病魔をはらうのだといって、姉と二人で病室に豆をまいたことがあり、その時の母のうれしそうな笑顔を、上から見下ろした記憶は、今でもはっきりと思い出せる。
 父は、××汽船の調査室につとめていて、書斎(しよさい)と調査旅行にばかり時間をついやしている人であったが、母の病気が相当にすすんでいると知ってからの二年間は、ガラリと生活を変え、家庭第一、それも母の看護に専心した。
 母はしかし、三年間わずらいつづけて、世を去った。

 ちょうど、その前の年、僕が六年生の晩秋(ばんしゆう)のことであった。
 中(※)学へ入るための予習が、もう毎日つづいていた。暗くなって家へ帰ると、車が二台おもてにあり、玄関のあがり口で運転手がたばこをのんでいた。
 その二、三日、母の容体のおもしろくないことは知っていたので、靴をぬぎながら、僕は、気になった。着物に着かえ、顔をあらって、電気のついた茶の間に行くと、食事の支度(したく)のしてある食卓のわきに、編み物をしながら姉は僕を待っていた。僕はおやつを頬(ほお)ばりながら聞いた。
「ただ今。――お医者さん、きょうは二人?」
「ええ、昨夜からお悪いのよ。」
 いつも腹をへらして帰ってくるので、姉はすぐご飯をよそってくれた。
 父と三人で食卓をかこむことは、そのころはほとんどなかった。ムシャムシャ食べはじめた僕に、姉も箸(はし)をとりながら、
「節ちゃん、お父さまがね。」と言う。「あさっての遠足ね、この分だとやめてもらうかもしれないって、そうおっしゃっていてよ。」
 遠足というのは、六年生だけ一晩泊まりで、修学旅行で日光(につこう)へ行くことになっていたのだ。
「チェッ。」僕は乱暴にそう言うと、茶碗を姉に突きだした。
「節ちゃんには、ほんとうにすまないけど、もしものことがあったら、――お母さんとてもお悪いのよ。」
「知らない!」
 姉は涙ぐんでいる様子であった。それもつらくて、それきり黙って夕飯をかきこんだ。
「お風呂、すぐ入る? それとも勉強がすんでから?」
 姉には答えず、プッとして座をたった。母が悪いということと、母が死ぬかもしれないということは、僕の心でひとつにならなかった。
 生まれてはじめて、級友と一泊旅行に出るということが、少年にとってどんなに魅力を持っているか! クラスのだれかれとの約束や計画が、あざやかに浮かんでくる。両の眼に、涙がいっぱいあふれてきた。
 父の書斎(しよさい)の扉がなかば開いたまま、廊下へ灯がもれている。そこを通って、突き当たりの階段をあがると、僕の勉強部屋があるのだが、ちょうどその階段を、誰かがおりてくる様子なので、泣き顔を見られるのがいやさに、人気(ひとけ)のない父の書斎へ、僕は入ってしまった。
 いつも父の座る大ぶりな椅子。そして、ヒョイと見ると、テーブルのうえには、胡桃(くるみ)を盛った皿がおいてある。胡桃の味なぞは、子どもに縁のないものだ。イライラした気持ちであった。
 どすんと、その椅子へ身を投げこむと、僕は胡桃をひとつとった。そして、冷たいナット・クラッカーにはさんで、片手でハンドルをおした。小さな手へ、かろうじておさまるハンドルは、胡桃の堅いカラのうえをグリグリとこするだけで、手ごたえはない。「どうしても割ってやる。」そんな気持ちで、僕はさらに右手のうえを左手でつつみ、膝(ひざ)のうえで全身の力をこめた。しかし、クラスのなかでも小柄で、きゃしゃな自分の力では、ビクともしない。
 左手のしたで握りしめた右の手の皮が、少しむけて、ヒリヒリする。僕はかんしゃくを起こして、ナット・クラッカーをテーブルのうえへ放り出した。クラッカーは胡桃の皿にはげしく当たって、皿は割れた。胡桃が三つ四つ、テーブルから床に落ちた。
 そうするつもりは、さらになかったのだ。ハッとして椅子をたった。
 僕は二階に駆け上がり、勉強机にもたれて一人で泣いた。その晩は、母の病室へも見舞いに行かずにしまった。
 しかし、幸いなことに、母の病気は翌日から小康(しようこう)を得て、僕は日光へ遠足に行くことができた。

 襖(ふすま)をはらった宿屋の大広間に、ズラリと布団を引きつらねてその夜は、実ににぎやかだった。果てしなくはしゃぐ子どもたちのうえの電灯は八時ごろには消されたが、それでもなかなか騒ぎはしずまらなかった。
 いつまでも僕は寝つかれず、東京の家のことが思われてならなかった。やすらかな友だちの寝息が耳につき、おおいをした母の部屋の電灯が、まざまざと眼に浮かんてきだりした。僕は、ひそかに、自分の性格を反省した。この反省は、僕の生涯で最初のものであった。
 トロリとしたと思うと、もう起き出す子がいて、翌朝ははやかった。
 母には小箱を、姉には糸巻きを土産(みやげ)に買ったが、その小箱と糸巻きは、それから忘れるほど長いあいだ、僕の家のどこかしらに残っていた。

 静まりかえった家のなかで、僕の受験勉強は再び続いた。
 夜ふけて、廊下を通ると、父の部屋から胡桃を割る音がよく聞かれた。看護のひまひまに、父は書斎で読書をしながら、胡桃をつまむのが癖になったようである。看護に疲れたときの憩(いこ)いの方法として、父は誰かにすすめられたのかもしれない。
 夜ふけの廊下で、その音を聞くと、僕はその当座、ビクリとしたものだ。皿を割ったことについて、父が一言もいわないだけに、いっそう僕は具合がわるかった。――そして、再び僕は胡桃を割ってみようとはしなかった。僕には永久に割ることのできない堅さだと思われたから。
 年があらたまって、僕は二つの中学の入学試験を受けた。母は、試験が終わって間もなく、不帰(ふき)の人となった。
 僕は第一志望の試験にパスした。新しい世界へ飛びこんだ喜びはつよく、僕はすぐに不幸を忘れた。いつまでも消毒剤のにおいの消えない、きちんと片づいてしまった亡い母の病室へ入ったときのほかは――。
 父と姉と僕との生活がはじまった。父は病む母へむけた慈愛を、そして、母への追慕(ついぼ)の情(じよう)を、二人のうえに惜しみなくそそいだ。年頃の姉が、婆やを指揮して、いちおう家の中に新しい光がさすようになると、父の勤めは旧(きゆう)に復(ふく)して、旅行にも出るようになった。姉の思いやりもあって、亡い人への追慕を、父は仕事と旅にまぎらせた。
 母の死後、半年ほどすると、姉に縁談がおこった。姉も好意をもっていた人で、話はすぐきまり、挙式は一周忌(いつしゆうき)がすんでから、ということになった。
 自分の姉でしかなかった姉を、僕はあらたまった気持ちで、見直すのであった。兄となるべき人も、家に遊びに来るようになって、三度に一度は、僕を加えた三人で、郊外へ散歩に行ったり、映画を見に出かけることもあった。その人と二人でいるときは、僕はその人に好意をもったが、姉が加わると、心の底にきっとわいてくる、悲しみに似た感情を、僕はどうすることもできずにいた。
 嫁入り道具が、日増しにそろっていった。
 姉が一時に大人びてうつり、まぶしく見えることもあった。まぶしさが別離の日の悲しみや、父ともどもこの家に取り残されるさびしさに変わって、はげしく胸をうたれる日もあった。
 ある日曜日の午後であったと思う。僕は姉と親戚へ行った。その帰り道に、姉がなにげないふうに言った。
「節ちゃん、あたしがいなくなって、さびしくない?」
「・・・・」
 僕はだまっていた。
「お父さまだって、お困りになるわね。」
 しばらく間をおいて、姉は思いきったように、言葉をつづけた。
「あたし、節ちゃんに相談があるの。――鵠沼(くげぬま)の、桂(かつら)おばさま、ね、知ってるでしょう?」
「知ってるよ。」
 突然のことで、姉がなにを言おうとするのか、僕には分からなかった。桂おばさまというのは、死んだ母の遠縁(とおえん)にあたる、母より三つ四つ若い、美しい人であった。前にも言ったが、母が逗子(ずし)で療養しているころ、つきっきりに看病をしてくれた人だ。結婚して二年ほどで、夫に死に別れた、ということをそのころから聞いていた。
「桂さんに、――あたしの代わりに、家に来ていただいたらと思ったの。お父さまに話したら、節雄がよければ、っておっしゃるのよ。」
 ドキンとした。みんな、自分をかわいがってくれる人は行ってしまって、お体裁(ていさい)に、代わりの人を置いてゆこうとしている。――そんな気もした。
「僕、いやだ。」
 そういえば、桂さんはこのごろ、二、三度家へ遊びに来ている。自分にはなにも言わず、みんなでそんなことを進行させていたにちがいない、――そんなふうにも想像した。
「このこと、あんまり突然だから、あなたにはのみ込めないかもしれないけれど、わたしがお嫁に行ってしまったら、お父さまだってずいぶんお困りになるし・・・・」
「お父さまは、かってに旅行していればいいさ。」
 僕はすげなく言い切った。姉はさびしそうに、そのまま黙った。

