三好達治

 今月の詩
                        2015年2月

 先日の新聞に、ヴァレリー(1871〜1945)の「わたしたちは湖水を進むボートを漕ぐときのように、過去の方を見ながら未来に向かっていく」という言葉が紹介されていた。
 「なあんだ。そんな意味だったのか。」
 いろんな人の本のなかでこのフランスの詩人の言葉に出遇った。
――わたしたちは後ずさりをしながら未来に入っていく。
 それを読むたびに、「そのときオレたちの顔はどっちを向いているんだろう?」と気になって仕方がなかった。
 フランスを代表する知性と賞された人に歯向かうようで畏れおおい気はするが、(幾つかの著作と詩集を読んだだけだけど尊敬しております。彼の育った地中海沿岸のセトには、もしフランスに行く機会があったらぜひ立ち寄りたいと思っている。独身時代、思い出を語った彼の文章を読んで陶然となった夜のことは、そのとき住んでいた木造アパートの雰囲気と共にしっかり覚えている。)わたしのイメージはすこし違う。
 
 わたしたちはまだ見えてこない未来に向かって、「そんなところには行きたくない」と駄々をこねて足を突っ張りながら、それでも何が起こるか分からないから前方に目を皿のようにして見開いて、ちょうど動く歩道に乗っているときのように自分の意思とは無関係に未来に運ばれていく。

 「未来なんかちっとも怖くない」という人も多いだろう。それはいいことです。なぜなら、そういう人の多い社会は平和なのだから。
 平和とは、多くのひとが「明日も今日とたいして変わりはしないさ。」とタカをくくって生きられる状態をさしているのだと思います。明日だけじゃない。来年も再来年も「たいして変わりはしない」。だから「平和」に近い意味のことばは「平穏」であり「安穏」であり「穏当」あり「凡庸」なのです。
 そんな「退屈な社会」こそ、私たちにとってもっとも大切な社会なんだ。
――変わるな!
 その「変わるな」派を保守主義と呼びます。その反対の「変われ」派が革新主義。(君はどっち派?)
 現代を新保守主義の時代と呼ぶ人々がいる。それだけ、わたしたちの社会は世界の中でもとくに安定していると言えるのかもしれない。
 でも、も少し考えてみよう。
 就職して5年たっても月給が初任給のままだったらどうする?10年後に使っている携帯が今のままって状態を歓迎できるかな?
――変われ!
 アメリカのある小説では登場人物に「歴史を作ったのは、このまま以外ならどうなってもいいと考えた連中だ。」と言わせていた。
 イギリスの選挙で勝利した政党の参謀の話を直接聞く機会があった。(福岡は国際都市なのです)「″チェンジ″という合い言葉を作ったのが成功した理由だ。″チェンジ″の中身はどうでも良かったんだ。」
 今と変わらない未来なんてクソ食らえ!
 「反抗心は若者の属性だと思って、お前の言ってきたことをそのまま受け止めておく。」
 アトランタ・オリンピックの年に亡くなった私の先生からの返事にあったことばです。そのとき先生にどんなエラそうなことを書き送ったのかは、さいわいにしてキレイに忘れている。でもきっとムカムカすることがあって、それを聞いてくれる者がどこにもいそうになかったので先生に書き殴って郵送したのでしょう。

 これからの世の中がどうなっていくのか皆目(かいもく)見当がつかない。もう世界の成長はほぼ限界に達しているという見方もある。限界に達したらそのあとの世界ははどうなるのか?
 パンデミックはテレビや映画の中だけのことではなくなるかもしれないし、世界経済恐慌はセンター試験のための項目だけではなくなるかもしれないし、平和を維持するためには最大限の労力を消耗しなくてはいけなくなるかもしれない。
 昨年の新聞にはチェルノブイリ(1986年にコントロール不能な事故を起こし、福島原発とは桁違いの放射能をはき出したので生コン原発全体を固めた)の原発をふさいでいたコンクリートの耐久年数が過ぎたので、石棺で覆おうとしているのだがまだ数年かかるという記事が載っていた。
 あるいは、わたしの学生時代、ある国で深刻な内戦が起こったとき隣国は国境にほぼ全軍を張りつけて、どちらの兵士も、難民さえも入って来られないようにした。その「非人道的」な政府の処置をその国の国民は支持したという。「戦争の輸入だけはイヤだ。」

 暗い話はこれぐらいにしよう。
 君たちの未来は明るい。
 でも、「教科書に載っていないことが起きた時どうするか?」その時のための対応能力を養っておこうとするのが学校だ、ということだけは肝に銘じておこう。


 今月は、君たちが小学校のときに、
   太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ
   次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ
を勉強したはずの三好達治の別の詩を紹介します。


       燕 三好達治

「あそこの電線にあれ燕がドレミファソラシドよ」

──毎日こんなにいいお天気だけれど、もうそろそろ私たちの出発も近づいた。午後の風は胸に冷たいし、この頃の日ぐれの早さは、まるで空の遠くから切ない網(あみ)を撒(ま)かれるやうだ。夕暮の林から蜩(ひぐらし)が、あの鋭い唱歌(しようか)でかなかなかなかなと歌ふのを聞いてゐると、私は自分の居る場所が解(わか)らなくなってなぜか泪(なみだ)が湧(わ)いてくる。
──それは毎年誰かの言ひだすことだ。風もなかったのに、私は昨夜柿の実の落ちる音を聞いた。あんなに大きく見えた入道雲(にゆうどうぐも)も、もうこの頃では日に日に小さくなって、ちょっと山の上から覗(のぞ)いたかと思ふと、すぐまたどこかへ急いで消えてしまふ。
──私は昨夜稲妻(いなずま)を見ましたわ。稲妻を見たことがある? あれが風や野原をしらぬ間にこんなにつめたくするのでせう。これもそのとき見たのだけれど、夜でも空にはやはり雲があるのね。
──あんなちっちゃな卵だったのに、お前も大変もの知りになりましたね。
──さあみんな夜は早くから夢を見ないで深くお眠り、そして朝の楽しい心で、一日勇気を喪(うしな)はずに風を切って遊び廻(まわ)らう。帰るのにまた旅は長いのだから。
──帰るといふのかしら、去年頃から、私はどうも解らなくなってしまった。幾度も海を渡ってゐるうちに、どちらの国で私が生まれたのか、記憶がなくなってしまったから。
──どうか今年の海は、不意に空模様が変わって荒れたりなどしなければいいが。
──海ってどんなに大きいの、でも川の方が長いでせう?
──もし海の上で疲れてしまったらどうすればいいのかしら。海は水ばかりなんでせう。そして空と同じやうに、どこにも休むところがないのでせう、横や前から強い風が吹いてきても。
──疲れてみんなからだんだん後に遅れて、ひとりぼっちになってしまったらどんなに悲しく淋(さび)しいだらうな。
──いや、心配しなくていいのだ。何も心配するには当たらない。海をまだ知らないものは訳(わけ)もなくそれを飛び越えてしまふのだ。その海がほんとに大きく思へるのは、それはまだお前たちではない。海の上でひとりぼっちになるのは、それはお前たちではないだらう・・・・・。けれども何も心配するには当たらない。私たちは毎日こんなに楽しく暮してゐるのに、私たちの過(あやま)ちからでなく起(おこ)ってくることが、何でそんなに悲しいものか。今までも自然がさうすることは、さうなってみれば、いつも予(あらかじ)め怖れた心配とは随分様子の違ったものだった。ああ、たとへ海の上でひとりぼっちになるにしても