田川建三という人

2015/02/18

 本日は自宅待機日。

 時間割係が非常勤には気をつかってくれて、試験期間中の監督は1日のみなのです。
 月曜日、現代文が終わったあと、四階の私が常駐している部屋まで生徒がわざわざ来て「先生、採点しない方がいいです。」難しすぎたらしい。
 そうかなと採点してみたら平均点が46点。34名中8名が赤点。「なるほど」。それでも1、2,3学期をトータルしてみたら追試者はゼロ。うまくできています。

 出勤前のメールを受け取りました。仕事もご両親のことも大変だけど、大変じゃないよりはずっといい。

 私は一人娘と結婚したので、盆と正月は長いことカミさんとは別居状態でした。(二人一緒に行動する夫婦も多いと思うけど、自分たちの場合は、それぞれが水入らずの親子の会話が出来たのだから、あれで良かったのだと思っています。)「別々に新年を迎えている輭はしあわせだと思おう。」
 数年前、やっと二人でいっしょに紅白歌合戦を見たときは何かお互いに落ち着かなかった。もう馴れたけど。

 ごめんなさい。
 また長くなりそうです。

 前回の深夜のメールを読んでいて不思議な気持ちに捕らわれました。
 中に出てくる「逆説」という言葉の使われ方に対してです。
 実は、今年度の入試問題演習のときに、名前は忘れましたが存命なら80代の女性(思いだした。たしか坂口ふみさん。)の好もしい文章に出会いました。ただその方もイエスの存在を「逆説」と呼んでいたのです。それは私の使う逆説とはずいぶん違っている気がしました。
――この人の「逆説」は、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」に近いのではないか。
 高校時代、本職が神主の国語教員から親鸞の「悪人正機説」を教わり、びっくりして『歎異抄』を読みました。それから何十年か経って「親鸞にとって仏の存在は、絶対矛盾の自己同一だったんだ。」と思うようになりました。いやむしろ、そのことの順番は逆で、西田幾多郎親鸞によって「絶対矛盾の自己同一」を覚ったにちがいないと、いまは思っています。
――とにかく、田川建三を読んでみよう。
 読後がさわやかだったと書いてあった『はじめて読む聖書』を開きました。
 内田樹の「ユダヤ教無神論にちかい」に納得。
 正確な題名は忘れましたが、『私的ユダヤ文化論』を読んだあと、彼の翻訳したレヴィナスを読みました。あんなにおぞましさを感じた読書はありません。だのに逃げ出すことができませんでした。その時のイメージでは「水平方向に永久に続いている奈落」を覗き込まされている気分でした。レヴィナス自身の考えがそうだったのかどうかは分かりません。しかし「写経をするように翻訳した」内田樹はきっとそういうイメージを持っていたのです。 

 いまでは、「ユダヤ人は、この世の原初のさらに奥に神が存在していた痕跡を発見したのだ。」と考えています。でもこの考えは、ユダヤ教というより、カソリックから封殺されというグノーシスに近いのかも知れません。──ハンス・ヨナス(映画『ハンナ・アレント』の最後のほうで、アレントの講義場に姿を現し、彼女に絶交を告げるユダヤ人の同窓生が彼です)を読みかけたことがあるのですが挫折しました。グノーシスはあまりにも多様で理解するのは私の能力を超えています。「グノーシスは地上から消されたのにコプトが生き残った理由はなぜか?」興味はそちらに移りました。──
 ヨナスに挫折した後、ひとりで考えたことは以下の通りです。
 もともと、グノーシス教という宗派があったわけではなく、オアシスとも呼べないような小さな水場で、ごく少数で自給自足をしながら思索と祈りに専念していた人びとの総称が「グノーシス」だったようです。きっと、集団化して自分自身の思索や祈りが妨げられる危険を避けたのでしょう。互いの交流も少なく、教義を統一しようという発想もなく、ひとつに収斂されずに「個」のままであろうとしたのですから、多様なままだったのは当然です。その彼らの姿は、水が涸れるのと併行して自然に一つずつ消えていった、というのが事実に近いんじゃないのでしょうか。
 グノーシスの特徴のひとつは原罪の否定にあります。「原罪を伴っていないわれわれは救われようがない。」(思いだしたから付け加えます。吉田秀和は、ドイツに行ったとき江戸時代の新聞をひっくり返していて次のような記述にぶつかったそうです。「ベートーベンは、我々は救われようがない、ということに、救いを見出しているのだ」昔はそんな音楽評もあった、と紹介しています)――私のなかの「逆説」はそんな顔をしています――カソリックが徹底的に封殺したのはそのことと、三位一体説の否定。