 一周忌が近づくにつれて、姉の支度(したく)や親戚の出入りで、父もいそがしそうであった。だれかしら人が来ていて、家はにぎやかだった。
「お母さんも、きっと喜んでいらっしゃいますわ。」
人びとは、申し合わせたようにそう言った。
 晴れやかな姉の笑い声をきくとき、僕はたった一人の姉を奪われる感じを、もっともはげしく味わった。
姉弟なんて、つまらないもんだね。」
 二、三の友だちに、僕はマセたことを言ってみたりした。
「そうさ、兄弟は他人のはじまり、って言うもの。」
 そんなことを教えてくれる友だちがあった。
 あれ以来、ひょいっと、桂さんのことを思い出すようになった。桂さんは、もの静かな、にこやかな人で、桂さんについて、べつだん何も悪意をもっているのではなかった。
 一周忌の前夜、坊さんがきて、経をあげた。親戚の人が帰ってしまうと、父の書斎に親子三人が、ひさしぶりにテーブルを囲んでいた。
 父が、姉に言った。
「どうだ、あの着物、気に入ったか。」
「とても、――すばらしいわ。」
「ふーん。」
 父はニコニコした。先日旅行にでたとき、京都で注文したのが、今朝届いてきたのだ。
「節雄、そこの戸棚からブランデーを取ってくれ。――信子は胡桃を。」
 僕は細長いブランデーの瓶(びん)を、そして姉は胡桃を、テーブルのうえに置いた。
「一年なんて、たってしまえば早いもんだ。――お父さんも、もう旅行をしないでも済むように、会社へ頼んできた。これで、お姉さんが嫁に行くと、また当分、ちょっとさびしいな。」
 父がやさしく僕に言った。父の顔が、ふけて見えた。姉はブランデーをそそいだ。
「しかし、すぐまたなれるさ。」
 父はグラスを口にふくんだ。
 どうしたはずみか、桂さんのおもかげが、そのとき僕の眼に浮かんできた。僕はちょっとあわてた。そして困って、胡桃(くるみ)を一つつまむと、クラッカーにはさんで片手でにぎりしめた。すると、カチンと、こころよい音がして、胡桃は二つにきれいに割れた。
 思いがけない、胸のすくような感触であった。
 そのとき、僕は言った。
「お父さん、僕、桂さんに家へ来てもらいたいんだけど・・・・」
○注当時の義務教育は小学校のみ。
      父            芥川龍之介

