長田弘の詩

『世界は一冊の本』からの抜粋

    詩人の死 (長谷川四郎へ)

古き良きものをうたわなかった。
不変なるものを信じなかった。

ふりかえることをしなかった。
嘆くことをしなかった。

ソノ然ラザルヲ以テ
ソノ然ルヲ疑ウ。


善い言葉と自由な時間。
それ以上は何も求めなかった。

何をしたか、ではない。
ひとは何をしなかったか、だ。





生まれて、しばらく生きて、
それから死ぬ。

ただそれだけのあいだを、
上手に過ごすことをしなかった。

──笑って、身を低めていよう。
死ぬときも、さよならをいわなかった。

詩人でなかったら、あなたの
人生はきっと幸福だった。

   長谷川四郎(1909明42〜1987昭62)
    小説『鶴』の作者 『デルス・ウザーラ』の翻訳者
    林不忘長谷川海太郎)、長谷川隣太郎の弟
 十二人のスペイン人?

    ウムナーノ

スペインの大地は、神の荒れた掌。
その大地に住むのは、国民(ナシオン)ではなく、人びと(プエブロ)。
そこで生き、死に、それによって生き、
死ぬところの大地を夢みる人びと。

毎日の挨拶に、!se vive!
「生きています」とこたえる人びと。
憂い顔の哲学者は、頑固に信じていた。
人間一人は世界全体ほどの価値がある。


「生まれ、生き、そして死ぬ一人一人が
この世を生きぬいたことにより
誇りをもって死んでゆけないようなら
世界とは、いったい何だろうか?

「哀れなドン・キホーテは、敗れて死んだ。
だが、絶望とたたかう魂を、彼は遺したのだ。
諸君には、ドン・キホーテの笑いが、
神の笑いが聞こえないだろうか?

Miguel de Unamuno y Jugo(1864-1936)
マチャード

詩は、慎しみぶかくかたられねばならない。
詩は、存在を夢みる言葉なのだといった人。

存在するとは、生きることによって学ぶこと。
午後の静けさ、樫の木のうつくしさを愛した人。

ひとはみな本質的に田舎者なのだといった人。
いつでも人間らしい恥じらいをもとめた人。

じぶんで苦しんで働いて、じぶんのナイフで
パンを切りわけるひとの、なんとわずかなことか。



なぜ? どうしてなの? と子どものように
世界に質問を浴びせつづけなさいといった人。

思索とは、秘められた激怒にほかならない。
教義や儀式を、いかさまを公然とにくんだ人。

思考のギターの低音を掻きならすのは
「しかし」という銀色の言葉なのだといった人。

    Antonio Machado y Ruiz(1875-1939)

ファリャ


余計な音がただの一つもあってはならぬ
だが、不足した音が一つもあってはならぬ

音楽が熱望ではなく、祈りでもないなら何だろう
楽家は他の人びとのために働かねばならぬ

マヌエル・デ・ファリャは潔癖だった
エストロをよばれることをきびしく拒んだ

作品にじぶんの名を付すことさえしなかった
修道僧のように、一人の生涯を端正に生きた



騒音と贅沢と写真と暴力がきらいだった
月と7という数字の魔力を深く信じていた

耳と目と心をおそろしいほど澄ませて生きた
魂に、脂肪の一かけらももたなかった

「じゃ、またすぐに。でなければ、永遠に」
マヌエル・デ・ファリャはそういって死んだ

Manuel de Flla(1876-1946)
   カザルス   


最初に発見したのは、音だ。
(旅芸人の鳴らす、塵にまみれた聖なる音)

そのとき、チェロを発見した。
(違う。チェロによって私は私を発見した)

バッハを発見。
(生きることの、何という絶妙な単純さ!)

音楽を発見した。
(現在を輝かすのでないなら、音楽は何だ)

そして、良心を発見した。
(結局、良心の基準以上の、何もないのだ)

それから、沈黙を発見した。
(悲しいかな、世界は不正を受けいれている)

チェロが一番響くのは、弦の切れる直前・・・・
最後に死が発見したのは、よく生きた人だった。
             Pablo Casals(1876-1973)
    ヒメネス


髭を生やした詩人が、ロバにいった。
雨の中のバラをごらん。バラの中に
もう一つ、水のバラがある。揺すると、
かがやかしい水の花が落ちてくる。

優しい目をした詩人が、ロバにいった。
子どもたちをごらん。鏡のカケラで
日光を集めて、日陰にもってこようとしている。
信じていい。一日は単純で、そして美しい。


いつでも喪服を着ていた詩人がロバにいった。
人びとをごらん。人生の表と裏を眺めながら
ときどき心の暗がりに、苦しい思い出を捨てて、
みんな勇気をもって、年老いてゆく。

しっとりと、おだやかに、地球はまわる。
アンダルシアの詩人は、ロバにいった。
ごらん。青空のほかに、神はない。
この世に足りないものなんて、何もないのだ。
          Juan Ramon Jimenez(1881-1958)
ピカソ    