 でも魅力的なのですよ。

 「磔刑ののち復活までの7日間イエスは何をしていたのか?」

 彼らのなかには「地獄に行って、神の国への道を説いていたのだ」と考えた人たちがいました。それが史的事実として正しいかどうかに興味はありません。そう考えた人たちがいるのを尊いと思います。

 私は、前にも言ったとおり、神仏混淆的日本仏教徒。さらに言うと、山川草木虫魚教徒ですが、もしその最後をどこかの施設で迎えるときは前もってLP(最初の学校を辞めるとき若い友人が呉れたベームウィーンフィル。その友人もこの三月で定年になります。「これからどうしたらいいか教えてください」)を預けておいて、モーツァルトのレクイエムを「ガンガン鳴らしてくれ」と頼むつもりです。(ただし、今のところのプラン)バッハもそうですが、モーツァルトにも原罪感覚を感じません。日本人が安心して受け容れた理由はそこにあると考えています。(名前を忘れたドイツの音楽家の言葉が大好きです。「日本人はキリスト教を信じていないかもしれないけれど、バッハは信じている。」)
 私にとってあのレクイエムは「鎮魂曲」ではなく「魂ふり歌」です。(フォーレのレクイエムも大好きなのですが、その『リベラ・メ』を聴いていると「私たちをもう原罪から解放してください。」と言っているように聞こえます。)

 「神は存在しない」と言うキリスト者
 思いっきり偉そうに言いますが、
――オレと同じようなことを考えている人がいた。

 三学期、漱石の『こころ』を、もういいよ、と思いつつやりました。その途中で、「漱石はけっきょく一元論に戻りたかったんだな」と感じました。
 学生時代の夏目金之助に『老子の哲学』という論文があります。「老子の哲学は一元論である。一元論に発展性は最初から閉ざされている。」夏目青年は勇躍、二元論的近代社会に出て行きました。が、そこには違和感を覚えるだけでした。(若い友人によるとグレン・グールドの愛読書だったという『草枕』は別格の一元論的小説です。)『三四郎』『それから』『門』と続いた二元論的発展はついに白眉の『明暗』に至りつつ、作者の死によって未完に終わりました。「も少し漱石が生きていたら」と傑作の頓挫を嘆く人は多いのですが、そのまま書かれていたとして惨憺たる様相の結末以外を私には想像できません。
 その「惨憺たる様相」を一言で言うなら「非情の世界」です。
「物質に陰なし」。名前を忘れた人の俳句の中の言葉です。私の言う「非情の世界」とはその陰のない世界のことです。
 『明暗』の構想を練っているころ(彼の構想は実に緻密で細部にまで至っています)漱石は日記に「気が狂いそうだ」と書いています。私自身が晩年を迎え、その意味を取り違えていたと気づきました。かれは『明暗』を構想することで気が狂いそうになったのではありません。気が狂いそうだったから『明暗』を書かざるを得なかったのです。

 田川建三が、本人の言っているように不可知論者なのかどうかは、まだ私には分かりません。

 長谷川宏という哲学者がいます。(田川建三と同世代?)
 かれは「キルケゴールは激しくヘーゲルに反発した。」と言っています。「論理的発展からこぼれ落ちた場所にこそ真実(神)は宿っている。」長谷川宏からの受け売りの更なる私なりの要約ですから、どの程度その真意を汲み取っているかは分かりませんが、私はキルケゴールのほうに親しみを覚えます。物言わぬ山川草木虫魚。いずれも近代の論理的発展から取り残されたものだと考えているからです。──ことばを持たぬがゆえに霊性を保ちつづけているもの。──神仏混淆的山川草木虫魚教徒の私はその「二元論的発展からこぼれ落ちた場所」を「草葉の陰」と呼んでいます。それは決して死後の場所ではありません。命の宿っている場所なのです。