 自分が中学の四年生だったときの話である。
 その年の秋、日光(につこう)から足尾(あしお)をかけて、三泊の修学旅行があった。「午前六時三十分上野駅前集合、同五十分発車・・・・」こういうことが、学校から渡すプリントに書いてある。
 当日になると自分は、ろくに朝飯も食わずに家をとび出した。電車で行けば停留場まで二十分とかからない。ーーそう思いながらも、何となく心がせく。停留場の赤い柱の前に立って、電車を待っているうちも、気が気でなかった。
 あいにく、空は曇っている。方々の工場で鳴らす汽笛の音が、鼠色の水蒸気をふるわせたら、それがみな霧雨(きりさめ)になって、降ってきはしないかとも思われる。その退屈な空の下で、高架鉄道を汽車が通る。被服廠(ひふくしょう)へ通う荷馬車が通る。店の戸が一つずつ開く。自分のいる停留場にも、もう二三人、人が立った。それが皆、眠(ね)のたりなさそうな顔を、陰気らしく片づけている。寒い。ーーそこへ電車が来た。
 混み合っている中を、やっとつり革へぶら下がると、誰か後ろから、自分の肩を叩く者がある。自分は慌(あわ)てて振り向いた。
「おはよう」
 見ると、能勢(のせ)五十雄(いそお)であった。やはり、自分のように、紺(こん)の制服を着て、外套(がいとう)を巻いて左の肩からかけて、腰に弁当の包みやら水筒やらをぶら下げている。
 能勢は、自分と同じ小学校を出て、同じ中学校へ入った男である。これといって、得意な学科もなかったが、その代わりに、これといって、不得意なものもない。そのくせ、ちょいとしたことには、器用なたちで、流行歌というようなものは、一度聞くと、すぐに節を覚えてしまう。そうして、修学旅行で宿屋へでも泊まる晩なぞには、それを得意になって披露(ひろう)する。詩吟(しぎん)、薩摩琵琶(さつまびわ)、落語、講談、声色(こわいろ)、手品、何でもできた。その上また、身ぶりとか、顔つきとかで、人を笑わせるのに独特な妙(みょう)を得ている。従って、クラスの人気も、教師間の評判も悪くない。もっとも自分とは、互いに行き来はしていながら、さして親しいという間柄(あいだがら)でもなかった。
「早いね、君も。」
「僕はいつも早いさ。」能勢はこう言いながら、ちょいと小鼻をうごめかせた。
「でもこの間は遅刻したぜ。」
「この間?」
「国語の時間さ。」
「ああ、馬場に叱られたときか。アイツは弘法(こうぼう)にも筆のあやまりさ。」能勢は、教員の名前を呼び捨てにする癖があった。
「あの先生には僕も叱られた。」
「遅刻で?」
「いいえ、本を忘れて。」
「仁丹(じんたん)は、いやにやかましいからな。」「仁丹」というのは、能勢が馬場教諭につけたあだ名である。ーーこんな話をしているうちに、停車場へ来た。
 乗ったときと同じように、こみあっている中をやっと電車から下りて停車場へ入ると、時刻が早いので、まだクラスの連中は二・三人しか来ていない。互いに「おはよう」の挨拶(あいさつ)を交換する。先を争って、待合室(まちあいしつ)の木のベンチに、腰をかける。それからいつものように、勢いよくしゃべりだした。皆「僕」という代わりに「オレ」と言うのを得意とする年頃である。その自ら「オレ」と称する連中の口から、旅行の予想、生徒同士の品さだめ、教員の悪口などがさかんに出た。
「泉はちゃくいぜ。あいつは教員用の参考書をもっているもんだから、一度も予習したことはないんだとさ。」
「平野はもっとちゃくいぜ。あいつは試験のときというと、歴史の年代をみな爪(つめ)へ書いていくんだって。」
「そう言えば先生だってちゃくいからな。」
「ちゃくいとも。本間なんぞはreceiveのiとeと、どっちが先へ来るんだか、それさえろくに知らないくせに、教師用でいい加減にごま化しごま化し、教えているじゃあないか。」
 どこまでも、ちゃくいちゃくいで持ちきるばかりで、一つも、ろくな噂(うわさ)は出ない。すると、そのうちに能勢が、自分の隣のベンチに腰をかけて、新聞を読んでいた、職人らしい男の靴を、バッキンレイだと批評した。これは当時、マッキンレイという新型の靴がはやったのに、この男の靴は一体につやを失って、そのうえ先の方がぱっくり口をあいていたからである。
「バッキンレイはよかった。」こう言って、みな一時(いちじ)に失笑(しつしよう)した。
 それから、自分たちは、いい気になって、この待合室に出入するいろいろな人間を物色(ぶっしょく)しはじめた。そうしていちいち、それに、東京の中学生でなければ言えないような、生意気な悪口を加えだした。そういうことにかけて、ひけをとるような、おとなしい生徒は、自分たちの中に一人もいない。中でも能勢の形容が、一番辛辣(しんらつ)で、かつ一番諧謔(かいぎゃく)に富んでいた。
「能勢、能勢、あのお上(かみ)さんを見ろよ。」
「あいつはフグがはらんだような顔をしているぜ。」
「こっちの男も、何かに似ているぜ。ねえ能勢。」
「あいつはカロロ五世さ。」
 しまいには、能勢が一人で、悪口をいう役目をひきうけるようになった。
 すると、そのとき、自分たちの一人は、時間表の前に立って、細かい数字を調べている妙な男を発見した。その男は羊羹(ようかん)色の背広を着て、体操に使うポールのような細い脚を、鼠(ねずみ)の粗(あら)い縞(しま)のズボンに通している。縁(ふち)のひろい昔風の黒い中折(なかお)れ帽(ぼう)の下から、半白(はんぱく)の毛がはみ出している所を見ると、もうかなりな年配(ねんぱい)らしい。そのくせ首のまわりには、白と黒と格子縞(こうしじま)の派手なハンケチをまきつけて、鞭(むち)かと思うような、長い杖(つえ)をちょいと脇の下へはさんでいる。服装と言い、態度といい、すべてがパンチ(風刺(ふうし)画)の挿絵(さしえ)を切り抜いて、そのままそれを、この停車場の人ごみの中へ立たせたとしか思われない。ーー自分たちの一人は、また新しく悪口の材料ができたのを喜ぶように、肩でおかしそうに笑いながら、能勢の手をひっぱって、
「おい、あいつはどうだい。」とこう言った。
 そこで、自分たちは皆その妙な男をみた。男は少し反(そ)り身になりながら、チョッキのポケットから、紫の紐(ひも)のついた大きなニッケルの懐中時計を出して、丹念にそれと時刻表の数字とを見比べている。横顔だけ見て、自分はすぐに、それが能勢の父親だということを知った。
 しかし、そこにいた自分たちの連中には、一人もそれを知っている者がいない。だから皆、能勢の口から、この滑稽(こっけい)な人物を、適当に形容することばを聞こうとして、聞いたあとの笑いを用意しながら、面白そうに能勢の顔をながめていた。中学の四年生には、そのときの能勢の心もちを推測する明(めい)がない。自分はあやうく「あれは能勢のオヤジだぜ。」と言おうとした。
 するとその時、
「あいつかい。あいつはロンドン乞食(こじき)さ。」
 こういう能勢の声がした。皆が一時に吹き出したのは、いうまでもない。中にはわざわざ反(そ)り身になって、懐中(かいちゆう)時計を出しながら、能勢の父親の姿を真似てみる者さえある。自分は、思わず下を向いた。そのときの能勢の顔を見るだけの勇気が、自分には欠けていたからである。
「そいつは適評だな。」
「見ろ。見ろ。あの帽子を。」
「古着屋から買ってきたのかなあ。」
「古着屋にだってあるものか。」
「じゃあ博物館から盗ってきたんだ。」
 皆がまた、面白そうに笑った。
 曇天(どんてん)の停車場は、日の暮れのようにうす暗い。自分は、そのうす暗い中で、そっとそのロンドン乞食のほうを透(す)かしてみた。
 すると、いつの間にか、うす日がさし始めたと見えて、幅の狭い光の帯が高い天井(てんじよう)の明かり取りから、ぼうっと斜めにさしている。能勢の父親は、ちょうどその光の帯の中にいた。──周囲では、すべての物が動いている。目のとどく所でも、とどかない所でも動いている。そうしてまたその運動が、声とも音ともつかないものになって、この大きな建物の中を霧のように蔽(おお)っている。しかし能勢の父親だけは動かない。この現代と縁(えん)のない洋服を着た、この現代と縁のない老人は、めまぐるしく動く人間の洪水の中に、これもやはり現代を超越した、黒の中折れ帽をあみだにかぶって、紫の紐(ひも)のついた懐中時計を右の掌(てのひら)の上にのせながら、依然として消火栓のごとく時間表の前に佇立(ちょりつ)しているのである・・・・

 あとで、それとなく聞くと、そのころ大学の薬局に通っていた能勢の父親は、能勢が自分たちといっしょに修学旅行に行く所を、出勤の道すがら見ようと思って、自分の子には知らせずに、わざわざ停車場に来たのだそうである。
 能勢五十雄は、中学を卒業すると間もなく、肺結核にかかって、物故(ぶっこ)した。その追悼(ついとう)式を、中学の図書室で挙げたとき、制帽をかぶった能勢の写真の前で悼辞(とうじ)を読んだのは、自分である。「君、父母に孝(こう)に、」ーー自分はその悼辞の中に、こういう句を入れた。
                              (一九一七年三月)