なぜ芸術を、人は理解したがるのか
夜を、花を、すべてのものを
理解する代わりに、人は愛するのに

頭蓋骨のうつくしさを見たまえ
そこにはつねに指の痕がある
それを仕上げた、神々の指紋


パブロ・ピカソはいった
客観的真実なんてものはないのだ
ただ具体的事実があるのだよ

神々がつくり、ひとが発見する
パブロ・ピカソはいった
発見したものに、私は署名しただけだ

             pablo Picasso(1881-1973)
オルテガ

致命的で。とりかえしがつかない。
そんなものは何一つないと信じている。

人が生きるために理由を必要とせず、
ただ口実だけを必要としている時代。

何でもできるが、何をすべきかわからない。
不まじめと冗談だけが取り柄の時代。



凡庸な何たる時代と、天を仰いで、
ホセ・オルテガ・イ・ガセットは嘆いた。

不可能なものはなく、危険なものはないと
全能ぶっても、その日暮らしの、われわれの時代。

──ねえ、世界って何なの?
下らんことで縁まで一杯の、とても大きなものだよ。

Jose Ortega y Gasset(1883-1955)
    セゴビア

もし、愛する人に捨てられて
友人に悲しみを訴えたいなら、チェロで
その友人に裏切られたなら、オルガンで
神さまにその苦しみを訴えなさい。
けれども、ほんとうに愛する人がいるなら
あなたはギターの言葉で語らなければなりません

ギターを弾く人は、嘆いてはいけません。
遠くへゆきたくないなら、ギターは捨てなさい
どんなに幸福にめぐまれた土地であっても
ギターを愛するのなら、その街を離れなさい
ギターを弾く人は、旅しなければなりません
地球の円みを踏みしめて旅しなければなりません

ギターを弾く人は、泣いてはいけません
けれども、泣くような思いをしなければなりません
魂にかたちがあるなら、ギターの形をしています
「ギターを弾く人は」アンドレス・セゴビアはいった
「愛する楽器にために生きて、旅しつづけて、
そして死ななければなりません」

        Andres Segovia(1893-1987)
ミロ

美しいのは、テーブルの上の
赤い染み、青い染み、黒い染み。
錆びた鉄片、汚れたボール紙。
古い自動車のナンバー・プレート。
日常の、無数に小さな事物。
世界のあるがままのものすべて。

純粋なままのまなざし。
根元的なまなざし。
絵を描くとは、とジョアン・ミロはいった。
自由のために何かすること。
私は純粋にちかづきたい。
そして、人びとを動揺させたい。

美しいのは、飛んでいる鳥。
目と口のある、生きている木。
昆虫、髪の毛、性器、太陽。
星くずのように散らばった絵具。
家や市場や友だちのあいだで
毎日交わし合うカタルーニャの言葉。
       Joan Miro(1893-1983)

ガルシア・ロルカ

緑の風 緑の雨 緑の絵々
緑の影 緑の鏡 緑のバルコニー
黄色の塔 黄色い牛
白い家々 白い悲鳴 静寂の白さ
白いギター 白い百合
アンダルシーアの 薄紅色の空気
灰色のなみだ 風の灰色の腕
灰色の肌 灰色をした無限
スミレ色の声 空色の舌
黒い鳩 黒い馬 黒い虹 黒い悲しみ
黒い月 黒い音 黒い髪の女たち


赤い月 赤い絹
青い月 青い水 青い闇
青い巴旦杏の 三つの実
フェデリーコ・ガルシア・ロルカ
十二色の色鉛筆で 書かれた
地の言葉 木の言葉 無言の言葉
銀色の心臓 銀色のねむり
金色の丘 金色の野 金色の川
金色の乳房 金色の震え
       Federico Garcia Lorca(1898-1936)
   ドゥルティ

革の帽子 ベルトつきの革の上着 麻の靴
いつも床で眠り 拳銃を手放さなかった

夜は 幼い娘のオムツを替え 料理をした
朝になれば 拳銃を手に 街へ出ていった

学校をつくるために 銀行に押し入った
新聞をだすために 輪転機を奪い取った

諸君 革命だ 日常生活は革命される!
頭のてっぺんから爪先まで 率直だった



「ぼくらは廃墟を怖れない 地球を継承する」
地球のあらゆる権力を 仮借なくにくんだ男だ

背後から撃たれて死んだ のこされたのは
拳銃と 穴のあいた靴と 伝説だけ

ブエナベントゥラ・ドゥルティという男がいた
むかし バルセロナが革命の街だったとき

      Buenaventura Durruti(1896-1936) 
    フェレル

フランシスコ・フェレルのつくった学校は小さかった。

褒賞、懲罰、教義、試験、短気、怒りは不要。
楽しみを犠牲にしない。考えることを学ぶこと。

経験し、愛し、感動したことを実行すること。
自然の法則を知ること。男女の共同作業を学ぶこと。

私たちは、宇宙の小さな物体の上に、
とるにたらない天のようなものの上に住んでいるのだから




私たちは、じぶんたちで手に入れられることを
他人にもとめて、時間を空費しようとおもわない。

大空に、四方八方開けた静かな展望台、それが学校だ。
日々、感受性に生気をみなぎらせる、それが教育だ。

一人前になること。そして、一人前になるとは
不正に反対することをみずから宣言できるようになること。

フランシスコ・フェレルのつくった学校は大きかった。
    Francisco Ferrer Garbaguardia(1859-1909)          








嘘でしょう、イソップさん



原因があって結果がある
というのは真実ではない。
事実はちがう。

はじめに結果がある。
それから、気づかなかった
原因にはじめて気づく。

ものごとの事実に対し
ものごとの真実は、
いつでも一歩遅れている。