 信州に逼塞している男は私よりも深くシュレジンガーの『生命とは何か』を読んでいます。私は最晩年の物理学者の情熱にただただ圧倒されただけでした。いつかもう一度読んでみます。

 「生命というモノがあるわけではない」と言う人たちがいます。「生命とは現象にすぎない」。しかし、そう言う人たちは、モノ(物質)もまた現象にすぎないということにまだ気づいていません。
 この宇宙にあるのはただ力だけです。その力が集まった、いわば力の塊を私たちは「物質」と呼んでいるにすぎません。だから「物質になぜ引力があるのか」という問い自体が意味をなしません。
 われわれが物質と呼んでいるのは、引力と斥力の調和の取れたある一定の空間のことです。その調和は引力が勝っていなければ成り立ちません。それだけのことなのです。
 「じゃあ、なぜこの宇宙には力があるのか?」という問いにはただお手上げ。――オレにはそれ以上を考える必要がない。――
 ですが、命とはなにか、は私にとって生涯のテーマです。その「命」と、古代のユダヤ人が発見した(と私が思っている)「神の痕跡」と別物とは感じません。人類はひとつのこと(モノ、ではありません)を多種多様の言葉で語り続けているのです。もちろんその「言葉」のなかにはグノーシスだけでなくイスラムも含まれます。

 私は生徒からの「漱石はなぜ″こころ″とかな書きにしたのか?」という質問には「シンと音読みされるのを嫌ったのだ。それに極めて簡潔な漢字の″心″に振り仮名をつけるなんて江戸っ子の矜持が許さなかったと思うよ」と答えることにしています。しかし、私の「命」の場合はむしろ逆です。「いのち」「メイ」どちらにも読んで欲しいのです。

 私のこの世での義務(メイです)は家族(母親とカミさんとチビたち)の弔いをすること。先に書いたことと矛盾しますが、それが済んだらあとはどこでどうなろうと構いません。
 私にはあなたのように「召される」ところがありません。
 もう10年以上前になると思います。「千の風になって」がはやる前のことです。
 宮沢賢治が出てきたので「宮沢賢治の信じた法華経のことは現代語訳を読んでみたけどサッパリ分からないので、ハウツウものからの受け売りをする」と「宇宙に流れている生命の大河」の話をした次の時間に「法華経の話はいい。先生自身は自分が死んだらドゲなるチ思いよると?」という質問が出ました。
 「アメリカのネイティブ・インディアンの考えがいちばん気に入っている。私が死んだらこの体は土になる。私が死んだらこの心は風になる」
 「ふうん。いいね。」
 もし今度、生徒が同じようなことを質問したら「叶わなかった願いは光になる」と付け加えようと決めているんですが、その後はあんな生意気で直接的な質問をする生徒に出くわしません。少しさびしいな。
 いまの私のロマンをカミング・アウトします。
 土、風、光、の三元素を融合すると水になります。それが生命の源です。
 わたしは出来るだけ単純になりたいのです。

 「過去も現在も未来も、ここしかない」それが私の覚悟です。

 お互いに自分を労わりつつがんばりましょう。まだまだ「義務」は続きます。
 『キリスト教思想への招待』を注文しました。
 この春、じっくりと読んでみます。
  有難うございました。
 あなたとの交信のきっかけを作ってくれた寒緋桜氏にも感謝。
 なんという素敵なことばか。「存在しない(はずの)神のおかげ」

追伸
 昨日、信州からメールが届きました。
 「プロコフィエフロミオとジュリエットの主旋律が耳から離れなくなった。」
 どんな曲かとユーチューブで聴きました。私の頭の中でエンドレス状態になる前に消しました。でも、シェークスピアのイメージしたものは、オリビア・ハッセーの映画よりはプロコフィエフの音楽のほうがずっと当たっている気がします。(でもハッセーの映画がまたテレビで放映されたら見そうな気がします)