      父母のこと               藤原新也

 明治時代の尾道(おのみち)の白黒写真を雑誌で見かけた時、軽く胸が締めつけられるような感情に襲われた。
 ……ああ、この写真の街のどこかを父が歩いていたのだなと思ったのだ。写真は過去の時間を包含(ほうがん)している。その一瞬の過去に個人的な意味が与えられた時、それは生き物のように匂い立ち、迫ってくる。明治時代の尾道の写真がそれだった。
 尾道の町と向島(むかいしま)との間の海峡が見え隠れする家並みの方々には、まるで東南アジア人のように色の黒い人々がのんびりと立ったり座ったりしていた。その光景は今の時代から眺めるなら、あまりにも悠長(ゆうちよう)な「なまけものの世界」のように見える。しかし思うに今私たちが暮らしている二十一世紀の時間に追われるような世界の方が異常で、人間の暮らしの標準時間というものはむしろ過去にあったのではないか。消費行動が少なく、したかって生産性も低い世の中では、衣食住足りれば人は遊んでいるかのような悠長(ゆうちよう)な時間の中に身を置くことができたのである。
 尾道(おのみち)の写真に写る街は、時間が止まってでもいるかのように歩いている者はいない。姉さんかぶりをした子守りが赤子を背負い、ぼんやりと立っており、とある商店では人が店の前に立っているが主人はあらぬ方向に目を遊ばせている。その店の前では、もの思いに耽(ふけ)るかのように金魚売りさえ桶(おけ)を地面に置いてキセルをくゆらせている。
 私はふとその市井(しせい)の人々の中に若き日の父の姿がないものかと一瞬あらぬ思いに襲われた。
 そして尋ね人のように一人の男の顔を注視した。男は黒い着流しをまとい、腕を組んでこちらを見ている。面長(おもなが)で眉毛の濃いその男は何か懐(ふところ)にドスでも呑んでいるかのように、周りの者から一人浮いていた。
 父新太郎はこんなだったろうか。
 ふとそんな思いが脳裏(のうり)を過(よぎ)った。
           ◎
 父は日本各地や大陸のさまざまな土地を渡り歩いた人だった。
 彼が尾道で残した逸話(いつわ)はいささか滑稽(こつけい)だ。
 新太郎は玉突き(ビリヤード)をよくした。
 玉突(たまつ)きというゲームは明治大正の頃は今よりももっと盛んであったと聞く。尾道にも大きな玉突屋があったという。もともと香川県生まれの父が尾道に渡ったのもそこで盛んに玉突きが行われていたからだと聞いた。当時の玉突きは賭けと絡(から)んでいて、等級別に腕前の桔抗(きつこう)する者同士が試合をし、観客がそれぞれに金を賭ける仕組みになっていたらしい。
 父は腕のよいクラスであまり負けたことがなかったから、広島や大阪などの他の地域から腕の立つ者を呼び寄せ、試合を行った。
 当然、賭けに勝った者は賭け金に応じて金が入って来るわけだが、賭けに勝った者が得た利益の半分を玉突きの勝者がもらう仕組みになっていたから、時には、まじめな勤め人が一年で稼(かせ)ぐくらいの金を一夜で稼いだこともあるという。だがそれは労働の賜物(たまもの)ではなく遊びにすぎなかったから、儲(もう)かった金はまたたく間に浪費されたらしい。
 当時の玉突屋は男の社交場のカフエでもあり、選(え)りすぐりの女給がいた。父はその玉突屋の女給との間に変わったエピソードを残している。
 父は自転車のリムが木で出来ていた頃の競輪の選手でもあり、方々を渡り歩いて競技に出た。そんな話が玉突屋で話題になり、一人の女給が「本当に全国大会で二番になったの?」と冗談まじりに疑問を投げかけた。
 いつも客を手玉にとっている勝気な女、佳代だった。
「じゃ乗ってみい」
 父は佳代を表に連れ出し、玉突屋の自転車の荷台に横座りで乗せた。
 そして走りだす。
 近辺を一周して帰って来るのかと思いきや帰る気配がない。しばらく尾道の町中を走っていたが、そのまま西に向かった。やがて尾道の町のはずれに差しかかる、
 女は心配になり、どこへ行くの、と問う。
 「広島じゃ」
 女は絶句した。
 日頃の新太郎の言動からそれは冗談などではないと思えたからだ。
 広島まではゆうに百キロはある。それも当時は舗装(ほそう)された道はわずかで、時には曲がりくねった道をたどりながら山越えをしなければならなかった。人ひとりを乗せた荷物運搬(うんぱん)用の自転車でそのような道を走破(そうは)することは無謀(むぼう)だった。
 「広島じゃ」と新太郎が言った時、佳代は言葉にならない声を発した。それから笑いはじめた。ずいぶん長い間、声を上げて笑っていたという。それから徐々に笑い声が消えて行き、それが小さなすすり泣きに変わった。
 それを聞いた新太郎は「お前を広島に連れて行く。………ええか」
 と荷台の女に問うた。
 佳代は黙っていた。
 だが父には女がうなずいたのかわかったという。
 これはいわゆる駆(か)け落(お)ちというやつだろう。
 私はこれまでこれほど無鉄砲で乱暴な駆け落ちの話は聞いたことかない。

 その話を聞いたのは私か成人式で郷里に帰った折りのことで、父はその時七十四歳だった。
 「好いとるのはおるのか?」
 父の私に対する女性関係に関する問いかけがいつしか横道にそれて、彼の二十代の頃の尾道の話になったわけだ。
 若い頃の私はその無謀で乱暴な父の話に誇りを持っていいのか、人の気持ちを無視した独善として考えるべきか判断がつきかねた。
 だが年齢を重ね、多少とも女性との経験を積むにつけ、父の漕ぐ自転車の荷台に乗った女性は全精魂(せいこん)を賭(と)して自分を連れ去ろうとする父の後ろ姿に惚(ほ)れたのではないかと思えるようになった。
「落ちんように、しっかりつかまっとれ」
 という父の言葉に、ふだんは男勝(まさ)りの態度をとる彼女が「はい」と子供のように素直な返事をしたことがそのことをよく表しているように思う。

 だがかりに男と女の間で合意が出来たとしてもその姿と道行きはあまりにも滑稽(こつけい)である。

 当然のことなから広島行は難行をきわめたらしい。
 途中三泊して全行程を走破しているが、雨に降られた日もあった。当時の山には狼のような山犬かたくさんいて、山中で三匹の山犬に取り囲まれた時にはさすがの父も身の毛がよだったという。
 父は女を自分の後ろにまわし、自転車を盾にして円を描くようにくるくると回転しながら、犬たちとにらみ合った。野性の嗅覚(きゆうかく)なのか、犬は弱い女性と強い男性を見分けているょうで、盛んに女の方に寄って来ようとした。それを知って父の恐れが怒りに変わった。そして気迫を
込めて「こんちくしょう、さあ来い!」と自転車を頭上に持ち上げた。その迫力に押されたのか、犬のうなり声か鼻声に変わり、やがてきびすを返し、森の中に消えた。
 「いくじのない犬だこと」
 佳代は強がりを言った。その声は震えていた。
 幸いなことに当時の山には方々に炭焼小屋かあり、それが雨をしのぐ場にもなり、眠る場にもなった。疲労困憊(こんぱい)の中で二日間は二人とも倒れるように眠ったが、広島の街が遠望され、安堵(あんど)した最後の夜に父は佳代を抱いた。翌朝、炭焼小屋を出た二人は互いの真っ黒な姿を見て吹き出した。
 恐怖と滑稽のないまぜになった珍道中だった。
 それでも彼はその駆け落ち行を新婚旅行と位置づけて懐かしむ。そして命がけで女を犬から守ったことが互いの信頼をより高めたということで、関東に赴(おもむ)いた際、神犬信仰で知られる奥秩父三峰神社を訪れ、大口之真神のお札をもらい、生涯家の神棚にそれを祭った。
 
 そんな父の話を聞くにつけ「雲煙過眼(うんえんかがん)」という言葉か脳裏(のうり)を過(よぎ)る。目の前を雲や霞(かすみ)のように通り過ぎて行くものごとを言うわけだが、敷衍(ふえん)してして夢泡沫(ほうまつ)のような現世の儚(はかな)さを煙や雲に譬(たと)えていると考えることもできるだろう。                   

   よだかの星    宮沢賢治

 よだかは、実にみにくい鳥です。
 顔は、ところどころ、味噌(みそ)をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
 足は、まるでよぼよぼで、一間(いっけん)とも歩けません。
 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合でした。
 たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、夕方など、よだかにあうと、さもさも嫌そうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方(ぽ)へ向けるのでした。もっと小さなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっこうから悪口をしました。
「ヘン。また出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」
「ね、まあ、あの口の大きいことさ。きっと、蛙の親類か何かなんだよ。」
 こんな調子です。おお、夜だかでないただの鷹(たか)ならば、こんな生(なま)はんかの小さい鳥は、もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるえて、顔色を変えて、体をちぢめて、木の葉のかげにでもかくれたでしょう。ところが夜だかは、ほんとうは鷹(たか)の兄弟でも親類でもありませんでした。かえって、よだかは、あの美しいかわせみや、鳥の中の宝石のような蜂(はち)すずめの兄さんでした。蜂すずめは花の蜜(みつ)をたべ、かわせみはお魚を食べ、夜だかは羽虫をとってたべるのでした。それによだかには、するどい爪もするどいくちばしもありませんでしたから、どんなに弱い鳥でも、よだかをこわがるはずはなかったのです。
 それなら、たかという名のついたことは不思議なようですが、これは、一つは夜だかのはねが無暗(むやみ)に強くて、風を切って翔(か)けるときなどは、まるで鷹のように見えたことと、も一つはなきごえがするどくて、やはりどこか鷹に似ていたためです。もちろん、鷹は、これをひじょうに気にかけて、いやがっていました。それですから、よだかの顔さえ見ると、肩をいからせて、早く名前をあらためろ、名前をあらためろと、いうのでした。
 ある夕方、とうとう、鷹がよだかのうちへやって参りました。
「おい。居るかい。まだお前は名前をかえないのか。ずいぶんお前も恥知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。たとえばおれは、青いそらをどこまででも飛んで行く。おまえは、曇ってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出て来ない。それから、おれのくちばしや爪を見ろ。そして、よくお前のとくらべて見るがいい。」
「鷹さん。それはあんまり無理です。私の名前は私が勝手につけたのではありません。神さまから下さったのです。」
「いいや。おれの名なら、神さまからもらったのだと云ってもよかろうが、お前のは、云(い)わば、おれと夜と、両方から借りてあるんだ。さあ返せ。」
「鷹さん。それは無理です。」
「無理じゃない。おれがいい名を教えてやろう。市蔵(いちぞう)というんだ。市蔵とな。いい名だろう。そこで、名前を変えるには、改名の披露(ひろう)というものをしないといけない。いいか。それはな、首へ市蔵と書いたふだをぶらさげて、私は以来(いらい)市蔵と申しますと、口上(こうじょう)を云って、みんなの所をおじぎしてまわるのだ。」
「そんなことはとても出来ません。」
「いいや。出来る。そうしろ。もしあさっての朝までに、お前がそうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。つかみ殺してしまうから、そう思え。おれはあさっての朝早く、鳥のうちを|軒ずつまわって、お前が来たかどうかを聞いてあるく。一軒でも来なかったという家があったら、もう貴様(きさま)もその時がおしまいだぞ。」
「だってそれはあんまり無理じゃありませんか。そんなことをする位なら、私はもう死んだ方がましです。今すぐ殺して下さい。」
「まあ、よく、あとで考えてごらん。市蔵なんてそんなにわるい名じゃないよ。」鷹は大きなはねを一杯にひろげて、自分の巣の方へ飛んで帰って行きました。
 よだかは、じっと目をつぶって考えました。
(いったい僕は、なぜこうみんなにいやがられるのだろう。僕の顔は、味噌(みそ)をつけたようで、口は裂(さ)けてるからなあ。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。赤ん坊のめじろが巣から落ちていたときは、助けて巣へ連れて行ってやった。そしたらめじろは、赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかえすように僕からひきはなしたんだなあ。それからひどく僕を笑ったっけ。それにああ、今度は市蔵だなんて、首へふだをかけるなんて、つらいはなしだなあ。)
 あたりは、もううすくらくなっていました。夜だかは巣から飛び出しました。雲が意地悪く光って、低くたれています。夜だかはまるで雲とすれすれになって、音なく空を飛びまわりました。
 それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹も幾匹もその咽喉(のど)にはいりました。
 体が土につくかつかないうちに、よだかはひらりとまた空へはねあがりました。もう雲は鼠色(ねずみいろ)になり、向うの山には山焼けの火がまっ赤です。
 夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋(いっぴき)の甲虫(かぶとむし)が、夜だかの咽喉(のど)にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑みこみましたが、その時何だか背中がぞっとしたように思いました。
 雲はもうまっ黒く、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいようです。よだかは胸がつかえたように思いながら、また空へのぼりました。
 また一疋の甲虫が、夜だかの咽喉に、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(う)えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)
 山焼けの火は、だんだん水のように流れてひろがり、雲も赤く燃えているようです。
 よだかはまっすぐに、弟の川せみの所へ飛んで行きました。きれいな川せみも、丁度(ちょうど)起きて遠くの山火事を見ていた所でした。そしてよだかの降りて来たのを見て云いました。
「兄さん。今晩は。何か急のご用ですか。」
「いいや、僕は今度遠い所へ行くからね、その前一寸(ちょっと)お前に遭(あ)いに来たよ。」
「兄さん。行っちゃいけませんよ。蜂雀(はちすずめ)もあんな遠くにいるんですし、僕ひとりぼっちになってしまうじゃありませんか。」
「それはね。どうも仕方ないのだ。もう今日は何も云わないで呉れ。そしてお前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたずらにお魚を取ったりしないようにして呉れ。ね、さよなら。」
「兄さん。どうしたんです。まあもう一寸(ちょっと)お待ちなさい。」
「いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすずめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあわないよ。さよなら。」
 よだかは泣きながら自分のお家(うち)へ帰って参りました。みじかい夏の夜はもう明けかかっていました。
 羊歯(しだ)の葉は、よあけの霧を吸って、青くつめたくゆれました。よだかは高くきしきしきしと鳴きました。そして巣の中をきちんとかたづけ、きれいにからだ中のはねや毛をそろえて、また巣から飛び出しました。
 霧がはれて、お日さまが丁度東からのぼりました。夜だかはぐらぐらするほどまぶしいのをこらえて、矢のように、そっちへ飛んで行きました。
「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼(や)けて死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」
 行っても行っても、お日さまは近くなりませんでした。かえってだんだん小さく遠くなりながらお日さまが云いました。
「お前はよだかだな。なるほど、ずいぶんつらかろう。今度そらを飛んで、星にそうたのんでごらん。お前はひるの鳥ではないのだからな。」
 夜だかはおじぎを一つしたと思いましたが、急にぐらぐらしてとうとう野原の草の上に落ちてしまいました。そしてまるで夢を見ているようでした。からだがずうっと赤や黄の星のあいだをのぼって行ったり、どこまでも風に飛ばされたり、また鷹が来てからだをつかんだりしたようでした。
 つめたいものがにわかに顔に落ちました。よだかは眼をひらきました。一本の若いすすきの葉から露がしたたったのでした。もうすっかり夜になって、空は青ぐろく、一面の星がまたたいていました。よだかはそらへ飛びあがりました。今夜も山やけの火はまっかです。よだかはその火のかすかな照りと、つめたい星あかりの中をとびめぐりました。それからもう一ぺん飛びめぐりました。そして思い切って西の空のあの美しいオリオンの星の方に、まっすぐに飛びながら叫びました。
「お星さん。西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。」
 オリオンは勇ましい歌をつづけながらよだかなどはてんで相手にしませんでした。よだかは泣きそうになって、よろよろと落ちて、それからやっとふみとまって、もう一ぺんとびめぐりました。それから、南の大犬座(だいいぬざ)の方へまっすぐに飛びながら叫びました。
「お星さん。南の青いお星さん。どうか私をあなたの所へつれてって下さい。やけて死んでもかまいません。」
 大犬は青や紫や黄やうつくしくせわしくまたたきながら云いました。
「馬鹿を云うな。おまえなんか一体どんなものだい。たかが鳥じゃないか。おまえのはねでここまで来るには、億年兆年(おくねんちょうねん)億兆年だ。」そしてまた別の方を向きました。
 よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又二へん飛びめぐりました。それから又思い切って北の大熊星(おおくまぼし)の方へまっすぐに飛びながら叫びました。
「北の青いお星さま、あなたの所へどうか私を連れてって下さい。」
 大熊星はしずかに云いました。
「余計なことを考えるものではない。少し頭をひやして来なさい。そう云うときは、氷山の浮いている海の中へ飛び込むか、近くに海がなかったら、氷をうかべたコップの水の中へ飛び込むのが一等だ。」
 よだかはがっかりして、よろよろ落ちて、それから又、四へんそらをめぐりました。そしてもう一度、東から今のぼった天の川の向う岸の鷲(わし)の星に叫びました。
「東の白いお星さま、どうか私をあなたの所へ連れてって下さい。やけて死んでもかまいません。」
 鷲は大風(おおふう)に云いました。
「いいや、とてもとても、話にも何にもならん。星になるには、それ相応(そうおう)の身分でなくちゃいかん。又よほど金もいるのだ。」
 よだかはもうすっかり力を落してしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。そしてもう一尺(いっしゃく)で地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄(にわか)にのろしのように空へとびあがりました。そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲うときするように、ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。
 それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。その声はまるで鷹でした。野原や林にねむっていたほかのとりは、みんな目をさまして、ぶるぶるふるえながら、いぶかしそうに星空を見あげました。
 夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻(すいがら)のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。
 寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしく動かさなければなりませんでした。
 それだのに、星の大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただ心もちは安らかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらっておりました。
 それからしばらくたって夜だかははっきりまなこをひらきました。そして自分の体がいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。


      驟 雨(はしりあめ)      藤沢周平


 盗っ人が一人、八幡(はちまん)さまをまつる小さな神社の軒下(のきした)にひそんでいた。嘉吉(かきち)という男である。
 嘉吉は、昼は研(と)ぎ屋をしている。砥石(といし)、やすりなど商売道具を納めた箱を担(にな)って、江戸の町々を包丁(ほうちょう)、鎌、鋏(はさみ)などを研(と)いで回る。鋸(のこぎり)の目立てを頼まれることもあり、やすりはそのときの用意だった。そうして回っている間に、これぞと眼をつけた家に、夜もう一度入り直すわけである。
 しかしそうだからといって、嘉吉は研(と)ぎ屋仕事を、かならずしも世間(せけん)をあざむくためとか、盗みに入る家を物色(ぶっしょく)するためにやっているとか考えているわけではない。それはそれで身をいれ、そちらの方が本職だと思っていた。
 だが時おり悪い血にそそのかされるようにして、人の家にしのびこむ。そのときは心の底まで盗っ人になりきっている。騒がれれば人を刺しかねない気持ちになって、盗みを働く。そういうふうになってから数年たつが、まだ誰にも気づかれたことはなかった。
 はげしい雨が降っている。地面にしぶきを上げる雨脚(あまあし)が、闇の中にぼんやりと光るのを眺めながら嘉吉は雨がやむのを待っていた。
 道をへだてた向こう側に、黒い塀(へい)が立ちはだかっている。そこが、これから忍びこもうとしている大津屋という古手問屋だった。上方(かみがた)から取りよせる品物をそろえて繁盛(はんじょう)している店である。
 呼び入れられて、嘉吉が仕事をする場所は、たいてい裏口である。そこで小半日(こはんにち)も腰を据(す)えて仕事をし、水を飲ませてもらったり、はばかりを借りたりして家の中に入り込んでいる間に、しのびこめる家か、そうでない家かは大体見当がついて来る。
 見込みがありそうな家では、嘉吉は仕事をひきのばしたり、台所に入れてもらって弁当を使ったりして、入念に家の内外に眼を働かせる。
 弁当を使いながら、女中と冗談口をききあうこともあった。嘉吉は三十二で。中肉中背。醜男(ぶおとこ)でも美男でもなく、いっこうに目立たない顔をしているが、話の間に嘉吉がひとり者だと知れると、急に口数が多くなる女中もいる。
 奉公人(ほうこうにん)のしつけひとつにも、しのびこめる家か、そうでない家かがあらわれている。盗っ人稼業(かぎょう)に年季(ねんき)が入ると、そういうことを見抜く眼も鋭くなった。
 大津屋にはこれまで二度呼びこまれた。そして三度目の今日、裏木戸から帰る時に嘉吉は、出口にある仕掛けを残してきた。夕方裏木戸をしめるとき、かんぬきがうまく下りなかったはずである。きちんとした家なら、それから大工を呼んでも、そこを直すはずだが、大津屋はそうしないだろうと嘉吉はみていた。おそらく一晩は間に合わせの直しですごすに違いない。
──だめだったら、塀(へい)を越えるだけさ。
 嘉吉は眼を光らせてそう思った。あとは雨がやむのを待つだけだった。ここまで来たとき、突然降り出した雨は、そう長く続かないだろうと嘉吉は思っていた。夜空のどこかに薄い明るみがある。
 神社の軒先(のきさき)にいる嘉吉を、あやしんで見る者もいなかった。嘉吉がそこにとびこんだころ、あわただしく道を通り抜けて行った者が三、四人いたが、そのあとは人通りもなく、道は雨に打たれたまま刻(とき)が経(た)っている。
 不意に人声と足音がした。そしていきなり境内(けいだい)ともいえない狭い空き地に、人が駈けこんで来たので嘉吉はあわてて軒下(のきした)を横に回り込んで、身をひそめた。
「ああ、ああこんなに遅くなって、あたしどうしたらいいんだろ」
 そう言った声は、若い女だった。
「どうということはないよ。途中雨に遭(あ)って雨やどりをして来ましたって言えば、おふくろは何にも言いやしないよ。」
 若い男の声が、そう答えた。なよなよしたやさしい物言いは、女客を扱うことが多い小間物屋(こまものや)とか呉服屋(ごふくや)とかにいる男を想像させた。
「若旦那(わかだんな)が悪いんだから」
 と女は極(き)めつけるように言った。
「途中で落ち合うたって、今日はお茶でものんですぐ帰るだろうと思ったのに、やっぱりあそこへ連れて行くんだから」
「お前だって、黙ってついて来たじゃないか」
 若旦那と呼ばれた男はやさしい声で言い、含み笑いをした。
「そりゃ誘われれば、女は弱いもの。あたしもう若旦那から離れられない」
 不意に沈黙が落ちて、あたりが雨の音に満ちたのは、男と女がそこで抱き合ってでもいる気配だった。話の様子では、同じ店でいい仲になっている若旦那と奉公人(ほうこうにん)が、それぞれ用で外に出たついでに、途中で落ち合ってよろしくやって来たということでもあるらしかった。嘉吉は胸の中で舌打ちした。
──ガキめら! 早く失せやがれ。
 腹の中で嘉吉が罵(ののし)ったとき、女が夢からさめたような声を出した。
「でも、あたしたちこんなことをしていて、これから先、いったいどうなるのかしら」
「心配することはないよ。あたしにまかせろって言ってあるだろ」
「きっとおかみさんにしてくれる?」
「もちろんだとも」
「うれしい」
 そこでふたりとも黙ってしまったのは、また抱き合うか、顔をくっつけるかしているらしい。嘉吉(かきち)はいらいらした。雨はいくぶん小降りになったようだった。
 ねぇ? と女が甘ったるい声を出した。
「もしもの話だけど・・・・・・」
「何だい」
「もしもよ、赤ん坊ができたらどうするの?」
「赤ん坊?」男はぎょっとしたような声を出した。そして急に笑い出した。
「おどかすんじゃないよ、お前」
「あたし、おどかしてなんかいない」
 女の声が、急にきっとなった。もともと気の強い女のようだった。
「ひょっとすると、そうかも知れないって言ってるの」
「・・・・・・・・」
「だってもう二月も、アレがないもの」
「まさか」男はまた笑った。が、うつろな笑いだった。
「お前、さうやってあたしの気持ちをためそうというんだね」
「そうじゃないってば」
 女は激しい口調(くちょう)で言った。
「ほんとに身ごもったかも知れないの」
「・・・・・・・・」
「どうする?」
「どうするたって、お前」
 男は困惑(こんわく)したように言った。声音(こわね)からさっきまでのやさしさが消えている。
「もう少したってみなきゃ分からないことじゃないか」
「もう少しして、もしほんとだったら、どうするの」
「・・・・・・・・」
「旦那(だんな)さまやおかみさんに、ちゃんと話してくれる?」
「ああ」
 男はおそろしく冷たい声で言った。
「そのときはそうするよりほか仕方ないでしょ」
「きっとね」
「・・・・・・・・」
「ちゃんと言ってくれかきゃ、あたしからおかみさんに言いますからね」
「わかった、わかった」
 男はいそいで言っている。
「その話はまた後にしよう。こんなに濡(ぬ)れちまってんだから、先にお帰り。あたしはあとから行く」
「また会ってくれる?」
「ああ」
 下駄の音が、石畳(いしだたみ)を踏んで、道に出て行った。しばらくして男がひとりごとを言った。
「冗談じゃありませんよ。そんなことが親父(おやじ)に知れたら、あたしゃ勘当(かんどう)ものだよ。」
 そして妙に気取った声で、伊勢屋(いせや)徳三郎一生の不覚(ふかく)、こいつぁちと、早まったか、と言ったのは芝居に凝(こ)っている男なのかも知れなかった。
 それっきり物音が絶えたので、嘉吉がのぞくと、男の姿も見えなくなっていた。女のあとを追ってまだ降っている雨の中に飛び出して行ったらしかった。
 嘉吉はほっとして、雨の様子をうかがった。小降りになった雨は、予想にたがわずそのままやんで行く気配だった。地面にしぶきを立てた勢いはとっくに失われて、まだ雨音はしているが、それもだんだんに弱まって来ている。
──やんだら、入るぞ。
 と嘉吉は思った。忍び口は決めてある。台所横の裏口だ。そこからずいと台所に上がって廊下に出る。そこには女中部屋があるから、気をつけなきゃいけねぇなと思った。女中は三人いて、一人は通いで夕刻には家に帰るが、あとの二人は住みこみだ。
 嘉吉が独り者だと知ると、お茶をのめの、せんべいをつまめのと、いやになれなれしくすり寄ってくるおきよという女中は、心配ない。めったなことでは目ざめそうもない図体(ずうたい)のでかい女だ。だがもう一人の、後家(ごけ)さんだという五十過ぎの婆さん女中は痩(や)せっぽちだ。目ざといかも知れない。めったな音を立てちゃならねぇ。
 女中部屋の前を通り抜けると、じきに茶の間に出る。主人夫婦の寝部屋はその隣だと、おきよに聞いたが、夜はがら空きの茶の間に、一日の売り上げを納める金箱があるはずだ。はばかりを拝借(はいしゃく)、てなことを言って上がり込んだついでに、茶の間の方まで行って、旦那と番頭が金箱の前で何か話しこんでいるのを見た。そのとき仏壇の下の押し入れが開いていてがらんどうだったから、金箱はあの中にあるに違ぇねぇ。
 大津屋は、その晩のうちに売り上げを土蔵に運びこむことはしねぇ店だ。一度外で包丁をとぎながら見たが・・・・・・・。
 嘉吉のもの思いは、突然に中断された。小さな鳥居(とりい)の前に、いつの間にか黒い影が二つ立って、ひそひそ話している。今度は二人とも男だった。
 嘉吉はまた庇(ひさし)の下を伝って、横手に回った。そこで耳を澄ませた。だが男2人の話し声は低くて何も聞きとれず、しかも長い。嘉吉はいらいらした。野郎ども、なにをいつまでぐたぐた言ってやがる。腹の中で毒づいたとき、やっと一人が大きな声を出した。
「ここじゃ濡れる。ちょっとそこの軒下(のきした)に入ろうじゃねぇか」
 軒下というのは、八幡(はちまん)さまのことだ。嘉吉は、またかとうんざりした。だがそう言った声音(こわね)に、嘉吉の耳をそばだたせるものがあった。
 声に聞きおぼえがあったわけではない。声音(こわね)から、ぞっとするほど陰気な響きを聞きつけたのである。こいつは何者だ、と嘉吉は思った。
「おれは帰るよ」
 と、もう一人が言った。その男も、とても堅気(かたぎ)の腹の中から出たとは思えない、陰気に冷たい声を出した。
「話は済んだぞ、巳之(みの)」
「いいや、済んじゃいないぜ」
 はじめの男がそう言って、含み笑いをした。しかし別にうれしくて笑ったわけではないらしく、すぐに笑いにかぶせてつづけた。
「もらうものはきっちりもらう。それがオレのやり方だ。いくら兄貴だって、オレの取り分を猫ババしようてぇのは黙っちゃいられねぇ。話をつけてもらうぜ」
「わからねぇ男だな、おめぇも。今度のいかさまでは儲(もう)かっちゃいねぇ。分け前をもらったやつは誰もいねぇと言ってる」
「竹(たけ)はそうは言わなかったぜ」
「竹がどう言ったか、オレが知るもんか。だがオレはびた一文(いちもん)懐(ふところ)にしちゃいねぇし、おめぇの取り分もなかった。わかったか。話はこれで終わりだ」
「兄貴がそうやって白(しら)をきるなら、オレはこの話を親分の前に持ち出すぜ」
「親分だと?」
「そうさ。多賀屋(たがや)はいかさまにひっかかりましたと、親分に泣きついたそうだ。親分はウチの賭場(とば)にかぎって、そういうことがあるはずはございませんとつっぱねたらしいから、オレが実はこういうことがありましたと白状したら・・・・・・」
「やめろ」
 兄貴と呼ばれた男が鋭く言った。
「よくよくのバカだ、おめぇは。そんなことをして何になる?」
「さあ、何になるかな」
 巳之(みの)という男がうそぶいている。
「多賀屋があの晩いくら巻き上げられたか分かれば、おいらの取り分がどのぐらいになったかぐれぇ分かるだろうさ」
「やめろよ、巳之」
 兄貴の声が無気味に沈んだ。
「そんなことをしたら、オレたちはただじゃ済まねぇことになるぜ。オレはいい。だが、助蔵兄いが迷惑なさる」
「そうかい。それじゃ黙っててやるから、おいらの取り分をくれるんだな」
「おめぇ、オレを脅(おど)すつもりか」
「さあ、どうかね」
 巳之がせせら笑った。
「ネタは上がっているんだぜ、兄貴。あんたはおいらの取り分を懐(ふところ)に入れてよ。櫓下(やぐらした)のおきみという女につかったんだ」
「・・・・・・・・」
「オレはしつこいたちだからな。兄貴に掛け合うからには、それぐらいのことは探っているさ」
「ほう、えらいな」
 と兄貴が言った。ふっとやさしい声に聞こえた。
「一人で調べたのかぇ?」
「あたりめぇだ。どうしても白(しら)を切って、金をくれねぇというなら、女のことも親分にばらしてやろうと思ってよ。おらぁ、あんたが考えるほど、バカじゃ・・・・・、あっ、何をしやがる」
 不意に黒い影が道の上に跳ねた。それを追って、もう一つの影が、うしろから抱きつくように、前の影にぶつかって行った。その男の手に匕首(あいくち)とみえるものが、鋭く光ったのを嘉吉はみた。
 ひと声、絶叫が闇をきり裂いてひびき、二つの人影がひとつになって道の上に転んだ。すさまじい組み打ちになった。野獣が餌(えさ)を争うときのように、二人の男は絶えず低い怒号(どごう)の声を吐きちらしながら、組み合ったままごろごろと道の上を転げ回った。
 その上に、まだ小降りの雨が降っている。おそらく男たちは泥まみれになっているはずだったが、争うのをやめなかった。とことんまでいくつもりらしかった。
 ついに一方が、一方の上に馬乗りになった。そして高くかざした匕首(あいくち)を、下になった男の上にはっしと打ちおろした。そのまま動きが静止した。刺された男が声を立てなかったのは、上の男が口をふさいだのかも知れなかった。
 ようやく上になった男が立ち上がった。その男が吐く、荒々しい息が嘉吉の耳にも聞こえた。男は荒い息を吐きながら、しばらく倒れている男を見下ろしていたが、不意に身をひるがえすと、足ばやに闇の中に消えていった。黒く横たわるものが地面に残されただけである。
 二匹の野獣の争いを、嘉吉はそれまで冷ややかな眼でのぞいていたが、勝った男が立ち去ると、鳥居(とりい)の下まで出て道を窺(うかが)った。
──くたばっちまったか。
 うんざりしていた。やられた男に同情する気持ちはこれっぽっちもなかった。嘉吉の胸には怒りが動いている。ひとの稼業(かぎょう)をじゃましやがって、と思った。
 道の真ん中に死人を置いたまま、大津屋に忍び込むわけにはいかなかった。もう人通りはなさそうだが、油断はできない。嘉吉が前の家に忍び込んだあとに、もし誰かがここを通りかかって死骸を見つけたりすれば、いくら夜でもあたり一帯は大さわぎになるだろう。そのうちには役人も来る。とても落ち着いて泥棒仕事というわけにはいかない。
──裏に隠すか。
 八幡さまの裏に、ひと握りほどの雑木林(ぞうきばやし)がくっついている。厄介(やっかい)だが、ひとまず死骸をそこまで引きずって隠すしかなさそうだった。とんだ骨折りだ。道に横たわっている死骸に向かって、呪(のろ)いの言葉を吐きちらしながら、嘉吉が道に足を踏み出しかけたとき、死骸がひと言うめいた。
──野郎、生きていやがった。
 足をひいて、鳥居のうしろに身をひそめた嘉吉の目の前で、倒れていた男がのろのろと身体を起こした。男は、何度か立ち上がりかけては腰を落としたが、ついに立ち上がると、ふらふらと歩き出した。いまにもつんのめりそうな、あぶなっかしい歩き方だったが、男は少しずつ道を遠ざかって行く。
──その調子だ。しっかりしろい。
 嘉吉はうしろから声援を送った。べつに男を気遣(きづか)ったわけではない。くたばるなら少しでも遠くへ行ってからにしろと思っただけである。盗みを働く晩の嘉吉は、冷酷非情、石のように情け知らずの男になっている。
 男の姿は、よろめきながら闇のむこうに消えた。ともあれ、これでじゃま者はいなくなったわけである。嘉吉はほっとして、また八幡さまの軒下にもどった。
 雨はほとんどやんでいた。嘉吉は、もう一度用心深くあたりの気配を窺(うかが)ったが、社前(しゃぜん)の杉が、身震いして振り落とす雨滴(しずく)の音の外(ほか)は、何の物音もしなかった。
 時は四つ半(午後十一時)。善良な人々は皆眠りにつき、いよいよ盗っ人の出番がやって来たようだった。
 ひと息入れて取りかかるず。そう思って嘉吉がぐっと腹に力をこめたとき、道の左手にぽつりと灯影(ほかげ)が見えた。
──今ごろ、なんだ、なんだ。
 嘉吉は、あわててまた社(やしろ)の横手に回った。灯影はじれったいほどゆっくり近づいて来る。実際に、嘉吉がじれて地団駄(じだんだ)を踏みそうになったぐらい、灯りの歩みは遅かった。重ねがさねの邪魔者の登場に、嘉吉は恐ろしい形相(ぎょうそう)になっている。ようやく近づいて来た提灯(ちようちん)の明かりをにらみつけながら、嘉吉がとっとと失(う)せやがれと腹の中でどなったとき、その声が聞こえたかのように、提灯(ちょうちん)はぴたりと鳥居の前でとまった。のみならず、女の声が、こう言っている。
「おちえ、ここで少し休んで行こうか」
 ひどく弱々しい声だった。すると、芝居の子役のように澄んだ声が、おっかさん、まだ痛むかえ、と言った。
 嘉吉が首をつき出してみると、二十半(なか)ばといった見当の女と、六つか七つとみえる女の子が、ひと休みすると決めたらしく、手をつないで境内(けいだい)に入ってくるところだった。嘉吉はじれて、泣きたくなった。
 女は鼻筋の通った美人だったが、髪はみだれ、提灯の明かりでもそれとわかるほど、血の気の失せた顔をしている。二人とも着ている物は粗末だった。
──なんだい、病人かね。
 首をひっこめて、嘉吉はそう思った。母親の方のぐあいが悪いので、医者に薬をもらいに行くところでもあるらしい。子どもが介添(かいぞ)えについて来たのだ。
 病人じゃしょうがねぇや。つごうがあるから行ってくれとも言えめぇ、と嘉吉は思った。辛抱して二人が立ち去るのを待つ気になった。
「おっかさん、背中をさすってやろうか」
 と女の子が言っている。どうやら二人は、扉(とびら)の前の上がり口に腰をおろした様子だった。
「すまないねぇ」
「おとっつあんの所など、行かなければよかったねぇ」
 と、女の子がこましゃくれた口ぶりで言った。
「おとっつあんは怒るし、あのおねえちゃんは、上にあがっちゃいけないって言うし、さ」
「おっかさんだって、行きたくはなかったよ」
 と、母親が言った。何かべつのことを考えているように、うつろで沈んだ声だった。
「でも店賃(たなちん)がとどこおってねぇ。大家(おおや)さんに出ていってくれって言われたしねぇ。身体(からだ)が元気なら、おっかさんが何とでもするけれど、ずうっと病気だからねぇ。仕方なしにお金をもらいに行ったんだ」
「おとっつぁんは、どうして家に帰らないで、あの家にいるの?」
「さあ、どうしてだろうねぇ」
 母親の声には力がなかった。
「大方おっかさんより、あのおねぇちゃんといる方がいいんだろ。お前という娘もいるのに、若いおんなにとち狂っちゃってまあ」
「もう帰って来ないの」
「もう帰って来ないねぇ」
 どんな野郎だ、と嘉吉は思った。女の亭主のことである。むらむらと怒りがこみ上げて来ていた。
 耳に入って来たことだけで、この親子がいま置かれている境遇(きょうぐう)というものは、およそのみこめたようだった。病弱な女房と子どもを捨てて、その男はどこかで、若い女といい気になって暮らしているのだ。残された親子は店賃(たなちん)の払いにも困って、大家(おおや)に出て行けがしに言われている。そういう事情らしかった。
 それで女房は、思い切って亭主をたずねて行ったが、剣もほろろに扱(あつか)われてもどるところらしい。
──もったいねぇことをしやがる。
 嘉吉は怒りのために、思わずうなり声を立てそうになった。
 おはるといった。それが嘉吉の女房の名前だった。そのころ嘉吉は鍛冶(かじ)の職人で、ばりばり働いていた。おはるは身ごもっていて、子どもが生まれるのを待つばかりだった。ぜいたくはできないものの、親方には信用され、手当(てあて)はきちんきちんと懐(ふところ)に入って来て、何の不足もない暮らしだった。
 嘉吉は腕のいい職人だったので、いずれ親方からのれんを分けてもらい、ひとり立ちする約束も出来ていた。その場所はどのあたり、小僧を二人ほど雇って、と腹のふくれたおはるとその時の話をしているときはしあわせだった。
 だが突風のような不幸が、嘉吉の家を襲った。死が腹の子もろとも、おはるを奪い去ったのである。はじめは軽い風邪だと思った病気が、身ごもって身体が弱っていたおはるを、みるみる衰弱させ高い熱が出て、あっという間の病死だった。
 嘉吉は、それまであまり好きでもなかった酒をのむようになり、やがて深酒して仕事を休むようになった。親方の意見にも耳を傾けず、そのうちに気まずさがつのって鍛冶屋(かじや)勤めをやめた。そのあとは日雇(ひやと)いをしたり、仕事がなければ家にごろごろしているような暮らしがつづいた。何をやっても張りあいがなかった。喰うだけのものを稼ぐ気持はあったが、それさえ面倒だと思うこともあった。
 そのころのある日、嘉吉は町の通りすがりに、店の前に紅白の幔幕(まんまく)を張りめぐらした家を見た。何か大げさな祝い事があるらしく、いそがしく人が出入りし、家の中からはごった返す人の気配(けはい)と、笑い声が通りまで聞こえてきた。嘉吉を、不意の怒りに駆りたてたのは、その家の中から聞こえてくる笑い声だった。どっと大勢の人が笑い、またどっと笑い声が起こった。
──何をうれしそうに笑っていやがる。
 と思った。自分でも理不尽(りふじん)だと思いながら、嘉吉は、胸の奥から噴き上げてくる暗い怒りを、抑えることができなかった。それは強(し)いて理屈づければ、世のしあわせなものに対する怒りといったものだったのである。
 嘉吉の胸には、ついこの間まで手の中に握っていたしあわせが、見果てぬ夢のように、かすかに光って残っている。その思い出だけで、嘉吉は生きていた。
 だが聞こえて来るしあわせそうな笑い声は、嘉吉のまぼろしのような物思いを無残(むざん)に砕き、しあわせはとうの昔に失われて、いまは何も残っていないことを、あらためて思い出させるようだった。しあわせとはこういうものだ、と大勢の笑い声が告げていた。しあわせな奴らが、ふしあわせな人間を嘲笑(あざわら)っている、と嘉吉はその家から聞こえてくるどよめきを聞いた。
 世の中には、しあわせもあり、不し